わかりやすいことだらけの世界は願い下げだ
大半を妄想の中で過ごしてきた
小学生の頃、下水道の下の怪物は常に後をつけて来ていたし、校長はサイキックだったし、小説はどこでもドアだった
時にはランドセルを忘れて学校に行くくらい
特に理由もなく、何かに出会うと、その何かを出発点で物語を描く癖があった
だから、音や言葉から物語を紡いてくこと
またはその逆も、自分にとって凄く自然なことだった
ブランドを始めた時、MV監督を始めた時、毎回言われた'ミュージシャンの癖に手を出すな'
むしろ逆で、世界を考えることから音楽を始めたのに
曲を書く時に、先に登場人物が履いてる靴のデザインをイメージして、作曲したことがある
LOVE SCREAM PARTYという19歳で始めて書いた曲
何万という虫が襲ってくる曲は選曲会で落ちたけど、5歳児が兵器を持って戦争している曲は当時のミニアルバムに収録された
イメージの中のセリフが歌詞になって、その情景に流れる音を曲にしただけといえばそれだけの始まり
さて、今回に話を戻す
'ぼくのじゃない'は、水彩画だった
水彩の世界観で上手にぼやけた世界
その奥から現実がじっとりと顔出し、夢の中だけでは生きていけなくなった2人の葛藤を描きたかった
曲やストーリーを伝えて、kumiさんというイラストレーターさんに描いてもらった
水は意識にあったけど、割れたガラスは彼女のアイディア
限界まで張り詰めた二人の何かが、壊れて行くようで
美しいな、とため息が出た
感情任せに口づけをし、君の吐く二酸化炭素さえあればそれだけで良かったはずなのに
意識せずともべったりと心に住み着いた'現実'は、2人の共依存を引き裂くことになる
物語の中で象徴的だったALICE BLACKのリングは、もともと愛用してもの
今回の作品に合うようにバラの矢を刻印してもらった
でもそれだけじゃない
あえてチェーンの真ん中をロウ付けせず、セパレートできる仕様にした
さながら、繋ぎ止め続けられなかったふたり
きっとみんなの解釈で良いんだと思う
それぞれでつけておく事で絆を感じる人もいるだろう
自分でつけておいて、いつか大切な人ができたら片割れを託すのも良いかもしれない
嘘は突き通せば真実に
絆は繋ぎ直せば運命に
ナンシーがシドの首にした南京錠にどんな意味があったんだろう?
そうやって勝手に人の物語に忍び込むのは自由なんだから
不幸やゴシップを焚きつけるよりよっぽど罪は軽いよね
服は服でしかないし、誰の命も救えない
だけど、少しだけドキドキさせたりワクワクさせたりできるって信じ続けてる
音楽と解け合わないものじゃない
音楽と手を取り、おしゃべりしたり反発したりして、また物語が産まれる
プリントされる事で、また質感が変わる
モニターの細かさから、生地の荒さに乗るので、さらにぼやける
それがなんだか好きだ。写ルンですで切り取った見たいって言ったら伝わるかも
この世界だと、服は真っ白が良いよねって迷わなかった
だけどマグカップは中を黒いものに
外から見たら白くても、中は黒い
岩井俊二さんの、この世界を描きたいなら、もっと大きな世界を描かないとという趣旨の言葉が好きだった
登場しない人物まで、地図を広げる事
そこまで考えたって無駄だって
伝わらなくたって
動画しか見たくなってwebしか見なくたって
今の時代に合ってなくたって。
考えることが好きで、作ることが好きで
そのこだわりや思いが、例えたった少しの人たちでも、波となって心を動かせたらなって思う
こうやって、伝える努力は大切。だけど、好かれる努力は必要ない。
わかりやすいことだらけの世界は、願い下げだ。
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