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シグニチュアトーン⑥ Don Felder
自分が本当に鳴らしたい音がまだ見つかっていないギタリストに聴いてほしいギターサウンドを紹介する「シグニチュアトーン(signature tone)」、今回はドン・フェルダーを採り上げたい。
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しばらく前に上の動画を見つけたときはしばし言葉を失ってしまった。ドン・フェルダーのギタートーンの圧倒的な説得力にである。
考えてみればドン・フェルダーの名をきいて顔がすぐに思い浮かぶ人も減っていることだろう。70年代中~末期にこの日本でもギターヒーローのひとりに数えられた彼も、イーグルスからの脱退が災いして現在ではあまり顧みられることがないようだ。
出生名Donald William Felder、1947年にフロリダ州ゲインズヴィルにて生を受けた彼は少年時代にスティーヴン・スティルスとバーニー・リードン(レドン)と知り合う。
一度はフロウ(FLOW)というバンドの一員としてニューヨークに進出したものの振るわず、アルバム一枚を残して解散する。
リードンとの再会を機にロスアンジェルスに移り、しばらく後にリードンの居るイーグルスに加入する。
正確にはアルバム”ON THE BORDER”のレコーディング中のことであり、この頃からフェルダーはバンド内の人間関係の緊張を感じ取っていたという。
やがてリードンと他メンバー、とりわけドン・ヘンリーとグレン・フライのソングライターチームとの対立が深まり、アルバム”ONE OF THESE NIGHTS”リリース後にリードンはイーグルスから脱退する。
このことを、かつての旧友でありバンドに自分を引き入れてくれた恩人であるリードンを、不本意ながら、また結果的にではあるが自分が追い出してしまうことになり、後ろめたい想いをしなければならなかったそうだ。
また、リードンが残した楽曲をステージで演奏する際のリードンのパートを担当せねばならず、経験の浅かったマンドリンを慌てて練習しなければならなかったという。
その後のイーグルスはジョー・ウォルシュを迎えてヘヴィ路線を推し進め、ウォルシュとフェルダーとのツインリードによるアンサンブルは不朽の名曲”Hotel California”として結実する。
商業的な重圧とメンバー間の対立によりイーグルスは1980年に活動を停止、その2年後には正式に解散を表明する。
しばらくはソロ活動を続けていたフェルダーだが1994年、MTVの企画”UNPLUGGED”をきっかけとして再結成したイーグルスに合流、カリフォルニア州バーバンクのワーナーブラザーズのスタジオで収録されたステージは後に”HELL FREEZES OVER”の名でヴィデオソフト化される。
フェルダーによればこの時のジョー・ウォルシュはアルコール依存でまともな演奏が出来るかどうかも危うい状態で、バックステージでフェルダーが手取り足取りギタープレイを教えたことでなんとか乗り切ったとのことである。
そのフェルダーに対しイーグルスは2000年に解雇を言い渡す。
これはフライのビジネスにおける独占や、ロードクルーに対する過酷ないじめに対して異を唱えてきたフェルダーを疎ましがったフライによるもの、とされており、解雇の無効を訴えたフェルダーは裁判で争うことになるが、結局フェルダーはイーグルスに復帰することなく、以降はソロとしての活動を継続している。
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70年代のイーグルスにリアルタイムで接していた方であれば、先の画像でもプレイしていた1959年製とされるレスポールを思い浮かべるかと思う。ギブソン・カスタムショップから2010年に復刻モデルがリリースされたそうだ。
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再結成後のイーグルスではグレッチのホワイトファルコンや6120ナッシュヴィルをプレイすることもあったが、これは曲想や会場の音響を考慮しての選択だと思われる。
近年はストラトキャスターを手にすることが多いようで、スティクスのステージに参加したときはエリック・クラプトンのシグニチュア、かのブラッキーをプレイしていた。しかも現行のヴィンテージ・ノイズレス仕様ではなくその前のレイスセンサー搭載モデルである。
アンプについてはフェンダーを選ぶことが多かったようで、ツイード期のデラックスやブラックフェイス期のデラックス・リヴァーブの使用が知られている。
70年代末には当時まだカリフォルニアのローカルのアンプビルダーだったメサ/ブギーのマーク1をステージで鳴らしていたようだ。
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改めてドン・フェルダーのシグニチュアトーンといえば、太く艶やか、しっかりとしたコシと粘りである。
ブラックのブルーズマンに憧れてコピーに明け暮れた原体験からだろう、強烈なベンディングでリスナーを引き付ける一方で無駄な音を鳴らさず、トリッキーなフレージングを用いない、ある種正統派なギタープレイである。
また、生来の練習熱心さもあるのだろう、テンポにあわせて音を伸ばしたり切ったりするタイミングの見切り‐いわゆるタイム感が優れており、少ない音数でスリルやエモーションを表現してみせる巧さも彼の持ち味である。
個人的な好みを言わせてもらえば”HELL FREEZES OVER”収録の”I Can't Tell You Why”における中間とアウトロのギターソロに強い魅力を感じる。
スタジオテイクではフライが淡々と弾いているだけのパートにこれだけの深みと、思わず聴き入ってしまう説得力を与えているのはとりもなおさずフェルダーの実力である。
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先述のイーグルス解雇劇もあり、またジョー・ウォルシュというスタープレイヤーと常に比較される宿命にもある。
さらにいえばイーグルスは歴代メンバーほぼ全員が作曲を手掛けるソングライター集団であり、さらに作曲者がリードヴォーカルを担当するスタイルをとっていた。
その点でも自作曲を採り上げてもらう機会の少なかったドン・フェルダーは大きく割を食ってしまった。
”HOTEL CALIFORNIA”収録の”Victim Of Love”などはフェルダーが大半を作曲したものの、フェルダーのヴォーカルの出来をバンドは認めず、マネジャーのアーヴィン・エイゾフが彼を昼食に連れ出しているあいだにドン・ヘンリーが歌入れしてしまい、結局それが採用されたという。
これにはフェルダーも腹を立てたが、ヘンリーのヴォーカルの素晴らしさを認めざるをえず泣く泣く引き下がったそうだ。ひどい扱いである…
だが、フェルダーのギタリストとしての実力に気づくのはそれほど難しいことではない。ソロ作はもちろんだが、イーグルスに残した彼のプレイをじっくり聴けばすぐに分かるだろう。
少ない音数で聴き手を引き付けるリードフレーズや、ギターソロにおける流麗さやダイナミズム、歌心を身に着けたいギタリストであればぜひ機会を見つけて聴いてみてほしい。