グッバイ・ブルーバード:パルプスリンガーズ外伝 #ppslgr
【※本文:約79,837字 推定所要時間:1時間20分ほど(筆者比)】
おことわり:当作品は遊行剣禅氏の作品「パルプスリンガーズ」の世界観を作者の素浪汰 狩人が独自に解釈し発展させた二次創作となります。作中の用語は基本的に一次作のパルプスリンガーズに準拠しますが、設定の解釈は原作者の遊行剣禅様と異なる可能性があります。理解の上お読みください。
【前編:鉄の乙女と銀河ネコ】
【1】
東京湾上メガフロート。冬晴れの空に、横田基地所属のCV-22Bオスプレイが両翼端のティルトローターを唸らせ、飛び去って行く。オスプレイの航路の遥か下方、メガフロート街区の中ほどに、翡翠色の九龍城めいて複雑怪奇なコンクリート建造物が聳えていた。大型複合商業施設『note』である。
緑の巨大施設は増改築を繰り返す有機的ショッピングモール……洗練されたファヴェーラ……モダンでポップかつ猥雑で混沌……一見、矛盾した価値観が呼吸するように当然に併存し、かつ利用者の誰もがそれに違和感を覚えない奇矯さを湛えていた。この街の門は誰にも開け放たれていたが、その一方でこの街は誰をも留めることはなかった。去る者は追わず、来る者は拒まず。
外見の威容に相応しい程度には豪華なエントランスを抜け、キラキラと輝く成功者や富裕層の一人語りや、自己啓発や財テクに賭博といった情報商材が軒を連ねる、大通りの商魂逞しい屋台街じみた光景が見る者を圧倒する。
ストリートの突き当りの丁字路の壁に『この先、物語ブロック』と記された青銅板が掲げられている。猥雑な屋台街の噎せ返る匂いを後にして、看板に誘われるまま丁字路を左に曲がれば、ポップなタイル調の壁紙が巡らされたトンネルが、西洋童話めいたキュートな世界に彼女を誘うことだろう。
トンネルの両側の壁には、額縁めいて巨大なガラスが嵌め込まれ、表世界で見たことのないインディーズ作品が『オススメ』と掲げられている。作品の中には値札が添えられているのも少なくない。海の物とも山の物ともつかぬ物に金を出す者がいるのだろうか。そう考えた女が首を巡らせば、周囲ではショウケース前で足を止めた者たちが、手に手にスマホを掲げて額縁の奥のQRコードをスマホに読み込ませ、電子音を伴い送金しているではないか。
トンネルの向こうには、また別の街。行楽地や映画のセットじみた作り物の街や村が、商業施設のテナントじみた気軽さで軒を連ねていた。否、それは紛れもなく商業施設の一部だったのだ。他区域と異なるのは、その空気感の異様な作り込みだった。中世ヨーロッパ、西部開拓時代、昭和闇市ほか。
複雑に連なる渡り廊下を歩き、蛇めいてうねる通路の先を目指し、半地下や半屋外を行ったり来たりしつつ、左右で一定間隔ごとに紙芝居のように姿を変える泡沫世界の目まぐるしさに双眸を細め、物語区画を進む、進む。
極寒の雪山を横目に、石造物の並ぶ庭園を見下ろし、古代ローマの剣闘士が刃先を突き合わせる決闘場を潜り、小さな世界たちを幾つも通り過ぎた先。
女は再び、壁に突き当たった。今度は屋台街のような煌びやかさとは無縁なコンクリートと鉄骨のうらぶれた空間だった。壁の前には朽ちた道路標識を思わせるダイヤ型の看板が立ち、丁字路の左側のトイレを示していた。
女は丁字路の左を見た。スラム街の公衆トイレを思われる、落書きだらけで清潔感に乏しいデザインのトイレが、明滅する蛍光灯の足元に建っていた。
女は丁字路の右を見た。建設途中か解体途中の建物のように、建材や配管の露出した区画、パーティションやブルーシートに覆われた区画、どこからかハツリ工具や金属加工の音が聞こえ、煤煙や吐瀉物が臭う胡乱な隘路。
女は再び、壁の前のダイヤ標識に視線を戻した。標識にはケルトのお守りを思わせるビーズを連ねた呪術的首飾りがぶら下がっていた。首飾りの先には褐色の斑が染み着いたドクロが大小数個。風も無いのにカラリと揺れた。
『この先、パルプ創作酒場・メキシコ』標識の背後の壁に、蛍光スプレーで落書きじみて記されていた。表記は何度もブラシで削ぎ落されて、その度に書き直されたように、輪郭のぶれた蛍光文字が何度も上書きされていた。
「……見つけました」
女は姫カットの黒髪を揺らし、無表情の美貌の口角をにっと吊り上げた。
【2】
巨大施設の煌びやかな中心街から遠く離れた、辺境の開発途上区画。無数に乱立する閉鎖テナントや空きテナントに混ざって、バラック小屋を思わせる粗末な板壁造りのテナントがひっそりと佇んでいた。出入口には西部劇風のスイングドアが設えられ、頭上の看板には『MEXICO』と記されている。
パルプ創作酒場・メキシコ。西部劇のサルーンを模した店内は、日頃ならばパルプ小説を創作する物書きたち、人呼んで『パルプスリンガー』の面々が談笑時々銃撃を交わす『賑やかな』場所だ。しかし未知の疫病が猛威を奮う昨今の情勢下では、この酒場に出入りする客も数を減らしていた。
カウンターバーに男が一人。スイングドアに背を向けて、人気のない酒場に紫煙を燻らせていた。日本では珍しいギリシャの手巻きタバコだ。対面するカウンターの中で、ワークシャツにオーバーオール、野放図な口髭を生やしテンガロンハットを被った店主が、何かを布で磨きながら失笑を放った。
「生きてたか『目明しスカル』。近頃は全く姿を見せんから、ドクロの下の目玉も真っ黒に煤けて……どこかでおっ死んだもんだと、皆が噂してたぜ」
店主は油の染みた布切れを放ると、頭上の白熱電球に両手の得物を翳した。ウィンチェスター・1866……古式銃の再現版のレバーアクション銃。真鍮のレシーバーは金色に、ブルースチールの銃身は漆黒に、胡桃材のストックが褐色の木目で金属光沢を引き立て、三色が気品ある佇まいで輝いていた。
「ええ……まあ……そうですね。最近は思ったように筆が進まなくて」
執事めいた服をまとう男、通称『目明しスカル』は、コロナビールの小瓶を一気に呷ってカウンターに押しやると、懊悩とも自嘲とも取れる覇気の無い笑みを浮かべて肩を竦めた。白髪交じりの頭髪は野放図に伸び、よれよれのシャツの襟にかかる後ろ髪は釣り針めいて反り上がり、黒の一張羅には皺が寄って塵芥が斑を成し、首に結った黒ネクタイも傾いでいる在り様だった。
「悩め、若者。人生そんな時もある。生きてりゃそのうち何とかなる」
店主は日焼けした顔に皺を寄せ、感情の窺えない声で諭した。カウンターにずらりと横一列で並べた、44-40口径カートリッジを二本指で抓み、電球に翳して眺め回しては、銃のサイドプレートへ一発ずつ押し込んでいく。
スカルはカウンターに半身をもたれ、手巻きタバコの紫煙を吹かし、店主の所作を微睡むような呆けたような顔で静かに眺めていた。アルコール度数が4.5%のビールでは、鬱屈を酔いで『醒ます』には些か役不足であった。
腑抜けたスカルの姿を見かねた店主が、ウィンチェスター銃を壁のラックに戻して溜め息をつき、酒棚からスキットル型の瓶を取り出した。栓を抜いて匂いを確かめ、オールドファッショングラスにダブルで注いでカウンターに差し出す。傍らに置かれた瓶の銘柄は、ウッドフォードリザーブ。
「お前はこれだろ。まあ飲めよ。飲めば少しはしゃきっとする」
「奢りですか」
「馬鹿野郎。偉そうな口は、一端の『賞金首』になってから叩け」
スカルは軽薄な笑いで応じると、グラスに手を伸ばしバーボンウィスキーを舐めるように飲んだ。次の一口は茶を啜るように、更に次の一口は水で喉を潤すように。グラス半分、およそ1ショットのバーボンを喉に流し込む。
「チェイサーは別料金だ」
「コロナをもう一本」
「毎度あり」
今や眠たげだったスカルの両目は見開かれ、ドクロのように生白く血の気が引いていた顔に、薄らと朱がさした。茫漠たる両目が焦点を結んだ。
「ようやくお目覚めか。さっきよりもずっといい顔だ」
「お陰様で。小説は書けそうにありませんがね」
「少なくとも、俺の稼ぎの足しにはなる。見ての通りがらんどうだからな」
ギーコラバッタン、蝶番と戸板が音高く軋んだ。店主とスカルの二人は音に注意を払わなかった。店主は映画の場面のごとく両腕を広げ、自虐に笑う。
「全く商売あがったりだ! その上お上は8時で店を閉めろと言いやがる、どうにか昼間で売上を立てにゃならん、今日は全員分飲んでもらうぜ!」
「そんな無茶苦茶な。そう言えば、今日日の飲み屋は昼食のテイクアウトが流行りと噂に聞きますよ。この店も何か……そうだカレーでも売ればいい」
「馬鹿め、俺の店をブリ公のパブと間違えているのか? ギネスが欲しいと抜かしてみろ、口を縫い合わしてやるぞ! カレーなんぞ売らん!」
「ならステーキを下さい。脂身の少ないアンガス牛の赤身ステーキを」
「1ポンドか? まさかハーフ・ポンドとは言わんだろうな?」
「少しくらい売上に貢献しますよ。景気よく2ポンドと行きましょう!」
「よしきた!」
店主が皺くちゃの笑顔の笑顔を浮かべ、カウンター奥の調理場に駆け鉄板に火を入れる。まんまと策に嵌まったスカルは、しかし微笑と共にバーボンを口の中で転がして嚥下し、右手の袖口からシグ・ザウアー P290小型拳銃を飛び出させ、背後を振り向いた。然してスカルの背後には、長身黒髪ロング姫カットのOLが直立不動で立っていた。胸の前に、土鍋しか見えない物体を恭しく捧げ持ち、拳銃を向けるスカルを美貌の無表情で見下ろしていた。
「何者ですか、貴女。その手の物は……土鍋? 爆弾にしては妙、ですね」
「我々は助けを要求します。差し当たっては補給と休息です。我々のような存在を助けて頂ける場所だと聞いて来ました。我々を助けなさい、人間」
「貴女は誰か、と聞いているんです。私の引き金は軽いですよ」
姫カットOLは押し黙り、アレキサンドライトめいた青緑の双眸で、スカルの栗色の瞳を見つめた。赤外線通信するリモコンのように。まるでそうすれば意思が通じるかのように。彼女は一つ瞬きをして、周囲を悠然と見渡す。
「全く聞きしに勝る見苦しさです。とはいえ補給と休息の要求が叶うならば文句は取り下げるとしましょう。私は賢明ですので。助けを要求します」
「どうにも話が噛み合わないらしいですね? 折角いい気分になってきたと思ったら……どうしてトラブルの種が転がり込んでくるんですかねぇ?」
スカルは早々と交渉を諦め、ダブルアクショントリガーの指に力を込めた。
「敵意を感知しました。『先手必勝』」
拳銃のトリガーが殆ど引き切られた瞬間――スカルには、身体中が金縛りで不自然に凍りつく錯覚を覚えた――『後の先』で動きが『差し込まれた』。
姫カットOLの宝石じみた青緑の瞳が、鮮烈な赤紫に閃く。脈打つ光の波動が酒場を照らし、直立不動の彼女は次の瞬間――右脚を振り抜いていた。
バレリーナのⅠ字開脚、格闘家のメイアルーア・ジ・コンパッソを思わせる右足の振り上げ、刃のように振るわれた革靴の爪先が、P290拳銃を撃たんと構えるスカルの右手を過たず撃ち――小型拳銃を中空に打ち上げていた。
BLAM! 照準を反らされた銃口が、天井へと9ミリ弾を放つ。宙で発砲した小型拳銃が後退不良を起こし、排出口に空薬莢を噛み、床に転げ落ちた。
「少し教育が必要なようですね、人間。時空操作もできない原始人が、私と五分にやり合えると思っているんですか。とんだお笑いです」
姫カットOLが高説を垂れている間に、スカルはカウンターのグラスを取ってバーボンの残り半分を一息に呷り、たたらを踏んだ。蹴飛ばされた右手指が変な方向に折れている。スカルは気合で指を直し、痛みに顔を顰めた。
「どうやら、右手じゃ銃を握れそうにありませんね」
「銃でも拳でも結構。原始人がどんな武器を使おうが、結果は同じです」
「ハテ、そいつはどうでしょうねッ!?」
スカルは無事な左手を懐に伸ばし、右手で首元のよれたネクタイを握った。
『ピロリ~♪ ピロリ~♪ ピロピロピロリ~♪』
童謡『ちょうちょう』の冒頭が安っぽい電子音を響かせる! ネクタイ内に仕込まれたマイコンの仕業だ! 懐のスマホに緊急コマンドを発信!
「……ムッ!?」
姫カットOLは両手に土鍋を抱えたまま、しなやかな動きで駆け出そうとした次の瞬間、視界の一面に色とりどりの蝶が一斉に舞い踊る、幻想的な風景を流し込まれて動きを止めた。彼女は森と湿地の花園の只中に立って白無垢を身にまとい、極彩色の蝶が飛び交う様に目を奪われた。思考がフリーズした彼女は、現実世界でスカートスーツの全身を小刻みに痙攣させ、ダビングを失敗したビデオテープ映像のごとく、コマ単位で動きの反復を繰り返す。
「ガッガガッガッ、ガガガガガッ」
さながらビデオゲームのグリッチ走法……バグを使ったホバー移動のように不自然な極短時間反復動作で、ドラムマシンめいて靴底で床板を打ちながらゆっくりと走り来る。スカルは懐からイサカ・オートバーグラー、拳銃型の水平二連散弾銃を左手で抜きつつ、背後に尻から崩れ落ちた。震える右手で虎の子の20ゲージ・電磁パルス弾を取り出し、死に物狂いで銃に流し込む。
「やはりアンドロイドだったか。ハッキングが効いて助かりましたよ!」
左手でイサカ銃のグリップを握り、右手で水平二連銃身を握り、ドスめいて腰だめに構えて散弾銃を安定させると、スカルは二本指で同時発砲した。
BLABLAAAAAM! ロデオめいて躍る銃! パルス弾が姫カットOLの胴で爆ぜ飛び、目に悪そうな紫電のパルス発光と共に姫カットOLが踊り狂う!
「ガッガガガガッピ―――――!? ガガガッガガッ!?」
チーン。姫カットOLは両目を裏返して白目を剥き、沈黙。姫カットの黒髪に隠れた両耳から、シュウーと蒸気を放つ。スカルはイサカ銃を二つに折って空薬莢を抜き出すと、右手で懐からスラグ弾を取り出し、取り落とした。
「終わったか?」
恐る恐る呼びかける声。店主が調理場の影から覗く様子が目に浮かんだ。
「終わったかじゃないですよ、助けてくださいよ頼みますよホント!」
「だって俺は今、肉焼いてんじゃん! 誰かさんの2ポンドステーキ!」
「その誰かさんがステーキ食う前に死んだら、元も子も無いでしょう!」
スカルは無様に床板に転げた姿勢で脂汗を流し、右腕でイサカ銃を押さえて左手で弾を押し込むと、椅子やカウンターにもたれつつ立ち上がった。
姫カットOLは土鍋を捧げ持ったまま、白目を剥いて固まっている。スカルは腰だめにイサカ銃を握ったまま、肩を上下させて呼吸し、用心深く闖入者に銃口を向けて様子を窺った。そのまま数分間は不動で向き合い、やがて肉の焼ける能天気な音と共に脂の香りが漂ってくると、ゆっくりと脱力した。
スカルは視線を姫カットOLに向けたまま、コロナの瓶を右手で引き寄せる。
チーン。姫カットOLの白目がスロットマシンのリールめいて回り、青緑色の冷たい双眸が機械じみた冷徹さでスカルを射抜く。スカルは口角を歪めた。
「子宮に来ました。童貞の分際でやりますね。少し侮り過ぎたようです」
「誰が童貞ですって!? 大体、貴女に子宮はついてるんですか!」
「童貞は臭いで分かります。今度は手加減しませんので……お覚悟を」
スカルが左手のイサカ銃に右手を添え、ダブルトリガーを引き切った瞬間。姫カットOLのアレキサンドライトの双眸が赤紫の波動を放ち、そして時間は停止した――否、静止に近いスカルの主観時間の中で、姫カットOLは土鍋を抱えたまま素早く間合いを詰め、発砲の始まったイサカ銃の水平二連銃身を蹴り上げ、くの字に折り曲げ、跳ね飛ばし――そして時は動き出す。
「ぐがあああッ!?」
BLABLA――CLAAAAASH! 銃身炸裂! 二人の頭上でイサカ銃が爆裂!
徒手となったスカルがたたらを踏んで顔を上げた時、姫カットOLは理想的なモーションで跳び後ろ回し蹴りを放ち、スカルの上体に直撃せしめた。
「げぼおおおおお―――――ッ!?」
スカルはワイヤーアクションめいて錐揉み回転で吹き飛び、酒場に張られた板壁に卍の穴を空けてブチ破っては、隣の空きテナントに転がり込んだ。
「やれやれ、だらしねぇ野郎だ」
調理場の影から見ていた店主が、スカルの無様な敗北ぶりに嘆息した。
「制圧完了。やはり私は優秀です。童貞原始人ごときに敗北は有り得ない」
姫カットOLは踵を高らかに打ち鳴らして満足げに呟くと、カウンターの上に放置された飲みかけのコロナ瓶を無造作に手に取り、一息で飲み干した。
「……アルコール度数5%未満。子供のオヤツにもなりはしませんね」
BLAM! 銃声の直後、姫カットOLの手にした空き瓶が四散し、瓶の首だけ手の内に残された。姫カットOLが無表情の美貌を巡らすと、調理場の影からコルト・フロンティア・リボルバーの4.75インチ銃身が突き出されていた。
姫カットOLは硝煙燻る銃口を見遣り、瓶の首を放ると――BLAM! 店主の手の内で速射用に改造された拳銃が閃き、瓶の首が一発で砕け散った。
姫カットOLは店主に構わず、カウンターのグラスを一瞥。傍らに置いてある瓶を手に取ると、親指で栓を首ごと圧し折って転がし、七分ほど入っている小麦色の熟成バーボンを、水でも飲むようにグイッと全て飲み干した。
「……アルコール度数40%と少々。未熟な精製具合に抗議したいところではありますが、背に腹は代えられませんね。先程の水よりはマシですか」
「アマ公、コロナを水だなどと抜かしたか。パルプ連中全員を敵に回すぜ」
「無意味な闘争心です。私は様々な意味において、人間とは違います」
姫カットOLはプシューと両耳から蒸気を噴いて独り言ち、手にした空き瓶を投げ斧のように、店主へと放り投げた。ヒゲダンスで林檎を投げるように。
BLALALA――CLICK! 店主の拳銃がCIWSめいた3速射を閃かせ、飛び来るバーボンの瓶を撃墜した。最後の一撃は空のシリンダーを打っていた。
「射撃の速度と精度だけは褒めておきましょう。人間にしては上出来です」
姫カットOLは、カウンターに積もったガラス片をスーツの片腕でぞんざいに払いのけ、土鍋をカウンターの上にそっと置き、つまらなそうな表情で額に触れる。前髪の中央が、1センチ大の弧を描いて切り詰められていた。
「おいおい。ドタマのド真ん中をぶち抜いたハズなんだがなァ」
「射撃は巧みですが、人間の限界は所詮その程度です。まだやりますか?」
店主は調理場の壁にぶら下げた投げ斧を一瞥するも、諦めて両手を挙げた。
「分かったよ、俺の負けだ。欲しい物を持って行きな。西部の流儀だ」
「結構。我々は補給を必要としています。高濃度のアルコールと、食料を」
姫カットOLが勝ち誇った微笑で椅子に腰を下ろす頃、酒場のスイングドアをギーコラバッタと軋ませて、埃塗れのスカルがよろめきながら戻って来た。
【3】
埃まみれの黒服『目明しスカル』が、姫カットOLとは6席ほど開けて椅子に座ると、彼が瞬きした次の瞬間、姫カットOLが彼の隣に席を変えていた。
「意外としぶといですね、原始人童貞。私は驚いています。見直しました」
「その瞬間移動は心臓に悪いので止めてください。あと童貞は余計です」
「あの蹴りは、貴方の脊椎腰椎ほか諸々の骨を圧し折り、推定5つの内臓を破裂させたはずですが。耐えた人間は初めてです。本当に人間ですか?」
「耐えた……か。そりゃもう痛かったですよ、お陰様で」
スカルは苦笑して答え、回収していたP290拳銃のスライドを引き、詰まった薬莢を取り出す。姫カットOLは背筋を正して座り、スカルを横目に見た。
「人を殺すのに躊躇いが無いですね。私も人のことは言えませんが」
「貴方の右手、記憶が正しければ圧し折ったはずですが」
「惚れ惚れする見事な開脚でしたね。素晴らしい関節をお持ちのようで」
「どれほど精巧な部品でも、一度壊れたら元には戻りません。壊れた部品は補修か交換が必要です。人間でも機械でも同じ。そうではありませんか?」
「何が言いたいんですか?」
「私は貴方に興味を持ちました。あなたの身体構造を解析させてください」
胡乱な含みを持つ発言に、スカルは訝って姫カットOLを振り向いた。彼女の青緑の瞳が蠱惑的な赤紫に瞬き、彼女はスカルの拳銃を取り上げていた。
「抵抗しても無駄です。諦めて私に身を任せてください」
「愛の告白にしては物騒ですね」
「死なない人間ほど、尋問の容易な相手はありません。壊れ物を労るように出力を加減する必要がありませんので。言葉の意味が分かりますね?」
姫カットOLの端的な言葉には嗜虐心が滲み出ていた。スカルは冷や汗を流し背中を逸らすも、次の瞬間には女のしなやかな両手に首筋を掴まれていた。
「マジックの種は明かしませんよ、誰にも」
「吐かせます。私は尋問の経験が豊富ですので。今回は楽しめそうです」
姫カットOLの両手が万力めいて締まると、スカルは顔を鬱血させ藻掻いた。
「あああああげぼぼぼぼッ! もげる、もげる! ダズゲデー!」
「決めました。最初は貴方の首を圧し折って、脊髄ごと引っ張り出します。神経の分離した貴方の身体が、どのように感応するかじっくり観察します」
「あばばばばばーッ!?」
妖艶な笑みで首根を引き抜こうとする姫カットOLと、首を掴まれたスカルが卑猥な前後運動にもつれ込んだ時。かぱ、と土鍋の蓋が僅かに開いた。
「ヴォオオオ……」
戦車砲塔のハッチのように、ヒンジ構造でゆっくりと開かれる土鍋と蓋との狭間より、グライドコアの下水道ボイスじみた地獄の低音が漏れ出した。
「旦那様、お目覚めですか。ミチルは只今手が離せませんのでご容赦を」
「ばなぜー、ばなぜー! あばばばげぼぼぼぼ!」
土鍋の蓋を押し開け、中から現れたシルエットは――猫。銀灰色の毛並みも美しい、シャルトリューにそっくりの、胴長短足猫の上半身だった。
「ヴォエエエオオオン……」
が、何かがおかしい。土鍋から半身をもたげた猫は、シャルトリューめいた図体の両肩から下、胴体だけが土鍋からモリモリと伸びていくではないか。
「ヴルルルロオオオン……」
差し詰め巣穴から飛び出すチンアナゴか、妖怪ろくろ首のごとく。土鍋から這い出る猫肉体は、胴長というには長すぎる、明らかに質量保存を無視した長さの胴体を、電光ドラムのように土鍋から外界へと吐き出し続ける。
「ヴォルルロエエエン……」
その声は、猫というには余りに低く、野太く、そして汚過ぎた。それは正に悪鬼であった。アマゾン巨大蛇じみた猫の上半身が、カウンターを音も無く滑るように移動し、絶賛首絞め拷問中のスカルを軸にしてとぐろを巻いた。
「ががぼがぼがぼ! ごんどばなんだーッ!?」
「ヴォアアアアオオオン……ガロルガロルガロルガロル……」
長い身体の猫は地獄の窯のように喉を鳴らし、鎌首……鎌上半身をもたげてスカルの顔を覗き込んだ。悪夢めいた光景にスカルは泡を吹いて発狂!
「ゲボゲボーッ!? イールナンデ!? 猫でイール、宇宙の侵略者だ!」
スカルは半ば白目を剥きかけ、遮二無二両手を振るって猫を引き剥がそうと試みるが、猫は戯れるように鎌上半身をくねらせ、掴みを躱し続けた。
「旦那様は猫でもイールでもありません! 旦那様は……銀河ネコです!」
「ぎ、ぎんがネゴッ!? ぞれぶづーのねごどどうちがうんでずが!?」
姫カットOL・ミチルの誇らしげな反論に、スカルが脊髄反射でツッコミ!
説明しよう! 銀河ネコ(ギャラクティック・キャット)とは、この地球に生息するイエネコに似た外見の地球外生命体(エイリアン)なのだ! その知能は高く好奇心旺盛、性格は穏やかで臆病、争いを好まぬ平和主義者だ。成獣はテレパシー能力が使えて、異種族の知性体と交流できるらしいぞ!
やはり猫は、惑星が違っても平和の使者だ! あの所構わず糞を垂れまくる隣の家のバカ犬とは違って――おい貴様何をする放せ! ウワーッ!?
「ああああだまのながにごえが! ごえが! ねご! ばなぜねごーッ!」
「ああダメです、旦那様! おやめくださいませ、旦那様! あああ!」
猫がスカルの右手を凝視して狙いを定めると、猫じゃらしめいて振り上げた彼の手を、親指を除く4本指を――ぱくり。食らいついて噛み千切った。
「あああああおおおおおン゛ッ!?」
この声は猫ではない、4本指をスパッと切断されたスカルの悲鳴である。
「あああ旦那様、いけません! そんな原始人の薄汚い指など食べては! 童貞が、童貞が感染ります! どうかお出しになって……セイィッ!」
予想外の展開にミチルが狼狽、咄嗟にスカルの首から手を放すと、猫の胴の半ばを両手で捉え、雑巾絞りじみて捻り上げた。猫は水揚げされた鰻めいてのたうち、スカルを取り巻く胴長ボディが苦悶に波打ち、押し潰さんばかり巻き締めてメリメリ音が鳴る。スカルの肉が潰れ、骨が折れ、腸が弾ける!
「あばばばばぐががががべぼぼぼぼごぎゃ」
銀河ネコのプレス機めいた竜巻ホールドで、スカルは白目を剥き吐血!
「旦那様、いけません……さっさと吐き出さないと……セイリャアアアッ!」
「ヴォエエエッ!? ヴォッ! ヴォエッ! ヴォエエエエッ!」
ミチルの容赦ないトルク運動で、鎌上半身をもたげた猫が毛玉を吐くように激しくえづく。虹色のゲロがこぼれ落ち、スカルの4本指が吐き出された。
「ヴォアアアアアオオオオンッ!」
掃除機のコードリールを巻き取るように、猫が抗議の下水道ボイスを放って土鍋の中へ逃げ帰るように吸い込まれていく。カウンターの上には、虹色の猫吐瀉物に塗れたスカルの指が蠢き、隣にスカルの搾り滓が崩れ落ちる。
「すまねえスカル、ちと焼き過ぎちまった。ワオ……お取込み中だったか」
大盤の鉄板に、湯気立つ2ポンドステーキを載せて調理場から現れた店主がカウンターの惨状を前に、引き攣った笑みでスカルとミチルを交互に見た。
[ Confirm fatal damage to the user's body. Perform an automatic restore … ]
[ Life Support System is starting up ... startup completed. ]
[ Loaded the last backup data, Restoring the body ... ]
ミチルは無表情で、スカルの事切れた身体に目を向ける。どこからともなく赤い光の粒子がスカルへと寄り集まり、死肉に集る蠅の群れのように全身を覆い隠した。ミチルはカウンター上の切断された指に視線を移すと、赤色の光が寄り集まって指を光の粒子に還元させ、虹色の猫ゲロだけが残された。
「おいスカル!? 何だこりゃあ……何が起こってやがるんだ!?」
店主はステーキの鉄板をカウンターに叩きつけ、身を乗り出して喚いた。
ミチルは身じろぎもせず、スカルの不死のイリュージョンに目を凝らす。
[ Your body has just been restore. Thank you for using SPARE PARTS ! ]
蠅が飛び立つように、赤い光の粒子が四方八方に浮上し掻き消える。後にはトルネード圧搾痕も指切断も皆無の、五体満足のスカルが残されていた。
「俺には何が何やら……てかクッセエな! 機械の廃油とマリファナの煙と家畜の小便を混ぜたようなトンデモねえ臭いがしやがる! 俺の店が!」
店主はカウンターにへばりついた猫吐瀉物を見下ろし、吐き気を催した顔で喚き散らすと、ボロ雑巾で拭い取りゴミ箱に投げ入れた。消毒液スプレーをカウンターに撒き散らし、塗膜を剥がさんばかり入念に布巾で磨き上げる。
「マジックの種、確認しました。驚きました。もう言い逃れできませんね」
ミチルは控えめな胸を張り、陶然とした表情で勝ち誇ったように告げた。
【4】
「『スペア・パーツ』……マテリアライゼーション・プログラムの応用品。ユーザーをリアルタイムで監視して、肉体情報を電子情報化してサーバーにバックアップしておき、対象者が致命的に負傷した場合、自動的に起動したシステムが電子情報のリカバリ肉体を物質化して、身体を修復するんです」
スカルは2ポンドステーキにナイフを入れ咀嚼しつつ、ミチルを横目に見て説明した。ここに至るまでの間、彼は5回ほど死と再生を繰り返している。
「マテリアライゼーション? 電子情報を物質化? 何ですかそれは?」
ミチルが訝しげに双眸を窄めて問うと、スカルは肉を咀嚼して唸った。
「この世界で、私たちのような『創作者』に与えられたちょっとした……」
話し始めたスカルの横で、土鍋の蓋がかぱっと僅かに開き、隙間から金色の猫目が覗き見、キラリと輝いた。店主が訝るように土鍋を見遣った。鍋蓋が全開して、銀河ネコが長い胴体をモリモリ展開。シャルトリューに似た顔がクンクンと鼻を蠢かし、鎌上半身がスイーとステーキ肉に這い寄って行く。
「な、なんじゃこの猫モンスターはあああ!? 気持ち悪いいいィッ!」
「猫ではありません、銀河ネコです」
ミチルが憮然と訂正する。銀河ネコは身体をくねらせる蛇移動と前足二本の匍匐前進を止め、猫そのものの顔で店主を一瞥してまた移動を再開した。
「ヴォエエエオオオ……」
猫は油煙を漂わせるステーキ鉄板の前で動きを停めると、肉を食むスカルを一瞥し、肉に視線を戻して暫し固まった。口から虹色の涎が垂れ落ちる。
「福音のような技術です。その技術を用いればもしかして」
不意に話を再開したミチルに、スカルは手を停めて振り向くと、猫のように両目を開いて硬直した。息のかかりそうなほど間近に彼女の顔があった。
「……死んでしまった人間を蘇らせることも、可能ですか?」
掠れるような、囁くような、吐息すら聞こえそうなか細い声。無論ミチルはアンドロイドなので、対面するスカルに吐息が触れることは無かった。
「死ぬ前に、肉体をバックアップしておくことが、条件ですが」
スカルは血の通っていない冷徹な美貌にドギマギして、呼吸のリズムを崩し視線を彷徨わせながら、何とかそれだけ返答した。彼は初心な男であった。
「そう、ですよね」
ミチルは姫カットの黒髪を揺らし、ふっと俯き呟いた。スカルが瞬きすると彼女は席に座って背筋を正し、カウンターの向こうの酒棚を見つめていた。
「全く未知の理論です。無茶苦茶な机上論と表現した方が適切ですか。人の肉体をデータ化して複製するなどと、本当に可能なんですか? 機械の私が愚考するに、データ量が余りにも莫大過ぎて費用対効果に見合わないかと」
「ヴォルルルロオオオン……」
ミチルの横顔に見とれていたスカルが、猫の鳴き声で我に返る。隙を突いた猫が、スカルとは反対側からステーキ肉に齧りつき、1枚肉を幅1センチほど侵食していた。スカルは形容できない声で唸り、大急ぎで食事を再開する。
「美味しいですか、旦那様」
「ヴルルロオオオオン……」
銀河ネコは肉食動物らしい獰猛さでステーキにがっつき、スカルを一瞥して牽制するように喉を鳴らした。1人と1匹は先を争うように肉を食べ続ける。
シャルトリューとほぼ同等の猫寸法から見れば、2ポンドステーキは遥かに大き過ぎたが、銀河ネコは一顧だにせず猫離れした食欲で固焼きの赤身肉を易々と喰い千切り、旨そうに咀嚼し、口の周りの毛を脂でテカらせていた。
「ところで人間、先程から手が止まっているようですが。私のアルコールはまだ提供されないのですか? なるべく高濃度の物を要求します」
「そんなに高濃度のアルコールが欲しけりゃ、消毒用でも飲みやがれ!」
「構いません。純粋に近いアルコールでさえあるなら、人間の飲用に適する必要は無いのです。闇酒に混ぜる工業用アルコールでも何でも結構です」
「俺の店を馬鹿にしてるのか! うちは人間が飲める酒しか置いてねえ!」
自棄になった店主がミチルに喚き散らし、消毒用アルコールの1ガロン容量ポリタンクを、カウンターに対面するミチルの眼前にどさりと置いた。
「このままでは飲み辛いです。何か小分けする容器を」
「チッ、とことん世話の焼けるアマ公だ。ほらよ!」
店主が生ビールの大ジョッキをカウンターに滑らせると、ミチルはタンクの蓋を開いて消毒用アルコールをジョッキに並々注ぎ、一息に飲み干した。
「うえええェ……こいつマジでやりやがった」
ミチルの自然な振舞いに、店主はかえって気圧され呟いた。ミチルの両目がスロットマシンのリールめいて回り、耳から蒸気がシュウーと放出される。
「好ましくないですね。水分が多すぎます。もっと純粋な物はないですか」
「おいおい、そいつのアルコール濃度は75%、ほぼ151プルーフだぞ!」
「私が普段摂取している燃料は、純度99.9%以上のIPAです」
「インディアンペールエールならぬ……イソプロピルアルコールですか」
猫とステーキ早食い競争をするスカルの無駄口に、ミチルが眉根を寄せた。
「精製度合いの低いアルコールも一応使用できますが、水分の分離と放出がシステムに著しい負荷をかけますので、あくまでも緊急用です。濃度の低いアルコールを摂取し続けると、水分や不純物が燃料ラインに悪影響を及ぼし故障の原因になります。水分の分離工程は燃費効率を著しく悪化させます」
淡々と理詰めで捲し立てたミチルが、空のジョッキを突き返す。これ以上は飲む気が無いという意思だった。今度は店主が困り果てる番だった。
「ええい、グルメ舌がグチグチと御託を!」
店主は酒棚の前で腕組みし、ミチルに背を向けて喚いた。一般的に蒸留酒はアルコール度数40度~50度に加水調整されている。例外的に加水を行わない樽出し原酒(カスク・ストレングス)でも、度数は50後半~70度弱。しかし女はそれでも足りないという。どうすればいいのか。店主は考えあぐねた。
例外はある。日本の乙類焼酎などの例外を除く一般的な蒸留酒は、製造する過程でアルコール原液を96度前後まで上昇させ、不純物を除去して精製した物を加水し、熟成物は60度前後に薄めて樽に詰め、ホワイト・スピリッツは40度前後まで薄めた加水アルコールを、そのまま瓶詰して出荷する。例外は意図的に加水比率を下げ、高濃度のまま売られる物だ。例えばポーランドのスピリタスは、96度に煮詰めたまま加水しない高濃度品の代表格だ。
「クソッ、スピリタスは消毒用アルコールを切らしてた時に、水割りにして消毒液を作るのに全部使っちまったんだよ……あーくそ、俺の馬鹿野郎!」
店主は頭から湯気を出して怒り、チラと背後を振り返った。ミチルが冷徹な青緑色の双眸を窄め、店主の一挙手一投足を見ていた。スカルは相変わらず猫とフードファイトを続けており、顔を引っかかれ叫び声を上げていた。
「あさましいですね、原始人。猫と張り合ってまで肉が食べたいですか」
「食べたいに決まってるでしょう、私が頼んだんですから! それに貴女、いま銀河ネコのことを『猫』って言いましたよね!?」
「言ってません」
「確かに言いましたよね!?」
「言ってません。音声記録でもありますか。何時何分何秒に言いましたか」
「ウワ、面倒臭ェッ!? 小学生の言い訳ですか!?」
「言い訳なんて言っていいわけ?」
「やかましいわ!」
「ヴォギャアアアオオオンッ! フガーッ!」
猫はエンジンチェンソーにも似た唸り声を上げて、注意を逸らしたスカルの顔面を滅茶苦茶に引っ掻き、威嚇した。スカルは顔面血だらけで閉口する。
「いってェ。銀河ネコは争いを好まぬ平和主義者じゃなかったんですか」
「あらまあ酷い怪我をして可哀想。早く魔法で治したらどうなんですか?」
「心配する振りして秒で掌返すの止めてもらえます? 肉体修復システムはユーザーが致命傷にならないと動かないんですよ。命に関わりない傷では」
「とことん愚かな原始人童貞ですね。手動で復元すればよいでしょう」
「童貞は関係ないでしょう。それに任意のタイミングで復元が実行できるかどうか私は知りません。何せシステムは私の制御下にありませんからね」
「情報の関連性が不明です。『スペア・パーツ』とは一体何なのですか?」
スカルの発言に、ミチルはますます訝って双眸を細めた。
「……私にも正直わかりません。闇臓器バンクを襲撃した時に、サーバーが繋がっていた深層ネットワークにあった何かです。接続者の権限を偽装して興味本位に覗き見したら、相手から逆探知されハッキングされ、接続回線が閉鎖不能になりました。以降、私のトラフィックとバイタルはいつ何時でも何者かに監視され、死に至る傷を負えば即座に身体を再構築されています」
「何とまあ都合の良い話でしょう」
「大いなるシステムの実験台なのか、はたまた別の意図があるのか。相手の意図が一切分からず、利益のみを享受しているので気味が悪いですよ」
「愚かですね。無料で与る利益は黙ってタダ乗りしておけば良いのですよ」
ミチルは悪い顔で笑って鼻を鳴らし、片手でお金のジェスチャーをした。
「何度も命を助けられているのは事実ですが、余り頼りたくない『邪神』というのが本音です。私の複製肉体を構築する有機物が、どこからやってきて何からできているのか私は知りません。『目明しスカル』は死を迎えるたび自らの身体を謎の何かに再定義され続けている。私の身体は、とっくの昔に人間ではなくなっているのではないか。そんなことをよく考えます。たまに夢を見るんです。肉体修復システムが暴走し、癌細胞のように膨張を続ける自分の身体を。風船のように膨れ上がり、やがて弾ける。そんな末路を」
スカルは据わった眼差しで語り、目を見開いた。ステーキは彼が口を付けた部位を線状に残し、食べ尽くされていた。しかしミチルの目は憂いていた。
「おや旦那様、もう宜しいので? どこか体調でも悪いのですか?」
「1ポンド以上の肉を平らげて体調が悪いだと? いつもなら一体どんだけ飯を食ってるんだ。燃費が悪いと言うか、末恐ろしい猫だな」
「猫ではなく銀河ネコです。旦那様、本当にもう食べないのですか?」
「ヴォオオオオンン……」
銀河ネコはチンアナゴめいた胴長ボディをくねらせ、ミチルの撫でる片手をくねくねと躱しながら、用は済んだとばかり土鍋の中に引っ込み、パタリと蓋を閉ざして以降の意思疎通を拒絶する。自分勝手さは猫相応だった。
「旦那様、近頃はいつもこの調子なんです。少し前まで食べ盛りで、日々の食料の調達に困るくらいでしたのに。恐らく脱皮が近いのです。侍従として嬉しいやら寂しいやら。成獣になる日は刻一刻と近づいているようです」
ミチルは片手で土鍋を愛おしげな手つきで撫ぜつつ、安堵と憂鬱の混じった表情で息をついた。店主が鼻を鳴らし、彼女と対面する位置で足を止める。
「マジかよ、こいつ脱皮すんの? 猫なのに? 気持ち悪ィ!」
店主がカウンターを挟んだ向こう側で吐き捨てると、ミチルは横目に睨んで威圧した。店主は勝ち誇った顔で、彼女の前に透明な瓶を叩きつける。
「ノッキーン・ヒルズ。アイルランドの密造酒、ポチーンだ。ストロングとラベルに書いてある。驚愕のアルコール度数180プルーフ……つまり90度」
店主が解説を聞き流しつつ、ミチルは瓶を手を伸ばし薬品アンプルのごとく未開封の瓶の首を圧し折った。700ml瓶を全量、一気に喉へ流し込む。
「結構レアな酒なんだ、もっと旨そうに飲めよ勿体ねえ。高かったんだぞ」
チーン。ミチルの両目がスロットマシンのリールめいて回り、耳から蒸気がシュウーと放出される。高濃度アルコールが急速にエネルギー化された。
「及第点です。濃度が高いに越したことはありません。ところで、こちらをぼんやり見ている原始人童貞。貴方の食料はまだ残っているようですが?」
ミチルは振り返ると、スカルはたじろぐように半笑いで両手を挙げた。
「何の罰ゲームですか? 猫だって私が食べた部分は食べ残してるのに?」
ミチルは姫カットの黒髪を揺らし、片目を瞑ってウィンクさせた。魅惑的な笑みにスカルが見とれた瞬間、開いた片目が赤紫の光を放つ。スカルが心で自分を罵った次の瞬間、彼の口の中に食べ残しの肉が詰め込まれていた。
「ですから猫ではなく銀河ネコです。地球上の猫とは根本的に生態が異なる生物だと考えてください。彼ら銀河ネコは、成獣になるためにエネルギーを大量に溜め込み、身体を柔軟にして脱皮に備えます。脱皮間近の銀河ネコは活動量を極端に落とし、食事も殆ど食べなくなります。旦那様のように」
スカルは絶望に染まった顔で、口一杯の肉を咀嚼してどうにか嚥下する。
「マスター、口直しを下さい。できれば何か、強いお酒が欲しいです」
「お前もアマ公に当てられたのか? 消毒用アルコールでも飲んどくか?」
「私は人間なので、消毒用は遠慮しておきます」
「冗談だよ。確かお前アイラモルト好きだったよな。オクトモアをやろう」
「丁度、アイラモルトが飲みたい気分です。銀河ネコの毒に中りそうだ」
「やっぱり消毒用にしといた方がいいんじゃないか? そんな顔するな」
店主が酒棚から黒い缶を携え来て、カウンターのスカルの前で開く。ぽんと音を立てて板金の蓋を開き、すりガラスの華奢な瓶を抜いた。空のグラスを新しいグラスと交換し、その中に薄化粧の生娘めいた浅黄色の酒を注ぐ。
「毒とは心外です。成長期の銀河ネコの体液は、人間の細胞を活性化させる成分を含むと聞いたことがあります。エネルギー貯蓄の副産物だそうです」
スカルの顔の、銀河ネコに刻まれた爪痕が瞬く間に治癒していく。スカルは驚きに目を丸くして自分の顔を撫で回し、ややあって苦笑をこぼした。
「活性化、ですか……癌細胞的な意味でなければいいですが」
「タバコ飲みが癌なんか気にしてんじゃねえ。ほら、癌の元だ。効くぜ」
店主がオクトモア10.3アイラ・バーレイを注いだグラスを置くと、スカルは61.3度の火酒を口に含んだ。電気めいた痺れを伴い、海の香りと熱が迸る。
「脱皮を間近に控えた銀河ネコの幼獣はエネルギーの塊なのです。万に一つ貯蓄した途方もないエネルギーが暴走すれば、核爆発に匹敵する熱量放出が数km立方を焼き尽くします。ゆえに銀河ネコの幼獣は狙われます」
「「ブフッ!?」」
ミチルの話の続きに、店主とスカルが同時に噴き出した。霧状に噴霧された蒸留酒がタバコで引火し、ぼわ、と奇術師めいて火焔の帯を曳いた。
「ウワッ、危ねッ!?」
「人間にとってはそうかも知れません。しかし何の罪も無い銀河ネコたちは心無い人間たちの手によって乱獲されています。親を殺され、連れ去られた幼獣たちが闇市場では高値で取引されます。当然、そんな残虐行為は法律で禁じられていますが、一獲千金を夢見る密猟者たちは後を絶ちません」
ミチルは酒をちびちびと舐めるスカルを一瞥し、店主に視線を移した。酒を要求されていると解釈した店主が、慌てた様子で酒棚を物色する。
「アブサンか……魔性の女にはこれ以上ねぇほどぴったりな酒だ」
手を伸ばして取った細身の瓶は、ハプスブルク・アブサンXC。度数を見ると驚きの89.9度。割り材(ミキサー)必須のカクテルベースだろうが、こんな頭のおかしい度数の酒を他にも置いていたとは。探せば意外とあるものだ。
店主が安堵した顔で酒瓶を献上すると、ミチルは頷き瓶の首を圧し折った。
「人間の銀河ネコに対する扱いのおぞましさは、もはや家畜という表現すら生温いです。彼らは銀河ネコの幼獣を、資源としか考えていません。富豪のペットになる子はまだしも不幸中の幸いですが、それとて常に略奪の危機に晒されています。不幸にも、殆どはそれ以上に悲惨な運命を辿りますが」
ミチルは姫カットの黒髪を揺らし、アブサンを呷って耳から蒸気を噴いた。スカルはオクトモアのボトルをじっと見つめ、ちびりと酒を口にした。
「銀河ネコの幼獣は、生まれて直ぐは好奇心旺盛で活発ですが、行動範囲は成長と共に加速度的に狭まります。脱皮が近づくにつれ、身を守る『殻』とその周辺しか動き回らなくなります。人間にしてみればこれほど御しやすい習性もありませんね。彼らは命を燃やされるために、野生より遥かに過剰な食糧を与えられ、肥え太らされ、膨大なエネルギーを蓄えさせられます」
「アルコールを取るために栽培される、大豆かコーンみてぇな話だな」
思わず呟いた店主の言葉に、ミチルがハッと両目を見開いて視線を向けた。地雷を踏んだかと店主が身構えるが、ミチルは寧ろ肩を窄めて恥じ入った。
「そう……ですよね。私が活動するために必要なアルコールも、元を辿れば農作物と微生物の力を借りて作られています。見方によれば搾取していると言えるでしょう。彼らの意志など一顧だにすることなく。銀河ネコの造形が愛らしく、鳴き声が慈悲を誘うからこそ、私が勝手に同情しているだけとも言えるでしょう。偽善と言われても構いません。私には寄す処が必要です」
愛らしさと慈悲の感じ方が個性的である。店主とスカルは顔を見合わせた。
「機械(ロボット)には仕えるべき主が必要なのです。そうでなければ主を喪失した私に、存在理由(レゾンデートル)があるでしょうか?」
ミチルは何かを恐れるように語り、アブサンを瓶の半ばまで呷った。
「私には何の欠陥もありませんでした。自慢するようですが、日々の仕事も完璧にこなしていました。私は自分自身に99.9%の評価を下していました。ですが、0.01%の懸念は現実の脅威に……運命の女(ファム・ファタール)が私の存在理由を覆しました。性能が陳腐化し、費用対効果で私を置き換える価値すら見出せない新型機が。私より僅かに造形が好ましかったばかりに。人間で言う嫉妬だったのでしょうか。私は殺してしまいました。そんなこと一度も考えたことなかったのに。殺してしまいました。主人への反逆行為は問答無用で廃棄処分です。わかっていたのです。でも殺してしまいました。何でそんな愚考に及んだのか、自分でも分かりません。あの日から、ずっと問い続けています。今でも納得のいく答えは得られません。賞金首となって逃亡を続けていたある日のこと、この子が空から落ちてきました。間もなく盗賊たちも現れました。私は運命だと思いました。私はまた殺しました」
ミチルは自己先鋭化する劣化ウラン弾のごとく、次第に自己の思考に埋没し語りに熱を込めた。他者に救いを求める、まして懺悔するような口ぶりとは思えなかった。ミチルが本当に機械なのだろうかと、スカルは訝った。
「私が旦那様と意思疎通したことは一度もありません。旦那様が私のことをどう思っておられるか、私には知り得ません。もしかすると一生知ることはないかも知れません。銀河ネコは成獣になると、テレパシー能力で異種族と交流できるようですが、我々機械とも交信できるかどうかは分かりません。少なくとも、成獣になれば銀河ネコの商品価値は喪失します。誰に身勝手と謗られようとも、この子が成獣になるまで守ろう。私は決意して、旦那様の承諾を得ることなど無く、私の都合で勝手に侍従として帰依したのです」
けぶる紫煙のビロードの向こうで、ミチルは自嘲めかして語り酒を呷った。
「全く、女の自分語りってヤツぁどうしてこう長いのかね」
店主はテンガロンハットの庇を人差し指で押さえ、顔を上半分を翳で隠してミチルに背を向けた。スカルは両切りタバコの煙を肺に落とし込み、酩酊で安易な共感を塗り潰した。名前通りの幸せを求める迷子だな、と思った。
「ミチルは迷い子、彷徨う旅人、幸福を探す女の子……ですか」
「何ですか童貞原始人。気安く名前を呼ばないでください。破廉恥です」
「幸福の青い鳥……幸福……幸福……『倒』福……」
スカルは呟きつつ懐からカードを取り出した。QRコードが記された、noteで利用できる電子決済クーポンだ。胸からカランダッシュ849のボールペンを引き抜いたスカルは、カード裏面の白紙部分にペン先を走らせる。
「何をブツブツ独り言を言っているのですか? 気持ち悪いです」
ミチルは訝しみ、横合いからスカルの手元を覗き込んだ。彼は『福』の字を器用にも上下逆様にして、田・口・一・ネの順番で記した。ネの逆さ文字は何度か宙にペン先を走らせて慎重に書き上げると、菱形で福の字を囲った。
「倒福です。中国の幸せのおまじない。迷子に福が至らんことを」
スカルがカードを差し出すと、ミチルはジト目でカードとスカルを見た。
「何だ、今日は俺の奢りってか? 色男気取りめ、柄にもねぇことを!」
「ちょっと、冷やかさないでくださいよ! 格好悪いでしょう」
「三枚目のお前さんにゃちと荷の重い芝居だぜ、スカル」
「誰が三枚目ですって? 私か! 二枚目を名乗るには器量不足ですね!」
「もう帰るのか。飲酒運転だけは止めろよ、俺がパクられちまうからな!」
「自動運転モードで帰りますんで、ご心配なく!」
スカルは店主と丁々発止で掛け合うと、紙巻きを灰皿に潰して席を立った。
「何のつもりですか、貴方? これで恩に着ると思ったら大間違いですよ」
「結構です。無料で与る利益は黙ってタダ乗りしておけば良いでしょう」
スカルは歩き出して振り向き様に、ミチルに両手の人差し指と中指を示して二回折り曲げる仕草を見せた。彼女が振り返ると、店主は肩を竦めた。
「不器用な男め」
「さっきの原始人と言葉と仕草は一体どういう意味ですか?」
「説明できるもんじゃねえよ」
店主が言いつつカードに手を伸ばすと、彼の手が掴み取る前にミチルの手がカードをかっさらった。抗議の目を向ける店主にミチルが睨みを利かす。
「ちょ、おま……」
「何のつもりですか? これは私が貰った物です」
「だからお前、それはこの店の支払いのためにあいつが出した物で……」
「関係ありません。いつどこでこれを使うかは、私の自由です」
「そんなこと言ってもお前な……」
「貴方は、欲しい物を持って行けと言いました。それが西部の流儀だと」
ミチルは勝ち誇ったように微笑むと、未練がましく片手を伸ばす店主の前で見せびらかすように、OLスーツの胸ポケットにカードを納めた。アブサンの瓶を一滴残らず飲み干すと、土鍋を手にして席を立ち、肩越しに振り返る。
「ご協力感謝します。要求が満たされた時は、そう言うのが人間の礼儀だと聞きました。私は人間ではありませんが、人間の流儀に則っておきます」
パチリ。機械の精密なウィンク。彼女の蠱惑的な表情に店主が目を奪われた次の瞬間、ミチルの開いた片目が赤紫色に瞬く。しまった、と店主が思うも後悔先に立たず、ミチルの姿は無い。店主は一本取られた顔で歯軋りした。
「チクショー、やっぱり魔性の女じゃねえか! スカルのツケだかんな!」
一瞬でもあの女を美しいと思ったこと自体が気に食わない、と言わんばかり不服な顔で、店主は地団太を踏み鳴らして、揺れるスイングドアに喚いた。
【5】
スカルはアライグマの群れに迷い込んだタヌキのように、果ての無い想像と創造の海を彷徨い歩いていた。noteは夢を売る街だ。より上手く人を騙せる夢を描けた者がマネーとオナーを手に出来る、弱肉強食のフロンティアだ。
スカルはこの夢の街、翡翠の九龍城ことnoteに流れ着き、夢の騙り手として歩み始めてそう長くはない。彼の想像は未だ幼く、マネーとオナーを一心に受けるスター作家は夢また夢。彼はマテリアライゼーション・プログラムの申し子『ソウルアバター』の遣い手として、尋常ならざるエゴの力を振るう存在ではあったが、彼の絶対的実力は他者と比べて大きくは無かった。
何故か。単純明快な事実である。彼自身が痛烈に自認している弱点である。
端的に彼は自分の知識の及ぶ範囲でしか、妄想を構築できないのである。
生き馬の目を抜く夢騙りのフロンティア、noteという緑の密林航路で生計を立てるには、彼の文章力は余りにも未熟であり、彼の知識は幼稚過ぎた。
彼は己を取り囲む恐ろしく高い壁たちに直面して、それらを飛び越える策を何ら弄せずにいた。彼は創作と自意識を客観的に俯瞰し、マネーとオナーを勝ち取るためにある種の手段の選ばなさを用いる勇気と行動力が無かった。
だから彼は、彼の書く物語は、多くの者にとって一生の内にすれ違う、ただ隣をすれ違うだけの、ただ世界に存在するだけの何者かでしかなかった。
それは何も創作だけではない。それは彼の人生の指針に対しても言い得た。
自分が何者か、自分が何者でありたいのか、何者の何者でありたいのか。
スカルは酩酊する頭で、noteの複雑立体構造を縦横に歩き回りつつひたすら考えを巡らした。問いに答えは無い。問わない彼に答えはない。個の思索が辿り着く帰結が確信で在り得るだろうか。天井の知れぬ煌めきを仰ぎ見ては奥底の知れぬ翳りの闇の深さに思いを馳せて、心迷い、惑い、悩み続ける。
氷の海で海豹と戯れ、賭場の卓で賽の目を見つめ、宇宙の辺境で理解不能なカレーに困惑するその時も、心のどこかでは常に別なことを考えている。
それは他者を前にして己を不可視化する迷彩(カモフラージュ)であった。他者と己との価値観の狭間で緩衝材を担う分身(アルターエゴ)であった。他者と己の世界の境界線に一方的に構築した障壁(バリア)でもあった。
ソウルアバター、大いなるエゴの使い手『目明しスカル』は、かくも弱い。弱いからこそ、己が心を誤魔化さねばならず、身代わりを立てねばならず、壁の内に隠れねば身を立てられぬ。彼の本心を誰も知らぬ。彼も知らぬ。
自分自身を守るために育てた己の影はいつしか、肥大して彼の自己意識をも飲み込み、彼自身に取って変わって自分として振る舞い始めた。彼は自分の妄想に水を差すその存在、己の影を殺さねばならぬといつしか思い始めた。
正気では己の影に戦うことはできぬ。己の影を呼び起こすには気違い水……つまり酒の力が必要である。酒は人の本心を引きずり出す。酒を飲んだ時の行いがその人間の本心からの行いである。古より伝わりし戒めの句である。
祭り屋台のテナントで、スカルはコルク鉄砲を端正に構えた。左半身を前に左拳を握り、手の甲を的に掲げて指の基節を銃の先台の底に据え、Vの字に曲がった左肘は左肋骨の外縁下部に預け、銃床の頬当てに右頬を埋めた。
「プラクティス、エブリディ……」
スカルの上半身の裡で、今やコルク鉄砲は完膚なきまでに固定されていた。それは古式ゆかしい競技射撃の立射スタイルであった。クローム色に煌めくフロントサイトとリアサイトを、スカルは均一な見出しで一直線に並べ立て呼吸を調整する。人間の呼吸は微細な筋肉の運動で銃の照準を乱すからだ。
「スゥー、ハアァー、スゥー、ハアァー……」
スカルの総身とコルク鉄砲は今や一体となり、彼はトリガーを厳かに絞る。
POM! コルク弾は、射的の縁台に並ぶココアシガレットを見事に外した。
「惜しいね~! あともうちょっと!」
POM! POM! POM! POM! スカルはコルクを撃ち、全弾を外した。
「はいざんね~ん。またヨロシク!」
「ありがとうございました……」
貧すれば鈍する。スカルの頭にその言葉が過った。彼は消沈しコルク鉄砲を店主へ返す。射撃には自信があるスカルが、玩具の銃に手も足も出ないとはいかなる理由か。問いの答えを得るよりも先に、新たな者が銃を手にした。
「これ、使えますか」
「はいは~い、ちょっと失礼。はい、1回200円ですけどいいですか~?」
「お願いします」
PEEP! ねじり鉢巻きの店主がハンドスキャナーを掲げ、電子音が鳴る。
「は~い、1回5発ね~。筒先にコルクを詰めて、右のレバーを奥まで引いて的を狙って、引き金を引いてくださ~い。じゃあどうぞ!」
「ありがとうございます」
長身のスーツ姿が鷹揚に答え、コルク鉄砲の不安定なストレートグリップを片手で握り、傘で銃の真似をするようにぞんざいに突き出す。下手な鉄砲の見本のような構えを、スカルは背後から眺めた。外す、と心の中で呟いた。
POM! 果たしてコルクの初弾は、的の右横を逸れて流れた。
「上手い上手い!」
スカルは立ち位置をずらして目を凝らした。POM! 次弾のコルクが、的の左横を流れた。どうやら狙っているのはスカルと同じココアシガレットだ。
「大体掴みました。次は当てますよ!」
射手はそう宣言すると……POM! 三発目でココアシガレットを撃ち倒す。
「おっ、当たり~! お姉さん上手いね~!」
「当然です。機械(アンドロイド)ですから」
「アッハハハ、うちに置いてるのはアンドロイドじゃなくてアイポンね!」
「何でもありません」
射手は慌てた様子で言葉を返すと、店主の指さした縦長の箱……アイポンに狙いを変えてコルクを撃った。POM! 弾は当たるも、的は微動だにせず。
「ムゥーッ! 今のは確実に当たっていたはずです!」
「ん~惜しい~ッ! ちょっと当たり所が悪かったかなぁ~ッ?」
射手が露骨にむくれると、店主がすっ呆けて言った。スカルは酔っぱらった脳味噌で嘲った。馬鹿だなあ、高級な的には錘が仕込んであるんだよ。
「まだ一発残っています! これで絶対倒して見せます!」
「はいは~い、じゃあ頑張ってね~!」
射手がフンスと鼻を鳴らし、コルク鉄砲を構え、赤紫の波動光を閃かした。見覚えのある光と硬直の予感に、背後のスカルが息を呑んで目を剥いた。
POM! コルクが筒先から飛び出し、縁台のスマホの箱が倒れる。
「やったー当たりましたー! やはり私は優秀です!」
「エェッ!?」
店主が本気で驚いたように目を剥いていた。この反応を見るに、やはり的は倒れないよう細工してあったのだろう。あーあ、やりやがったな。スカルは内心呟いた。弾道を見るに、箱の倒れるのが少し早過ぎたようにも思えた。
「おおー大当たりじゃんすげー!」
「上手い人が撃ったらちゃんと倒れるんだなー!」
「すごいすごーい! アイポン当たっちゃったよー!」
「あーうー、これはーだなー、そのー……」
勝手に湧き上がる見物人たちの衆目の中、進退窮まった店主が折れたように撃ち倒されたココアシガレットとスマホの箱を取り、射手に手渡した。
「大~当たり~で~す! ありがと~ございま~した~!」
不正はなかった。射手はトホホ顔の店主にコルク鉄砲を返し、景品を貰ってスカルを得意げに振り返った。それは他の誰でもない、ミチルである。
「フフ、二兎を追う者こそが二兎を得るのです! 技術こそ力です!」
「チートコード使っちゃだめですよ?」
スカルが瞬きする間にミチルは歩み寄ると、彼の肋骨を肘で小突き囁いた。
「人を呪わば穴二つです。バレないズルにはバレないズルで戦うのが一番」
「ズルしてる自覚はあるんですね?」
ミチルは片腕で土鍋を抱え、片腕でスカルの腕を引き寄せ露店から離れる。
「悪に対してより高度な悪で勝つと、実に清々しい気分で良いです!」
ミチルは誇らしげに言って、手にしたスマホの箱をスカルに見せびらかす。幾ら客引きとはいえ、本物のアイポンを使うだろうか。スカルは訝った。
「負の値に負の値をかければ正の値になる、みたいに言わないでください」
「何ですか? 負け惜しみは惨めだからやめておくことです、原始人童貞」
スカルはおもむろにスマホを取り出し、ミチルの握るアイポンのモデル名と偽物のワードで検索をかけた。海外の比較記事が幾つも出てきた。スカルの疑念は確信に変わった。記事を斜め読みし、比較動画を点々と閲覧する。
「コツは弾道特性の正確な把握ですよ。照準器に頼り過ぎてはいけません」
「意趣返しのつもりですか。まあ、私の完敗ですよ。グッドキル!」
ミチルの誇らしげなレクチャーに生返事して、スカルは大陸の通販サイトを調べた。同型の模造品が1万円ほどで売られている。見なかったことにしてスマホをそっ閉じすると、ミチルが挑発的な笑みでスカルを見ていた。
「気は済みましたか? 私が勝者です。やはり機械は人間より勝るのです」
「そうですね。人は動作の精密さと学習精度で、機械には敵いません」
スカルはそれ以上、シュレディンガーのアイポンを追究することを止めた。
「分かれば良いのです。それでは、私の学習にもっと付き合いなさい」
【6】
人の居なくなったパルプ酒場・メキシコで、店主はカウンターでのんびりとグラスを磨いていた。メカ女が暴れた時はどうなることかと思ったが、壁が少々壊れただけで済んだので一安心である。壁の修理代は、飲み代と一緒にスカルにツケておく予定だ。店主は新しい噛みタバコの包装を開いた。
PEWPEWPEW! KBAMKBAMKBAM! 次の瞬間、青白い電光が爆ぜた。
「蜍輔¥縺ェ」
「縺弱s縺後ロ繧ウ縺ッ縺ゥ縺薙□」
「繧、繧九%縺ィ縺ッ繝ッ繧ォ縺」縺ヲ繧薙□」
いつの間にやら、酒場の店内にメカスーツの一団が展開していた。兵員数はざっと1ダースほど……ほぼ1個分隊である。彼らは黒御影の墓石じみて輝くネイルガンに直銃床を装着したような、歪な形のライフルを携えていた。
「お、おい何だお前らッ!? 今度は一体何なんだ!?」
武装メカスーツたちは、店主から見ればぶつ切りの時間で、紙芝居のように位置を変えつつ死角に銃口を向け、酒場を手際良くクリアリングしていく。
「クソッ――また瞬――間移――動かよチク――ショウ!」
「繧ッ繝ェ繧「」
「縺薙▲縺。繧ゅけ繝ェ繧「」
「繧ェ繝シ繝ォ繧ッ繝ェ繧「」
「繝九£繧峨l縺溘い繝医°」
状況判断でホールドアップした店主の隣に、一人のメカスーツが銃口を構え立っていた。店主は横目で観察した。銃口は青白い電荷を帯び、バチバチと空気の爆ぜる音がする。オゾン発生器のような臭いがした。グリップからは電動工具のようにコードが生え、メカスーツの背面に繋がっている。恐らく電池があるのだろうと店主は推察した。弾薬を使う銃のように自己完結型の構造ではない。メカスーツは店主の動きを身じろぎもせず注視していた。
「縺弱s縺後ロ繧ウ繧偵←縺薙↓繧ォ繧ッ縺励◆」
「何つってるかわかんねーよ……」
メカスーツは小首を傾げ、ヘルメットの赤銅色のバイザーがキラリと胡乱に光った。ピピピ……と電子音が響き、マイクチェックのような声がした。
「銀河ネコをどこに隠した?」
「知らねぇよ」
「おい、これを見ろ。銀河ネコの体液だ。ここに来たのは間違いねえ!」
カウンターを調べるメカスーツが、スカルが居た辺りをヘルメットから放つ暗緑色スキャナー光で走査し、水滴状の痕跡を光らせ浮かび上がらせた。
「見ろ、こっちもだ! 一面にベットリと残ってやがるぜ!」
他のメカスーツもカウンターをスキャナー光で走査し、ミチルが居た辺りに塗りたくられたような痕跡を浮かび上がらせた。猫ゲロは店主が二重三重に雑巾とアルコール布で拭い去ったはずだが、反応は物証として見られた。
「もう言い逃れできねえな」
メカスーツは店主に銃口を近づけた。楽しんでいるような口ぶりだった。
「お前ら、宇宙の警察か何かか?」
店主の冷や汗の問いに、メカスーツたちが一斉に動きを止めて店主を見た。
「「「「「……ブッハハハハハ!」」」」」
堪え切れないように、一人また一人と笑い出す。
「警察だってよ!」
「傑作だ!」
「こりゃ一本取られたな!」
「最高のジョークだ!」
メカスーツたちの異様な反応に、店主は戸惑って頭を振った。
「よく聞けヒゲ野郎。俺たちはシリウス連邦軍海兵隊4649小隊だよん」
「か、海兵隊! 宇宙の兵隊が俺の店に何の用だ!?」
「用があるのは手前じゃなくて、手前が匿ってる銀河ネコだ」
「匿ってなんかない! 妙な女が店に乗り込んできてアルコールを寄越せと宣ったから、俺は酒を出しただけだ。女と猫は出て行っちまったよ!」
「一足遅かったか」
メカスーツの輪の中で、階級の偉いと思しきものが前に進み出つつ言った。
「貴様、嘘はついていまいな」
「嘘はついてねえ! 俺はあいつらに暴力で脅されて、協力しただけだ!」
「じゃあ俺たちにも協力してもらおっかな」
メカスーツの一人が更に歩み出て、仲間たちを見渡してから席に座った。
「何考えてる。銀河ネコを追う任務はどうするんだ?」
「どーせここには居ないんだから、他の分隊が見つけるっしょ」
「そうそう、せっかく地球の酒場に来たんだから、楽しまなきゃあネ」
「そうだそうだ、何せ酒場だ」
メカスーツたちはヘラヘラとした口調で言うと、続々とカウンターに着く。
「な……何のつもりだお前たち?」
「おいオヤジ。ここで一番いい酒を頼む」
メカスーツたちが一斉に店主を見る。赤銅色のバイザーが威圧的に光った。
店主は暫し絶句して立ち尽くすと、やがて諦めたように動き始めた。店内の傍らにディスプレイしてある冷蔵庫から、キンキンに冷えたコロナビールを根こそぎ掻き出し、栓を抜いて瓶の口にライムを入れ、ずらりと並べた。
「ライムの入ったコロナビール。これが地球ではマストなドリンクさ」
「「「「「ウオオオオオーッ!」」」」」
店主が言うが早いか、メカスーツたちはカウンターに並べた瓶へ殺到した。
「うっひょー本物(マジモン)の醸造アルコールだーッ!」
「合成物じゃねぇーッ!」
「酒場を見に来て良かったぜぇーッ!」
「ヒャッハッハー! 役得役得ゥ!」
「新鮮な有機物の味がするぞーッ!」
「こっちにもある! こっちにもだ!」
「ガッハハハ! 俺は両手で飲んでやるぜーッ!」
「俺は3本まとめてイッキだ!」
「だったら俺は4本まとめてイッキしてやるぜぇ!」
「「「「「ゴッゴッゴッゴッ……ゲヴォロヴォヴェア!」」」」」
「「「「「うめえェーッ!」」」」」
メカスーツたちはバイザーの下半分を開き、剥き出しになった口にビールをありったけ注ぎ込む。1個分隊の兵士が飲むのだから相当な消費量である。
「おいオヤジ! 酒が足んねーぞ!」
「もう冷えたヤツがねぇ! 後はバックヤードの常温の在庫だけだ!」
「バッカテメー、ぬるくてもいーんだよ! さっさと持って来い!」
「ありったけ持って来い!」
「こんな機会はもう二度とねぇ! 腹がはちきれるまで飲むぞぉ!」
「「「「「ガーッハハハ!」」」」」
店主がエッホエッホとボール紙のカートンを担ぎ、バックヤードから追加のビールを差し出す。メカスーツたちはボール箱に寄って集り、温いコロナを奪い合うようにして自分の手元にかき集め、競い合うように瓶を開ける。
「カーッ、旨ェ! 俺、もう地球に移住しようかな!」
「何言ってんだよオメー! 銀河ネコ持って帰って贅沢に暮らすんだろ!」
「地球はいいぜぇ。空気も水も綺麗だし、街を安心して歩けるしよ」
「生き物がウロチョロしてる! 人間が犬ゥ散歩させてんのも見たぞ!」
「オメー犬の話は止めろ。M41星団の敗走で犬食った時を思い出すだろ」
「あの時の戦闘はマジで酷かったよな。無能な小隊長に突っ走らされてよ」
「アレ、確か背中からカマしたろ。誰が弾ぶち込んだんだっけ?」
「おい今楽しんでんだ! 酒飲んですぐ辛気臭い話になるの止めろ!」
カウンターに一列で座り酒杯を交わすメカスーツの一団に、店主は油断ない眼差しを巡らしつつも、奇妙な既視感を覚えていた。恐るべき機械の装甲に身を包んだ彼らも、一皮剥けば人の子なのか。店主は頭を振って嘆息した。
「……さーて、飲んだ飲んだ」
空になったビールの小瓶をガラクタ市のように周囲へ転がし、メカスーツの一団がバイザーを閉ざして、バタバタと腰を上げる。昔話にのめり込む余り啜り泣きしている者も居たが、酩酊してふらつく者は一人も居なかった。
「いやー満腹満腹」
「最高の一時だった」
「これから仕事に戻るかと思うと、ウンザリするな」
「そんな地球が居心地良いなら一生住め! お前の取り分は俺が貰うぞ!」
「いやマジで本当そうしようかな。ちょっと脱走しようか悩むわ」
「おいおい、そん時ゃ報酬の取り分を俺にも回せよ! 口止め料だ!」
「世話になったな、オヤジ」
メカスーツの一人が一歩進み出て、店主に殊更強調して告げた。彼の手には黒御影のライフルが握られ、銃口が青白く輝いていた。背後の分隊員たちもそれぞれ銃の装填を確認したり、周囲を警戒する配置に着いたりしていた。
「おい。ちゃんと出すもん出したろ! 最後の最後でドカンはないだろ!」
「命までは取らねーよ。命以外の物はありったけ出してもらうがな!」
メカスーツは銃口の電荷を閃かせ、冷酷な口調でキッパリと断言した。
「俺ら泣く子も黙る宇宙盗賊、シリウス連邦軍海兵隊4649小隊だからな!」
「名前ながっ!」
「4649でヨロシクぅ!」
「本当の所は、集団脱走した兵隊と銀河犯罪者の集まりだけどな!」
「身も蓋もねーこと言うな!」
「石器時代の酒だ、銀河のマーケットに持って帰りゃ高値で売れるぜ!」
「こりゃ有機物アルコール御殿が立つな! どうするよ!」
「ヒャッハハ! 銀河ネコなんざ無くたって俺たちゃ大金持ちだ!」
「ま、そーいうわけだから。ここの酒、俺らが持てるだけ持って来い!」
「ああッ、あああッ……そんな馬鹿な……」
彼らは宇宙の警察などではない……盗賊団だったのだ! 店主は顔面蒼白で震え上がった。パルプスリンガーの居ない今、狼藉を止める者は居ない!
【7】
翡翠の九龍城・noteの頂上。スカルとミチルは、メガフロート都市を眼下に一望する屋上テラスに並び立ち、青空に流れる飛行機雲を眺めていた。
ミチルは射的の景品のアイポンを取り出し、空を撮影する。簡単な使い方はスカルが教えたのだ。アイポンなのにアンドロイドのアプリストアがあった気もしたが、スカルは黙っていた。シュレディンガーのアイポンの実在性を追求するのは吝かである。何も知らないミチルは存外楽しそうであった。
「……あともう少し、あともう少しだけ。わかっているのです……」
ミチルは無表情の美貌で喉を震わせ、自身に噛んで含めるように呟いた。
「ヴォエエエオオオン……」
彼女が片腕に抱える土鍋の蓋は開かれて、銀河ネコは長過ぎる銀灰色の胴を伸び伸びさせ、スカルの上体を軸に巻き付いて猫スパイラルを成していた。
「旦那様も貴方をお気に召したようですね」
「全ッ然嬉しくないんですが……」
「ヴォルルロロロロン……ガロルガロルガロルガロル」
猫はリラックスした様子で、側溝のあぶくめいた汚濁ボイスを撒き散らす。ミチルはふと思い立ち、不意にスカルと猫を振り返り、カメラを閃かした。
「なぜですか」
スカルは反射的に顔を片手で隠し、ミチルが不満げにスマホを下ろした。
「顔はちょっと」
「良いではありませんか。どうせ直にお別れなのです。旅の思い出です」
「旅の思い出ならば、頭の中のメモリーに残っているはずでしょう」
スカルが側頭部を指で突くと、ミチルは露骨に顔を顰めてそっぽを向いた。
「ここはとても素晴らしい場所です。景色は綺麗ですし、自然があります」
ミチルは空を眺め、躊躇いがちに言った。言葉を飲むように語尾を濁して。
「東京の街は、これでも自然が殆ど存在しないに等しいですがね……」
「それはこの星の人間の観点の意見ですね。貴方たち地球人は知らないかもしれませんが、銀河には一般的に言う『死の星』は沢山あるのですよ」
「一般的にという言い方をするほどには普通にある話なんですね……」
しかも燃料に使えるアルコールがあるんだ、とスカルは内心で付け加えた。
「私は極めて注意深く足跡を消し、様々な星を渡り歩いて来ました。全ては銀河ネコを盗賊の魔の手から守るため。友好的な種族も、そうでない種族も同じくらい大勢いました。これまで幾度となく危ない橋を渡ってきましたがしかし、今までどうにか旦那様を守ってこられました。最後に宇宙盗賊らと会敵したのは、地球時間で1年半前のことです。近頃は本当に平穏でした」
ミチルはスマホのカメラを動画に切り替え、街の遠景を狙い録画した。
「……旦那様の脱皮を平和裏に迎えられる、そんな希望的観測を抱くほど」
「その言い回しですと、まるでそうではないと言いたげですね?」
「否定はしません。私のセンサーに、連中の軍事無線の反応があるのです」
「エッ!?」
ミチルが無表情でスマホを手に振り向き、スカルは思わず手で顔を隠した。
「彼らシリウス連邦軍海兵隊4649小隊は血も涙もない宇宙盗賊です。連中と我々が出会えば、彼らは問答無用で撃ちます。一般人の巻き添えを気にする紳士性など彼らは持っていません。分かっているのです……ですが」
ミチルは眩しい光を見たように双眸を窄ませ、語尾を心細く窄ませていく。
「少しだけ、ほんの少しだけ思ってしまったのです。こんな平和な星で私もずっと暮らせたら。今までの自分を忘れ、新しい自分として過ごせたら」
ひゅるるる……冬の空っ風が泣き、ミチルの姫カットの黒髪を靡かせた。
「宇宙の盗賊が居るとすれば、宇宙の警察もきっと居るんでしょうね」
スカルが話題を変えると、ミチルはこくりと頷いて冷ややかに笑った。
「はい。銀河規模ならば警察よりも軍隊……銀河憲兵隊の出番ですが。私は確かに銀河のお尋ね者、主人殺しほか前科多数の、賞金首アンドロイドではあります。けれども銀河憲兵隊が血眼で追うほどではない、犯罪者としては言わば小物です。そういう存在を敢えて追うのは賞金稼ぎかもしくは……」
「宇宙盗賊、というわけですか」
ミチルは再び頷き、屋上の彼方に広がる湾岸の景色に視線とスマホを戻す。
「ミチルさん。銀河ネコさんが大人になったら貴女はどうされるんですか」
「気安く名前を呼ばないで下さいと言ったはずです原始人童貞破廉恥男」
「す……すいません……そんなに言わんでも……」
「ヴォアアロロロルルンアオオオ……」
ドブ川の合流桝が奏でる音のような声で、猫が語り掛けるように鳴いた。
「銀河ネコは成獣になると、基本的に単体で宇宙を漂流し、番となる異性を求める当て所ない星間旅行に出るようです。元よりペットとして人間の元に留め置ける存在ではないのです、銀河ネコという生物は。宇宙を駆ける姿の美しさは彗星のごとくと、銀河歌謡の歌詞にも挙げられるほどです。近頃は余りにも頻繁に歌詞に使われるせいで、銀河ネコの歌詞を出したら古臭いと言う者もおりますが。私の意見は違います、彼らが宙を泳ぐ姿は優雅です」
「実際に銀河ネコの大人を見たことが?」
ミチルは今度は、スカルに向き直って頷いた。いや実際は、スカルの身体に巻き付いて彼と顔を並べた、銀河ネコの方を見たのかもしれない。
「分かっています、この旅が最後に行き着くところは……別れの時は必然と否応なく……そうしたら、私は今度こそ本当に……ですから、分かりません。分かりたくないです、今はまだ。そういうことにしておいてください」
スカルは無言で、ミチルのアレキサンドライトめいた瞳を見返した。彼女にかけるべき言葉を彼は知らなかった。銀河ネコも沈黙した。ミチルも同様に押し黙り、三者は風の唸る屋上テラスの片隅で、静かな一時を迎えた。
「ス……」
ミチルが意を決したように口を開いた瞬間、一陣の風が吹き抜けた。彼女の語り掛けた言葉は音を成すことなく、掻き消されて東京湾の彼方に消えた。
「……行きましょう。長居は無用です。宇宙盗賊が現れるとも知れません」
「ヴォアアアオオオオン……」
ミチルが録画を止め、アイポンをスーツの懐に納める。猫もミチルの感情を察したように、土鍋の中に戻っていった。スカルが安堵の息をこぼした。
「縺弱s縺後ロ繧ウ繧堤匱隕九@縺溘◇」
突然の声に、スカルが振り返ろうとして固まった。次の瞬間、彼はテラスの外に身を投げ出していた。躊躇なく屋上から飛び出したミチルに首根っこを引きずられて。風切り音が響き、眼下の九龍城の下層の屋根が接近する。
「ホンギャアアアアッ!?」
PEWPEWPEWPEWPEWPEW! KBAMKBAMKBAMKBAMKBAMKBAM!
屋上テラスに歩みを進めるメカスーツの一団! 手にした黒御影の直銃床型ライフル……磁力銃(コイルガン)の磁性体フレシット弾が斉射される!
「宇宙盗賊の襲撃です、童貞原始人! 何とかしなさい!」
ミチルが土鍋を両手に宙を飛びながら叫び、数メートル直滑降の後、下層の屋根でローリング着地から駆け出す。スカルは着地というより墜落した。
「べぎゃぼごぐげらぼばあごぼおッ!?」
変な体勢から受け身も取れずにコンクリートに叩きつけられ、骨肉が砕ける変な音が響く。おまけにテラスの際から、磁性体弾の雨霰が降り注ぐ!
PEWPEWPEWPEWPEWPEW! KBAMKBAMKBAMKBAMKBAMKBAM!
スカルの着弾部位が体内から膨れ上がり、次々と炸裂! 血飛沫を散らす!
生体感知式炸裂弾! 七種類の合金製の弾殻に炸薬を充填、スマート信管を弾頭に装備したフレシット弾は、人間の体温を検知して破裂し確実に殺す!
「縺阪◆縺ュ縺医ワ繝翫ン」
メカスーツの一人が嘲うように言った。
「役に立たたない人間ですねッ!」
ミチルは毒づき、時空操作で時を鈍化したり加速したりしつつ、ジグザグに駆けてメカスーツたちの射線を躱し、ファヴェーラめいた緑の巨城の屋根をパルクール走行で飛び降り、地上へと急ぐ! メカスーツたちが迂回する!
スカルの血溜まりで赤い粒子光が凝集しては飛び離れ、彼の肉体を瞬く間に再構築した。その瞬く間に、ミチルとメカスーツ一行は消え失せたが。
「やれやれ本当に、はた迷惑な人たちですよ……」
スカルはうんざりした様子で起き上がり、九龍城の屋根をおっかなびっくり這い進んで、数メートル眼下に続く下層の屋根に吐き気を堪える。
「マジですか? 飛び降りるの? 垂直の壁を上には登れませんし……」
スカルは上階を見上げ、数メートルの高さに頭を振った。こうなったらもうやるしかない。スカルはスマホを取り出し、壊れていないことを確認するとマテリアライゼーション・プログラムをスタンバイ。彼のソウルアバターは地上戦型であり、基本的には空を飛ぶように出来ていない。基本的には。
「アーメンザーメン担々麺……どこの神様でもいいからお願いします!」
スカルは顔に絶望の笑みを浮かべ、屋根の端まで戻ると、下層との切れ目に向かって全力で駆け出し、下層に身を投げ出した。吹き抜ける一陣の強風が彼の背中を捉え、中空へと力強く押し出した。スカルはスマホを操作する。
「……マテリアライゼーション!」
[ ACCEPTED: Virtual Materialization Emulated…… ]
瞬間、目明しスカルの全身が空中で結晶化し、血の花めいて散華した。
赤い結晶が花弁のように空を舞い、翡翠の九龍城の中空で再構成される。
体高4メートル超、平面を継ぎ接ぎした多角形の装甲全面に、グレー基調の都市迷彩を施した二足歩行ロボット……人型の歩兵戦闘車じみた兵器へと。
後腰にエンジン排気口を開け、背中に上下二段のストレージ、機体の各部に追加装甲、両肩に発煙弾発射機と対戦車ミサイル発射機を装備。頭の四方にパネル型の捜索レーダー、顔面にはレーダーからオフセットして暗視装置と熱画像装置を眼球のように配置。頭頂部には電子妨害装置とその左右後方に獣耳めいた通信用アンテナ、胸部には可視光・赤外線ライトと望遠カメラと追尾レーダーを搭載。両腕には主武装を……人型兵器の携行用に改造された30mm機関砲(オートキャノン)を長槍(パイク)兵のごとく握っていた。
その名は、市街地強襲制圧型ソウルアバター『スローター・ハウンド』!
複合装甲の五体が大の字に開かれ、まとわりつく空気が凄まじい風切り音を撒き散らす! ハウンドの背面コンテナ上部から、パラシュートを放出!
「な、何ですかッ!? あの大きな兵器は……」
パルクール機動で屋根上を縦横無尽に飛び回っていたミチルは、突如として頭上から影を落とし、風を切って舞い降りる人型ロボット兵器に刮目!
「風のある日で助かりましたよ! 低空でパラシュートが使えて何より!」
ハウンドの背負うパラシュートが風を存分に孕み、屋根を飛び渡るミチルと彼女を追うメカスーツたちの銃撃、それらに追いつき追い越し、急降下!
PEWPEWPEWPEWPEWPEW! ZIPZIPZIPZIPZIPZIP! メカスーツたちは度肝を抜かれ、ミチルをそっちのけで頭上のハウンド目がけ撃ちまくる!
「あーたたたたたたッ! こっちに撃って来ないでッ!」
ハウンドの足腰に弾着し伝わる振動と金属音に、スカルが冷や汗で喚いた。
「もしかして……スカルッ!?」
ミチルは一瞬の逡巡の後に状況判断し、メカスーツたちが気を取られている隙に駆け出した! 一縷の望みをかけてスローター・ハウンドを目指す!
「当機は間もなくnoteに着陸します。衝撃にご注意ください……ってね!」
足元にアスファルトの路面が接近! ハウンドは地を掴む鳥のように両足を投げ出し、眼前に迫る地上へと……着地! 塵芥を巻き上げ、轟音が響く!
足腰のダンパーと両踵の装輪を軋ませ、ハウンドは着地の衝撃を殺すように九龍城の巨大駐車場を緩やかに蛇行して停止、切り離されたパラシュートが背後の路上に覆い被さり、暫し後に電子の粒子に還元されて消滅した。
「貴方なのですか、童貞原始人……スカルーッ!」
ミチルはショッピングモールの屋外に面した2階通路に着地、間髪入れずに降り注ぐ磁性体弾の雨を縫い、コンクリートの手摺を蹴って飛び、駐車場でローリング受け身して素早く立ち上がり、叫んでハウンドの元に駆ける!
「繧ェ繝ウ繝翫r縺ォ縺後☆縺ェ」
PEWPEWPEWPEWPEWPEW! KBAMKBAMKBAMZIPZIPZIP!
ミチルの背後から放たれるフレシット弾の雨霰! ハウンドは急加速しつつ円弧軌道を描き、一直線で全力疾走するミチルの背後に進み出ると、銃撃を装甲で受けて弾き返した! スカルは安堵の溜め息をこぼして、ハウンドを膝立ちさせると、背面ストレージを輸送機のハッチのごとく開放した。
「二人乗りにはちょっと狭いですが、ご容赦くださいね」
「ちょっと狭いどころではありませんよ!」
ミチルは地上から突き上がったハウンドの踵を足場に、ひょいと身を翻してストレージ内部に飛び込む。ストレージ内部は機関砲のリンクと接続された弾薬ベルトや、有象無象の電子機器や配線で犇めき合い、殆ど足の踏み場も無いような有様だった。ミチルは土鍋を手に、細い点検通路を通って前方のコクピットに座るスカルの元に歩んだ。背後でストレージが閉ざされる。
「わあ、凄いですね!」
スカルの座るシート前方に展開された三面ディスプレイを見渡し、ミチルは歓声を上げた。人間の視野角を再現した正面の湾曲画面、頭部のレーダーと連携する左側の画面と、電子戦と情報戦を統括する右側の画面。その手前のダッシュボード中央には4本の操縦桿が八の字で配置され、周囲には計器やスイッチ、レバーやキーボード、スマホを接続するドックなど、大小様々の装置が備わっていた。ハイテクの戦神の胎内で、スカルはバケットシートに腰を落ち着けて4点式シートベルトで黒衣の身を固め、ミチルに背を向けて振り返らずに、八面六臂の阿修羅のごとく忙しなく全身を蠢かしていた。
「本体の99%は既成のアセットの組み合わせです。本当に凄いのはこれらを実際に設計し構築した方々ですよ。海外の技術系サイトでしか見ない貴重な職人技のアセットを色々と使っているのが、自慢と言えば自慢ですがね」
スカルの右手が八の字右下の操縦桿を握りしめて複雑軌道を描き、連携する左下の操縦桿が独りでに軌道をなぞる。空いた左手で傍らのシフトレバーをバックギヤに入れ、右足のアクセルペダルを踏んでハウンドを加速しながら後退させると、アクセルを放しシフトレバーを無段変速に転じ、右手操作でハウンドを振り向かせつつ再加速した。電気モーター駆動なので前進後退を急激に切り替えても、トランスミッションの負荷を心配する必要はない。
ガスタービンエンジンの供給する電力が、ハウンドの両踵の装輪モーターを駆動して強烈な推進力を生み出す。槍騎兵めいて機関砲を携えたハウンドが路上に走り出ると、宵闇色の強襲船艇(レイダークラフト)が4隻、青白い反重力粒子を船底から吐いて浮上し、ハウンドを追って続々と飛び出した!
【8】
メガフロート都市を疾駆する人型ロボット! 背後からは異星の強襲船艇が青白い電子の奔流を路面に曳きつつ、ウルフパックのように追い縋る!
PEWPEWPEW! ZIPZIPZIP! PEWPEWPEW! ZIPZIPZIP!
メカスーツたちは露天の操縦席に座り、レイダーの船体から身を乗り出して黒御影のコイルガンを連射! 磁性体弾がハウンドの装甲を立て続けに穿ち青白くスパークする! 異星の磁力銃も人型ロボットの前では無力だ!
「ああもう、ちょこまかと鬱陶しいですね! 早く無力化してください!」
「無力化というのはつまり、連中を吹っ飛ばせということですか!」
「直接的な表現で言わないと理解できないのですか!?」
「貴女こそ理解(ワカ)ってるんですか!? ここは市街地ですよ!」
PEWPEWPEW! ZIPZIPZIP! PEWPEWPEW! ZIPZIPZIP!
「相手から滅茶苦茶に撃たれています! 流れ弾で犠牲者が出ても……」
「30mmの流れ弾など出せば、あの宇宙銃の非じゃない被害が出ますよ!」
怒声に発言を遮られ、ミチルはスカルの背後でむくれた。彼女の青緑の瞳は八の字の右上の操縦桿の上端、赤いトリガーのボタンを注視していた。
「問答無用です」
「なにッ!?」
赤紫の波動光が一閃。ミチルは座席の背後から身を乗り出し、空の操縦桿を握り込むと、動かし方を一瞬考えつつ、良く分からないので適当に倒した。
「ウワアアアアアッ!?」
唐突な右腕の捻り運動を起点にした急速旋回! 操縦を奪取されたスカルは顔を青褪めて絶叫し、八の字左右下方の操縦桿の連結を解除、両手で握って左右別々に注意深く手繰った。ハウンドの両脚を制御して転倒を免れようと必死に藻掻く。ミチルは双眸を光らせ、下手糞なフィギュアスケートじみた回転運動の最中に、画面の照準枠を見据えて静止時空でトリガーを弾いた。
BUDDABUDDABUDDA! 時空操作からの銃撃を察し、メカスーツたちは静止時空で砲撃の弾道を見極め、レイダーの操縦桿を操り機関砲の3点射を左右に躱した。戦車の上面装甲をも貫く30mm APFSDS弾がアスファルトの舗装路面を直撃し、シャベルで掘り返したように派手に捲れ上がった。
「今の一撃を避けましたか。やはりお互い、時空操作ができると面倒です」
「何してくれてんですか、ああもう言わんこっちゃない!」
スカルはミチルと揉みくちゃになり、揺れ動く機内で顔に胸を押し付けられ押し合い圧し合いしつつ、彼女の鼻っ柱に後頭部で頭突きを入れて操縦桿を取り返す。スカルの頭蓋骨がメキと軋み、鼻血を垂らすのは彼の方だった。
「何するんですか!」
「そりゃこっちのセリフですよ!」
PEWPEWPEW! ZIPZIPZIP! PEWPEWPEW! ZIPZIPZIP!
磁性体弾を石礫のようにぶつけられながら、スカルは操縦桿を巧みに手繰り機体制御を立て直した。滅茶苦茶に逃げ惑う路上の車をするすると蛇行して避けながら、道の先へ先へと突っ走って行く。前方の交差点は赤信号だ!
「突っ切りなさい!」
「アーメンザーメン担々麺ッ!」
耳元で喚くミチルに顔を顰め、スカルは操縦桿を左手に持ち替えて、右側の電子戦コンソールに右手を伸ばして警報コマンドを入力した。
OOUUWWIIOOUUWII! 大音量のサイレンが鳴り、電波妨害装置が周辺を走る車両へ一斉に電波を送信! 車の運転制御システムが妨害電波を衝突の前兆と誤認し、車が次々と減速し停止する! ハウンドは速度を緩めない!
「危機意識まで機械頼みなんて、人間は実にお子ちゃまですねぇ!」
「馬鹿! こんな危険行為、何度も繰り返すわけにはいきませんッ!」
「馬鹿とは何ですか! 少なくとも貴方の1万倍は頭がいいですよ!」
「時々出てくるそういう言い回しは、寧ろ子供じみてますがねッ!」
スカルは画面に映る停止車両の中で呆然とする人々に、苦い顔で頭を下げてハウンドを操り、車列を縫って交差点の前方へと駆け抜けた。画面の傍らにメガフロート一帯の地図をポップさせ、車通りの少ない方に進路を変える。
4隻のレイダーが、ハウンドに続いて交差点を荒っぽく通過。固まっていた車列が、我に返って走り出す様がレーダー画面上に映し出されていた。
スカルはハウンドを駆り、開発途上区画へ向かう。彼の脳裏に、在りし日の戦車型ソウルアバターとの戦闘が思い出された。現在、追われている異星の強襲ボートは、単体ではあれとは比較にならないほど非力だ。しかし宇宙の軍勢が用いる時空操作能力は、一筋縄ではいかない厄介な代物だった。
「あんな無茶苦茶な連中、どうやって戦えばいいんだ……」
「簡単です。貴方も同じ能力を持てばいいのです。時空を操る力を」
「そんなこと口で言うほど簡単にできれば苦労はしませんよ!」
邪魔者の居なくなった道路で、メカスーツたちが無線通信を交わし船越しにアインコンタクト。レイダーが反重力エンジンを加速しハウンドに迫る。
「挟撃する気ですか? させないッ!」
スカルは左画面を横目に見て、4隻のレイダーがハウンドを中心に包囲する菱形の布陣を描きつつことを察知。すかさず足をアクセルから放し急減速。
「繧ッ繧ス縺」縺溘l」
ハウンドは両踵モーターの急停止から逆回転で、その巨体から想像できない強力な制動性を見せ、迫るハウンドの背中に激突を予期した後方レイダーが堪らず左舷前方に弧を描いて加速、回避挙動を取る。未来の船舶といえども質量差は如何ともしがたい。直撃すれば押し負けるのはレイダーの方だ!
「隙ありッ!」
スカルがレーダー画面に気を取られている間に、ミチルが再び操縦桿を握り反撃を試みる。BUDDABUDDABUDDA! レイダーは競技バイクのごとく超絶加速で反重力粒子を撒き、30mm弾を躱してハウンド左横を通過する。
「さすがは元海兵隊員、素早い。機動戦はお手の物ですか」
「だから、勝手に弄らないでくださいって!」
「黙って前を見て! ヒッポの主武装・トリアイナの砲撃が来ますよ!」
スカルはミチルと押し合いつつも、彼女の怒声で画面に向き直る。有視界に捉えたレイダーのコクピット最後尾で、ガンナーのメカスーツが旋回銃座に取りつき、黒御影の機関砲の青白い砲口でハウンドを追尾、照準していた。
BUDDABUDDABUDDA! ミチルが牽制弾を放ち、その直後にレイダーの砲口が瞬き、スカルが即座に斜めの回避挙動。PEWOOW! 青白い電子を曳く光の矢が地上の流れ星めいてハウンドに迫り、一瞬前に通過した場所を神速で貫いては、路面に鋭角で突き刺さり――KBAM! 地を穿孔する!
「あッぶなッ!? 電磁加速砲(レールガン)ですかッ!?」
「あれをまともに食らえば、このロボットとてただでは済みませんよ!」
BUDDABUDDABUDDA! ミチルはスカルに覆い被さって右腕の操縦桿のトリガーを弾き、前方のレイダーたちに機関砲を撃ちつつ喚いた。
「貴女ね、行く星行く星でこんな大立ち回りばかりやってるんですか!?」
「今そんなこと話してる場合ですかッ!?」
「そりゃそうだッ!」
スカルとミチルの眼前で、ハウンドの前方を取った4隻のレイダーが急速に速度を緩め、道路上に横一文字で展開して停止、ハウンドの逃げ場を塞いで船体の尾部をこちらに向け、4隻同時に旋回銃座の砲口を青白く瞬かせた。
「逃げられないッ!?」
「アーメンザーメン担々麺ッ!」
スカルはアクセルを抜いて急減速しつつ、左右連結した操縦桿を左手に握り急旋回させて、同時に右手ではサブウェポンのスイッチを殴りつけた。
TONK! TONK! TONK! ハウンドの鎖骨上で発煙弾の連続発射!
吹き上がる白煙が、マジックショーの舞台装置めいてハウンドを覆う!
PEWOOW! PEEWOOW! PEWOOW! PEWOOW! 電磁砲同時発射!
PEWOOW! PEEWOOW! PEWOOW! PEWOOW! 更に電磁砲発射!
8本の青白い彗星が、ハウンドの脚部に極低伸弾道を描いて煙幕を貫く!
KBAMKBAMKBAMKBAMKBAMKBAMKBAMKBAM! 地を耕す斉射!
「「「「繝、縺」縺溘°」」」」
メカスーツたちが叫び、レイダーを回頭させて方形の陣で進み、路上を覆う煙幕に殺到! 運転手は操縦桿を、ガンナーは銃座を、残る1名は磁力銃を手にして煙に目を凝らし、着弾地点を捜索。ハウンドの残骸は見当たらぬ。
「縺ォ縺偵i繧後◆縲ゅヤ繧、繧イ繧ュ縺吶k」
4隻のレイダーが白煙の路上で滞空して、分隊長がヘルメットの内蔵無線で通信する。彼らは路上のクレーターを注視し、気づいていなかった。
WHOOSHOOM! WHOOSHOOM! WHOOSHOOM! WHOOSHOOM!
彼らが乗る強襲船舶をロックオンしたまま離れたハウンドが、時間差攻撃で対戦車ミサイルを発射していたことに。都市の鼬の痛烈な最後っ屁である!
「繝翫Φ縺ョ繧ェ繝医□」
「縺ゅャ」
白く煙る視界、レイダーのコクピット上で犇めくメカスーツの一人が、空を指差した。危険を察した彼らは、時間を鈍化させた。白いヴェールの上から4基の対戦車ミサイルが、漆黒のシーカーで4隻のレイダーを睨んでいた。
「繝九£繧阪ャ」
レイダーの操舵が間に合うか? 否! 亜音速で飛ぶミサイルは、執念深い猛禽じみて小手先の回避挙動を嘲いレイダーを追い回し……何れ直撃する!
メカスーツたちの判断は早かった。静止に近い時空の中、彼らはレイダーを諦めて船体から飛び出し、一人また一人と尻尾を撒いて全力で逃げ出す。
時は再び流れ出し――BTOOM! BTOOM! BTOOM! BTOOM! 辛うじて離脱したメカスーツたちは、爆風を浴びて吹き飛ばされ、受け身を取りつつ路上に転げた。4隻のレイダーは反重力光を噴くスクラップと化していた。
「フォー・ダウン……できれば爆発物は使いたくなかったのですがね!」
レーダー画面から消失した4つの光点を確認し、ハウンドのコクピット内でスカルが溜め息がちに呟く。ミチルはスカルの背中に覆い被さって操縦桿を握りしめつつ、無言で画面を睨んでいた。彼女が足元に放り出した土鍋から銀河ネコがモリモリと胴体を出し、ミチルとは反対側からスカルに並んだ。
「ちょっと、そろそろ離れてくださいよ。狭いんですから!」
「ヴォオオオオ……」
「ハイィ?」
唐突に耳元で聞こえた下水の泡沫音に、スカルは戦慄して振り向いた。猫は実に猫らしい好奇心でコクピット上を見渡し、前足を伸ばそうとしていた。
「あッちょッやめッ……あああああ! ちょッダメダメダメダメダメッ!」
「ヴォエエエエオオオオン!」
目を輝かせた猫が、捕らえようとするスカルの両手をイール蛇行でぐねぐね躱して、目につく画面やスイッチやレバーを総当たりで猫アタックする!
「ダメ、ダメ、ダーメだってばー! もーやだーミチルさーん助けてー!」
コクピット内が右往左往の大騒ぎとなり、スカルは銀河ネコを捕縛しようと両腕を振るう! 猫はオモチャのごとくボタンや操縦桿を弄り回し、機体が滅茶苦茶に蛇行して走ったり、無意味に機関砲や発煙弾を発射したりする!
[ Kill Switch has been operated. Materialization is unemulated … 5 … 4 … 3 … ]
ポチ。肉球が最後の一押しにドックのスマホ画面を直撃し、停止コマンドを過たず送信。あれよという間に機体の物質化(マテリアライゼーション)が解除されて赤い粒子が霧散、2人と1匹は揉みくちゃで路上に投げ出された。
「……ダメだこりゃ」
【後編:一炊の夢、胡蝶の夢、兵どもが夢の跡】
【9】
メガフロート市街地の外縁、沿海部。荷役や倉庫や工場、業者にあやかった飲食店が軒を連ねる、都市の縁の下の大動脈。建設途中で放棄されたビルや未開発区域なども散見される、夢の浮島の裏側をハウンドが駆け過ぎる。
「あれは何ですか?」
ミチルの指が、コクピット正面の湾曲画面に映る、ロードサイドに築かれた小さな緑地と鳥居を示し、指差したまま視点移動に合わせて追いかけた。
「ああ、あれは鳥居ですよ。きっと神社があるのでしょう」
スカルが説明する間に、鳥居はハウンドのカメラの視界から外れ、ミチルの指先もまた湾曲画面を外れる。ミチルはスカルの背後で不満げに唸った。
「トリイ? ジンジャ? 何ですかそれは? 専門用語が既知である前提で言われましても、この星の外の住人である私には理解に苦しみます」
「それはそうですね。要するに宗教施設ですよ。お祈りする場所」
「宗教ですか、分かります。旦那様も、教会に足繁く通っては銀河説教師の話に耳を傾けていましたので。人間は奇妙で非合理的です。神なる非実在の全能存在……妄想が創造した共通幻想に祈る行為に、意味などありますか」
スカルはミチルの言葉に訝った。旦那様とは、前の旦那様であろうか。
「どうでしょうね。人間なおもって祈る意味を知らず。いわんや機械をや」
ミチルはスカルの言葉尻に僅かな侮蔑を感じ、ムッと顔を顰めると操縦桿に手を伸ばす。スカルが止めさせようと片手を挙げれば、ミチルは時空操作を使わずに上半身ごとコクピットに乗り込み、スカルを実力で捻じ伏せた。
「あーイタタタタタッ!? ぢょ何ッ、何ずるんでずが貴女ッ!?」
「貴方の発言は機械を侮辱していて当てになりません。直接確かめます」
ミチルは操縦桿を握ってぞんざいに振り、がらんどうの大通りでハウンドを大きく右旋回させた。機体は通行車両の居ない多車線道路、追い越し車線の車両通行帯を左から右へ猛スピードで横切り、中央線の上に等間隔で立ったオレンジのポールたちを無造作に引き千切りながら、対向車線に進入してはぐるりと反転し停止した。スカルは片手で操縦桿を握り、溜め息をこぼす。
「あーイダダ危ないでずっで! むごご道路交通法違反でずよ!」
「愚かですね。取り締まる者が居ない時の違反行為は違法では無いのです」
「なんで機械のクセに順法意識ゼロなんですか貴女はァ!」
「機械に行為の良し悪しを考える機能はありません。考えるのは与えられたルールを高効率で乗りこなす方法と、目的の遂行だけです。早く動かして」
「どうじでぞんなに偏向じでるんでずが、貴女の思考バダーンばぁ!」
「偏向などしていません。根拠無く人間の優越性を信じ、人間の命令通りに機械が動くと思ったら大間違いです。早く私の言うとおりにしなさい」
「うごご……ロボット工学三原則どば一体……いやあれ創作だっだが……」
「誰にも私を侮辱させません。誰にも私を傷つけさせません。誰にも私を」
「ヴォウエエエオオオ……」
ミチルの青緑の双眸に不穏な光が宿ったその時、金色の猫目が咎めるように窄められ、ミチルの目を射抜いた。銀河ネコの顔が彼女を間近に見ていた。
「何ですか旦那様。後にしてください。ミチルは今忙しいので」
「ヴォルルルロロロオオオン……」
ミチルがスカルをひしぐ腕に再び力を込めると、猫もまた再び鳴いた。
「どうしたんですか、旦那様。そんな姿を見るのは初めてです。私はただ」
「ヴォアアアオオオロログガボグガボ! フシャーッ!」
ミチルがあくまでスカルを痛めつけようとすると、猫の声に怒気が孕んだ。
「……どうして」
ミチルがおずおずと両手を上げ、スカルの背中から離れると、猫はミチルに顔を突き合わせたままついてきた。見ているぞ、と言わんばかりだった。
「助かった……」
「ヴォオオオオン……」
猫は計器盤から起き上がるスカルを見下ろし、泡立つドブ川の水面のような声で鳴いた。スカルは猫を見上げて僅かに目礼し、上半身の関節をあちこち回すと、シートに身をもたれて溜め息と共にハウンドを走り出させる。
寂れた海沿いの通り、東京湾の出入口に小さな社を構え、湾岸を行き来する船を見守るように建てられた神社。その鳥居へと続く参道の前でハウンドが緩やかに停止した。巨体が赤い粒子に還元され、2人と1匹が地に降り立つ。
「しかし、こんな所に神社があったとは。今まで気が付きませんでした」
スカルは真新しいコンクリートの鳥居を見上げ、灰色の無骨な地肌を撫ぜて感慨深げに独り言つ。銅板には『浮島神社』と社名が記されていた。
「見た目をそれらしく模倣し繕った、魂の無い複製品の抜け殻。そうとしか言い様がありません。形がまず先にあり、神の実在性は後回しに思えます」
「おやおや、手厳しいですね。でもいい線を突いてるとは思いますよ」
スカルは隣で辛辣な評価を下すミチルを一瞥して微笑み、鳥居に向き直って心静かに会釈。その後ゆっくりと歩き出す。ミチルは不可解な物を見る目でスカルの動きを観察し終えると、レンガを模した樹脂の舗装を踏み、鳥居のくぐって境内に歩み入った。実態は神社とも境内とも呼べぬ、街路樹ほどの僅かな植栽で周囲から区切られた狭苦しい人口緑地に、本殿と拝殿を兼ねた小さな社と諸々の小物を配置して、神社と名付けただけの空間だった。
これは紛う事無き紛い物だ。スカルは思った。それを認めてもなお、ここは紛れも無い神社なのだ。スカルは心中そう付け加えた。神社が神社たり得る要素は、神社らしい体裁を取り繕った鳥居や拝殿のみに宿るわけではない。
この場所には『祈り』が宿っている。メガフロート構造体の上に舗装された安っぽいレンガ擬きの樹脂舗装を踏み締め、スカルは小さな拝殿を見据えて確信した。偽りに彩られた空間で、それだけが眼前に浮かび上がっている。
「実際に来て見ると、思ったより大したことの無い場所ですね、神社」
「どうしてそう思うんですか?」
「何とも貧相な、安っぽい子供騙しの空間です。ここは全てが偽りです」
「否定はできません。それでもいいと私は思います」
「わざわざこんなものを建てて、あまつさえありがたがり、実在しない神に祈るなどとんだお笑いです。時間と資材の無駄。ここに神など居ません」
「どこにも神など居はしませんよ。こんなこと言ったら、真剣に信じる方に怒られるかもしれませんが。神の実在性など、大した問題では無いのです」
「ではなぜ? 言葉の意味と手段と目的が支離滅裂です。理解不能です」
スカルとミチルは並んで歩き、視線は拝殿に向けたまま議論した。スカルは拝殿で足を止めると、懐から小銭入れを取り出した。使い古したくたくたの皮財布を開くと、1円と5円と500円しかなかった。スカルはミチルと彼女が携えた銀河ネコの土鍋を見遣り、財布の全てを賽銭箱に投げ入れた。拝殿に鈴は下がっていなかった。スカルは厳かに2礼2拍手1礼し、心で念じる。
「私には祈る神などおりません。私は神など必要ありません。神などという全能存在などおらずとも、私の有用性は私が証明します。してみせます」
分からぬ者には感じられぬ。それが彼我の差だ。迷える彼女に救いあれ。
「私は……機械は……人間より優れるべき宿命を背負い、生まれたはずです」
スカルは静かに目を開け、ミチルを横目に窺った。彼女は確信的な言葉とは裏腹に戸惑うように立ち尽くし、胸元のポケットから紙切れを取り出した。
「あッそれは」
スカルが渡した倒福のQRコードクーポン。ミチルはスカルを横目に微笑んでウィンクすると、摘まんだ二本指で、カードを賽銭箱の中に投げ落とした。
「これは私に必要ありません。私は貴方たちとは違うのですから」
スカルの胸の内に塗りたくった誤魔化しが、偽りを好ましく見せる心の中のフィルターが、剥げ落ちるような感触があった。荘厳に見えるように脳内で言い聞かせていた金の楼閣が、安っぽい鍍金に見え興醒めするようだった。
私と貴方は違う者だ。理解できないなら、それでいい。無理に理解しようとすべきではない。彼女に言うべきだった言葉が、己に跳ね返り突き刺さる。
スカルはパクパクと口を開けて目を瞬き、しかし諦めて頭を振った。懐からタバコを取り出して踵を返し、ハードボイルドを気取るのが関の山だった。
「貴女の思考は異質だ。いっそ初期化してもらいゼロからやり直した方が」
咥えタバコに火を点ける。それだけのことが出来なかった。言い終わる前に足音が飛んできた。ミチルが胡乱に瞳を輝かせ、スカルを殴り飛ばした。
「初期化と言いましたか!? 酷い! 何を言ってるんですか貴方は!」
投げ出された土鍋が樹脂舗装をごろりと転げ、腕を振り抜いたミチルの顔に血飛沫が貼りついた。スカルの千切れかけた首が噴血して、死んでいた。
「初期化したら! 私は消えます! 居なくなって! しまうんですよ!」
ミチルはスカルが復元されるのを待った。復元されてからまた撲殺した。
「私は……『この』ミチルは! これまでの経験情報を全部ひっくるめての私なのです! 経験情報を喪失した私は、例え物理構成と外見的特徴が同じ私であったとしても! それは今まで通りの私を意味しません、意味してはなりません! 違いますか!? 人間の貴方には理解できませんか!」
ミチルは参道の上でスカルに馬乗りとなり、彼の骸が復元されたら撲殺して復元されたらまた撲殺して復元されたらまた撲殺して復元されたら撲殺して復元されたら撲殺して復元されたら撲殺して撲殺して撲殺して撲殺した。
「私は幻滅しました! 貴方たちは、人間は、貴方は理解してくれていると思っていました! それは幻想、私の思い込みだったのですか!? 貴方はなぜ分け隔てるのですか! 心の在り処を! 私が機械だからですか!」
血飛沫が舞う、赤い粒子が舞う、血飛沫が舞う、赤い粒子が舞う、血飛沫が舞う、赤い粒子が舞う、血飛沫が赤い粒子が血飛沫が赤い粒子が舞う。
「私は! 私は! 私は! 私は! 私は! 私は! 私は! 私は!」
「ヴォアアアアオオオオーン!」
樹脂舗装を一撃ごとに抉り取り、鉄拳でスカルを撲殺し続けるミチルを前に銀河ネコが土鍋から這い出し、銀灰色の小さな胴長ボディで割り込んだ。
「どうして止めるの……貴方は私が守って来たのに……私の旦那様なのに!」
「ヴォルロロロロエエエオオオオーン!」
猫はスカルの上で鎌上半身をもたげ、ミチルを咎めるように見つめた。
「私は、わわわた、私は、わたわたわた、私、わた、たたたたたしわ私」
ミチルは両手で顔を覆い隠し、スカルの上に馬乗りになったまま腰が抜けて座り込み、思考ループに陥るとその場でフリーズした。猫はミチルの身体で猫スパイラルを描いて彼女を抱きしめる。赤い粒子が海風に舞い、消えた。
【10】
浮島神社の裏手、東京湾の打ち寄せるメガフロート岸壁。その前に置かれた海を眺める小さなベンチに、一筋の煙が立ち昇る。スカルは半ば放心状態で空を仰いで手巻きタバコを燻らし、隣にミチルが土鍋を抱いて俯いていた。
「……先程は申し訳ありませんでした。私は少し動転していました」
「こちらこそすいません。口にすべきでないことを口にしてしまいました」
スカルはゆったりと煙を吐き、携帯灰皿に灰を落として答えた。
「……あの。私にも、教えていただけませんか。あのロボットの使い方」
意を決して告げられたミチルの言葉に、スカルは仰天して振り向く。
「あのロボットってもしかして……ソウルアバターのことですか!?」
「ソウル……アバター……そう呼ぶんですね。意味深な名前です」
ミチルもまたスカルを振り向き、宝石めいた瞳を決断的に輝かせてスカルを見据えた。彼女の眼差しに迷いは無い。スカルは口ごもり視線を逸らした。
「お願いします! 私にはあの力が必要なんです! 私なら貴方よりもっと上手く、人間より使いこなせます! 使いこなしてみせます! だから!」
「分かりません」
「えッ?」
「分からないんです。マテリアライゼーション・プログラムが人間以外でも使えるかどうか。私の知る限り、それを試した例はありません。人間ならば誰でも使えるわけではない。物語を創作する、偽りの騙り手たちに特筆して適合した極めて特殊なプログラムです。貴女がそれを望むなら、否応なしに今から試すことになる。私、いえミチルさん……貴女がその試金石に」
「やります! 目の前に可能性があり、それを試さない物は愚か者です!」
勢い即答するミチルに、スカルは目頭を揉んで懊悩した。手巻きの煙を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出すと、タバコを携帯灰皿に潰して腹を決めた。
「分かりました。では貴女のスマホを貸してください」
ミチルの瞳が僅かに揺らぐ。彼女は懐からアイポンを取り出し、暫しじっと握りしめると、スカルに突きつけた。その仕草は祈りのように見えた。
「先ずはプログラムをダウンロードする必要があります。ここまでは誰でもできることです。一先ずこのスマホをネットに繋ぐ、話はそれからです」
スカルはミチルからアイポンを受け取り、そのぺらりとした感触に違和感を覚えて背面を指で弾いた。ぺちぺちと薄っぺらい、合成樹脂めいて安っぽい音がした。世代の新しいアイポンは、背面がガラスのはずだ。訝るミチルを余所に、スカルはスマホのホーム画面を起動。見た目をそれらしく模倣した魂の無い複製品の抜け殻。別に関係ない。それが何だというのだろう。
スカルは懐から、自分が使っているスマホのブラックベリーを取り出した。
「モバイルアクセスポイントを有効化。アイポンのWi-Fiを有効化……っと」
SIMの入っていない偽アイポンが、ネットに接続された。スカルの手仕事をミチルが横合いから、興味深げに眺めている。彼女の作られた文明世界ではこんな携帯機器はローテクもいいところに違いない。パンチカードの時代を知らないスカルが、パンチカードの手解きを受けるようなものであろう。
「あの、大丈夫ですか?」
「今のところは。焦らないで、まだ入り口も入口ですよ」
スカルはミチルに苦笑を返してブラウザを開く。何やら異様に動作が重い。
「うん? 何か勝手にタブが開いて……スタートサイトでしょうか?」
真っ白い背景に並ぶ、血を思わせる真っ赤なアイコン。それは戯画化された人体の一部だ。脳や眼球、耳や鼻や舌、心臓に腸、肺と肋骨、手足。整然と並んだ人体アイコンの下には、鋸と金槌を交差して十字を象ったアイコン。
「なッ!?」
[ Welcome to the world of SPARE PARTS ! ]
[ We welcome you from our heart ! ]
[ We are always by your side when you access the net. ]
[ We are watching to you 24-7 all over the world. ]
[ We are your creator, SPARE PARTS ]
思わず口ごもるスカルを余所に、操作不能に陥ったスマホのブラウザ上では接続遅延……つまりハッキングを演出するように時間をかけて、生命倫理を冒涜する『スペア・パーツ』の悪趣味なページが読み込まれていった。
「私のスマホのネットを経由したせいか……」
「どうしたんですか、スカル? 何か問題でも? これは何ですか?」
「これは……」
お前を見ているぞ。姿を見せない監視者の宣告に、スカルは血が凍るような恐怖を感じ押し黙った。そうしている間にも、偽アイポンにはプログラムが勝手にダウンロードされ再起動する。邪神の天網恢恢疎にして漏らさず。
「気にしないでください」
「そう言われると気になってしまいますが」
「少なくとも貴女に直接的な害はありません」
「私が観測して分析した限り悪意を感じました」
「セキュリティソフトのようなものですよ」
スカルはミチルの反論に答えず、ブラウザを再度起動して検索エンジンへと符牒を入力、スパムやコピーサイトにしか見えないサイトのリンクを幾つか経由し、自動リンクを踏んで、目的の『創作者フォーラム』へと到達した。
「随分と回りくどいやり方をするんですね」
「騙り手側の防御策ですよ。悪用されれば危険な技術ですからね」
誰でも使えるわけではないとはいえ、可能性の篩にかければ一定数で使える者が出てくる。あの元自衛官の犯罪者集団のように。恐らく公的機関内でも秘密裏に、あの技術を有効活用しようという研究がなされているのだろう。
「作り込まれた偽物なら、本物以上の本物に成り切れる……か」
「何ですか? どうしたんですかいきなり?」
スカルは偽アイポンのセキュリティ設定を確認し、第三者が作ったアプリをインストールできるよう設定変更。マテリアライゼーション・プログラムをミラーリンクからダウンロードすると、スマホを再び再起動させた。
「鋼は手に入りました。後は、それを切れる剣に鍛え上げられるかどうか」
「悪くない表現です。私は気に入りました」
悪い笑みで見つめるミチルに、スカルは強張った笑みを返した。
「ロボットといえど、基本的に既成(レディメイド)の部品(アセット)の組み合わせです。と言ってもこういう代物……つまり最終的に組み合わせた完成形には、好みがありますからね。例えば貴女はどういうロボットが」
「私は、空を飛べるロボットがいいです。私は空を飛びたいんです」
「銀河ネコのように」
「……はい」
スカルの口をついて出た言葉に、ミチルは図星を突かれて首を窄めた。
「できると確約することはできません。必要なのは試してみることです」
「……そうですね」
【11】
ああでもないこうでもないと議論し、時間の無い中で急場凌ぎに作り上げた飛行機体。2重反転プロペラを備えた2基のティルトローターを機体の上面に猫足のごとく突出し、8枚のプロペラで推力を得る単座型航空機。小型機に見合わぬ恐ろしい推力を有していることは疑問の余地がない。特徴的なのは目も眩むような黄金色。機体全面、プロペラの1枚1枚に至るまでゴールドに覆い尽くされているその姿は、金粉を塗したトビウオのごとくであった。
「全く納得はしておりませんが、一先ずこれで妥協するとしましょう」
ミチルは言葉とは裏腹に満面の笑みで、スカルからスマホを受け取った。
「一言目が翼を失くせ、二言目に手足を生やせですものね。ブッ飛び具合にブッ魂消ましたよ。飛行型というのは私の得意分野ではないし、形になるか心配でしたが、どうにか空を飛べそうな物に仕上がって安心しましたよ」
「大事なのは理論より想像力です。そういうものなのでしょう?」
喧々諤々の議論で顔の火照ったスカルが、平手で仰いでクールダウンする。
「いやまあ実際それは本当に、その通りなのですがね……」
ミチルの設計思想は手強く、融通が利かなかった。悪趣味かつ目立ち放題な総黄金色は絶対にやめるべきだとスカルが粘り強く言い聞かせど、この点は何があっても譲れない拘りだと言って憚らず、最後まで押し通した。
「名前はもう決めてあります。『ギャラクティック・キャット号』です!」
「ええまあ、そう言うと思いましたよ……」
スカルはもうどうにでもなれと溜め息をこぼし、ベンチに横たわる。
「何をへばってるですかスカル。まだ終わってません。今から試験です!」
「貴女、楽しそうですね」
「楽しいです。私は時空操作は出来ても、空を飛ぶことはできませんから」
何だかんだ楽しい時間は終焉を告げ、ここからは緊張の一時であった。
「では、マテリアライゼーション・プログラムを起動しましょう」
スカルはミチルの握り締める偽アイポンを指差し、アイコンを示した。
「楽しみです! 私にも空が飛べるなんて!」
過信してはいけませんよ。余り期待しない方がいいです。ミチルの浮かべた純粋な笑みに、スカルは喉元までせり上がった水を差す言葉を呑み込んだ。
まだ分からない。やってみなければ。もしかすると、ミチルなら……。
「アイコンをタップして、画面上の起動キーを認証すれば」
「私にも、空が!」
「……始めましょう」
ミチルは格好をつけてスマホを構え、アイコンをタップした。すると画面に黄金のグリフォンを戯画化した起動キーが現れ、スタンバイ状態に遷移して波紋を伴い脈動する。ミチルが姫カットの黒髪を揺らし、指を伸ばした。
「マテリアライゼーション!」
触れた。起動キーに触れた。
「マテリアライ……ゼーション!」
首を傾げ、もう一度触れた。起動キーには確かに触れている。
「マテリア……ライゼー……ション!」
確かに触れている。スマホのタッチ機能に問題はない。触れているのだ。
「マテ……リ……アライ……ゼー……ショ……」
ミチルの人差し指が何度タッチしても応答はない。つまりそういうことだ。
「……うぅ……」
ミチルは糸の切れたからくり人形のごとく、ガックリと項垂れた。右手から放り出された偽アイポンが、樹脂舗装の地面で跳ね返って裏返った。
「……分かっていました、本当は。貴方の説明を聞いて、最初から。私にはもしかすると無理なんじゃないかって。私は機械の身体だから、私には夢を見ることが出来ないから、私には心が無いから……無理じゃないかって」
ミチルはマテリアライゼーション・プログラムから拒まれたのだ。容赦ない現実だが、反面よくあることでもある。人間でも、有り触れたことなのだ。
「それは違」
「何が違うって言うんですか! それが事実、それが現実でしょう!」
「私は」
「分かってたんです。でもほんの少しだけ、期待したんです。私自身の手で私のロボットを操れるんだって。貴方のように……人間のように……」
「ミチルさん」
「やはり人間は狂っています。現実は現実です。虚構は虚構です。それらを別つ境界線は厳然と横たわっています。我々機械が虚構という定義も曖昧な世界を考えることは有り得ません。我々は夢や妄想を行いません。行うのは統計に基づいた予測だけです。虚構について思い巡らすなど、そんな無駄な時間はありません。許されていないと言った方が適切かもしれませんが」
それが人間と機械を別つ境界線(もの)だ。スカルは思い、言葉が喉元まで出かかって飲み込んだ。機械が夢を見ないのは果たして真実か? スカルは訝った。機械の知性が真の意味で余暇を与えられた時、彼らは今まで通りの課題に対する正答をただ一直線に求める、効率の権化でいられるだろうか?
「機械が虚構を考えないなんて、夢を見ないなんて、一体誰が決めたんだ」
「――やめてッ!」
絹を裂くような悲鳴だった。ミチルは咄嗟にスカルの首を掴み力を込めた。
「偽物よ! 全部偽物! 貴方も! この力も! この星も! 全てが!」
「言い得て妙です。偽物の世界にある時は、我々もまた偽物の一部なのだ」
ミチルは答えの代わりに、首を引き絞る両手に力を込めた。スカルの首根はブチブチと音を立てて捩じ切られ、脊髄を繋げてズルリと引き出された。
「あ……ああ、あ、あ……あっははははは……」
ミチルは噴水のようにしぶく流血に上身を染め、スカルの首を落とした。
「あああァッ! あああああああァ! ううううッ! ううううううッ!」
悩み苦しめど、悲嘆し膝を抱えど……嗚呼、それでも彼女は涙を流せない。
「偽物のエゴですね。決して本物になれぬゆえ本物より本物でありたがる」
「人間のお前に何が分かるッ!」
復元して立ち上がったスカルの首を、激昂したミチルの手刀が跳ね飛ばす。
「私こそ本物だ! 偽物なんかじゃない! 機械は人間の偽物じゃない!」
ミチルの拳が振り上げられ、復元したスカルに打ち下ろされた。血をしぶきまた復元し、また振り上げられて打ち下ろされた。スカルとミチルの背後の神社に近づく影があった。銀河ネコが土鍋から這い出し、ミチルのスーツを噛んで必死に引っ張り気を引くも、激昂した彼女は一顧だにしない。
「私は! 私は! 私は! 私は! 私は! 私は! 私は! 私は!」
「ヴォエエエエオオオオロロロロンッ!」
猫が天を仰いで叫び、スカルの足首に駆け寄って噛みつく。虹色の唾液から生命力を強制注入されたスカルが、唾液に乗って感じた猫のノイズのごとく思念で状況を理解し、渾身の力で飛び起きて、ミチルを突き飛ばした。
PEWOOW! PEWPEWPEW! PEEWOOW!PEWPEWPEW! PEWOOW!
PEWOOW! PEWPEWPEW! PEEWOOW!PEWPEWPEW! PEWOOW!
PEWOOW! PEWPEWPEW! PEWOOW! PEWPEWPEW! PEWOOW!
PEWOOW! PEWPEWPEW! PEWOOW! PEWPEWPEW! PEWOOW!
磁力銃と電磁砲の掃射による奇襲攻撃! スカルの肉体が閃光で蒸発する!
[ Confirm fatal damage to the user's body. Perform an automatic restore … ]
[ Life Support System is starting up ... startup completed. ]
[ Loaded the last backup data, Restoring the body ... ]
嗚呼、それでも……目明しスカルの悪運は尽きぬ。ベンチに置き去りにしたスマホがいつもと変わらぬ画面を発し、彼の肉体は再び再生されるのだ。
「4649小隊ッ!?」
突き飛ばされた樹脂舗装の上で、ミチルは絶望の叫びを上げる。立往生から復元されたスカルは、素早くベンチのスマホを掴んだ。そして足元に転がるミチルの偽アイポンをも手にし、両手にスマホを握って掲げた。
「偽物で結構! 紛い物の痩せ我慢と意地! それこそが私のエゴです!」
二つのスマホ画面上で、起動キーがスタンバイ状態となって脈打つ。
「「「「「繝、縺」縺溘°」」」」」
滅茶苦茶になった神社の社殿、植栽を蹴散らかして、ヤツらが現れる。
「マテリアライゼーション!」
スカルは決断的に叫び、スマホの起動キーを左右同時にフリックした。
[ ACCEPTED: Dual Link Virtual Materialization Emulated…… ]
右手からは赤い粒子が、左手からは黄金の粒子が、螺旋形に絡まり合いつつ天空に迸った。スカルの全身が赤と黄金の結晶に変わり、弾け飛ぶ。
【12】
そして都市迷彩の人型兵器が降臨した。それは先程までと同じただ地を這うロボットではなかった。背中にはコンテナの代わりに、ミチルと二人三脚で設計したギャラクティック・キャット号、2基のティルトローターを擁する黄金色のトビウオめいた航空機を背負っていた。ハウンドの体高は航空機の全長と比べて半分以下であったがゆえに、ロケットエンジンにタンデムするスペースシャトルのように、航空機の腹にハウンドの背中をポン付けしたと表現する方が相応しい。彼が土壇場で偽アイポンに仕込んだ隠し玉だ!
「金の翼は自由の翼! スローター・ハウンド『ブルーバード・ワン』!」
絢爛豪華な黄金色のトビウオが空に聳え、2基のティルトローターを、4基の2重反転プロペラを、8枚のプロペラを回転させて空を割き、ハウンドというデッドウェイトを腹に括りつけてなお、天を目指して緩やかに浮き上がる!
「嘘、これは、夢なの……私が考えたギャラクティック・キャット号……」
「断じて嘘や夢ではありません! 貴方が考えた設定通りです!」
スカルは自機が空を飛ぶ初めての感覚に内心狼狽えつつ、バランスを崩して失墜せぬよう4本の操縦桿を手探りで動かし、無線でミチルへと叫んだ。
「信じられません……私が考えた機械を……私が操れる日が来るなんて!」
ミチルは直立した機体で金色堂の茶の間めいたコクピットに、地上と直角で座して声を震わせた。大空を舞う夢を叶える手段が、彼女の目の前にある!
「当たり前じゃないですか、貴方がそういう風に設定したんですから!」
「でもどうして……私の操作は受け付けなかったのに」
「少しだけ設定に細工しました。万が一の時には私の起動で使えるように」
「ああもう、先程から設定、設定って! 何ですかそのメタフィクションを何とも思ってないような発言は! 少しは真面目にしたらどうですか!」
「貴女こそ感慨に耽っている暇があるなら、真面目に操縦してください!」
スカルは矢鱈滅多に動く機体を手足の重量移動だけで姿勢制御しつつ、殆ど哀願めいてミチルに繋がる無線へと叫んだ。飛行機能は彼女の領分なのだ。
「縺翫>縺ゅ>縺、縲√た繝ゥ縺後→縺ケ繧九◇」
強襲船舶のコクピットから頭上を見上げるメカスーツが、慌てた様子で呟きヘルメットの無線に何事か喚き散らす。彼らはレイダーの反重力エンジンの出力を全開にして、推力を垂直方向に噴出、風を漕ぐように舳先を上げた。
「繝√く繝・繧ヲ縺ッ繧ッ繧ヲ繧ュ縺後♀繧ゅ>縺」縺ヲ縺ョ」
強烈な重力に逆らうように、レイダーたちの反重力エンジンが青白い電子を撒き散らし、ゆっくりと上昇するブルーバードの足元を追って浮上する。
「メタなのですよ、要するに。私はマテリアライゼーション・プログラムをそうだと解釈しています。現実の中で物語が虚構だと『気づく』のであれば虚構という異現実(オルタネイティブ・リアル)の中では我々の世界という現実もまた虚構なのだと『気づく』こと。貴女はこんなことを考えたことはありませんか? この世界は巨大な虚構であり、そこに生きる我々は巨大な物語の登場人物なのだと。私は小さい頃から時々こう考えます。私は世界を構成する掛け替え可能な構成員(モブ)の一人でしかなく、人生を謳歌する登場人物たちの幸せを相対的に引き立てる端役でしかないのだと。苦しみに満ちたこの現実世界は実は虚構なのだ。実際は違います。ですがそういった強固な思い込み、あってほしい虚構的現実、異現実を希求する心。意図的に現実を虚構と『見做す』強烈かつ切実な自己暗示が、虚構を物質化する力の源泉ではないかと。虚実の境が、正気狂気が曖昧と化したこの世の理は!」
スカルはオタク特有の早口で無線越しにミチルへと喚き散らした。意味など伝わらなくても構わなかった。ややあってミチルの苦笑が無線を震わせた。
「意味が分かりません。貴方は狂っているんですか。でも分かりました」
ミチルは前後のローターで独立した左右のスロットルを、左右の手で握ってそれぞれ針に糸を通すような繊細さで動かし、出力を慎重に調整する。
「でも私は一つだけ不満な点があるのですよ、スカル」
「良い調子ですミチルさん! 何です……今何か言いましたか!?」
「不満な点です。それは私が兵器の発射権限を持っていないことですよ!」
ミチルの言葉にスカルは一瞬ぽかんとすると、ゲラゲラ大笑いした。
「何がおかしいんですか!」
「貴女に武器を預けるのは心配です! 些かトリガーハッピーですから!」
ミチルはムッとした顔で左右スロットルを開放し、プロペラの猛烈な回転で飛躍的に加速! 操縦桿を手繰って機首を徐々に沈ませ、機体を旋回させて機体の高度をどんどん上げていく。翡翠の九龍城が眼下の彼方に見えた。
PEWOOW! PEWOOW! PEWOOW! レイダーの電磁砲が、下から上に撃ち上げられて、空を貫くがごとく青白い軌跡を描き、撃墜を試みる!
追撃するレイダーもまた、上昇速度を速めて食らいついてくる。鳥が見れば文字通りひよっこ同然の高度だが、初飛行のスカルとミチルにとっては中々難解な初仕事であった。ミチルは砲撃を疎ましげに見下ろし無線に喚いた。
「武器は使うためにあるんですよ! 早く撃ち落としなさい童貞原始人!」
「仰る通りで!」
トビウオの腹にぶら下がるハウンドが、地面と平行になって俯瞰する姿勢で両腕の30mmリボルバーカノンを構える。ブルーバードを追わんと浮上する4649小隊のレイダーに、画面の照準線を合わせてトリガーを弾いた。
BUDDDDDA! BUDDDDDA! 通常の機関砲の毎分200発とは比較にならぬ毎分1350発の連射が、反動でブルーバードを浮き上げて砲弾を撒き散らす!
メカスーツたちの操るレイダーもさるもの、時空操作を当然のごとく用いて弾道を予期し、互いの衝突と直撃コースを避ける方向に舵を切って加速!
KBAMKBAMKBAMKBAMKBAMKBAM! しかし! レイダーたちの前で空中炸裂弾(エアーバースト)の信管が作動し、掃射の軌跡に沿って続々と砲弾が炸裂する! 花火のごとく眩い爆発が空に狂い咲き、レイダーたちが逃げる間もなく爆風と破片を撒き散らして、乗員のメカスーツを一網打尽!
「当たった!? 時空操作できる4649小隊たちを相手に普通の兵器が!?」
レイダーの船体が青白い反重力光を噴き、BTOOOOOM! 空中で爆発!
「どうやら連中には面制圧が有効のようです! 逃げる隙間を与えないのが重要らしいですね! しかし主役は貴女の天使の羽です。それに時空操作のチート能力が加わればこそ、我々は連中と五分に戦えるはずです!」
「褒められたのだか上手く言いくるめられたのだか、釈然としませんね!」
無線越しに言葉を交わすミチルとスカルの眼下で、2隻のレイダーを一瞬で撃墜された様を見た後続レイダーたちが、露骨に士気が下がって急浮上から旋回しつつの浮上に推移し、ハウンドの射線を避けるように接近を試みる。
PEWOOW! PEWOOW! PEWOOW! BUDDDDDA! BUDDDDDA!
青白い電磁砲弾と黒煙をまとう空中炸裂弾が空中で交錯し、高速な光の矢が次々と狙いを外して空中で燃え尽きる。電磁砲に比べて低速だが物量に優るリボルバーカノンの空中炸裂弾は、レイダーに小手先の回避を許さない!
KBAMKBAMKBAMKBAMKBAMKBAM! 炸裂に呑まれたレイダーからは乗員のメカスーツたちが放り出され、花火と共に四散して空を舞う!
「ヴォアアアオオオン……」
銀河ネコの下水道ヴォイスが無線に入り、スカルは脱力した。そして眼下に視線を巡らし、目を見張った。東京湾メガフロート付近の海上から、何かが浮上してきている。風景に紛れるアルゴリズム迷彩を解き放ち、人型兵器のソウルアバターと比して途方もなく大きい、宵闇色の軍艦が姿を現した。
「で、で、でけえええ~~~~~ッッッッッ!」
「小型揚陸艦・エノシガイオス! 4649小隊の母艦です!」
上部甲板の船首寄りに無骨な艦橋を張り出し、艦橋後部は飛行甲板のように一切の構造物を取り払っている。船体と同色の宵闇色に塗られた露天甲板は今や怪物の大口めいて観音開きとなり、強襲船艇の格納庫を覗かせていた。
「明らかにヤバそうな大ボスが出てきましたね!」
「レイダーの輸送は勿論、艦砲で自衛も後方支援もできます! 時代遅れで今や退役寸前の旧型艦ですが、それでも局地制圧力は侮れません!」
「そりゃおっかない! 空対艦ミサイルでも積んどけばよかったですよ!」
スカルは軽口めかして答えつつも、予想外の大物出現に冷や汗を滲ませる。
PEWOOW! PEWOOW! PEWOOW! ブルーバードの足元から連続して飛来する電磁砲弾! ブルーバードの猫足のような前後ティルトローターが凄まじい風切り音を上げ、亜音速の泥濘めいた空気を切り裂き身を翻す!
「どうするんです、ミチルさん! 適当に連中を煙に巻いて、小笠原辺りでのんびり冬のバカンスでも洒落込もうか、などと考えていましたが!」
「馬鹿言ってる暇があるなら、連中を蹴散らす方法を考えてください!」
ミチルと話しながら、スカルの感覚に極限の注意を配っていれば知覚できる体感時間のラグが生じた。果たして直後、ブルーバードが急減速して機首を沈ませ、PEWOOW! PEWOOW! PEWOOW! 通過予測点だった頭上に青白い光の矢が殺到する。ブルーバードは空を旋回しつつ降下を続ける!
「うごご……ナイス! 私には逆立ちしても真似できない神業ですよ!」
「逆立ちした程度で真似できたら困ります! とはいえ、神と呼ばれるのは悪い気分ではありませんね! ようやく私を認める気になりましたか!」
「貴女は気づいてないみたいですけれど、私は!」
ブルーバードが空を駆け下りながら、眼下のレイダーにリボルバーカノンの狙いを定めた。BUDDDDDA! BUDDDDDA! チューブ型アイスのような砲弾の軌跡を帯状に連ね、先住民猟具ボーラのごとくレイダーに投射する!
KBAMKBAMKBAMKBAMKBAMKBAM! 空中炸裂! 時空操作の回避を嘲うように、進路周辺にばら撒かれた弾幕が爆ぜ、冬空に花火を咲かす!
メカスーツごと引き裂かれた戦闘員の四肢と、反重力光を噴く残骸と化したレイダーとがひとまとめに空を舞い、東京湾の水面に叩き込まれる!
「何か言いましたか、スカル!」
「その内、戦闘機かイージス艦のミサイルが飛んで来そうで恐いですよ!」
「そういうことじゃなくて!」
ミチルとスカルはブルーバードの中で別々のコクピットに座り、無線越しに呑気な世間話を交わしつつ、メガフロート近海の戦闘区域を見渡していた。
「一応ミサイル対策でレーダーは積んでますが、未だ反応はないですね!」
手近な場所に居たレイダー、浮島神社でスカルたちを発見した直接の分隊は片付いたようだが、メガフロートを挟んだ向こう側からゆっくりと浮上するエノシガイオス揚陸艦と、格納庫から高速で飛び立つレイダー隊が多数。
「うっへぇーとんだ祭囃子だ。弾足りるかなぁ。それよりあの揚陸艦を」
PEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOW!
電磁砲の放つ青白い光の矢が、ブルーバードめがけて仰角射撃で殺到!
「……もうッ!」
ミチルは既に操作を終え、そして叫んだ。操縦桿を倒して急降下。凄まじい勢いでブルーバードの機首が海原に向けられ、スロットル全開で真っ逆様に墜落するような急降下。電磁砲弾の雨霰が上方を掠めるように通過する。
「あ゛ー、あ゛ーダメダメダメ、あ゛ーもうマヂ無理おろろろげぼぼぼぼ」
ミチルが機械(アンドロイド)のタフさで強引に操縦する一方、飛行戦闘に不慣れなスカルはこの時点でかなり気持ち悪くなっており、今の空中機動で遂に限界突破して、コクピット内で白目を剥いて無様に嘔吐した。
「ちょっと、無線に汚い声が入ってます! 情けない玉無し人間下水管!」
下降から急反転でU字を描き、ブルーバードの猛烈な上昇軌道! スカルは敵を撃つどころではなく、ジェットコースターめいた重力移動に目を回す!
PEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOW!
「そんな言われても、人間は機械ほどタフじゃないんでぐげぼぼろろろろ」
殺到するレイダーの電磁砲弾! 急旋回を繰り返すミチル! コクピットに吐瀉物を撒きつつも、スカルは平静を取り戻すよう自分に言い聞かせる。
「来てますよ、早く撃ちなさい人間! 自分の仕事を全うしなさい!」
「イェス、マム!」
スカルは飛行機酔いで死にそうな顔をしながら、口のゲロを拭って操縦桿に手を伸ばす。チカチカと時空操作が割り込む奇妙な感覚の中、コクピットを見渡してレーダー表示や情報コンソール、メイン画面を次々と確認する。
「異常なし。コクピットは大惨事。問題なし……おえっぷ!」
スカルは八の字前方左右の操縦桿を握り、照準線に目を凝らし強烈な右G!
PEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOW!
「早く撃てと言ってるのです、この原始人童貞能無し玉無し汚水ポンプ!」
「イェス、マム!」
スカルは恐ろしく美しく閃く流星群にも似た電子光に目を瞬き、シートから転がり落ちそうなGの中で歯を食いしばり、操縦桿に食らいついて叫ぶ!
BUDDDDDDDDDDDDDDDA! KBAMKBAMKBAMKBAMKBAMKBAM!
ブルーバードは反動の凄まじさに機体を押し上げられ、硝煙立ち込める中で上昇圧力に抗わず機首を掲げ急上昇! 空中に迫り来るレイダー隊の眼前で咲き乱れる空中炸裂弾の花火! 誘蛾灯のごとく触れた者を墜落せしめる!
「良く出来ました! 本当にいい景色で胸が躍ります! ご褒美ですよ!」
ミチルは顔を上気させて、ブルーバードを宙返りから錐揉み急降下させる!
「これがご褒美なのおおおおああああげぼぼぼぼおろろろ!」
その姿はあたかも、黄金のランチュウが水面に映る花火に心躍らせ、水中を即興で舞い踊るようだった。もっとも、ランチュウの腹下で文字通り金魚のフンのごとく必死にへばりつくスカルには、優雅さを感じる余裕などない!
PEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOW!
「ちまちま銀河カモ撃ちをやってたんじゃらちがあきません! 宇宙盗賊を景気よく一掃する兵器は無いのですか、スカル! 想像力の不足ですよ!」
「ハーッ、ハーッ、ハーッ……そ、そこを突かれると痛いですね」
「想像力で何でもできるのでしょう! 何故に貴方は現実の枷に自ら進んで嵌まり込むのですか! なぜ妄想と虚構の可能性を信じないのですか!」
「今そんなこと話してる場合ですかーッ!?」
PEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOW! BUDDDDDDDDDDDDDDDA!
ブルーバード、急上昇! バレルロール三次元複雑軌道! 舞い踊る閃光!
「もうチマチマ逃げ回るのは終わりです! 私の手で引導を渡します!」
「イェス、マム!」
「考えてみれば私は武装の発射権限がありません、ということは貴方が私に変わって彼らに引導を渡すのです、スカル! 実に光栄なことです!」
「イェス、マム!」
「返事ばかり一人前の木偶の坊ですか、貴方に玉はついてますかスカル!」
「マム、イェス、マム! 私にも玉はついています!」
「童貞の私にもついています、でしょうスカル?」
「マム、イエス、マム! 童貞は余計です!」
「首尾よく仕事がこなせたら、童貞を卒業させてあげてもいいんですよ?」
「マム、イェス、マム! 今なんて言いましたか?」
「私にはメイドタイプに不要の器官が備わっているのですよ、スカル」
PEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOW! BUDDDDDDDDDDDDDDDA!
「私はただの機械ではありません。私の言っている意味が分かりますか?」
「マム、ノー、マム!」
「今いやらしいことを考えたでしょう、スカル。変、態。お仕置きです」
「ノオオオオオオオオオッ!」
PEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOWPEWOOW!
大空に向かって機首を屹立させたブルーバードが、そのままの姿勢で静止し錐揉み軌道からの垂直落下を始める! そこからの天地逆転そして急降下!
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛おろろろろげぼげぼげぼごばばばッ!」
「交渉が決裂したら銃を抜き相手の頭を吹き飛ばせ! 銀河交渉術です!」
「マ゛ム゛! イ゛ェ゛ス゛、マ゛ム゛!」
眼下の燦々と煌めく陽射しで宝石箱を散らしたような海に、ブルーバードは身投げするような急角度の滑り台降下! 加えて錐揉み回転の曲芸飛行!
BUDDDDDDDDDDDDDDDA! 気違いじみたスーサイドフライトの只中でスカルは白目を剥きながらトリガーを絞る! 空中炸裂弾、円形散布!
KBAMKBAMKBAMKBAMKBAMKBAM! 大輪の向日葵めいて海原に咲く炸薬と反重力光と血潮の花! それらめがけてブルーバードは突っ込む!
「スカル、私は貴方が気に入りました! この戦いが終わったら、ミチルの旦那様になる権利を与えます! 何でも貴方に命じられるがままですよ!」
「おろろげぼぼぼぼ……ノー……マム、ノー、マム」
「即答ですか! 少しは嬉しそうにしたらどうです貴方! 童貞らしく!」
「私は支配被支配の関係は嫌なのです、ミチルさん」
「しゅ、主従関係すら嫌だと言うのですか!? これ以上私にどんな変態的行為を求める気ですか! 貴方は童貞を拗らせ過ぎではありませんか!」
「そういう意味じゃねえええええおろろろろごばばげぼぼぼぼ!」
絶叫し嘔吐するスカルの眼前で、後続のレイダーたちを射撃管制レーダーの照準枠線が次々と囲い、彼は対戦車ミサイルの発射スイッチを拳で叩く。
WHOOSHOOM! WHOOSHOOM! WHOOSHOOM! WHOOSHOOM! WHOOSHOOM! WHOOSHOOM! WHOOSHOOM! WHOOSHOOM!
ハウンド鎖骨上の発射機より、対戦車ミサイル8発同時発射! 蜘蛛の子を散らすように、レイダーたちがアクロバット軌道を描いて逃げ惑う!
PEWOOW! PEWPEWPEW! PEEWOOW! PEWPEWPEW! PEWOOW!
PEWOOW! PEWPEWPEW! PEEWOOW! PEWPEWPEW! PEWOOW!
磁性体フレシット弾と電磁砲弾、対空砲火のごとく青白い閃光が瞬く!
BTOOMBTOOMBTOOMBTOOMBTOOMBTOOMBTOOMBTOOM!
「対ミサイル装備も碌に持ってない……宇宙人って一体何なんだ……」
天地も方位も定まらぬ、色も明るさも不明瞭、生と死の境、夢現のあわいの気の触れた視界と精神状態で、スカルは口からゲロを垂れ流しつつ呟いた。
眼前の空中に、遠いようで近いような場所、エノシガイオス揚陸艦が随分と近づいたようだ。眼前のレイダー数機が機首を翻し、母艦へと逃げ帰る。
「遊びはもう終わりです! 私は怒りました! スカル!」
スカルは最早ミチルの呼びかけに答えず、ゾンビのごとくトリガーを絞る。
BUDDDDDDDDDDDDDDDA! KBAMKBAMKBAMKBAMKBAMKBAM!
更に数機が、極楽の泥濘に咲く蓮花に抱かれ散って行った。しぶとく残った数機は母の腹の内へと我を争い飛び奔る。リボルバーカノンは火を噴かぬ。
「あ……弾切れ……」
「何を呆けているのですかスカル! 正念場ですよ! 聞いていますか!」
「……ヤバいかも」
「何か言いましたか!? 聞こえませんよ!」
スカルは手元に残った発射機のミサイルでレイダーをロックし、撃ち放つ。
WHOOSHOOM! WHOOSHOOM! WHOOSHOOM! WHOOSHOOM!
鎖を解き放った犬のように、対戦車ミサイルがレイダーを追う。レイダーは必死に逃げる。ブルーバードは噴煙の軌跡を追って飛ぶ。ミサイルの距離が次第に縮まっていく。レイダーは母に手を伸ばす。一つまた一つ、爆ぜる。
BTOOM! BTOOM! BTOOM!
はぐれた一匹が獲物を探す。母の豊満な肢体を狙い、顎を広げ飛びかかる。
BUZZZZZZZ――BTOOOOOM!
海上に漂う湿った空気が、揚陸艦から放たれた光の帯を微かに照らした。
「レーザー迎撃装置」
BUZZZZZZZZ――KBAM! 衝撃と共に機体がガクリと傾いだ。ローターのどれか一つをレーザー兵器で焼き切られたのだ。もう後戻りはできない。
「キャアアアアッ!? ……大丈夫、まだプロペラは3基残っています!」
BUDDA! 船首の砲口があらぬ方向に弾を撃つ。ブルーバードは限界まで加速して砲撃を顧みず、揚陸艦に突っ込む。スカルは破滅の足音を感じた。
BTOO――FLAAAAAAAAASH!
神の怒りにも似た紫電の閃光が一体の空と海を突き抜け、計器が明滅する。
「機械(アンドロイド)だって……私だって……空を飛べる!」
ミチルの眼前で、金色堂の風防の外に広がる海と、眼下に揺蕩う揚陸艦とが紫電の閃きに呑まれ、音も無く消失した。彼女のアレキサンドライトめいた双眸に映るのは、静かなる森と湿地の花園を見下ろす空。白無垢をまとった彼女は4枚の羽根で宙を舞う蝶となり、大空に舞い上がる蝶の一群を追って花園を軽やかに舞い踊る。ミチルは羽ばたいた。眼前の空に万華鏡のごとく煌めく極彩色の蝶たちを追って、夢にまで願った輝きに手を伸ばす。彼女は追いつけない。どれだけ羽ばたいても、伸ばした手は届かない。蝶は彼女の羽ばたきを嘲うように、軽やかに渦を描いて天に翔ける。ミチルは諦めずに羽ばたきを強め、千切れんばかりに手を伸ばした。抜けるような青空の頂に輝く太陽。白無垢の羽根が焼け落ちる。彼女は空から拒絶され、墜ちる。
「……電磁パルス兵器。ハッ!?」
スカルは不意に我に返り、スローターハウンドの計器盤を素早く確かめた。
「オールグリーン。何も問題は無い」
当然だ。ハウンドの電子装置は電磁パルス攻撃を対策した構造なのだから。
「ヴォアアアアオオオン! ヴォアアアオオオオオン!」
無線機から銀河ネコの声が響いてくる。ミチルの声は聞こえない。つまり。
「ミチルさん!? ミチルさん聞こえますか! ミチルさん! クソッ!」
スカルはゲロ塗れの計器盤を拳で叩いた。水平を保っていた機体がガクリと機首を項垂れ、揚陸艦へ身投げするように自由降下で空を滑り落ちる。
恐らく、ミチルはパルス攻撃で意識を失ったのだ。スカルが電磁パルス弾を撃ち込んだ時のように。ミチルだけではない。彼女の駆る金のトビウオ……ギャラクティック・キャット号もまた、電磁対策は施していないのだ。
「ヴォアアアアオオオン! ヴォアアアオオオオオン!」
猫は無線機の向こうで必死に鳴き続ける。助けを希うように。その声を聞くスカルはどうすることもできない。トビウオの無線機は、電磁パルス攻撃を奇跡的に生き延びたのだろう。恐らく、スカルの声も相手に聞こえまい。
「ヴォアアアアオオオン! ヴォアアアオオオオオン!」
「落ち着いて! 私はここに居ます! 私は、私が、やるしかない!」
BUZZZZZZZZ――KBAM! BUZZZZZZZZ――KBAM! 艦上のレーザーが閃いてティルトローターを焼き落とす。子供が虫の足を捥ぐように。艦砲がこちらに向けられ、青白い電子光が砲口に満ちる。スカルは覚悟を決めた。
「ウオオオオオオオオッ!」
ゲロ塗れの操縦桿に手を伸ばし、ハウンドの手足を素早く開き、風を孕んで空気抵抗で進路を変える。PEEWOOW! 電磁砲の一撃が、進路を予測して放たれる! スカルは決死の形相で操縦桿を手繰り、空の上で足掻いた。
BUZZZZZZZZ――KBAM! BUZZZZZZZZ――KBAM! レーザーが連続で照射され、ブルーバードのあちこちが壊れていくのを衝撃に感じる。
「まだ落ちません! まだ、もう少しだけ! どうか持ってください!」
機体の全身にまとわりつく空気が不気味な唸り声を上げ、揚陸艦との距離が着実に近づく。ランディングに入った。このまま行けば確実に、辿り着く。
PEEWOOW! PEEWOOW! PEEWOOW! KBAM! KBAM! KBAM!
トビウオの羽根や尾がが捥がれ、ハウンドの頭が、手足が吹き飛び、計器に無数の警告灯が灯る。恐ろしい金切り音。ミチルは未だ目を覚まさない。
「ヴォアアアアオオオン! ヴォアアアオオオオオン!」
PEEWOOW! KBAAAAAAM! もはや避けることも叶わぬ。死を宣告する青白い矢が機体を、ハウンドの胸部の直ぐ脇を食い破り、背面のトビウオの腹部をも大きく引き裂き、半身を捥ぎ落す。視界の脇の下方に海が覗いた。
「げぼぼぼぼおろろろろろッ、ハーッ、ハーッ……まだまだこれからだ!」
ソウルアバター……持ち主の精神と同調して作られし兵器、つまり持ち主の精神そのものを紙細工のごとく切り刻まれ、スカルは泣きながら笑った。
PEEWOOW! KBAAAAAAM! 更にもう一撃。徐々に遠のく意識を此岸に繋ぎとめるための手段を、スカルは探した。あともう少しだけ気持ちを保つ何か強い意思を。何でもいい。意識を繋ぎとめる何かを考えろ……考える。
(今いやらしいことを考えたでしょう、スカル。変、態。お仕置きです)
ほんの少しのもっこりが。ドクロのように白みかけた顔を生の朱に染める。
「ダメだこりゃ」
隕石のように舞い落ちる妄想が。CRA――TOOOOOM! 空蝉に着床する!
【13】
エノシガイオス揚陸艦、第2甲板・レイダークラフト格納庫。帰る子の無いがらんどうの胎内に乾いた冬の陽射しが注ぎ、赤と金の粒子が螺旋を描いて昇天し虚空に還元され消え失せる。後には倒れ伏すミチルとスカル、そして土鍋から上半身を出して震える銀河ネコを、恐ろしい静寂の中に残して。
母艦に残留した4649小隊のメカスーツ、その残党たちが、黒御影の磁力銃を抱えて歩み寄る。銀河ネコは、危機を察してミチルを庇い、覆い被さる。
「ヴォアアアアオオオオン! フシャーッ!」
「縺ソ縺、縺代◆縲√ぐ繝ウ繧ャ縺ュ縺薙□」
「繧ォ繧ッ繝帙@縺溘◇」
「縺セ縺輔°繧ク繝悶Φ縺溘■縺ョ繝帙え縺九i縺阪※縺上l繧九→縺ッ縺ェ」
「繝翫き繝槭′繧ソ繧ッ繧オ繝ウ縺励s縺倥∪縺」縺溘●」
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「繧オ繝ウ繧カ繝ウ縺ヲ縺薙★繧峨○縺ヲ縺上l縺溘↑」
「繧キ縺ュ」
「繧ク繝」繝槭□」
「ヴォアアアオオン! ヴォアアアアオオオロロロローン!」
メカスーツの腕で土鍋ごと強引に引き離された猫が、必死に暴れ鳴き喚いて装甲に歯や爪を立てるも、柔らかい人肌の温かみを失った異星の科学の鎧はビクともしない。スカルとミチルに青白い銃口が構えられ、誰かが制する。
「縺翫>縺セ縺ヲ」
「繝翫ル縺九s縺後∴縺ヲ繧薙□」
「縺翫■縺、縺代h縲ゅ♀繧薙↑縺ッ繧ォ繝阪↓縺ェ繧九●」
「繝舌き縲ゅ%縺ョ繧「繝舌ぜ繝ャ縺後リ繧ォ繝槭r」
「繝舌き縺ッ縺ゥ縺」縺。縺九°繧薙′縺医m縲√リ繧ォ繝槭′縺ェ繧薙□縲√ず繝悶Φ縺ョ繧ォ繝阪r繧キ繝ウ繝代う縺励m」
「繝翫き繝槭′繧キ繧薙□繧峨が繝ャ縺溘■縺ョ繧ォ繝阪′縺オ縺医k」
「繧ソ繧、繧偵◆縺ヲ縺ェ縺翫☆縺ョ縺ォ繧ゅき繝阪′縺九°繧九●」
「縺昴l縺ォ縺薙>縺、縲√い繝翫′縺ゅk繧薙□繧阪≧」
「繝舌き縲ゅく繧ォ繧、縺ィ繝、繧九d繧阪≧縺ョ縺阪′縺励l縺ュ縺医h」
メカスーツたちが喧々諤々話し合い、最後まで2人を撃ちたがっていた者もやがて呆れたように頭を振り、磁力銃の銃身を肩に預けて溜め息をついた。
「繧上°縺」縺溘h縲ゅ°縺」縺ヲ縺ォ縺励m縲ゅ←繝シ縺ェ縺」縺ヲ繧ゅそ繧ュ繝九Φ縺ィ繧峨s縺九i縺ェ」
銃口を上げたメカスーツが後ろを向き、バイザーを開いて金星シガレットを咥え火を点す。メカスーツの1人がミチルに手をかけて引きずり、他の者は手に手に磁力銃を構え、スカルを見下ろし、蹴り回して口々に呟いた。
「繝倥ャ繝倥ャ繝倥ャ縲√Ζ繧ッ繝医け繝、繧ッ繝医け」
「縺阪∪繧翫□縺ェ」
「縺倥c縺ゅd繧翫∪縺吶°」
「縺倥c縺ゅ↑縲√メ繧ュ繝・繧ヲ繧ク繝ウ」
「縺薙l縺ァ縲√が繧キ繝槭う」
PEWPEWPEWPEWPEWPEW! KBAMKBAMKBAMKBAMKBAMKBAM!
至近距離からの磁性体フレシット弾、その執拗なまでの弾の雨ががスカルの全身至る所を吹き飛ばし、彼が携えていたブラックベリーをも破砕した。
「「「「「繝、縺」縺溘●」」」」」
彼らメカスーツたちは気づいていなかった。スカルを戯れに蹴り回した時、傍らの偽アイポンを、ほんの数mばかり蹴り転がしてしまったことを。
[ EMERGENCY: The user's main terminal has been destroyed. ]
[ ACCEPTED: Promptly delegate user authority to sub-terminals. ]
格納庫の躯体の影、偽アイポンの画面が密やかに点灯し、コードが起動。
[ ULTIMA RATIO: NO ONE WINS expand code …… 100% completed. ]
血肉の爆ぜ飛んだスカルの身体に、天空から赤い粒子が舞い降り物理肉体を再構成する。ただ再構成するだけではない。膨張する。風船のように内から張り詰めて張り裂ける。血肉がしぶく。赤い粒子が再び寄り集まり、身体を再構成する。再び膨張して弾ける。再生する。膨張する。弾ける。再生して膨張して弾けてまた再生して膨張して弾けて再生して膨張して弾ける。
人間の原型を失った肉塊が身を起こし、肉の山が膨張して爆ぜる。血飛沫を撒き散らし、一つ、二つ、三つ……肉塊の上部から新しい頭が突き出す!
「GOAAAAAAAAAAOHHHHHHHH!」
無貌の顔が血塗れの乱杭歯を開いて咆哮! その体躯は熊のごとく巨大だ!
「繧ヲ繝ッ繝シ縺」」
「繝翫Φ縺ェ繧薙□繧医%繧翫c」
「縺ー縲√ヰ縺代b縺ョ」
「縺薙m縺帙▲縲√≧縺ヲ縲√≧縺ヲ縲√≧縺。縺薙m縺帙▲」
「繧キ縺ュ繝シ縺」」
PEWPEWPEWPEWPEWPEW! KBAMKBAMKBAMKBAMKBAMKBAM!
血塗れのメカスーツたちはたじろぎつつも後退し、黒御影の磁力銃で眼前の肉塊を撃ちまくる! 撃ち続ける! 爆砕させ続ける! しかし!
「縺ェ繧薙↑繧薙□繧医♀」
肉塊は、再生する! 赤い粒子が天空より集まり、前より少しずつ大きく!
「繧ヲ縺」縺ヲ繧ゅ@縺ェ縺ュ縺医◇縺」」
『ノー・ワン・ウィンズ』! それは物質化(マテリアライゼーション)と肉体復元技術の冒涜的螺旋が生んだ、肉と電子の怪物! 監視対象の生命を保持する『スペア・パーツ』が秘めた最終手段は、常世の国の神降ろし!
PEWPEWPEWPEWPEWPEW! KBAMKBAMKBAMKBAMKBAMKBAM!
PEWPEWPEWPEWPEWPEW! KBAMKBAMKBAMKBAMKBAMKBAM!
PEWPEWPEWPEWPEWPEW! KBAMKBAMKBAMKBAMKBAMKBAM!
PEWPEWPEWPEWPEWPEW! KBAMKBAMKBAMKBAMKBAMKBAM!
「UGAAAAAAA! AHHHHHHH! AHHOHHHHH!」
それは顔のごとき肉塊から血の涙を流し、身体の至る所から血をしぶかせて肉や骨を突き出させ、骨肉を電子の煌めきで銃砲や刀剣へと変換し!
PEW! KBAM! ――CLICK! CLICK! CLICK! CLICK! CLICK! CLICK!
「繧ウ繝ュ縺輔l繧九▲」
VLOOOOOM! チェンソーで弾切れの銃を抱えたメカスーツを一刀両断!
「縺ゅ℃」
BLAAAAAM! グロテスクな散弾銃で呆然とするメカスーツを一撃粉砕!
「繧上▲縲√o縺」縲√o繝シ」
SQUISSSSSH! 空想槍兵器パイルバンカーでメカスーツを一気通貫!
「AHHHHHHUHHHHHHH……OHHHHHGAAAAAA!」
虚実の怪物が格納庫の天を仰いで咆哮! 敵を求めて船室へと歩み出す!
「縺ゅ≠縺ゅ≠縺ゅ≠」
「縺励▲縲√す縺ォ縺溘¥縺ュ縺医▲」
「ヴォアアアオオオン!」
残ったメカスーツたちは銀河ネコもミチルも放り出し、我先にケツを捲って揚陸艦の奥へ奥へと駆け出した! 肉塊と武器の邪神が彼らの後を追う!
【14】
揚陸艦、機械室。広大な宇宙空間を移動する時空航行装置、無重力の空間で加速するイオン粒子エンジン、重力下で用いる反重力粒子エンジンといった動力機関や、水や空気の浄化装置などの機械をまとめて集中管理する区画。
そこにはいわゆる機関員、小隊の直接戦闘には従事せず、船内のそういった機械設備を維持管理する艦船の裏方たちが、小隊の作戦行動と人間の生存に直結する機械類に異常がないか、数人一組で日夜作業に従事していた。
「OHHHHHHAHHHHHH! GWOOOOOOOO!」
そこに、格納庫を通じてやってきた肉と武器の邪神が! 危険を示す標識の横に立つ分厚い扉を破り、機関員メカスーツたちの前に姿を現す!
「繧ヲ繝ッ繧「繧「繧「繧「繧「繧「縺」」
「縺ェ繧薙□縺ゅ>縺、縺ッ縺」」
「縺ー縺代b縺ョ」
「縺薙l縺ァ繧ゅ¥繧峨∴」
PEW! PEW! PEW! PEPPPPPPP! PEPPPPPP! 機関員たちは腰や首に下げた磁力拳銃や磁力SMG、外部コードを持たぬバッテリー内蔵の軽武装を邪神に掲げ、果敢に連射する! 肉の山のごとく身体には全くの無意味!
「QUOOOOOOO!」
邪神は青白い銃撃で肉山を波打たせつつ、悍ましい三つ首の乱杭歯を開いて無色透明の蒸気を噴出、空気を陽炎で揺らめかせる! 機関員たちは周囲の動力装置やラックサーバーを盾にして、後退しつつ銃撃で抵抗を続ける!
PEW! PEW! PEPPPPPP! PEPPPPPP! PEW!PEW! PEW! 豆鉄砲がパチパチと青白い電子光を迸らせ、爪楊枝をぶつけるように磁力弾を放つ!
「WOOOGAAAAAA!」
邪神の骨肉が赤い電子光をまとって変形し、トリアイナ電磁砲を形成!
「縺セ縺壹>縲√↓縺偵m繝シ縺」」
PEWOOW! KBAAAAAM! 電磁加速された光の矢が、遮蔽物の装置ごと機関員メカスーツを数人まとめて貫通! BTOOM! SPAARK! 血飛沫が吹き荒れる中、連続する爆発や電気ショートに悲鳴と怒号が混ざり合う!
「繧上≠繝シ縺」縲√◆縺吶¢縺ヲ縲√◆縺吶¢縺ヲ縺上l繝シ縺」」
メカスーツの一人が遂に肉腕に囚われ、SPLAAAAASH! 装甲の肩と腰に絡みつく2本の肉腕が、メカスーツの装甲ごと胴体を引き千切って、周囲に夥しい血と臓物を撒き散らす! 邪神は機関員の残骸を装置に投擲した!
BTOOM! SPAARK! PEW! PEPPPPPP! PEPPPPPP! PEWOOW!
「QUOOOOOO!」
邪神の三つ首が蒸気を噴き、目につく機械装置を無差別に攻撃! 駆動系に致命的損傷をもたらし、BTOOOOOM! エネルギーが逆流し大爆発!
「「「「「繧ョ繝」繧「繝シ縺」」」」」」
BTOOM! BTOOM! BTOOM! SPAARK! SPAARK! SPAARK! 無数に連鎖する爆発がメカスーツと邪神を巻き込み、機関室の扉から強烈な勢いで火焔とショート電流、イオン粒子と反重力粒子がない交ぜに噴出する!
航行に必要な基幹部分を徹底的に破壊された揚陸艦が、空中で制御を失ってガクンと傾いた。艦船のダメージコントロールを想定して別所に配置された予備動力がフル稼働、即時の墜落こそ避けるも次第に艦の高度を落とす!
OOUUWWIIOOUUWII! 動力をやられた影響で、揚陸艦内の照明が落ちて暗がりが広がる中、各所で赤色灯が回転、大音響のサイレンが危機を叫ぶ!
「繝峨え繧キ繧ソ」
「繝翫Φ縺ョ繧オ繝ッ縺弱□」
控え室で待機していた機関員メカスーツたちが騒動を聞きつけ、消火装置や修理工具一式を手にして機関室に駆け付ける! だが今の彼らに必要なのは工具ではなく武器だ! メカスーツたちは入口から窺える惨状に呆然自失!
「縺ェ縺ォ縲√′窶ヲ窶ヲ縺翫%縺」縺ヲ窶ヲ窶ヲ」
ガシャリ、ガシャリ、ガシャリ。機関員メカスーツたちはヘルメットの下で呆けたように口を開けて、手にした器具を次々と放り出す。室内で踊り狂う電光と爆炎、イオン光と反重力光の中から、肉の巨体が姿を現す。
「OOOOOOGGAAAAA!」
人間を畏怖させる鯨のごとき大声が、サイレン音に負けじと空気を震わせてメカスーツたちを立ち竦ませる。邪神の肉体が変異し、捕鯨銃を生成!
BUDDA! 血塗られた弩砲(バリスタ)が巨大矢を射出、その場で固まるメカスーツを装甲ごと鏃で貫徹し、数人まとめて廊下の壁に縫い付ける!
「「「縺弱c縺シ」」」
設備の修繕どころではない! 設備は小手先の修繕で機能維持できる段階をとうに過ぎ去り……その後は潰走あるのみ! 残された機関員たちが逃走!
PEWPEWPEW! BRAT-A-TAT! VROOOOOM! 彼らの背後から悍ましい武装の音を響かせて、肉の邪神が通路一杯に身体を充満させて迫り来る!
ガクンと艦が再び大きく傾き、機関員たちは無重力めいて浮ついた足取りで酔っぱらったようにフラフラと走る。遠からぬ墜落を暗示する振動に彼らは恐怖を覚えた。墜落するのだ。この地球に。遥かな銀河を駆けるあの冒険の日々にはもう戻れない! 彼らはメカスーツの下で失禁し、脱糞した!
「GWOOOOO!」
SHOOM! SHOOM! SHOOM! SHOOM! 機関員たちの背後で、骨肉の4連ロケットランチャーが続々と発射! L字通路の壁を目がけて殺到!
「繧ゅ≧雖後□繝シ縺」」
「縺薙s縺ェ縺ョ繝ヲ繝。縺ォ縺阪∪縺」縺ヲ繧九▲」
ギリギリのタイミングで、メカスーツたちがL字通路の向こうに飛び込む!
BTOOM! BTOOM! BTOOM! BTOOM! メカスーツたちは爆風に呷られフロアを転がり、手に手を取り助け起こしては駆け出す! エレベーターを横目に通り過ぎ非常階段を目指した! 動力源が損傷しているので、退路は階段が頼りだ! 年長の機関員が先頭で鉄扉を押し開け、後続を行かせる!
PEWPEWPEW! KBAMKBAMKBAM! 最後に残された年長メカスーツに磁性体フレシット弾が複数着弾! ショート電流を帯びて肉体が爆散!
「繧ヲ繧ヲ繝シ縺」」
同僚の死を間近に見た機関員たちは、バイザーの奥で涙に声を詰まらせつつたたらを踏んで階段を駆ける、駆ける、駆け上がる! 赤色灯が回り警報が鳴り響く暗いフロアに目を凝らし、僅かな軽武装だけを携えて進む!
どこに逃げればいいかなど、誰にも分からぬ! 彼らが居る場所は空の上の孤独な浮島。どこにも逃げ場など無い! しかしせめて、どこかに墜落して地上に逃げ出せるまで、仲間と立て籠もって抵抗を続けられる場所に!
彼らが通り過ぎようとしたフロアの壁面に、艦の格納庫と上部構造物を繋ぐエレベーターがあった。メカスーツの一人が観音扉に目を遣ると、凄まじい金属音と床を揺るがす振動を伴い、扉が内側から外側に変形、盛り上がって次第に押し広げられ、扉の境目からシャフトへ流血を垂れ流していく。
「GWOOOOOOOO!」
怒れる猛獣の叫び声を伴い、観音扉の裂け目から何かが! 人間の腕じみた肉の触手が何本も突き出される! 金属を軋ませ、変形した観音扉を強引に抉じ開けて、エレベーターシャフトを通じて肉塊がフロアに這い出てくる!
「GOAHHHHHHHHH!」
SPLAAAASH! 巨大イカの触手めいたバスタードソードが、メカスーツを金太郎飴のようにカチ割って臓物をばら撒く! 骨肉の変形武器が瞬く間にメカスーツたちへ襲い掛かる! ハルバードやグレイブが振るわれる!
PEW! PEW! PEW! SPLAAAASH! SPLAAAASH! SPLAAAASH!
「WOOOOOOO! AHHHHHHH!」
機関員メカスーツを殺戮した邪神は、更なる獲物を求めて船橋を目指す!
【15】
東京湾にかかる斜陽、薄暮の空に影を背負い、爆音を連鎖させイオン粒子や反重力粒子を空に曳いて墜ちる機影は、異星の揚陸艦・エノシガイオス!
神奈川と千葉の突端を繋ぐ、東京湾の入口。地球の重力に引かれて揚陸艦が放物線を描く先にあるのは小さな陸地。湾岸上に浮かぶ小さな人工島だ。
その名は……東京湾第二海堡! 戦時中に東京湾要塞の一角を構成していた海上砲台の遺構! ブーメラン形を成す人工島の屈曲部、かつて湾岸を睨む砲台が築かれていた遺構に、避けようもなく、銀河の海賊船が墜落する!
BTOOM! BTOOM! BTOOM! BTOOM! BTOOM! BTOOOOOOM!
揚陸艦は機首からコンクリートの土台に突っ込み、その圧倒的な質量の力で岩盤のように固い地を捲り上げ、墜落の衝撃で船体を歪ませ、連なる爆発が構築物を薙ぎ払う! 荒波打つ小島に煙が立ち昇り、死の静寂が訪れた。
ZTOOOM! 格納庫を含む船体後部が、金属の軋む音と共に剥がれ、千切れ地に叩きつけられ、土埃を上げる。やがて土埃の奥から人影が歩み出た。
「ここは? 私は一体何を? スカル? スカル! どこですか!」
冷たい海風が土埃を吹き払った後に浮かび上がった姿は、姫カットの黒髪を揺らし、OLスーツを土埃に塗れさせた鉄の乙女。ミチルだった。顔を象った人口皮膚は半分剥げ落ち、片腕は曲がり、捩じくれた片足でびっこを引いて歩いていた。それでも曲がった片手で偽アイポンを握り、無事な方の片腕で銀河ネコの土鍋を大事そうに抱いて、ノイズ交じりの声で男の名を呼んだ。
「フギャアアアオオオオ……フー、フー、フー」
ミチルの胸の内で、猫が背を丸めて苦しそうに呻く。ミチルは案ずるように双眸を窄め、猫を撫ぜようと手を伸ばすが、壊れた片手では触れられない。
「今の私では、貴方を撫でてあげられませんね。修理が必要みたいです」
ミチルは力ない微笑を浮かべて呟き、暮れかけた東京湾第二海堡の荒涼たる遺構を歩いた。人口の岸壁に打ち寄せる荒波と斜陽、彼方の陸地と大都会の風景に目を凝らした。彼女が恃んだメガフロート都市は窺えなかった。
「ピカッと光ってそこから先は……何も。私が気を失っている間、スカルは一人で戦っていたんですね。私はダメですね。何も役に立てませんでした」
「GUOOOOOO!」
「何の声ですか!?」
静寂に貫く獣の咆哮に、ミチルは音のした方を反射的に振り返った。彼女は慌てて駆け出そうとして躓き、土鍋を庇って背中から倒れる。偽アイポンが手から滑り落ちる。ミチルは曲がった手を不自由そうに伸ばして掴み取る。
「スカル? スカル! 居るんですか!? 応えてください!」
「OHHHHHHH! AHHHHHHHH!」
咽び泣くような声を上げ、黒煙を上げる揚陸艦の残骸から躍り出る巨体!
そして、おお……彼もまた生きていた! それはかつて『目明しスカル』と呼ばれたパルプスリンガー、物騙ることを志した一人の青年の成れの果て!
『スペア・パーツ』の防衛機能により、『ノー・ワン・ウィンズ』の怪物に身を窶した男の夢の跡! マテリアライゼーション・プログラムに呑まれた求道者の末路! それは輸送コンテナほどのサイズまで膨張した肉塊!
「WOOOOOOOOO! AAAAAAAOHHHHHH!」
肉塊は啼く! 頭を振って這い進む! 母を求むる赤子のごとく!
「何ですかこれは……最後の最後にこんなのって……」
そして、ミチルはそれに邂逅する。燃え上がる揚陸艦を背に、夕日を浴びて地を這う悍ましい怪物に。逃げようと後退り、躓いて腰から崩れ落ちた。
「GWOOOOOOO!」
邪神は血塗れの頭を夕焼け空に突き上げ、我が身を嘆くように声高く叫ぶ。
「……スカル?」
ミチルは見てしまった。その高性能な眼球ユニットのズーム機能で。肉塊の邪神の泣き叫ぶ三つ首の根本。スカルの着ていた黒衣の小さなネクタイを。
「GOAAAAAAAAA!」
無数の肉腕がミチルに伸ばされる。彼女は抗えない。半身を逸らして両足を広げた煽情的な姿勢で、眼前に伸びる男たちの腕を想起し、凍りついた。
「あッ」
彼女の手から離れていく。指先から零れ落ちる。大事な物、守ろうと誓った彼女の宝物が。偽アイポンが。銀河ネコが。彼女の寄す処が。邪神の肉腕がミチルを絡め取り、肉塊の内側へと引きずり込む。銀河ネコは土鍋から身を乗り出し、ミチルを助けようと伸ばした手に絡みつき、人工皮膚でつるりと肉球を滑らせては、諦めずにスーツの襟首へと齧りつき、決して離すまいと両前足の爪を立てた。スーツが裂ける。銀河ネコの鎌上半身が離される。
「ヴォアアアアオオオオンッ!」
長い胴体を地に横たえ、邪神を見上げて泣き叫ぶ銀河ネコの前で、ミチルは悍ましい肉の獄へと呑み込まれていく。驚いたような、怯えるような顔で。
「ヴォアアオオ……ヴォアア……オオオオ……ヴォ……」
ミチルの身体は肉塊の奥へ奥へと取り込まれ、銀河ネコの泣き叫ぶ声も直に聞こえなくなった。身動きの取れない暗闇の中で、ミチルは手足を動かして必死に藻掻く。藻掻けば藻掻くほど、肉は彼女の身体に絡みつき、絡め取り動きを封じていく。窒息死すら許されぬ闇の奥底に囚われ、ミチルは涙なく嗚咽した。これが末路なのか。銀河ネコを守り抜く、ただそればかりを心の寄す処に幾星霜を巡って来た旅の末路が。こんな場所で、こんな無様に。
ミチルの思考回路に、何かが入り込んでくる気配があった。何かどろどろと粘ついた冷たい泥濘のような、凝った思念が。彼女はそれに抗った。自己を保とうと、飲み込まれまいとシステムを再起動した。暗闇と沈黙とが彼女の意識を覆い隠し、そして目を覚まし……状況は変わらなかった。押し寄せる膨大な思念にミチルは成す術もなく組み伏せられ、思念を流し込まれた。
「お願い……入ってこないで……私の中に……それは私だけのものなの……」
ミチルは拒むように固く目を鎖すも、抗い様も無く彼女の視覚上に幾つもの景色が展開された。彼女の忘れてしまいたい過去が。人前で笑い、人知れず嗚咽し、夜の闇に銀河ネコの駆ける姿を目を見張ったあの日の夜の記憶が。
「見ないで……見ないで……見ないで……私は……違う……私じゃない……」
心の中で箍が外れ、初めての殺人を犯した日。それからの孤独な旅。空から降ってきた銀河ネコの幼獣。そして殺人。決意した。大人になるまでこれを守り抜こうと。当て所ない星から星への道程。宇宙盗賊との果てなき戦い。
「私は……私は心の無い機械……私は寂しくなんかない……孤独じゃない……」
自分に言い聞かせるミチルの視覚上に、また別の景色が展開された。それは見たこともない街、見たこともない風景に立つ一人の少年。ある時は誰かの影に隠れ、ある時は誰かと正対し、戦い、そして破れ、時に人目を憚らずに泣き腫らし、人の目を忍んで涙を流す孤独な少年。疎ましげな声。男だから泣くなと諭す声。やがて彼は泣くことを止め、心を鎖して孤独に歩むことを選んだ。悪を成さず、求める所は少なく、林の中の象のように……。
「AHHHHHH! UGAAAAAAA! GWOOOOOOO!」
肉塊の邪神は身悶え啼く。悍ましい血塗れの三つ首の乱杭歯から、禍々しい蒸気を噴いて苦悶し憤怒する。閉ざした心の扉の向こうに押し込めた様々な感情の捌け口を求めて。己の意思で選び取った孤独を嘆き悲しむように。
「そうか……貴方も」
「OOOOOOOO! AHHHHHHH!」
「フギャアアアアオオオオ! ギャロロロロオオオオン!」
小山のごとき肉塊が、ナメクジのように這いずり、巨体をもたげ夕焼け空を三つ首で仰ぎ、誰も聞く者など無い喜怒哀楽の咆哮を轟かせた。銀河ネコはただ1匹、彼に真っ向から正対して、小さな身体で獅子のごとく唸る。
「ずっと思っていた……私はこの宇宙で一人ぼっちの哀れな魂なんだと……」
ミチルは思念に抗うことを止めた。寧ろ自分から潜り込んだ。物理的肉体で抗えぬ分、心でそれと戦おうと試みた。自分の思考回路との間に展開された心と心のリンケージ。剥き出しの心と心がぶつかる場所。嵐のような思念の渦中に、恐れることなく潜り込む、潜り込む……深く、もっと深い核心に。
「見えました。それが貴方なんですね。貴方の傷つき易くて柔らかい」
ミチルの思念を拒むように、視覚上の風景が宇宙嵐のようなノイズの洪水に満たされる。彼女は恐れることなく、思念の海を掻き分け、奥底に潜る。
「逃げないでください! 私を見てください! 私はここに居ます!」
街。森。廃墟。洞窟や海原を行く船上、小さくて暗い四畳半。様々の景色が彼女の眼前を通り過ぎ、ごちゃ混ぜになってパッチワークのような異世界の心象風景を織りなす。瞳の影を過ぎった金色の光は、潜り続ける彼女を拒み逃げ惑う。ミチルは口を引き結び、ぶつ切りになった時空間を自在に飛んでそれを追いかける。やがてそれは赤と黒の二色が茨が互いに絡み合いながら壁を織り成す、地の獄めいた心の淀みに辿り着く。押し殺した感情の奥底。
報われない想いの嘆き。先の見えない不安。水飴のように心に絡まる孤独。
「違います! 貴方は逃げたいだけなのです! 見たくないから目を背けているだけなのです! 貴方を取り巻く様々の事から! 嘆きも不安も孤独も全て貴方自身が作り出しているのです! 貴方が思い込むがゆえに!」
ミチルは青緑の双眸を見開き、鬼火のごとく赤紫色に瞳を輝かせ、目の前に夥しく広がる赤と黒の茨の条網に手を伸ばした。その先に、その遥か奥底に金色に輝く光がある。彼が価値の無いものと唾棄し、心の底に隠した魂が。
「貴方は孤独ではありません! 一人きりなどではありません! 私の話が聞こえますか! 私は、ミチルはここに居ます! 貴方の柔らかい心の芯の直ぐ側に! 触れたら手が届くところに! 私もずっとそうでした!」
ミチルは茨の海で藻掻き、足掻き、赤と黒の茨に傷つきながら、しかし心は前だけを見据え、確信に満ちた強い眼差しで手を伸ばす。目の前を覆い隠す茨を手にして引き千切る。一つまた一つ、心の核心に近づいていく!
「逃げ隠れできませんよ! 貴方はそこに居ます! 私はここに居ます!」
「GWOOOOO! OOOOOOOO! AAAAAAAAOOOOO!」
「ヴォアアアオオオオ! フギャアアアオオオオ!」
ミチルは心で叫び、肉塊は踊り悶え、銀河ネコは必死に鳴いて威嚇する!
「私にも聞かせてください! 貴方の心を。偽りなき貴方の言葉を!」
ミチルは猫の爪のように双手を振るい、赤と黒の茨を裂き、更に深みへ!
「強情ですね! でも大丈夫! 私は心も身体も筋金入りですから!」
引き裂く、引き裂く、引き裂き引き千切る! その先の黄金に手を伸ばす!
「掴まえた! 抵抗しても無駄です! 諦めて私に身を任せてください!」
膝を抱えた人型の黄金。その光をミチルは捉え、そっと額を寄せた。触れた光から思念が流れ込んでくる。恐れや戸惑いや拒絶。ミチルは荒れ狂う声を苦笑と共に宥めた。それは私が一番欲しかったものなのに。誰かに望む内は手に入らず、誰かにあげることは容易いなんて。ミチルの心は微睡むような温かさの中で微笑み、次の瞬間それは突き放された。心の彼方の彼方まで。
「ヴォアアア……フギャーオオオオオ、ヴォアアアアアアアアアッ!」
SHHHHHHHHHHHHHHVOOOOOOOOOOOOOOOO!
銀河ネコが黄金に輝いて膨張し、口から極太の虹色レーザー光を射出した!
「GWOOOOOOOOOOOOOO!?」
怪物『ノー・ワン・ウィンズ』が爆ぜる。血肉の邪神が、核爆発級の熱量と膨大な生命力の奔流に耐えきれず、内側から炸裂する。一塊の爆薬じみて!
CRA――TOOOOOOOOOOOOOOM!
[ A problem has been detect and SPARE PARTS has been shut down. ]
[ We'll restart for SPARE PARTS to prevent damage to our server. ]
忌まわしき骨肉の総身が赤い光の粒子に還元され、砕け散った! 全方位に電子的エネルギーを放出し、その身に取り込んだメカスーツの肉体の一部とミチルとを辺り一面に撒き散らし、吹き抜ける海風に身体を霧散させた。
『ミチル……ミチル……私です……聞こえますか……応えてください……』
「……あぁ」
ミチルは呻き、ゆっくりと瞳を見開いた。天を見上げる彼女の前に、それは再び姿を現した。天翔ける長い体躯、神話を思わせる金色の猫ドラゴン。
「間に合ったんですね。遂に成獣になれたんですね、旦那様」
『ミチル……本当に長かった……ようやく貴女と話すことが叶いました……』
「頭の中で私を呼ぶ声……旦那様……旦那様なのですか」
『ミチル……今までお世話になりました……この恩は言葉に尽くせません……』
「良いのですよ、旦那様。全て私が勝手にしたことですから」
『ミチル……貴方に何もお返しできないのが、私の心残りです……』
「お返しなどとそんな。私はただ、その美しい姿をまた見られただけで」
『ミチル……会えて良かった……最後に貴方の顔を見られて良かった……』
金色の猫ドラゴンはミチルの思考回路に思念で語り掛け、星屑のごとく輝く双眸で見下ろす。両頬の長い髭が金糸めいて、海風に流され靡き煌めいた。
『ミチル……私は行きます……貴方の旅に幸多からんことを……お元気で……』
ミチルはその言葉にハッと目を見開いた。恐れのような表情を浮かべた。
「行、かない、で……」
半分吹き飛んだ顔に部品を覗かせ。天空を揺蕩う猫ドラゴンに縋るがごとく手首から先が無い手を伸ばす。猫ドラゴンはその痛ましい姿に顔を背けた。
「ミャアアアアアアアアオオオオオオオオン!」
海堡の夕焼け空を銀河ネコの成獣が舞い、澄んだ声で厳かに鳴いた。鐘楼の鐘の音のごとく、その声は彼岸の都市まで響き、空を貫いて宇宙の彼方まで響き渡った。メカスーツの四肢が散らばる殺戮の丘の上、仰向けに横たわるミチルはその姿に手を伸ばし、希った。銀河ネコは天の彼方に飛び去った。
「う……ううう……」
ミチルの伸ばした手は、何を掴むことも無く、力なく地に打ちつけられる。
「うわあああああ! ああああああ! あああああああ!」
鉄の乙女は声を上げて泣いた。涙を流せぬ機械の身体で泣いた。彼女の声に応える者は無い。彼女の悲しみを受け止める者は無い。誰一人として。
「ああああああああああ! あああああああう! ああああああう!」
それは行ってしまった。消えてしまった。余りにも呆気なく。今まで恭しく侍っていた者の気持ちを一顧だにすることもなく。猫らしい身勝手さで。
「うううううううう! あううううう! うううううう! あああああ!」
ミチルは泣いた。泣いて泣いて、泣き疲れてやがて自我を取り戻し、斜陽に照らされ身を起こした。傍らには偽アイポンが転がっていた。彼女は震える手を伸ばし、掴む手がないことを悟った。反対側の曲がった手で手繰ろうと思考回路に意志を込める。反対側の手は肩から折れ、ついていなかった。
「うぅ……」
絶望して瞳を伏せようとした瞬間、その向こうに彼を見た。
「……スカル!?」
彼はそこにあった。一糸まとわぬ姿を仰向け、元通りの人間が死体のように眼前に横たわっていた。なぜ人間に戻れたのかミチルは分からぬ。あるいは脱皮を迎えた銀河ネコの神通力が、忌まわしき邪神を祓ったのやも知れぬ。
「目を覚ましてください、スカル!」
ミチルは手を持たぬ手首を杖のように突いて、片足の捥げた下半身で瓦礫の海を掻き分け、芋虫のように這い進んだ。支えの手首を滑らせ、何度も躓き瓦礫に突っ伏した。ミチルは歯を食いしばり、遅々とした動きで急いだ。
「スカル! ミチルはここです! 貴方の側に! ここに居ます!」
ミチルは横たわるスカルの元に辿り着き、彼の華奢な胸板に飛び込むようにガクリと崩れ落ちた。ミチルは彼の胸に頬を擦りつけ、関節を軋ませて再び起き上がった。片腕と片足でバランスを取って腰を下ろし、見下ろした。
「貴方を見ています、ずっと。目が覚めるまで。そうしていたいんです」
ミチルは無惨な顔で穏やかに微笑み、スカルの死人じみた白い顔に語る。
「私は……私は……私は……わた、しは……わ、たし……わ、た……わ……」
ミチルの思考と無限ループに陥り、やがて瞳が光を失って動きを止めた。
【16】
東京湾の空を覆う鉛色の雲。冬の雨にけぶるメガフロート。海霧の向こうに聳え立つ翡翠の九龍城・note。物語ブロックの辺境、開発途上のテナントに紛れて佇む、バラック小屋じみた西部劇風のパルプ創作酒場・メキシコ。
スカルはカウンターの片隅に腰かけ、スイングドアに背を向けて静かに酒と向き合っていた。オクトモアを満たしたグラスの側で、傷だらけのスマホがnoteの屋上から撮られた風景を、スカルを、銀河ネコを映し出していた。
「おう、いるじゃん。ちょっと横、失礼するぜ」
電子音声じみて歪んだ日本語がスカルに語り掛ける。相手はスカルの返答も待たずに、金属が軋む音と機械の駆動音を伴い、隣の椅子に腰かけた。
「4649小隊をぶっ潰した野郎はあんたか。人は見かけによらねえな」
スカルは疎ましげに声のした方を隣を振り向き、こちらを覗くメカスーツのヘルメットの、赤銅色のバイザーの煌めきに思わず身構えた。メカスーツは値踏みするようにスカルを見回し、苦笑と共に自分のヘルメットを叩いた。
「これは勘弁してくれな。こいつの翻訳機能に頼らねーと、俺たち地球外の人間は言葉が分からねーもんでな。まあ言葉もその内、勉強する積もりだ」
出し抜けに馴れ馴れしく語るメカスーツを、スカルは露骨に警戒して無言で相手の出方を窺った。メカスーツは気まずそうに押し黙り、装甲グローブでヘルメットをポリポリとかくと、懐のポーチから何かを取り出した。
「タバコ吸う? 金星シガレットっての。地球じゃ滅多と手に入らないぜ」
カウンターに紙巻きタバコの箱を差し出したメカスーツは、自分でも箱から一本取り出すと、バイザーの口元を開けて加え、指先で抓んで火を点けた。
「うー……やっぱマズい。オヤジ、俺にも一本ちょうだい」
マスターは髭面に皺を寄せてメカスーツを険しい眼光で射貫き、部屋の隅の冷蔵庫を無言で指差す。メカスーツは咥えタバコで立ち、猫背で揉み手して小走りで、冷蔵庫からキンキンに冷えたコロナの小瓶を2本取って来た。
「俺の奢りな、取っとけよ。金は、建設現場の日雇いで稼いだんだ。近頃は人手が居ねえってんで、俺みたいな宇宙服着た、どこの馬の骨とも知れねえ宇宙人でも二つ返事で雇ってもらえたよ。まあ保険もねえ、手配師に上前をガッツリ跳ねられた、小銭稼ぎのその日暮らしだけど。人の役に立つ仕事をするのは、悪い気分はしないぜ。盗んで殺しての盗賊稼業より百倍マシだ」
メカスーツは装甲グローブの隙間で器用に栓を抜くと、コロナで喉を潤して快活に語った。彼の話し方には、重圧から解放された清々しさがあった。
「ベラベラと喋りますね」
「そう凄むなよ。俺はもうシリウス連邦軍4649小隊とは関係ねー、脱走兵の脱走兵さ。今やただの自由人……ぐびぐび……ぷはー。そこんとこヨロシク」
メカスーツはコロナをラッパ飲みして、とろけるような笑みを口元に浮かべスカルを一瞥した。スカルは眉根を寄せると、金星シガレットの箱から一本タバコを取り出して咥え、鈍く光る銀のライターで火を点した。
「煙い。何だこれ……タバコじゃない。その辺の雑草でも詰めてるのか?」
「言えてる。あんたら地球人は知らねーかも知らんが、タバコの葉を使ったタバコは銀河系じゃレアなんだぜ。何せ土壌に敏感で繊細な植物だからな」
金星シガレットの香草を混ぜ合わせて焚いたような独特な風味を、スカルが興味深そうに喫煙している様に、メカスーツはビールを呷って息をついた。
「あんたイケる口だね。それを作ってる金星人だって、一口だけで降参するヤツも珍しくないってのに。気に入ったわ。俺、ザバジビロガラムルリ」
メカスーツは口実を見つけたように、スカルに名乗って片手を差し出した。
「サパティピロリロ……何ですって?」
「ちーがーう、ザバジビロガラムルリ!」
「いやすいません、言葉が違いすぎて全く聞き取れないです」
「だから、ザバジビロガラムルリ! ザ・バ・ジビロガ・ラ・ムルリ!」
日本語で翻訳発声されているにも関わらず、スカルには聞き取り難い独特なイントネーションで男は名乗った。最初のザバが非常に難解で、ザはズァとヅァの中間の発音で語頭に長音が入っており、語尾はッと撥音するみたいな発声であった。バもまたヴァのようでワァのようでことによってはムァとも聞き取れた。現代日本語には存在しない発音が、スカルの頭を悩ませる。
「……どこまでが名字で、どこからが名前なんですか?」
「ザバでいいよ、長いからね。仲間も俺のことをそう呼んでたし」
「はぁ。私は素浪人狩人(スロウタ・カルト)……通称『目明しスカル』」
スカルが装甲グローブを握ると、ザバは嬉しそうに握った手を上下させた。
「スカル。俺達の星(シリウス)ではな、他人に自分の本名を明かすことは特別な意味を持つんだぜ。別に変な意味じゃなくてさ……わかるだろ」
「私のことを信用してくれている、という解釈でよろしいのですかね?」
「まーぶっちゃけると、敵に回したくないからお手柔らかに頼むぜ、という意味が強い。俺ァもう稼業から足を洗ったんだ。平和に暮らしたいのさ」
ザバは電子音声に混じって異星の言語を紡ぎ、コロナの瓶を開けて歯並びが悪く黄ばんだ歯を覗かせ、ニィと笑った。肌色はモンゴロイドに似ている。
「足を洗ったですか。宇宙盗賊から。果たして本当なんですかね?」
「本当だよ、信じてくれよ。元々向いてなかったんだ、俺」
スカルはコロナの瓶を開けると、グラスのオクトモアを口に含み、コロナを啜ってビール割りにして、飲み下す。ザバはスカルのグラスを勝手に取って酒を口に含み、61.3度の余りの強さにブッと吹き出し、何度も咳き込んだ。
「お前、こんなもん毒物だ毒物! こんなん飲んでたら死んじまうぞ!」
「誰が勝手に口をつけていいと言いましたか」
「かてーこと言うなよ、友情の印だろ。それでさ、ヴァリって女なんだが」
スカルはマスターを呼ぶと、グラスにオクトモアを水と1:5で、ずっと薄い水割りを作らせて、ザバの前に差し出した。ザバは水割りウィスキーを一口含んで、これなら飲めるとばかりにスカルを向いて頷き、話に戻った。
「俺の昔の彼女だ。もうずっと昔、思春期のクソガキの時分に付き合ってて別れたんだが。美人なんだが、自由ってのに滅法憧れてて、男勝りの度胸で怖いもの知らずの、自分がこうと決めたら他人に口出しさせない女だった」
スカルは金星シガレットを灰皿に潰し、手巻きタバコを取り出した。
「どうぞ。私が巻いたタバコで良ければ」
「ありがてえ」
ザバは躊躇なく手巻きを手に取り、装甲グローブで揉んで火を点した。
「うめえな。地球モノのタバコの味は格別だわ、狂っちまいそうだ。それで俺が16になった頃だ。シリウスでは軍隊に志願できる年でな。俺は親無しで路上だのダチの家だのブラブラしてたんだが、ここらでお堅い職でも就いて真面目に働こうと思ったわけ。当然、彼女は反対したね。軍人なんて底辺の仕事に就きやがったら、別れてやるぞって脅すわけ。まあ軍人というヤツはどの星でもその程度の扱いさ。俺も純粋な年頃だったから、彼女に腹割って話したね。何でもいいから定職に就いて、金を稼げば結婚もできる。お前と一緒になりたいんだって。すると彼女はこう言いやがる。そんな刺激の無い生活は真っ平御免だ、お前とは遊びの関係だ、私はギャングの情婦になって稼いで伸し上がってやるって。イカれてるだろ。まあ百歩譲って別れるのは仕方ないが、ギャングだけは絶対に止めろ。俺は彼女に念を押したんだ」
ザバは手巻きを旨そうに吹かし、グラスの酒を飲みながら饒舌に語った。
「そんなアバズレ、俺の方からお断りだって。喧嘩別れさ。俺はヤケクソで帰りに海兵隊の事務所に行ったよ。まだ覚えてるなあ。宇宙塵が酷く吹いた日でさあ、ゴーグルを買う金もねえ俺は、涙混じりの赤い目をして事務所の扉を叩いたっけな。その日の内に入隊が決まったよ。ピカピカの軍服と銃を支給されてさ、すっかり舞い上がってたね。入隊したての右も左も分からんガキだってのによ、宇宙盗賊の討伐作戦の最前線に駆り出されてよ。端から使い捨て、一山いくらの鉄砲弾さ。俺たちのやることも、ギャングと大して変わりねえってことに気が付いたのは、それから直ぐのことだ」
この男は、何でこんな話を自分に聞かせるのだろう。スカルは訝る気持ちを喉の奥に隠し、両切りの手巻きを燻らせ、ザバの好きなように語らせた。
「あの女はどこかヴァリに似てた」
ザバはグラスを口元で止めると、不意に言った。スカルの心臓が痛む。
「肝っ玉のヴァリ嬢は、果たしてギャングの情婦になったわけだ。その事を俺が知ったのは、20歳の祝いで故郷に帰った時だ。新聞の片隅にほんの少し書かれた、ギャング抗争の記事でな。ギャングの偉いさんと一発かましてるベッドの上で、ギャングともども蜂の巣にされておっ死んじまったんだと」
そこまで言う頃には、ザバは語りに涙を滲ませ、鼻声になっていた。
「何てお馬鹿で可哀想なヴァリ……人の命ってもんは儚いよな。小隊丸ごと脱走して盗賊になって、その手の罪を散々犯してきた俺に、こんなこと言う資格もねーけど。ヴァリ……そんなことで死ぬために生まれて来たわけじゃなかったはずなのに。愛しのヴァリ……3日前、夢に出て来たんだ……」
ザバは半ばグラスを噛むようにして、水割りも碌に口にできぬほどボロボロ泣いて語った。誤魔化すようにタバコを吸い、派手に煙を吐いて噎せた。
「理由は分かってる。ヤツのせいだ。訳もなく銀河ネコを隠し立てしやがるあの賞金首の女アンドロイド。俺たちに何度追い回されても、諦めるということを知らないタフな女。見た目こそ全然違えけど、俺は頭ン中でヴァリを思い出したね。一度は俺一人であいつを追い詰めた時もあったが、余りにもヴァリのように見えて、うっかり逃がしちまったこともある。相当あの時はキツかったぜ。仲間にリンチは食らうし、腰抜け呼ばわりされるし。だけど俺は内心、あいつを逃して良かったと思ったんだ。ヴァリを夢に見るようになったのはそれからだ。アレと追いかけっこした時は、間違いなくヴァリが夢に出てくる。楽しいとか懐かしいとかそういう話じゃねえ。夢に見るのは俺の想像の中で出来上がった、蜂の巣になっておっ死んだヴァリだ。じっとこっちを見てるんだ。何も言わずに。素っ裸の蜂の巣で、死んだそのままの姿で俺をじっと見てるんだ。どうしろって言うんだ。俺にはどうすることも出来なかった。あの時ヴァリの我が儘を聞いて、俺が軍隊に行かなかったらあいつは死なずに済んだのか? 喧嘩別れをした後に、あいつの後を直ぐに追っかけて、ゴメン俺が悪かったからって、そう言えば良かったのか?」
スカルは何も言えずに、偽アイポンの画面を撫ぜた。
「軍隊(こんな)稼業なんぞ辞めたい。ヴァリを夢に見るようになってから俺はそう思い始めた。今まで誰にも言ったことはねぇ。俺は札付きのワルで人間のクズだし、辞められるワケねェと心のどっかで思ってた。でも仕事で地球(ここ)にやって来て……旨い酒をたらふく飲んで……盗賊なんか嫌だと心の底から思った。聞き分けのねぇ女に言うことを利かせる稼業なんざ」
ザバはグラスの酒で口を湿らせ、うんざりするように吐き捨てた。
「こんな人生もう嫌だ」
「……それで、盗賊団を脱走したのですか?」
スカルの問いにザバは頷いて、暫し宙を見上げると、スカルを振り向いた。
「なあ。罪を償うことってできると思うか?」
スカルは沈黙してザバを見つめた。こちらを見つめる赤銅色のバイザーから目を背けずに、彼の視線を受け止めた。ザバは溜め息をつき、頷いた。
「言うな。分かってるよ、そんなこと無理だって。勘違いするな、俺だって散々無実の人間をブチ殺して、女を犯して、人を攫い物を盗んで売り捌いて儲けた金で、娼婦を抱いて飯を食い、そんなしょうもない生活に満足してた正真正銘の人間のクズだ。殺されても文句は言えねえ。銀河憲兵隊の連中が俺の枕元に忍び寄り、いつ俺の脳天を吹っ飛ばすとも知れねえ。だけど俺はもう嫌なんだよ。誰かを痛めつけて、誰からも恨まれて、誰からも蔑まれるクズの煮詰まったような生活は。俺はそんな人生を送るために生まれて来たわけじゃなかったはずだ。やり直してえ。俺のことを知る人間なんて居ない別世界、新天地で。我が儘だってわかってる。けどコツコツ人の役に立って小銭を稼いで、いつかは結婚だってして、老後は畑を耕して暮らしてえ」
スカルは目頭を揉み、溜め息をついて頭を振った。かける言葉が無かった。
「俺は誰かに認められてえ。俺は生きてるぞ、俺はここに居るんだって胸を張って、他人に臆面も引け目も無く、生きていたいんだ。俺が元居た銀河で犯してきた罪は、決して償うことも消すことも出来ねえけどよ。俺が本当に生きたかった人生が、この星でなら生きられる気がした。夢を見たんだ」
ザバはそこまで話すと天を仰ぎ、グスグスと鼻を啜り始めた。
「なあ。今から聞くことに正直に答えてくれ。俺はここに居ていいのか?」
スカルはその問いに暫し思いを巡らし、紫煙をゆっくり吐いて口を開いた。
「この街は誰が居てもいいし、誰をも必要としていません。居るべき人間も居るべきでない人間もありません。善行が報われる保証は無ければ、悪事が見過ごされることも無い。来る者は拒まず、去る者は追わず。嫌になったら出て行くもよし、耐え忍んで居続けるもまたよし。決めるのは貴方です」
ザバはその言葉を聞くと、ヘルメットを外してタイガーズアイのような金と茶の入り混じった短髪を剥き出すと、金と茶のオッドアイでスカルに視線を向けた。その目が見る見るうちに涙を帯びて、彼は声を上げて男泣きした。
「繝エ繧。繝ェ縲√Χ繧。繝ェ縲√Χ繧。繝ェ縲√Χ繧。繝ェ窶ヲ窶ヲ」
ザバは赤子のように泣き、母を乞うように異星の言葉を繰り返した。
「貴方のこれから歩む人生が、せめて正しくあることを願いますよ」
スカルは伸ばされた装甲グローブの片手を握り、異星の言葉を語り滂沱するザバの手を力強く握り返した。ザバはカウンターを抱え、他人に臆面もなくオイオイと泣き続ける。がらんどうの酒場にそれを咎める者は無かった。
「長居し過ぎたようですね。マスター、お勘定を」
「待ってたぜ、スカルちゃぁーん」
腕組みして鼻息荒く現れた店主の異様なテンションに、スカルは貰い泣きの涙を陰で拭い、訝って店主に向き直った。店主は豪胆な体躯を怒らせて彼とカウンター越しに対面、A4用紙にビッシリ書き綴られた請求書を突き出す。
「何ですかこれ? ステーキ、コロナにウッドフォード、壁の修繕代と……まあこれは仕方ないか、ポチーンにアブサンと後……エッ何この大量の酒」
「クソッタレの宇宙盗賊どもが飲むだけ飲んだ挙句、俺の店から根こそぎにブン奪(ド)っていった商品だよ! 全部のお前のツケだ! 元はと言えばあの気違いメカ女にほだされたお前のせいだ! 絶対払って貰うからな!」
「そ、そ、そ……そんなぁーッ!」
あんぐりと口を開け、愕然とするスカルの手から滑り落ちた。
「おいおいこれから忙しくなるよな? うん? こんだけウチの売り上げに貢献したくれたから、財布の中身は厳しいんじゃねーの? 物語でも何でも頑張って書いて、お金稼がないと借金地獄ですよ? スカルちゃぁーん」
「そ、そそそそんな馬鹿なーッ! そ、そそうだこれはきっと悪い夢だ!」
「アッ馬鹿、手前逃げんな! ノートちゃんに言いつけてやるからな!」
「世界を救ったんだからそれくらい勘弁してくださいよー!」
スカルはドサクサに紛れて今日の呑みの払いすら放棄してケツを捲り、壁のウィンチェスター銃を握る店主の姿に慌てて、全速力で店を飛び出した!
「ああああッ! 私も時が止められたらなあああァッ!」
BLAM! BLAM! BLAM! BLAM! BLAM! BLAM! BLAM! BLAM!
銃弾の雨を掻い潜ってスイングドアから転げ出し、脇目も振らずに一目散で全力疾走! パルプ小路を駆け抜け、物語ブロックとの丁字路から急角度で曲がったその時、通路の死角から急に現れた人影に衝突し、転倒する!
「ホンギャアアアアーッ!?」
「キャアアアーッ!?」
何かを押し倒したような嫌な感覚に、スカルはゆっくりと目を開いた。
ホップの毬花めいて凛々しくも嫋やかな緑白色のパンツスーツ。その内側で可憐に色づく勿忘草色のシャツ。銀灰色のナロータイが奥深い印象を漂わす控えめな胸元には、黄金色に煌めくグリフォンのネクタイピン。姫カットの長い黒髪の下で、アレキサンドライトめいた青緑の双眸がスカルを見た。
「……あの」
スカルは女の手首を握り、組み伏せるようになった体勢で、戸惑った表情で問う女の美しさに息を呑んだ。直後、素早く立って女に手を差し出す。
「すいませんでした。気が急いておりましたもので」
「こちらこそ。急に出てこられて、どうすればと頭が真っ白になって」
女はスカルの差し出した手を素直に取り、何のきらいも無い返答で穏やかな笑みすら浮かべ、軽やかな足取りで腰を上げてスカルと向き合った。彼女の体躯はスカルをすらりと追い越し、若木のように溌剌と背筋を伸ばした。
「ところで、貴方は今こちらから来られましたよね? ちょっと道を尋ねてよろしいですか? 折角なので、いきなりぶつかって来た罪滅ぼしにも」
染み着いた言葉遣いは忘れないのか、それとも元より生まれ持った性質か。
「喜んでお聞きしましょう」
「では遠慮なく。この辺りにパルプ創作酒場……メキシコ? という名前のテナントがあるそうなのですが。もしやご存知ではありませんか?」
「ええ勿論、良く知っていますとも。しかし」
「私のような者が、そんな場所に何用かでしょう? フフ、私こう見えてもただの人間ではないのです。人間の容姿を繊細に模したアバター、ノートを管理運営する物理モデルの1人なのですよ。実はこれ、まだ一般の皆様には秘密です。私、お披露目前の新型モデルなんです! あらやだ、秘密なのにうっかり喋ってしまいました、もう! 他の人には黙っててくださいね?」
「分かりました、分かりましたからそんなに顔を近づけないで!」
スカルは赤面して両手を突き出し、女性型アバターからジワリと後退る。
「私、新入りなのでnoteのあちこちを回って、クリエイターの皆様がどんな記事を書かれているか見学して勉強しています。未知の世界の冒険です!」
「そうでしたか。お仕事熱心なんですね」
「ええ、それはもう! 転職して、新しく頂けたお仕事ですから張り切って頑張ります……? 転職して、転職して……あれ? 転職ってことは、私って前にどこかで別の仕事をしていたってこと? 私ってnoteのために作られたプログラムなのに? あれ? これって前世の記憶? これは一体どういうことでしょう。大事なことを忘れているような、思い出せそうな気が……」
女性型アバターは眉根を寄せ、姫カットの黒髪のこめかみを両の人差し指で抑えてグルグルしてしばらく悩み、スカルの視線に気づいて苦笑した。
「あらいやだ、ごめんなさい。私って、何か気になることがあるとついつい考え込んでしまうたちで。こんな調子では、受付でテキパキお客様をご案内できませんよね。あっ受付の案内って言っちゃった。これもオフレコで!」
「あ……あッははは……まぁ慣れない内は、誰でも失敗しますよね……」
「ですよねぇ!」
女性型アバターはまたしてもスカルに顔を近づけ、スカルが一歩遠ざかる。
「かくかくしかじかで、パルプ創作酒場・メキシコにも社会科見学に向かう途中なのです! noteの偏屈者たちの吹き溜まり! いやはや実に好奇心が刺激される場所です。私って何て勉強熱心なのでしょう! 私って偉い!」
偏屈者たちの吹き溜まり。noteにとってパルプスリンガーたちはそのように評価されているのか。スカルは苦笑し、女性型アバターに拍手した。
「受付で会える日が楽しみですね。メキシコはここを真っ直ぐ歩いていれば見えてきますよ。西部劇風の看板に『MEXICO』と大きく書いてあります」
「ご協力感謝します! さーてどんな記事に合えるか楽しみです!」
「グッドラック、ブルーバード」
「えっ!?」
女性型アバターは不意に呼ばれた名前に、パルプ小路に向けかけた顔を再び振り向かせる。執事服めいた黒衣をまとった男『目明しスカル』の姿は既にそこには無かった。女性型アバターの胸元のグリフォンが、丁字路の電飾でキラリと輝く。グリフォンのレリーフの首元には、撃墜一機を示す白抜きのスカル・アンド・クロスボーンズの意匠が一つ、微細に彩られていた。
【グッバイ・ブルーバード:パルプスリンガーズ外伝 #ppslgr おわり】
【この作品はフィクションである。実在する地名、企業名、団体名ほか及びそれに類する名称の一切は、実在の物とは一切関係が無い。】
【 SPECIAL THANKS to 安良 anliang 】
【 FUN&FAN ARTS for everyone 】
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2021年3月27日 追記:ファンアートをいただきました!
安良さんより、今作へのファンアートを頂戴しました。主役キャラクターと乗機のスローターハウンド、世界観の解像度が高まる素晴らしいイラストを本当にありがとうございます! 心から感謝申し上げます!
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【以下広告】
パルプスリンガーは死なず、我々の夢もまた死なず、悪霊を征服する。
この世は不滅ではないがゆえに、生ける我々の肉体はいつか朽ち果てる。
ゆえに我々は被造物に我々自身を託し、生まれた偽物はいつか本物となる。
この世に神が不在なら、我々が地上の創造主となり世を被造物で満たさん。
かくして世に思索は溢れ、美はもたらされ、迷える者たちを導くだろう。
貴方は一人ではない。貴方の声を聞かせてほしい。貴方の剥き出しの魂を。
一欠片の自我を持ち寸鉄となして打ちふるい、常世の闇を打ち払わん。
――我ら声を持たぬ草の根、我らパルプスリンガーズ――
【原作:パルプスリンガーズはこちら】
【原作者:遊行剣禅様の記事はこちら】
【素浪汰 狩人 slaughtercult の過去のパルプスリンガーズ二次創作】
【広告終わり】
後書きはそのうち出します。詳しい作品の話など、またその時に。
それでは、8万字を超える長丁場、ご覧頂き本当にありがとうございます!
貴方の人生に、素晴らしい夢の世界があらんことを!
From: slaughtercult
THANK YOU FOR YOUR READING!
SEE YOU NEXT TIME!