note not cakes
なんとなくなんでだろうなということ。
noteがでてきて数日、世の中ではいろいろな話題がでています。その中でなんとなくあるのが、有名な人はお金を得られるけど、無名な人がお金を得る構造にはあまりなってないよね、というお話。それ自体の事実と賛否はおいといて、なんでしなかったのだろうかと考えていることがあります。
noteの運営はcakesを運営しているところです。cakesは週で課金とかで、一度課金すれば期間内はすべての有料コンテンツが見られるようになります。なので、~さんの記事が読みたいから課金して、ついでに他の人の記事を読もうとか、別の面白い人見つけたということがありました。わたしもcakesに課金したのは岡田育さんの文章が読みたかったからで、さらにそこからいくつかの記事を読んでました。
noteはそうはなっていないですよね。たとえば誰か気になる人がいて、その人の有料の記事を買ったとして、読んで、それで終わります。これがcakesと同じく全体に毎週課金で、一度でも課金した人は他の有料コンテンツを読めるようなcakesと似た仕組みにしなかったのはなぜだろうかというのが今の疑問です。
もしそうしていれば、有名な人の記事を読みに来て課金した人が、ついでに別の人の記事を読んでその人にもお金が入るなんて仕組みになっていたかもしれません。メリットだけを考えれば、気まぐれに楽しいことを発表していれば、マネタイズを深く考えなくても、ただいいものをクリエイトするだけで、自然に収益が分配されてくるなんてことになっていたかもしれません。今のnoteがコミックスを作者が直接販売するイメージとするならば、cakes式はみんなで雑誌を作っていくイメージでしょうか。なかなか楽しそうではないですか?
これはそうしてほしいとか、そうあるべきとか、cakes式が絶対にいいという話ではなく、どうして今の個別売りのような仕組みにしたのかなという単純な疑問です。当然、デメリットもいくらでも思いつくので、そういったところを考慮して今の方式を採用されたのだと思います。
ただ、そんな方式を採用したパラレルな世界があったりしたら、どうなっていたのかなーと思いました。