さらばBitTorrentとP2P
内容が少しセンシティブで実社会と密結合したアカウントで述べるには色々と不都合であるが、諸々をちゃんとアウトプットしておきたいという気持ちがあり、テキスト化する。
はじめに述べておくが、これは違法行為の話ではない。また、10数年前の学生時代の回顧であり、現代の話でないことを強く主張しておく。
昔、お金がなかった高校生の頃、WinnyやshareやBitTorrentが一台ムーブメントを起こしていた時代があった。気軽に違法ダウンロード(当時は違法でないのでて低道徳ダウンロードとかか)を煽るような雑誌が大量にその辺の書店に売っており、また、それを助長するようなツールも大量にあった。
Winnyの作者の金子さんは有罪になって病気で倒れてしまった。BitTorrentも本来の想定されたユースケースである大量のデータの転送技術は、映画や音楽やアニメなどの無料ダウンロードを促進する結果になってしまっていた。
現在、私はそこそこの自由になる小銭を持ったサラリーマンであり、副業などもしつつ、そこまで裕福でないが、コンテンツの1つ買えないほど貧困してはいない。
当時は、プログラムの1つも十分に書き下すことができないクソガキであったので、当時は「ダウンロードが自動化できたらなー」とかと思いながら、手動でダウンロードしている人たちを見ていたのであった(しかし、なぜ田舎のオタクは違法ダウンロード自慢をしたがるのか、強い車を持っている車自慢や、強いゲームデータを持っている自慢などに近いものを感じる)
簡単に調べたところ、未だに違法ダウンロードサイトは存在しており、そのサイトからダウンロードできるようである。
(nyaa.pantsuという違法サイト)
試しに、休日の午前中を潰して自動的にダウンロードするプログラムを作成して、アメリカで借りているコンピュータ上で動作テストをしてみただが、未だに600MBpsとか凄まじいトラフィックでデータが降って来たりする(データはcacheディレクトリに保存しており、全てすぐさま消しており、参照していません)。いまだにこのニーズは世の中にあるのだろう。
このプログラム、10年前は友達に幾らかで売れたかもしれない価値のあるものであったかもしれないが、今はひたすらに虚無である。何でこんなことをしているんだという気持ちが強い。どうしても欲しいコンテンツがあるときは、Amazon PrimeやNetflixで見ればいいし、貴重なコンピュータのディスク領域を消費して、そのアニメだか映画だかを持っているということに何の価値があるのだろうか?正しくいうと、有償のエンターテイメントデータを所有することで何か私自身が嬉しいことがあるのだろうか?という点に立つとひたすらな虚無しかない。
(即興でクラウド上に作成したプログラム)
時代は移り変わり、所有しているということが価値でなくなっているのだろう。今の世の中、人と人とのつながりやその相互的なやりとりや体験の方がすごくありがたいし楽しく感じる。技術の進歩で人間らしさが失われたなどテンプレのように言われるが、人間は長期的には正しい方向性に収斂しているように感じる。
コードは技術的に簡単なので公開するが、ダウンロードしてやろうと思って実行し、それを搾取的に用いると違法なので、十分に注意してください。