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『9割が女性患者の難病』にかかった『ボク』の話③

※この記事は少し長くなります。ゆとりをもって読み進めて頂けますと幸いです。

こちらの記事の続きになります。



「この病気は色々と症状があってね。あなたみたいに顔の中心に蝶々みたいな赤い痣が出るのが典型的な症状。蝶形紅斑って言うのね。あと体液が出づらくなります。涙液とか唾液ね。ドライマウスになって味覚障害になります。ひとまず治療はプレドニンっていうステロイドを使います。他にも細かい症状はあるんだけど、自分の為に調べておいてね」

診断が確定した時、おおよそこのように言われた。

病名、今後起こり得ること、今後の治療法。

「SLE」や「シェーグレン症候群」がどのような症状あるのかは細かくは教えてくれなかった。

この先生の言い分としては、人によって様々であるし、今後一生付き合うことになるから、自分で調べて勉強しなさいとのことだ。

外来患者を早くさばきたいからだろうか、こちらから他にどんな症状があるのか問おうとしても聞く耳を持ってくれなかった。

これで不信感を持ったのは2度目だ。

実はこれより前に不信感を持ち始めた出来事があった。

それは診断を確定させる為に検査を色々と受けたのだが、すでにやった検査をもう一度入れようとさせられたのだった。

僕がそれに気づいて、それを2度もやる必要があるのかと問うたら、先生側の誤りだったようで、ひとまずやらずに済んだ。

こういってはなんだが、見た目も高齢な先生だ。

もう復帰が差し迫っている以上時間のロスはしたくない。

自分の身を守るためにもうっかりでは済まされたくなかった。

だから本当にこの先生で大丈夫なのかと不信感を持ったのである。

そんなこんなでひとまず、薬を処方してもらった。

プレドニンの量は正確には覚えていないが、15〜20mgくらいで始まったと思う。

どうやらこの日をもって難病患者になったらしい。

薬局で薬を貰い、家に着く。

少し落ち着いてから、「SLE」や「シェーグレン症候群」について調べ始める。

「SLE」

検索候補に「突然死」や「寿命」などという文字が出てくる。

ギョッとした。

血の気が引いてくるのを感じる。

それでも診断が確定した以上、知っておかなければならないと思い、ページを開く。

一番上に来ていた、難病の情報をまとめているサイトを見たと思う。

最初に目についたのは

”「SLE」とは英語で【Systemic Lupus Erythematosus】という言葉から頭文字を取ってそう呼ばれています。”

そんな事はどうでもよかった。

下にスクロールして、生命予後と書かれている所を見る。

”ステロイド使用前の時代は5年生存が約半数ほど、ステロイドが使用されることになってからは90%近くにまで改善されています。10年生存では60%以上の方が治療を続けています。”

そんな風に書かれていたと思う。

ただ、10年生存率に関してはこの時に見た情報だと6割生存だったと記憶しているのだが、最近の情報を見るとこちらも9割くらいが生存できているみたいだ。

自分の記憶違いだったのか、近年になって改善されたのかはわからないが、良いことだと思う。

他の所を見てみる。

自己免疫疾患…全身症状…etc

あまりにも情報量が多い。

この時になって先生が一個一個詳細に説明してくれなかった理由を理解した。

あまりにも多岐にわたり、しかも人によって様々なのだ。

(そりゃ説明する時間なんてないわな…)

気になったのが全身症状だ。

確かに最近微熱っぽさを感じる。

あと、病院に行くだけでも軽く疲労感がある。

だがそれは事故後の治療による体力の衰えだと思っていた。

他に思い当たることがあるとすれば、顔の痣くらいだ。

あとの症状はピンとこない。

「シェーグレン症候群」の方も見てみる。

ドライアイ…ドライマウス…etc

確かに言われたとおり、味覚に作用してくるようだ。

ただこっちの方は生命に関わることは少ないと書いてある。

実は味覚に関しては思い当たり節はあった。

最近、塩味の感じ方が事故以前と違う気がする。

それはまだ改善されている方で、事故直後精神的に参っている時期、リハビリに前向きになるまでは、味をまったく感じられなかった。

おそらくメンタル的な部分が関係していたのであろう。

その時期に比べればこの時はまだ味を感じることは出来ていた。

以前は、塩水の味が0.1%単位でおおよその判断ができていたのが、今は実際の塩分濃度よりも薄く感じているのだろうという自覚はあった。

要するに自分がちょうどいいと思う塩梅が、他人にとっては濃い目になっているような状態だった。

確かに最近喉がよく乾く。

好物のバケットも水分を一緒に摂らなければ食べづらい。

でもそれは体がまだ本調子でないからだと思っていた。

仕事を再開して、調子が戻ったら改善されるだろうと。

自分はそうじゃない。

この病気にかかったとはまだ限らない。

ちょっと調子が悪いだけだ。

そう思い込んでいた。

「SLE」と「シェーグレン症候群」の男女比を見るとなおさらそう感じた。

「SLE」は9:1で「シェーグレン症候群」は14:1で女性の方が多いのだ。

男の自分が引っかかったのは何かの間違いだと思っていた。

すぐには受け入れられなかった。

そんなこんなで職場復帰の日がやってきた。

今までも上長にはたまに連絡を入れていたが、先輩や同期とは久しぶりの再開だった。

ご迷惑をおかけしましたと挨拶回りをする。

皆が気の毒そうな反応をしていた。

上長には新たな病気が見つかったことを報告した。

しかし、自分でもまだそこまで理解できていない病気なので、上手く伝えられず、上長の方もそんなに気にした様子ではなかった。

体力的な不安もあり、実労働が8時間になるように勤務時間は少し考慮してもらうことができた。

いや、本来それは普通の勤務時間なのだが、この時代まだまだこの業界では8時間労働の方が普通ではなかったのだ。

営業時間がランチで12時から15時、ディナーで18時から23時。

その前後で仕込みや片付けがあるので拘束時間としては14時間くらいになる。

そうなると8時間の労働時間では営業についていけないので、最初は賄い場を任される。

お店に食堂スペースがあり、そこでランチ前とディナー前に従業員用の賄いを作ることになる。

昼と夜それぞれ80人前ずつ、1日合計160人前を作ることになる。

それを自分と同期の誰かがローテーションを組んで一緒に行う。

病み上がりの体にはなかなか体力的につらい部分はあったが、それでもここを乗り越えられなかったら営業の方に参加できないので、それを目標に頑張ることにした。

やはり復帰してすぐの頃は体力や筋力が以前と違うというのもあるが、一番難儀したのは右手首だ。

リハビリである程度戻ったとは言え、まだまだ以前程の可動域はない。

包丁で食材を切る時、洗い物をする時、重い鍋を振るなどの動作は腕を大きく動かしたりしてカバーした。

重いものを持つ時も重心を左にずらして持つなど、なるべく右手首に負担のかからないように仕事をした。

まずは1ヶ月乗り切ることが出来た。

少しずつ異変を感じた。

薬を飲んでいるのに一向に良くならない。

1ヶ月働いてみて、体力が戻らない。ダルさが続く。

顔の赤みも引かないし、熱っぽさも続いている。

ぽさっというより実際に計ると毎日37度半ばくらいある。

それでもこれくらいならばと仕事を続けた。

血液検査でもあまり良くなく、ステロイドの量も増えた。

2ヶ月目もそんな感じが続き、また薬の量が増える。

3ヶ月目になろうかというときに、頑張りが認められたのか、労働時間を戻して営業の方に参加できるかもしれないという話になった。

なおさら頑張って仕事をした。

それがいけなかったんだと思う。

自分の体の事、難病のこと。

きちんとした理解のないまま、ただがむしゃらに頑張った結果、報いを受けることになる。


死を意識するほどの苦しみを味わった。


3ヶ月目に入り、お店のキッチンに入り営業に参加した。

やはり嬉しかった。

怪我を乗り越えて、またここからリスタートだ。

そう思っていた。

一応勤務時間は前の月より長くはなるが、ある程度考慮してもらえた。

なので営業後の片付けはどうしても間に合わせることができないので、他の人に任せることになった。

すごく申し訳なかった。

そういう働き方を1週間、2週間と続けた。

そして、そこから一気に症状が酷くなってくる。

朝起きるとものすごくだるくて熱を計ってみた。

39度はゆうに超えていた。

だが咳もないし、のどが痛いわけでもない。

ひとまず職場に向かった。

朝の準備をするのは自分の役割だったから、ひとまずそれをやらなければ皆に迷惑がかかる。

そんな風に考えていた。

愚かだったと思う。

その日はなんとか乗り切ることが出来た。

数日経っても熱は引かなかった。

さすがに自分でもこれはまずいと思い、朝の準備が終わった後、上長に伝え病院に行かせてもらった。

お店の近くの病院で、ひとまず熱を下げる薬や鎮痛薬を貰ったと思う。

その日は早退した。

それ以降の日は変わらず出勤していたと思う。

熱は下がっていないにも関わらずだ。

熱があることを隠して仕事をしていた。

当然良くなるはずもなく、39度の高熱は1ヶ月ほどずっと続いた。

正直このあたりのことは記憶があまりない。

ただがむしゃらに1日1日乗り切ることに専念していたと思う。

それも長くは続かなかった。

1ヶ月ほどの高熱が続いていた期間の途中に膠原病科にも当然行っていて、ステロイドも40mgくらいに増量していた。

それでも熱が引かず、体調も悪くなる一方。

だから僕はセカンドオピニオンを受けるために紹介状を書いてもらうように先生に言った。

いい顔はされなかった。

もうこのときには、顔の紅斑だけでなく、ペットボトルの蓋も開けられない、なにも無いところで躓く、高齢者の歩くスピードに追いつけないほどの筋力低下。

指や手のひらが1.5倍膨らむほどの腫れや赤み、関節痛、脱毛、口内炎、39度の高熱など、全身に渡り症状があった。

特にこの時はくっきりと蝶形紅斑が出ていたと思う。

とにかくひどい状態だった。

そんな自分の姿を見て、すごく惨めに感じた。

さすがにこの状態のときには休みを頂いていた。

そしてすがるような思いで別の総合病院にてセカンドオピニオンを受けた。

結果は緊急入院。

初めて診てくれた先生が、ひと目見て驚くほどのひどい状態であった。

「ここに来るまで辛かったでしょうね」

と声をかけていただいた時は泣きそうになった。

だが泣くことができればどんなに楽だっただろうか。

僕はこの時すでに「シェーグレン症候群」により、涙を流すことなんて久しくなかった。

2日後に入院することになった。

職場に連絡する。

悔しかった。

事故を乗り越えた矢先にまた入院することになるなんて。

一度折れた心が、さらに折れた。

高熱が続いて体がダルイし、気力が沸かない。

…死にたくなった。

こんなに体が苦しいのが一生続くかもしれないなんて考えたら、いっそのこと今死んだほうが楽なんじゃないかと思った。

これほど苦しい思いをして、ようやく自分は難病というもののつらさを理解した。

健康な体がいかに尊いのか、何事にも代え難い大切なものなのかを痛感した。

先生に聞けば、「膠原病」は原因不明ではあるが、外科手術などが起因していることも考えられていると言われた。

あの事故しか考えられなかった。

あの事故がなければ、腕のことも、この病気のことも何もなかったんじゃないか。

僕は自分の愚かさを呪った。

治療はステロイド60mgでスタートした。

今まで一番多い量だった。

その他色々と新しい薬も増えた。

この時に使用していた薬は

「ユベラ」「プログラフ」「ダイフェン」「ネキシウム」「ベラサス」「ニフェジピン」「プレドニン(ステロイド)」

になる。

検査も色々とした。

すると「皮膚筋炎」という難病も増えた。

これで3つ目になる。

このように複数の膠原病が同時進行している状態を

膠原病重複症候群(オーバーラップ症候群)

と呼ぶそうだ。

当時はそんな事を聞いても

あぁ…そう。

くらいにしか感じなかった。

ステロイドを大量に使用するに当たり、副作用などの説明を受けた。

前の病院ではこんなの聞いてなかった気がする。

今のこの状態が良くなるのならば副作用なんてどうでもよかった。

なんなら副作用で死ぬような事態になっても良いとすら考えていた。

もう心も体もめちゃくちゃだった。

ステロイドの副作用で夜眠りづらくなるらしい。

確かに眠れない日々が続いた。

だから眠剤を処方してもらえるらしい。

僕は考えた。

飲まずに100錠くらい溜め込んだらそれで死ねるかも…。

ふとそんな風に考えた。

==④に続く==



こんにちは。
改めまして、KOH@メタメタ系男子です。(sle_koh)

いや〜自分で言うのもなんですが、暗いですねー笑

なので、せめてここだけでも明るくしていきます!

なんかとんでもない所で締めちゃいましたけど、安心してくだい!僕は生きています!(ネタバレ)

まぁこの時期は色々な出来事が重なって参っていましたが、今はそれを乗り越えてますからね。

それを少しずつ綴っていければと思います。

まだまだハチャメチャな展開が続きます。

そういえば、この話ですが思ったよりも多くの方に見て頂けているようで、とても嬉しいです!

こんなただの僕の個人的な話、他人にとってはどうでもいいだろうな〜なんて思っていたのですが、思ってたよりも見てくれている(*´ω`*)

本当にありがとうございます!

なるべく早く書き終えるように筆を進めていきますので、よろしくお願いいたします。

ここまで長文をご覧頂きましてありがとうございました。

これを読んでくれた皆様の1日が良いものでありますように。

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KOH@メタメタ系男子
ご覧頂きましてありがとうございます。サポートして頂きましたものは、難病の子供支援に蓄えたいと考えております。よろしくお願いいたします。