“暇”を科学する
友達に”今、ブログ書くのにハマってんだよね。一日2本書いてる”という話をしたら、
「ウケる、暇なんだね。」
と言われた。まあ、ウケたならいいのだが、なんだかモヤモヤする言い方である。なんだこのモヤモヤは。ネタにしてやる。
今日は”暇”について考える。
○皮肉として成立するのか
僕はこのブログを、夜明け前の死にたいときと仕事に行く前の死にたいときに書き上げている。確かに、一般的な20半ばの男性に比べると暇かもしれない。こんな風に長文を書けるまとまった時間がある。
先ほどの発言をした友達の表情を思い出すと、純粋なウケの奥に”暇なんだね、ドンマイ”といったニュアンスが含まれていた。
暇であることは悪なのだろうか。
せっかくの休み、なにも予定がないと落ち着かない。暗い部屋で、惰性でインスタを開くと、みんないろんなところに行ってて、なんとなく暗澹とした気持ちになる。
数日前に、夜更かしの罪悪感について書いたが、あれと同じだ。また、得体の知れない罪悪感だ。僕の人生になんども出てくる敵。バイキンマン。ムサシとコジロウ。ラブリーチャーミーな敵役。
ひとりでジメジメ過ごすのに慣れている、そしてそれが好きな僕でも、時たまこういう気分に喰われる。そして余計に布団から出られなくなる。
だからこそ声を大にして言いたい。
別によくな〜〜〜〜〜〜〜い!!??
いいのである。何もしなくて。僕は最近、くまのプーさんに住民票を発行した。俺の心に住んでいいよって。なぐさめ納税をしてくれる。ハチミツでそこら中ベタつくけど、良いくまだと思う。
僕の先輩に、心理学者の父を持つ方がいる。お父さんが、亡くなる直前にこんなことを言ったそうだ。
人間、やらなくちゃいけないことなんてひとつもないんだ。好きにやれ。
ひどく感銘を受けた。いつか座右の銘を聞かれたらこれを答える。くらいの衝撃だった。
漠然と何かをしないといけない気持ちに追われるのはもうやめだ。”暇なんだね”は褒め言葉。余談だが、プーさんのアドバイス通りインスタのアカウントを消したら、精神衛生が向上した。
○暇はオモシロの源泉
もし、僕のブログを読んで面白いと思ってくれたり、いいなと思ってくれる人がいたなら、それは僕のおかげじゃなくて僕の暇のおかげである。フリック入力をする時間があってよかった。
音楽もそう。暇のおかげで曲が作れる。忙殺されていては情緒など湧かない。本当に生きるか死ぬかの時に前前前世のことなんて考えるやつは真っ先に死ぬ。来来来世へひとっ飛び。
noteは面白いSNSだ。有名でもなんでもない人の暇を覗ける。インスタの真逆。ひとり、暇人前提。居心地がいいなと思う。
面白いものを作りたいなら、暇に感謝し、小高い場所に祀れ。餅と一緒に。
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なんだか、説教くさい文章になってしまった。僕は僕のバイキンマンを倒したいがためだけにこの文章を書いた。忙しい自分が好きな人は、そのままミッチリ詰め込んでください。皮肉じゃないよ。
「スキ」を押して頂いた方は僕が考えた適当おみくじを引けます。凶はでません。