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モブのマルチバース

今週、同期の博士後期課程の学位論文審査発表会がありました。
私も博士課程は3年目だが、ファーストがまだ書けてないので来年度卒業を目指して奮闘中……としておきます。

ところで、ここ数年MCUなどを中心として、SF映画に増えてきた「マルチバース」という概念があります。「平行世界」やら「別の世界線」などとも呼ばれるやつです。ことMCUにおいては、ストーリーの可能性が広がった一方で、話が複雑化してしまって「何も考えずにポテチでも摘まみながら観る」ということは難しくなってしまいました。まぁ面白いので全然問題ないのですが。

簡単に言うと、「あのときAじゃなくてBを選んでいれば…」というたらればの話を、ヒーロー (主人公) 軸で描くことで、ヒーロー自体は変えずに設定を少々弄ることで多角的な表情を演出しよう的なことなんだと思います。


人生の分岐点なんてものは大小合わせて無数にあるものですが、私が直近 (数年単位) で挙げるとしたら、①大学入試 と ②研究室配属 だろうなと思います。

①大学入試
これは後期試験で何大学の何学部に出願していたかという話です。
私は現役のとき、前期: 北大総合理系、後期: 北大農学部
一浪して、前期: 北大総合理系、後期: 北大水産学部
に出願しました。当時 (今もなお)、数学と英語が致命的で生物・化学でしかまともに勝負できなかった私は、前期流して後期で決めたいななどと考えていました。まぁ結果は水産しか受からなかったわけですが、それなら現役のときに後期試験で水産学部を受験していれば、たぶん受かっただろうと思います。入学偏差値の格が農学部と水産学部では違うので。

現役で、現状よりひとつ上の学年で入学していたらどうなっていたのだろう?と考えると、人間関係のごちゃごちゃは確実にあるとしても、今の私の生活とは大きく違う点があるとすれば "女性アイドルグループにハマっていなかった" だろうことだと思うんですよね。
私が高校生の頃はAKB48の隆盛期でした。私は全然興味なかったので、登下校時には洋画のサウンドトラックを聴くなどして過ごしていましたが、高校の同級生が高3の文化祭で、ももいろクローバーZ (以下: ももクロ) の『Chai Maxx』を踊っていたのを記憶しているくらいでした。
しかし、浪人が決まり、河合塾の自習室でボケーっとしていたときに、ももクロの『DNA狂詩曲』×エヴァンゲリオンの音MADに出会って、そこからももクロの楽曲にのめりこむわけですよ。いわゆる「メンブレしていたときにアイドルに元気をもらった」ってやつです。
私は基本何かしら音楽を聴いていたほうが集中力が増すタイプなので、長時間の運転や実験中などの「長く集中力を維持したいけど、その分疲労がたまるから眠気も襲ってくる」作業のときは音楽を聴いていることが多いですが、文章を書いたり聴いたり読んだりする国語系の作業中に、声が入ってる系の音 (J-popやラジオ) を聴くと著しく作業効率が落ちてしまうのです。だから中高6年間サウンドトラックばっかり聴いていたのもあるのですが…()
浪人期にももクロにハマったのは一つ私の中の転機ですが、同時に大きな過ちだったなとも言えます、全然集中して勉強できていなかったわけなので。

以上の点から、そもそも現役で水産学部に入学していたら浪人期が存在しないので、ももクロ含む女性アイドルにハマることはなかったんだろうなと思います。

②研究室配属
水産学部は3年生の今時期に学部4年生以降で研究を行う研究室を決めるわけなんですが、私はそもそも「北大で生物系のことできれば、農学部でも理学部生物でも水産学部でもいいやぁ~」くらいのノリで入ってきたので、特段魚が好きだったわけでもないし、むしろ「魚臭が苦手」くらいの感じでいました。そうなると研究室を選ぶ段階で、微生物か魚病か高分子か海藻、という四択になるんです、うちの学科は。そんでもって高分子は生きてる状態の生き物を扱わない (凍結乾燥した魚や海藻の有用成分を調べる的な…詳しくは知らない…) ので三択になります。さらに、魚病も組織培養がメインなようでいて、感染させるための魚も飼育しなければいけないので消え、微生物は先生が厳しく "ブラック研究室" であるという噂があったので海藻研一択になりました (といっても、今考えると研究室に長時間いて実験するのは至極当然のことなのでブラックどころかホワイトまである (いやそれは無いか) 研究室でした)。

ここで、以前のノートでも書いた気がしますが、
⑴主にノリをやってるM准教授の研究室 か、 ⑵主にコンブをやってるM教授の研究室 か、 ⑶主にノリをやってるU助教の研究室 かの三択を迫られました。研究室の定員が⑴の研究室にMax. 3人、⑵と⑶の研究室に合わせてMax. 6人ということで、3年生の間で話し合って決めるわけですが、もし定員オーバーした場合にはGPAでの殴り合いが例年行われてきており、当時すでに⑵と⑶配属志望者が6人いました。学部時代は基本サークルに本腰を入れ勉学を疎かにしてきた自覚のあった私は「こりゃマズい」と思い、争わずに済む⑴の研究室に行くことにしました。
詳細は立場的にも書くとマズいので省きますが、⑴のMさんが相当な曲者で、私がB4, M1, M2のときにいた修士や博士課程の先輩たちは全員病んでました。メンタル強めな私でも「あ~なるほど、これが未来かぁ」などと思い絶望するわけです。
その後いろいろあって、博士課程進学の折に⑵の研究室に移籍したのですが、博士課程進学組は多くの場合、学士・修士の3年間で行った研究内容を早い段階で学術論文に起こしてしまって、さらに博士研究でもう何本か出します。しかし私は博士課程を0からスタートさせたようなものなので、D1はまるまるノリとコンブの違いとフィールド科学の難しさを痛感するのに費やしてしまいました。
このような経緯で、先日学位論文発表をした同期のように研究室を変えることなく6年間研究していたら留年することもなく卒業できたのかななどと絵空事を描くのです。配属決めのとき、海藻研の同期6人は全員⑶の研究室に行きましたが、正直私は⑶の研究テーマに微塵も興味なかったので、行くとしたら⑵の研究室だったし、ごり押せばB4の段階で⑵の研究室に行けたのではないかと思ってしまいます。

以上のように、将来研究職を志す者としての大きな分岐点ではあったのですが、
もう一つ生活的な面で大きく違う点は、M1の夏、学生実習のTAやっている最中にtwitterを始めたことだろうなと思います。現実がツラくてsnsの世界に逃げ込んだんだと思います。初めから⑵の研究室に行っていたら、あそこまで病むこともなく、snsに逃げ込まずとも済んだことでしょう。

しかし、snsに飛び込んだことで色んな出会いがありました (そしてたくさんのブロックという名の別れも)。
twitterを始めたことで、今までどっかの誰かが違法で上げてくれたサンドリ (有吉弘行のSunday Night Dreamer) やオールナイトニッポンを違法視聴していた状態から脱却し、タグをつけながらラジオやテレビ番組をリアタイし、リスナーや視聴者で一体となって番組を楽しむことも知れましたし、ももクロのオタクを通してエビ中 (私立恵比寿中学) のことを知り、無事オタクになりました。

また⑴の研究室に行ったことで、相当なメンタルトレーニングを積むことができたなと思います。学生という立場でこれなら、社会に出たときにそりゃ職場の人間関係が尚更重要なわけだなと実感します。


①大学入試 と ②研究室配属 2つの分岐。
どちらもその選択が今の自分にとってどれくらいプラスだったかマイナスだったかなんてものは、もっと未来になってみないとわからないんだろうなと思うので、
たまに「あのときこうしてたらどうなってたんだろうなぁ~」と思っても
「あのときこうしていれば違ってたはずなのにぃ~」と後ろばっかり振り返る状態にはならないでおこうかなと思います。

(まぁ病んだら病んだで新たな扉を開くキッカケにはなるかもしれませんが)

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