指輪をなくして、得たこと。
出勤の為に家を出る直前、左手薬指を無意識に親指で触れたら、いつもの感触がないことに気がついた。
「指輪がない!」
家の中を探そうと思ったがやめた。
今探すと電車に間に合わない事と失くしたのなら職場で失くした可能性が高くのではと思った事が理由だ。
職場までの電車では読みかけの本を読むのが楽しみだったけど、そんな気分にはなれなかった。かといって憔悴してたわけでもなかった。
失くした事はすごくショックだった。でも失くした事で日常生活が崩壊したり誰かが死ぬわけじゃないから。
こういう事を言うと冷たい奴だと言われるけど失くしたモノは10万ちょっとの貴金属だった。という見方もできるから。
職場に到着し、すぐに失くした可能性のある場所に向かったが淡い期待は虚しく消えた。
職場のみんなにも「恐妻家、やっちゃいました」感を出しながら協力を仰いだ。
みんなの反応は様々だった。
「なにやってんの!」
「離婚や!離婚!」
「えーーー!」
そんな反応の中のひとつに
「バレるまでに同じの買わへんと」
というものがあった。
それは違う。
まず、バレるという表現は隠す前提だからだ。
失くした事を隠すつもりは無かったし、同じものを買ったってその指輪に価値は無い。
失くした指輪にこそ価値があるからだ。
結婚式の会場を即決した勢いで帰り道によった指輪屋さんで買った。っていう思い出があの指輪の価値だから。
同じものを買ったってもそれはただの高価な鉄の輪っかにすぎない。
指輪を失くして落ち込んでいる理由は嫁さんに怒られるから、高価なものを失くしたから落ち込んでいるのではない。
僕が落ち込んでいるのは思い出が無くなったから。指に通している事で思い出になっていた指輪がただの鉄の輪っかになってしまったままどこかにいってしまった事を思うからこそ落ち込んだ。
でも純粋に損得勘定なく落ち込める心が自分にもある事を知れてちょっと嬉しかった。
また少しだけであっても職員が指輪を探してくれたり心配してくれた事も嬉しかった。
中には失くした指輪が見つかるおまじないを教えてくれる人もいた。
でもそのおまじないがすごく子供っぽかったのでするのはやめといた。
探してくれた職員も仕事そっちのけじゃなく仕事を優先しながら探してくれた事が嬉しかった。
若い女性の職員に
もし結婚した旦那さんが指輪失くしたら
ヘコむ?って聞いてみた。
そら、ヘコみますよー。でも怒らないですね。
怒るとかじゃないんです。
って言ってくれた。
家に帰る前に嫁さんには指輪を失くした事は伝えておいた。怒ってなかった。
帰りの電車に乗る旨を伝えたLINEの返信もいつも通りだった。
さらに「帰りにビールも買ってきて」
いつもよりくだけた返信だった。
そんな返信にちょっとだけ救われたけど
自宅に着いて玄関を開ける時はさすがに怖かった。
みかんを食べながら
「あの指輪、似合ってたんやけどな」
そんな一言で済ましてくれた。
嬉しかったというか救われた。
思い出の品は無くなったけど思い出は消えないし新しい思い出ができた。