見出し画像

雑記:2021元旦ご挨拶と、墓参りをするということ

どうもこんちは、slaughtercultです。みんな、年末年始のお墓参りはもう行ったかな? 既に済んでいる人……エライッ! まだの人は……できるなら行ってあげてくださいネ。あなたの先祖はあなたの血族だけの先祖だから。

私、基本的に神仏は信じませんが、祖先に敬意は払います。
墓に行った時は、ご先祖様への焼香は勿論、無縁仏や、あるところは水子や戦没者まで線香を上げて回るのが、盆正月の基本ルーチンですね。

別に神仏や、死後の救い……生まれ変わり、そういうのを信じてるわけじゃないんですけどね。私も死ぬ時は、無縁仏に入るとも知れませんからね……アイサツは重要です。まあ100%自己満足の行動ですよね、墓参りって。

生者の往来は、死者の鎮魂に何ら影響を及ぼさない……というのが私の思想です。つーか魂は生者に特有の物。死者に魂も、死後の冥福もクソもないでしょう。あるとすれば、死後の生者から見た、死者の名誉ぐらいのもの。

私の場合ですと、墓参りは自分自身の正気を再確認するルーチン行動というのが正確ですね。まだ自分にも、非効率で不要な宗教的儀礼を行う社会性が残されている……自分が未だ社会の片隅に接続され続けている……社会的動物として辛うじて正気を保ち続けている証明……と自分自身で感じること。

自己満足で良いのです。死者の魂の行方も、その歩んできた生涯も、生者の我々には茫として知り得ませんが、眼前の墓石の下に埋まっているであろう死者の骨だけは、彼や彼女がそこに居た確かな事実です。

望まれずに生まれてきた者、望まれながら生まれ得なかった者、望まれずに生き死して顧みられなかった者……そこには我々の知り得ない様々の記憶が眠っていることでしょう。

私に言わせれば、神仏など信じなくてよろしい。我々の居る前に居た人々、居るべきだった人々、居ることを許されなかった人々、居ても顧みられなかった人々……顔も知らない、様々の人々の朽ち果てた生涯の後先に、ほんの少しだけでも思いを馳せてほしい。せめて盆正月のこの時くらいは。

人間は死んだらそれで終わりです。死人の死後を勝手気ままに想像するのは生者の特権です。我々は勝手に思いを馳せ、顔も名前も知らない石の依代に勝手に線香を上げ、勝手に自己満足するとしましょう。我々が死んだ人間に対して出来ることは、その程度が精々です。盆正月は墓参りをしましょう。

画像1

あなたは死後の世界を信じますか? 神仏を信じますか? 別に信じようが信じまいが、そんなことはどうでもよろしい。重要なのは神仏や魂の在り処ではなく、葬られるべき人が歴史の片隅で存在していたその事実です。

それは我々にとって人生を左右しない、取り立てて何か顧みられる価値など持たない残骸です。我々も死んで時が経てば、遅かれ早かれそうなります。

我々は死から生まれまた死へと還る定めの、泡沫に躍る肉人形。時には死を想い、死者を想い、線香の匂いに心を委ねるのも悪くありません。

私が彼ら彼女らにならなかったのは、現状は一先ず彼ら彼女らにならないでいられるのは、もし在るとすれば神仏のほんの匙加減でしかないのだから。

人は簡単に死にます。この日この時にも、どこかで生命の灯火が燃え尽き、それでいてどこかでは新たな生命が生まれ出でていることでしょう。

毎日が誰かの命日そして誰かの誕生日。死を想い、以って生を悟らんとす。

HAPPY NEW YEAR.


From: slaughtercult
THANK YOU FOR YOUR READING!
SEE YOU NEXT TIME!

頂いた投げ銭は、世界中の奇妙アイテムの収集に使わせていただきます。 メールアドレス & PayPal 窓口 ⇒ slautercult@gmail.com Amazon 窓口 ⇒ https://bit.ly/2XXZdS7