ギターソロ不要とおっしゃるが…番外編 Eric Clapton
前回の投稿でギターソロ・スキップについて、逆説的反論と称して2曲ほど例に挙げたが、今回はその番外編としてエリック・クラプトンのソロをご紹介したいと思う。
名演と呼ばれるプレイを数多く残してきたクラプトンも人の子、かなり残念な出来のものも存在する。だが、それも聴きよう、聴き方によってはなかなかの感動を与えてくれる。
まず、エリック・クラプトン(以下EC)を貶める意志は一切無いことを無粋ながらお断りしておく。
私とて元楽器屋店員、ギターと名の付く楽器の売り買いの世界に身を置いていた者であればECのもたらしてくれる恩恵にあずからないほうが少ないぐらいである。その威光とレジェンドっぷりを十分すぎるくらい理解したうえで以下を述べさせていただく。
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1985年リリースのECのアルバム”BEHIND THE SUN”にはプロデュースにフィル・コリンズが加わっている。
その縁だろう、1990年のコリンズのヒット”I Wish It Would Rain Down”にはECが参加している。
とはいえ、この曲におけるプレイの大部分はあまり褒められたものではない。
コリンズからのディレクションなのか、まだ完治には程遠かったEC自身のアルコール依存症のせいなのかは判らないが、ひたすらにベンディング(チョーキング)を繰り返すだけに聴こえてしまう。
それなりに感情を込めているのだろうが、それがフレーズから、トーンから感じ取れない。
しかし、曲の終盤、上の動画では7:03あたりから強烈な「哭き」が炸裂するのである。
わずか数小節ほどの短いフレーズであり、演奏自体もそれほど難易度が高いわけでもない。レコーディングセッションを生業とするギタリストに楽譜を渡せばあっという間にスラスラと弾けてしまうだろう。
だが、アルバムの音源で4:43、オフィシャルのプロモーションヴィデオでは小芝居も入っているので7分近く待たされた後で何の気配も予告もなく飛び出してくるこの哭きに、私なぞはECというギタリストの真の輝きを見たような気になり、圧倒されてしまうのである。
この曲を初めて聴いたときは「クラプトンの無駄遣い」などという失礼なことをほざいていた私も後にECの、アルコール依存との戦いやこの曲のリリースの2か月後に突如訪れる愛息との死別といったエピソードを知った。
今の私はこの曲を聴くとき、早送りなど一切せずに終盤までじっくり耳を傾ける。ECの強烈な哭きを一音逃さず聴き入り、かみしめるようにして味わう。むしろ、クワイアコーラスやコリンズのヴォーカルが邪魔に思えるときさえある。
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エリック・クラプトンのディスコグラフィにおいてはまず注目されることのない曲だろうが、その中にも鮮烈な輝きは秘められている。
ギターソロをスキップしてしまうリスナーであればこういったギタープレイもすっ飛ばしてしまうのだろうし、いつまでも気づけないのであろう。それが少々気の毒であり、淋しくもある。