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ギターエンジニアリングの袋小路② ANSWER Shift2001

 ギター系弦楽器の革新性・独創性のみで突っ走った結果としてエンジニアリングの袋小路に入り込んでしまったテクノロジーを採り上げるシリーズ、第2回はアンサー(ANSWER)製ヴィブラートブリッジユニット、シフト2001をご紹介したい。

第1回はこちら:





 私がこのシフト2001の存在を知ったきっかけは2000年代初頭のこと、とある雑誌の記事だった。
 実はその記事こそがこのギターエンジニアリングの袋小路の第1回で登場ねがったトランスパフォーマー社のDTS-1についての特集であり、当時は市場に顔を出したばかりのこのギター内蔵式可変チューニング機構の詳細な紹介であった。
 その記事では過去に登場したヴィブラートユニットのいくつかを採り上げており、その中にシフト2001もあったのである。


 といっても2000年代初頭の時点でシフト2001は入手不可となっており、いちおう代理店となっている共和商会に問い合わせても在庫無しという返答しかなかった。

 それから10年ほど経ったある日、勤務先の倉庫を片付けていると

このパッケージに入った、未使用未開封のシフト2001のセットに出くわしたのである。
 驚いた私は同僚や上司に、幻のブリッジですよ、と見せてまわったが、みな一様に首を傾げて、何それ、見たことないけど、としか言ってくれなかった。
 それからしばらくして私はこの楽器店を離れたので、この未使用品がどうなったかは知らない。おそらくダメもとで通販サイトに掲載して売り払ったものと思うが、あの当時のシフト2001の知名度であれば原価割れの売価でも販売できたか怪しかったはずだ。





 改めてこのシフト2001だが、アンサー・アコースティック・ラボ(以下アンサー)の設計によるヴィブラートブリッジである。

最大の特徴はギターの木部に一切のルーティング(ざぐり)加工を施さずに取付が可能であることだ。

 発売は80年代以降らしいので、その頃にはフロイドローズ(Floyd Rose)だけでなく

カーラー(KAHLER、ケイラー)製ヴィブラートブリッジもすでに市場に流通していた。

 フェンダーのシンクロナイズド・トレモロから派生したFローズは当然のようにスプリングをボディ内に収めるためのルーティングが必要だったし、その好敵手と目されていたカーラーにしても

そこそこ大ぶりなスプリングを底面に装着している都合で、上記画像のようなルーティングが必要だった。

 そのような他社製品とは違い、取付にあたって木部加工を必要としないシフト2001は、外してからのギター本体の原状復帰も容易であるということであり、リプレイスメント(後付)パーツとしての理想により近いといえた。





 現在では知る人も減り、語られることもすっかり無くなったシフト2001だが、調べるかぎりでは80年代中盤にはトーカイ製品に純正搭載されたこともあるらしい。

1985年のトーカイのカタログより

 設計を担当したとされるアンサーについては調べても不明だったが、製造や流通については共和商会が関わっていたようである。私がかつて見つけた未使用品にも、パッケージに共和商会のパッケージパーツに用いられたアーガス(Argus)のロゴが有ったことからも察しがつく。





 私とシフト2001は何やら縁のようなものでもあるのか、時は流れて2020年代、つい最近のことだが、ひょんなことからこのシフト2001を搭載したギターの修理調整を引き受けることになったのである。 

(画像は拾いです)

ギターはトーカイ(TOKAI)のLPスタンダードタイプ、そう近年つとに再評価の声があがるラヴロック(Love Rock)ことLSシリーズの下位モデルに、どうやら後付けではなく純正搭載されているらしきこのブリッジの動作確認を依頼されたのだった。

 先にも述べたとおりシフト2001との前回の邂逅は未使用箱入りの状態であり、細部を分解して調べたわけではない。
 対してこの作業では既にギターに組み込まれたブリッジユニットが正常に機能するかどうかの最終的な見極めを任されたのである。まぁ、取扱説明書がネットで見つけられたので本当に助かったが…

結論から言えばその個体‐および搭載のシフト2001には何の破損や消耗も無く、各部の研磨やグリス塗布だけで作業は済んだ。
 とはいえ既に製造が途絶えて久しいブリッジユニット、下手に部材を壊したり紛失したりすると大変である。分解清掃そして組上げという基本的な作業だけでかなり気疲れしてしまった。


 この作業をとおして、このシフト2001がなぜ評価されずに歴史の大河に流されていったのかが理解できた。


 ここから先の各部の呼称は上記の取扱説明書に準じるが、ブリッジサドルの弦が乗る箇所は「ローラーサドル」である。
 さらに弦は、終点であるボールエンドに至るまでに置かれた「テンションポスト」を通過するのだが、ここもローラーになっている。

 ブリッジサドルにローラーを配することで摩擦係数を軽減する手法は先に名の出たカーラーも採用しているし、有効性については私も異論は無い。

 だが摩擦の低減によるチューニングの安定と引き換えに、ローラーの共振により弦振動のロスが発生する。つまり弦振動がブリッジサドルから「逃げる」ことでサステイン(弦振動の持続)が失われてしまうのである。
 シフト2001ではローラーがサドルだけではなくテンションポストにもつけられており、弦振動のロスを考慮しないわけにはいかないだろう。

 弦振動にとってはローラーの共振‐によるロスがひとつのフィルターとして機能してしまうことになる。そのため、ブリッジのせいでギターの音響特性‐抽象的な言い方だと「鳴り」そのものに偏りが出てしまう

 もちろんその鳴りが気に入るかどうかはオーナーであるギタリストの嗜好しだいではあるのだが、弦振動の伝達という重要な仕事を任されているブリッジにとって、音響特性の偏りというものは無いほうが望ましい。異論も多いが少なくとも私はそう思っている。


 シフト2001にはもうひとつ挙げたい箇所がある。

この「ベンド幅調整サドル」だ。
 このサドルの高さを各弦で調節することで、アーミング時の音程変化量を弦ごとに細かく設定できるのである。

 弦ごとの音程変化量と聞いてピンとくるギタリストも今では減っているかもしれない。そう、スタインバーガーのトランストレム(Trans Trem)である。

 アーミングによる移調(transpose)を実現したトランストレムはヴィブラートユニットの軸とボールエンドとの位置を可動とすることで各弦の変化量を調整可能にした。
 シフト2001もトランストレムと似た手法を採っており、スタインバーガーではボールエンドを咥えこむチューニングジョー(tuning jaw)を動かすのに対してシフト2001ではベンド幅調整サドルの高さをイモネジで動かすことで調整する。


 しかし、実際にやってみるとこの調整作業はなかなかに辛いものがある。

 私は楽器屋時代に先のスタインバーガー製トランストレムのトランスポーズ調整をやってみたことがあるが、6本の弦を同調させるのは苦行に近いものがあった。
 この時の私はスタインバーガーのギターの専用であるダブルボールエンド弦、しかもトランスレムでの使用を考慮して音程変化量を調整したとされる専用弦を用いたのだが、それでもかなりの時間と作業の手間を要した。

ダブルボールエンド弦の例 D'Adario ESXL120
高額である…

 これがシフト2001だと、ベンド幅調整サドルからヘッドに向かって弦をたどると、先に名の出たテンションポストを通り、さらにブリッジサドルのローラーを経由する。
 そこからヘッド上のマシンヘッドに到達する前に置かれたロックナットで弦がロックされるため、一見するとそこでチューニングの狂いを生じさせる要素は無くなるように思えるかもしれない。
 だが実はシフト2001のロックナットは

このようにナットからみてマシンヘッド側に取り付ける仕様になっており、そのためナット上でわずかながら発生する弦の摩擦がチューニングの安定に影響を与えてしまうのである。
 もっともこれはカーラーのロックナットも同様であった。Fローズとの権利関係のせいで、元々のナットを除去したうえでのロックナットの交換取付という手法を他社製品は採れなかったのである。

 専用ダブルボールエンド弦を用いたスタインバーガー製トランストレムでさえ調整にあれだけ手間取ったのだ、さらに支点‐摩擦の発生源が増えるシフト2001となれば、精密かつ安定したトランスポーズ調整など残念ながら救いようのない無理ゲーである。
 先のトーカイの調整作業の際には依頼主に事情を説明し、結局トランスポーズ調整は省くことを同意してもらった。





 シフト2001の実物を手に取ってみると判るが、かなりの重量がある。
 構造が近いカーラーと比べても重いし、トランストレムを含むスタインバーガー製ヴィブラートブリッジとの比較でもシフト2001のほうが重い。

 おそらく開発を担当したアンサーは、ブリッジサドルやテンションポスト、さらにベンド幅調整サドル‐ここも可動箇所である‐で発生する振動ロスに気づいており、それらを補うための剛性慣性‐シンクロトレモロのブロックを思い出していただきたい‐を持たせるべくユニット全体の重量を重めに設計したのであろう。
 もちろん、アーミング時にかかる負荷を加味する必要もあったはずだし、ユニットの剛性を向上させることは決して間違ってはいない。

 だが結果としてシフト2001は弦振動のロスを発生させ、かつ、ギターの木部‐主にボディ‐への弦振動の伝達の障壁となってしまったのである。

 
 これが80年代中盤から90年代初期までであれば、そのデザインの斬新さや木部加工不要というメリットがユーザーに受け入れられたであろう。
 
 しかし、80年代に起きたヴィンテージギターのブームは重厚なブリッジや度を越した高出力のピックアップによる平板で金属的なトーンからの脱却と、木部の鳴りを実感できるオーガニックなギターサウンドへの回帰を多くのギタリストに促した。

 フロイドローズに端を発したスーパートレモロの開発競争も90年代には終息に向かっており、代わって登場したのが軽量なウィルキンソンVG(VS)だったことからも時代の変遷がうかがえるだろう。


 スタインバーガーのトランストレムに触発されて搭載を決めたであろう各弦の音程変化量調節も、実際の演奏に大きく寄与出来なかった。
 これはトランスパフォーマーの回でも述べたが、デジタルモデリングを含めた音声の合成技術の向上により、わざわざギターの弦そのものをトランスポーズさせることのメリットが無くなってしまったのである。


 



 今後、シフト2001の設計を継承したヴィブラートブリッジが世に出てくるかどうかとなると、おそらく答はノーだろう。
 既に多くの製品に純正搭載されているフロイドローズはともかく、カーラーはかつて製造を停止していた時期があるくらい需要が落ち込んでいたし、90年代以降に世に出たヴィブラートはウィルキンソンを含めたほとんどがシンクロナイズドトレモロに倣ったものである。
 そのシンクロの設計とは全く別、完全新設計のヴィブラートブリッジを生み出すのは相当な難題である。
 加えて、実用性やギターサウンドへの寄与という条件を高い水準でクリアした製品を世に送り出すのはさらに難しいことであり、実現はまだまだ先になるだろうと私は予想している。

 


 最後になったがアンサー・アコースティック・ラボ社とその製品であるシフト2001、およびユーザーの皆様の名誉を毀損する意志の無いことを先におことわりしておく。
 袋小路という表現も、技術発展の行き詰まりの比喩として用いているだけであり、製品の能力や価値を貶める意図は無いことをご了承いただきたい。