ナショジオ珠玉のモキュメンタリー!『Tレックス大解剖』を観る!
1月、新しい職場で新しい仕事をはじめていた私は自分にご褒美として、とあるDVDを購入した。それはナショナル・ジオグラフィックが制作した生身のティラノサウルス・レックスの解剖が題材のモキュメンタリー『Tレックス大解剖(T. Rex Autopsy)』(2015)だ。今回はそのあらすじと感想、そして自分の持っている知識を基に記事を書いてみようと思う。なお、自分は生物学に明るくないので、知識は文化や社会、ポップカルチャー寄りになるので、そこはご承知いただきたい。
この作品はイギリスで撮影され、ロンドンをTレックスの死体(というよりも検体)が血の滲んだ布を被せられ、トラックで運ばれた。日本でもナガシマスパーランドで展示が行われた。
このぶっ飛んだ設定の映像作品は恐竜とそれに関する情報や死因を非常に細部に至るまで解剖によって解説するだけではなく、非常に精緻なTレックスの解剖というスプラッターか、ゴア作品並みの血が溢れている。ID論者が見たら以前のスティーブン・スピルバーグのトリケラトプス狩り騒動並みに大混乱することだろう。最高だ。
集められた4人の若き科学者、ヴィクトリア・“トリ”・ヘリッジ、マシュー・モスブラッカー、ルーク・ギャンブル、スティーブン・L・ブルサットは単純な好奇心の枠を越えたマッド・サイエンティストな側面を見せるほど笑みを浮かべてティラノサウルス・レックスの解剖を行う。この4人は実在の科学者で、本当に権威のある科学者だからこそ、このナショナリズム・ジオグラフィックが用意してくれたモキュメンタリーとはいえ、この解剖実験にここまで情熱的に取り組むのだろう。血塗れで笑う姿は最早、ハンニバル・レクター博士だ。
「実際に氷河か何かの中から完璧なティラノサウルス・レックスの死体が見つけたら解剖せずに展示するのでは?」と考えるひともいるだろう。そんな人々には『刃牙道』のジョン・ホーナー博士の言葉を送りたい。
このジョン・ホーナー博士は『刃牙道』の中で宮本武蔵の復活に関わった研究者で、映画「ジュラシック・パーク」シリーズのテクニカルアドバイザーを務め、主人公アラン・グラント博士のモデルにもなったジャック・R・ホーナー博士をモデルにした学会の異端児である。彼は実際に背骨を割って中身を確認することで化石化するのは歯や骨、殻などの硬い部分だけという常識を覆し、背骨の中に軟組織を発見したのだ。引っ張れば伸びるほどの柔軟性を有する軟組織のアミノ酸やDNA配列の研究により、彼は恐竜が鳥類に近いことを突き止めた。
何もこれはフィクションの話ではない。元パリ大学教授アーモンド・リクレ博士をはじめとし、恐竜の化石を割ることによって得られる情報は多いと考える研究者は多い。ジャック・R・ホーナー博士もその一人であり、2004年に研究者のグレッグ・エリクソン氏はティラノサウルス・Tレックスの化石を薄くスライスし、アンプリノの法則に基づき成長線(年輪)から成長速度と年齢を明らかにした。化石を破ることによってオスやメスかどうかすらわかるというのだから驚きだ。それまで貴重な恐竜の化石を割る意味があるのかという大人たちの、文字通り凝り固まった意見をぶった切ったのだ。
実際、『Tレックス大解剖(T. Rex Autopsy)』で解剖されるティラノサウルス・レックスのモデルとなり、90%以上残存という保存状態の良さと2番目に大きさを誇るシカゴのフィールド博物館のティラノサウルス・レックスのスーも割られてスライスされている。スーは所有権を巡る法廷闘争の後に1997年10月にオークションにかけられフィールド自然史博物館に760万ドルで落札され、2020年に5番目に完全なティラノサウルスの標本であるスタンも33億円で落札された。博物館に落札されたスーと違い、スタンに至っては2025年にUAEのアブダビ自然博物館に収蔵すると発表したが、結局のところ、それまでは博物館のものではない大金をもった個人所有の資産となったわけだ。この作品はティラノサウルス・レックスの標本は金持ちの道楽の芸術品ではなく、研究対象なのだと思い出させてくれる作品だった。
これ以降は作品のネタバレを含むので、Amazonなどで DVDを購入し、本編視聴後に読んでいただけるとより一層楽しめると思われる。
検体“ティラノサウルス”上陸
チェーンソーによる解体作業と賤職・卑職
まず、このティラノサウルス・レックスの年齢を知るために成長線(年輪)を見る必要性がある。そのために必要なのは太い骨の輪切りだ。そのために研究者たちは足首から先を切断することになる。しかし、7tという巨体を支えるための足を切断するには普通のメスと骨切りノコギリでは力不足だ。そこで選ばれたのがチェーンソーだった。
刃を突き立てた途端に溢れ出す血。これをグロテスクでアカデミックではないと評する人間もいたが、それは大きな間違いだ。生物学とはグロテスクなものだ。たとえば現実の骨格標本を作る際に、動物の肉をどのようにして削ぐのかというと、実は蛆虫のような腐肉食の虫の詰まった箱の中に死体を押し込み、それによって骨格だけにする。生き物の死体を扱うのだからグロテスクなのは当たり前だし、新しい発見や貴重な経験ができればテンションも上がる。これを無造作だとか、内臓を弄ぶと表現するのはおかしい。
杉田玄白は『解体新書』を書く際に当時は賤職、卑職とまで貶まれた死体解剖を何度も、それも細部に至るまで行なった。裏を返せば医者が死体にそこまで触れることは少ない——というより無いに等しいと言ってもよかったのだ。検体を提供してくれる人間など、そのような環境でいるわけがないので杉田玄白らは処刑された罪人の死体を武士の立会いのもとで解剖を繰り返した。そこで、嫌悪感を示した武士から「爪の中までほじくるつもりか」と尋ねられた杉田玄白は「人間の構造がわかるのなら何でもやります」と返したと伝えられている。ここに今回のティラノサウルス・レックスの解剖のすべてが詰まっている。
止まらない血と侮辱・冒涜的と感じる理由
チェーンソーの切断により、研究者たちは血塗れになってしまった。それもそのはず、血というものは死後6時間以上たつと凝固作用が失われてしまうからだ。それによって体内を循環しなくなった血が寝ている体の下側に重力によって溜まり、死斑が生まれる。
これはソビエト連邦時代の研究者、セルゲイ・セルゲイヴィッチ・ユージン博士によって明らかになっており、セルゲイ博士はその性質に着目して死体からの輸血で失血死を防げると実証してみせた。セルゲイ博士とセルゲイ博士に続いた研究者の研究によると死とは一瞬で全身が死ぬのではなく、ある意味では身体の部位ごとに死んでいく。
筆者はこれらの生理学に明るくないので、ざっとした要約となるが「死後6時間以内の血はまだ“生きて”おり、輸血にも使うことができ、実際に輸血に利用している国なども存在している。死後6時間以上経過すると血液凝固因子が消費されて止血ができなくなる。更に10時間経つと血液内で雑菌など繁殖が起き、腐食が始まる。死者の血が有毒化する研究データは存在せず、あくまでもそれは患者や医者の宗教的忌避感によるところが大きい」とのことだ。
事実、第260代ローマ教皇ピウス12世は死体からの血の輸血を「死者の血を取り、生者に輸血することは神に対する冒濱である」と強く非難したが、セルゲイ博士から「死者の血液で生命が救えるなら、これこそ神の思召しに叶うものでありませんか」と直訴されたことでそれに頷き、考えを改めている。このことからティラノサウルス・レックスの死体解剖をグロテスクで侮辱的や冒涜的と感じた人も安心しても良い(?)。
ティラノサウルスの脚とどくろ怪獣レッドキング
ティラノサウルス・レックスの足先の前側に三本指、後側に一本指の計四本指からなっていた。これは枝につかまる鳥類に近いものだが、この暴君が止まれるような枝はない。そのため、ティラノサウルス・レックスは爪先立ちで歩き回っていたことになる。その爪先には7tの自重が加わり、一歩ごとに時速50kmの車が衝突したような衝撃が加わる。それに対応すべく、ティラノサウルス・レックスの爪先には肉球のようなクッションがあったのだ。
ティラノサウルスに肉球があるという事実。それだけでも衝撃的だが、空想特撮シリーズ『ウルトラマン』(1966-1967)のファンでもあった筆者は衝撃を受けた。なんとかの有名などくろ怪獣レッドキングとまったく同じ身体的特徴を持っているのだ。どくろ怪獣レッドキングといえば『ウルトラマン』第8話「怪獣無法地帯」で初登場し、怪獣が跳梁跋扈する多々良島でまさしく暴君として君臨していた怪力自慢の怪獣である。巨体を持つどくろ怪獣レッドキングの爪先にも衝撃吸収用の空気袋があるのだ。
放送当時の大伴昌司氏設定版の怪獣図鑑や、それを元に描かれた怪獣絵師こと開田裕治氏のどくろ怪獣レッドキングの解剖図においては、足についてこう書かれている。
「怪獣界の暴君」として知られるどくろ怪獣レッドキングと「暴君竜の王」として呼ばれるティラノサウルス・レックス。この奇妙な繋がりに筆者は興奮を隠せなかった。そして岩のように硬い皮膚を刃物で切り取り、その筋肉を一枚一枚剥がし、文字通りティラノサウルス・レックスを包む分厚いベールを剥がすことで、さまざまな真実が明らかになっていった。
アラン・グラント博士の学説との対決
ティラノサウルスは車に追いつける?
ティラノサウルスと言われて最初に思いつく場面は『ジュラシック・パーク』(1993)で車を襲う場面だろう。逃げる車のミラーに「実際よりも小さく映ります(Objects in mirror are closer than they appear)」と映し出されるが、実際にそのようなことは可能なのだろうか。それも研究者たちが脚を切断したことで明らかになっていく。
その前に明らかになったのは骨の成長線(年輪)による検体となったティラノサウルス・レックスの年齢だった。年輪の着き方から、ティラノサウルス・レックスという恐竜は急速に育ち、そしてゆっくりと歳を取っていくことがわかった。この成長速度を研究者たちは「ティーンエイジャーは急激に大きくなるからね」と評したが、筆者としては『ドラゴンボール』(1984-)のサイヤ人の歳の取り方を思い出した。この成長の仕方が頂点捕食者の歳の取り方なのかもしれない。
そして切り取った脚と切り取る前の脚の形を見たとき、研究者たちは鳥のようでありながら、他の動物の要素の混じったキメラのようだと評している。そして一つの疑問が生まれる。この恐竜は巨体の生き物が多い待ち伏せ型か、痩身の生き物が多い追跡者型か、ということだ。この太い脚を動かすということは、太腿筋の力強さが重要になってくる。しかし、それだけではティラノサウルス・レックスを文字通り頂点捕食者へと押し上げることはできない。ティラノサウルス・レックスには尻尾と脚を繋ぐ尾大腿筋というスーパーチャージャーが存在しており、それによって脚を尾の方向へと引き戻して走っていたのだ。
ティラノサウルス・レックスの尾とは蛇や猿のようなしなやかなものではいけないのだ。それはまるで鋼か、パルテノン神殿の柱のように太く、嵐で撓る大樹のような尾で無ければならない。そうしなければ、ティラノサウルス・レックスのあの巨躯で走ることはできない
このことについてCG技術を用いて研究をしているジョン・ハッチソン氏はティラノサウルス・レックスの大腿骨の股関節側が球関節のように対し、大腿骨全体には波打った凹凸のような腱や筋肉を貼り付ける転子に注目して脚力の研究を進めていた。
シュミレーション上、脚についた筋肉は33種類あり、その筋肉が正しい順番で伸縮運動を繰り返すことで走れるのだが、理論上時速40kmを超えることはできなかった。このことから実際のティラノサウルス・レックスは時速20〜40km、主に時速30kmで走ることが可能であり、このスピードと体躯から待ち伏せ型と追跡者型を組み合わせた狩りを行なっていたと考えれる。それを“生身のティラノサウルス・レックスの解剖“を通して観れるので非常にわかりやすく、興味深い。これを踏まえると車に追いつくことは難しいという結論が出てしまうのが寂しいところだが。
ステーキナイフを越えて徹甲弾
ティラノサウルス・レックスの最大の武器といえば牙だろう。臼歯などは無く、鋭い牙だけがずらりと並んでいる口元は恐ろしげだが、今回の研究対象となったのは最も大きく、そしてぐらいついていた犬歯だ。歯茎の病気を疑い、摘出することとなったが、その方法は驚きだった。ティラノサウルス・レックスの歯茎にノミのような器具を押し込み、歯周靱帯を1本切断する。そうするとするりと犬歯が抜けるのだ。
ティラノサウルス・レックスの牙のサイズをナイフと評する人は多いが、実際のものを見てみると徹甲弾と言った方が相応しい。車程度なら天井を容易に貫き、潰すことができる。ここは『ジュラシック・パーク』通りのティラノサウルス・レックス像を守ることができたわけだ。
そして犬歯がぐらいついていた理由を調べにかかった研究者たちは、犬歯の抜けた歯茎の穴にカメラを入れてみる。そこに映し出された真っ白な新しい犬歯だった。つまり、ティラノサウルス・レックスの牙にはサメの牙と同じように乳歯や永久歯という概念は無く、常に生え変わり続ける便利な刃物だったのだ。
現在地球上で最も強い咬筋力を持つ生き物はワニであるが、ティラノサウルス・レックスの咬筋力はその3倍以上はあると考えられる。ワニは一噛みでシマウマの頭蓋骨を粉砕し、種類によっては1㎠につき260kg以上の咬筋力を持つものがいるが、ティラノサウルス・レックスはそれを超える咬筋力を22本の顎の周りの筋肉が生み出す。前述の通りティラノサウルス・レックスには臼歯が無いため、この犬歯で200kg近い肉を獲物からそぎ落とし、500kg近い自分の頭を振り回して丸呑みにする。ティラノサウルス・レックスの筋肉の凄まじさが検体を解剖するたびに明らかになっていくのが素晴らしい。
“腹を割って”話そう
とうとう腹の中へ
外から見てわかることは限度がある。そして目の前には生身のティラノサウルス・レックスの検体がある。それならばすることは一つ。開腹だ。刃物を突き立て、開腹手術を試みた研究者たちだが、文字通り新しい壁にぶつかってしまう。分厚い皮膚と脂肪に筋肉の鎧の下に腹壁として腹肋骨が存在していたのだ。
腹肋骨とはワニなど一部の爬虫類に見られるもので、骨同士ではなく筋肉に繋がった腹周りの肋骨で臓器を守る役割がある。それがティラノサウルス・レックスには30本以上存在している。地雷から身を守るために戦車や装甲車につける装甲“ベリーアーマー”が天然で付いている。研究者が興奮するのも無理はない。
これをチェーンソーなどで切ろうものならば、柔らかな臓器さえ傷つけてしまう。そのためワイヤを使って一本ずつ切断していく。そうすれば、その中には臓器が——そんな簡単なものではない。そこには神経やリンパ腺の流れる腹膜が張っていたのだ。腹膜は傷により臓器がこぼれ落ちないようにする役割を持つ、いわば天然のサラシだ。ティラノサウルス・レックスは牙という最強の矛だけではなく、腹肋骨と腹膜という最強の盾も持っている頂点捕食者だったのだ。これにはグロテスクな臓器の映像も相まって興奮が止まらない。
「小腸って大きい!」
腑を引き摺り出すとティラノサウルス・レックスの特異性がより一層明らかになる。ここまでワニに近い要素があると書いてきたが、胃を見れば鳥の方に近い生き物であることがわかる。胃を真っ二つにして中を見ると前胃と砂嚢、つまりは砂肝に分かれているのがよくわかる。臭い臭いと言われる検体である死体の中に入り、消化途中の内容物を直接見ると当分はトマトスープが飲めなくなる。
胃が鳥と同じく二つに分かれていることから、ティラノサウルス・レックスはまず前胃の胃酸で消化し、それを砂嚢に送って分厚い胃壁をつかって咀嚼する。つまりティラノサウルス・レックスは臼歯の代わりに胃で咀嚼する生き物だったのだ。それだけではなく、胃の内容物は新鮮な肉と腐肉が混ざっており、「ティラノサウルス・レックスはハンターなのか、それともスカベンジャーだったのか」という論争に「巨躯を支えるためなら共食いだろうと何でも食べた」という結論が出された。
更に小腸の大きいことと言ったらとんでもない。“小”腸なのにとんでもない大きさだ。小腸の内容物がどうなっているかは——まあ、言うまでも無いことだが直接見た筆者は当分レバーペーストを食べられそうにない。その内容物には胃のときとは少し異なり、消化物の中に骨のかけらが混ざっていた。
近年の学説で「ティラノサウルス・レックスは骨髄ごと食べることで高い栄養を得ていたのではないか」というものがある。実際、ティラノサウルス・レックスの7tもの巨躯を維持するには1日50,000kcalが必要になる。そのためにこのような学説があるわけだが、その糞石(糞の化石)には骨のかけらが残されており、ティラノサウルス・レックスは骨を消化するほどの胃を持っていなかったことがわかる。消化力を顎の力で補うのは哺乳類史上トップクラスの咬筋力を持つハイエナと同じだ。
内容物から見つかったのは骨にかけらだけではない。寄生虫もだ。寄生虫がいること自体は珍しくない。寄生虫が多くなりすぎると宿主が病気になりやすくなるだけで、人間も4人に1人は寄生虫が体に潜んでいるぐらいだ。興味深い点は肉食の寄生虫というよりも、これが草食動物から移ってきた寄生虫という点だろう。タンザニアのライオンの胃腸からは獲物から移ってきた寄生虫が19種類も存在していたらしい。ティラノサウルス・レックスも草食恐竜を襲っていたことがハドロサウルスに残った牙の痕から判明している。
それ以外にも臓器は骨と肉で繭のように守れており、肝臓を取り出してみると寄生虫の瘢痕が無いこともわかる。臭いは酷いらしいが開腹したからこそわかることであり、生き物を解剖しているからグロテスクだ。そういった映像をモザイクなしで提供してくれるのがナショナル・ジオグラフィックの良いところだ。本当に興味深い。その言葉に尽きる。
心肺機能と温かい血
開腹したことでわかったのは消化器官のことだけではない。心肺機能もそうだ。その肺には風船のような2つの気嚢があった。これは鳥によく見られる器官で、鳥はこれによってエベレストの頂上付近でも飛べる。まず息を吸い込むと肺と後ろの気嚢に空気が溜まって膨れ、前の気嚢を経由して空気を吐き出す。これによって巨躯に必要な酸素量を確保していた。
一番重要なのは心臓だ。哺乳類の心臓は体重の1%の重さになるとされる。そのためティラノサウルス・レックスの場合、7tの1%、70kgになるはずだが、大動脈や下大動脈は太いが心臓は70kgに満たない。その秘密は心臓を真っ二つにしなければわからない。何度も言うようだが、検体はグロテスクだとか言われようとも解剖してこそ価値がある。ここで理解しておく必要があるのは心房と心室の数だ。魚類は2つ、爬虫類は3つ、鳥類と哺乳類は4つ——心臓の部屋の数で「ティラノサウルス・レックスは冷血動物か、恒温動物かどうか」という論争に終止符が打たれる。
心臓を真っ二つに切ると中には死後できる凝血塊があり、心房と心室、部屋は合わせて4つ——鳥類に近い心臓の恒温動物だ。左心室の壁は分厚く、それによって効率よく全身に血液を送ることができる。つまり科学的に考えても冷血動物であるよりも、あの巨躯を維持するためにはティラノサウルス・レックスは恒温動物だったのだ。
背中に生えた毛は羽毛の原型となるプロトフェザーという羽の芯だけのようなもので、主に異性へのアピールのためにあったと考えられる。中国で羽毛のある恐竜の化石が大量に発掘されて以降、恐竜に羽毛が生えている学説が主流となっている。それを反映させた結果となったわけだ。
恐竜並みのオツムってどれくらい?
よく比喩で「恐竜並みのオツム」というが、それはどれくらいの大きさなのだろうか。実は解剖以前からその答えは出ている。頭蓋骨のCTスキャンだ。それによって身体に対する脳の比率——脳化指数(EQ)が1.2と非常に高いことがわかっている。この数値を他の動物に当てはめるとカラス、イヌなどと同じくらいの頭の良さの持ち主の可能性があるということだ。
今回の解剖ではそこから更に踏み込み、眼球と視神経の摘出に挑戦した。上瞼を縫合用の糸で固定し、傷つけないように慎重にくり抜く。そうすると眼球には強膜輪があり、これによって素早く焦点を動かすことが可能だったとわかる。鳥などの骨ではよく見つかる強膜輪だが、化石では近縁種のタルボサウルスなどでしか見つかっていない。それを束ねる視神経も太く、その視力高さがうかがえる。
眼球の位置からティラノサウルス・レックスの立体視できる範囲の広さがわかり、更には鼻腔内の大きさから嗅覚が、内耳の大きさから聴覚の鋭敏さがわかる。CTスキャンさまさまだ。これほどまでに間隔が鋭いため、『ジュラシック・パーク』お馴染みの「動かなければ平気」というのは通じないわけだ。また一つ、「ジュラシック・パーク」シリーズの神話が崩れ去ってしまった。
これらのことからティラノサウルス・レックスは恒温動物の頭の良い、感覚の優れた、頭の良い生き物であることが判明した。つまり、「恐竜の冷血な人間」「恐竜並みのオツム」といった言葉はティラノサウルス・レックスへのひどい風評被害であることが判明したのだ
キング・オア・クイーン?
ティラノサウルス・レックス界でもっと有名なティラノサウルス・レックスはみんなメスだ。フィクションでは「ジュラシック・パーク」シリーズのレクシーがその最たる例だし、現実では前述のスーがそれに当たるだろう。そのため、今回も雌雄の判別が行われた。厄介なのは鳥類などにはペニスが無いものもいるため、簡単に区別ができないことだ。
研究者たちは総排泄腔に手を突っ込んで判断する。鳥類などは肛門や生殖器の排泄腔が一つになっている。そのため、オスもメスもそこから精子や卵子を出す。ペニスが無い種類は総排泄腔同士を擦り合わせるのだ。7tの巨躯が馬乗りになって性交渉をするとは考え難いが、0%とは言い切れない。一応、象は生殖器を鼻のように動かし、巨躯がぶつかり合うのを防いではいる。
総排泄腔だけでは区別がつかないため、臓器から判断しなければならない。再び腹の中に入ると、なんと卵巣らしきものがあるではないか。ティラノサウルス・レックスは化石で卵が2つ1組であるのが発見されている。これは恐竜と鳥類が近いようで別種である証拠となり得る。鳥類は身体を軽くするために卵巣を2つある内、片方だけが発達するように進化した。だが、恐竜にはその必要性無いため、左右の卵巣が成熟していた可能性があり得るのだ。そして、卵巣があるということはこの個体はメス、つまりクイーンということだ。
死体からわかったティラノサウルスの生きた証
簡単!タマゴの作り方!
メスと分ければ総排泄腔に詰まった硬い何かの正体もわかってくる。卵だ。鳥類や恐竜の卵が生まれるまでのプロセスは興味深い。人間のように胎生ではないためか、まるで工場の流れ作業のようなメカニズムが体内で行われるのだ。流れは主にこうだ。
卵巣が成熟すると一つが破裂して
卵子が飛び出し、卵管へと下る。
↓
卵管で精子と卵子が出会うと胚になる。
↓
卵管を下っていく中で卵白になるタンパク質が
分泌され水分を与えられ、衝撃から胚を守る。
↓
子宮の外壁が胚を更に下へと誘導する。
↓
炭酸カルシウムが排出されて卵殻ができる。
↓
有精卵の出来上がり!
こう書いてみると、とてもシステマチックだ。こうして生まれた有精卵は産卵後、鶏で24日間、ダチョウで30日間抱卵されて雛が生まれる。抱卵されている間、有精卵の中では雛の形がつくられていく。その順番は以下の通り。
神経
↓
心臓
↓
脊髄
↓
手足
↓
皮膚や爪
ティラノサウルス・レックスも抱卵したかは謎だが、研究者たちが鉗子を使ってゴムバンドのように固くなった卵管から摘出した卵はダチョウの物に似た有精卵で、電動カッター殻を切ると2〜3Lの卵白と卵黄に赤い染み状の胚盤が確認できた。研究者たちはティラノサウルス・レックスが巣をつくったかどうかで盛り上がっていたが、筆者は個人的にこの工程を体内で、しかも脳が大きくなって簡単に体外へと出れない状態で出産を敢行しようという進化をした人類の祖先に驚いた。合理性はあったのだろうが、やっぱりこれをすべて一人の体内で行なうのはワンオペが過ぎる気がする。
“死の音”が響く時——
ここまで解剖を進めたが、死因は解明できていない。臓器は健康、外傷もなし。見つかったのは切断する際に大腿骨の骨折が見受けられたが、胃の中はパンパンに詰まり、餓死でも無い。だが、研究者たちはあるもの見逃さなかった——いや、聞き逃さなかった。
脚を持ち上げた時になった気泡の弾ける音、捻髪音だ。これは骨折した死体からなる音で、骨折した部位に空気が溜まり、動かした際に破裂音が鳴るのだ。「死人に口無し」とはよく言ったものだ。実際の死体は雄弁でよく動く。人類が死後すぐに埋葬や火葬することで死から遠のいて久しいが、死体は放置すると死後硬直によって関節が曲がり、その関節からは気泡の弾ける音がする。これがキョンシーなど動く死体のモデルと言われており、更には皮膚が縮むことで毛まで伸びる。死体はときとして雄弁なのだ。
そして研究者の一人が岩のように硬く丈夫な背中に対して首がブヨブヨと膨れていること、そして死の音である捻髪音がすることに気がついたのだ。前述の通り、血は死後6時間経つと血液凝固因子が消費されて身体の下側へ重力に従って集まる。つまりは死斑だ。ここに来て今までの研究という伏線が回収され始めた。
そして首をCTスキャンすると——
答えは見えているかもしれないが、ここまでしておきたい。最後の謎解きの詳細な答え合わせはDVDを見てのお楽しみだ。しかし、このDVDは動物の解剖の生々しいグロテスクさを残しつつ、実際の恐竜の研究データに基づく非常に優秀なフェイクドキュメンタリー、モキュメンタリーとなっている。こういうのを作れるのがナショナル・ジオグラフィック、ナショジオの魅力だ。最高の作品。賛辞を捧げるしか言うことがない。
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