ギターソロ不要とおっしゃるが…古狸からの逆説的反論
すでにトピックとしては古びてしまったかもしれないが、いわゆるギターソロ・スキップについて書いてみたい。
元楽器屋店員の40代後半、若い世代には化石としか思えないであろう私だが、齢をとってからみえてきたこともある。どれだけ多くの人達に伝わるか分からないが、なるべく短めにまとめてみよう。
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ギターソロをとらないギタリストとしてそのスタイルが知られているのはポール・ウェラー(Paul Weller)であろう。
1977年にアルバムデビューしたジャム(THE JAM)の若きギタリストにしてヴォーカリスト、メインのソングライターとして注目を集めた頃のウェラーは70年代のロンドン・パンクのムーヴメントの強い影響下にあり、簡潔で激しいプレイスタイルで知られていた。
当時、同系のギタリストは星の数ほど世に出たのだが、それから2022年の現在に至るまで基本的なスタンスを貫きとおし、それが多くのファンの支持を集めているという点においてポール・ウェラーの右に出る者は居ない。後進たちから”Mod Father”なる尊称を奉られていることからもそれが察せられよう。
ギターソロを弾かないという選択も、ここまで堅持すれば立派な信念となるわけだが、さて、現役の若きギタリスト/アーティスト諸君、そこまでの覚悟はおありかな。
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もうひとつ、ティアーズ・フォー・フィアーズ(TEARS FOR FEARS)の"Everybody Wants to Rule The World"を挙げておこう。
80年代ヒットのコンピレイションCDセットの常連でもありよく知られている曲だが、上の動画では2:28あたり、ローランド・オーザバルによる、ギターソロともいえないようなコードストロークがフィーチュアされている。
初めて聴いたときには何かの間違いで紛れ込んでしまったかのようにきこえてしまうこのプレイが、実は曲の終盤を盛り上げるためのスプリングボード‐はずみとして配されていることに気づくと、同時にオーザバルの楽曲アレンジの卓越したセンスに耳がいくようになる。
この曲だけでもギターフレーズの配し方に注意して聴いてみる価値はあるし、派手なソロを弾かないかわりに他の要素を「聴かせる」巧みさというものを、この場合は隠し持っているというべきだろうか、備えているギタリストも居るのである。
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音楽は突き詰めていけば趣味嗜好の世界である。気に入らなければ聴かなければいいし、身を入れて聴く気になれないギターソロをすっ飛ばすのは聴き手に保証された自由であることに私も異論は無い。
だが、ギターソロそのものの存在意義や価値を認めないという頑迷さには私は共感できない。
特にリスナー‐受け手・聴き手としてそのような聴き方に固執していると、楽曲に込められたミュージシャンのメッセージやパッションを感じ取れなくなるかもしれない。
プレイヤー/ミュージシャン‐発信・表現者として作曲演奏するにしても、 ギターソロを弾かないのであれば、そのぶん他の優れた要素を楽曲に含ませておかないとリスナーを惹きつけるのが難しいものだ。
それに、意識していようがしていまいが、自身が生み出す楽曲の大半は自分が聴いてきた楽曲からのインスピレイションである。都合よく天から降ってくることなど人生に一度有るか無いかのことだ。
初めて聴いたときは退屈であったり難解であったりする、そのような楽曲を何度となく聴いているうちに驚くような発見があるのは音楽体験の常でもある。
ギターソロ・スキップというフィルターこそ、今からでも遅くない、スキップしてしまうといい。
そうして改めて多くの楽曲を聴き、多くを得ることだ。