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セジョンホテル14階の恋

もう2度と此処へは来ない、自分の来る場所じゃない。

37年前、まだ若造だった私はそう心に誓ったのでした。

その昔韓国には、政府公認のキーセンパーティーがあった(キーセンとは売春婦の事)。当時外貨を稼ぐ為に韓国の女性は、韓国大統領が公認した観光大学校の学生証を持っていた。売春ツアー先は1965年に日本と国交正常化した韓国だった
その昔、私は韓国政府公認のキーセンパーテイー(売春ツアー)に参加した 
記事引用

キーセンとは売春婦の事で、キーセンパーティとは、売春目的のツアーの事です。

宴会場では各人の靴に番号札が入れられた、その番号札の席にそれぞれが
座った、その右側にチマチョゴリ(民族衣装)を着たキーセンが座る、キーセンを変えたい時は、右耳に手を当てると、別の女が来て座る。食事が済んだら右側の女と一緒にホテルに移動した。

1983年だったと思います。当時21歳の私は、私の会社の社長、部長、そして私の3人を含む、取引き先の社長連中、そしてコーディネーターの計12名で韓国ツアーに参加しました。
噂に聞いていた、キーセンパーティとはどんなものか、何事も経験の為、と言えば聞こえは良いでしょうが、本心は単なる興味本位と下衆な男心です。

1983年には、もうパーティ形式での相手の選択方法はなくなりつつある頃だったせいか、私たちも宴会場ではなく、ホテルの一室に通され、各自、自分の部屋のキーを渡されると、しばらく待つように指示されました。

待たされたツインルームは、私たち12人が入っただけで、すでに満杯状態。
「この狭い部屋で異国女性と対面か・・ヘヴィだ・・」いやでも緊張の高まりを感じずにはいられませんでした。

しばらくすると、女性たちがやって来ました。私たちは長手方向の壁際に1列に立ち、女性たちはベッドのある反対側の壁へ並びました。
やってきた女性たちは皆スタイルが良くて美人ばかりでした。
髪型、身なり、持ち物、ほとんど日本人と変わらなかったと思います。
しかし、決してそうでは無かった事を後になって知ったのでした。

狭いホテルの一室、一歩前に出れば、もう相手の場所へ届く距離です。6月のソウルは暑くて、緊張と息苦しさで冷房が止まっているのでは?と思うような息苦しさでした。

「サア、ドナタカラデモイイデスヨ、コノミノ女性ヲ選ンデクダサイ」
私の社長の厚意にしている韓国人世話役が私たちを促します。

女性たちは私たちを凝視し、「私を選んで」というオーラを出しています。
そんな中、他の女性に隠れるようにベッドの端に腰掛け、俯き加減な一人の女性が目に止まりました。どこか悲し気な表情をしているその女性を見ていると・・・先陣を切って一人の社長が女性を指名しました。すると、その声で顔を上げた女性と私は目が合ったのです。その瞬間、私は、条件反射のようにその女性を指名していました。他のずっと年上である社長たちを差し置いて、私は2番目に女性を選んだのです。
以外とも言える私の行動に触発されてか、次々と他の社長たちも女性を選んで行きました。

午後4時。
これから明日の3時まで、各自、自分のが選んだ女性と行動を共にします。
プロである女性と、丸1日行動を共にするなんて、日本では考えられない事です。しかし、この考えられないシステムが日本人にウケて、いまだに私たちの様なツアーが続いている理由ではないでしょうか。

私の選んだ女性は、シン(仮名)と言いました。
ソウルの大学に通う大学生でした。どうりで若く見えたはずです。よく考えたら、着ている服も、サマーセーターにジーンズと言うラフな格好で、ブランド風に見える服を着た他の女性とは一見して雰囲気が違ったのでした。
大学生でありながら、日本人の客を取る、それには当時の韓国の事情と、彼女の家庭の事情があったようです。

大学生であった彼女は、日本語の勉強をしているのか、片言ですが、日本語を話す事ができました。でも、ストレートに意思疎通ができるものでもなく、行き違いや誤解もあったと思います。
ただ、間違いなく判った事は、彼女の家庭は決して裕福ではなく、彼女が私たちを相手にして得た報酬で家計を支え、学費を賄っている事です。
もちろん、彼女が日本人を相手にしている事は家族は承知しています。

翌朝、彼女は一旦自宅へ帰り、10時頃戻って来ました。それからソウルタワーへ観光に行ったのですが、タクシーの運転の荒さに驚きました。その前に、車のポンコツさに驚きました。
当時のソウル市内は、日本のいすゞジェミニのポンコツがたくさん走っていました。どうしていすゞなのか不思議でしたね。
タクシーはコーナーでキーキータイヤを鳴かせながら走ります。天井の持ち手を掴んでないと体を放り出されるような感覚です。

タワーの展望所までの階段は長い行列ができていました。ほとんどは韓国人の観光客で、その中で、韓国女性を連れた日本人は目立ち、彼らから受ける視線は痛かったです。

梅雨前のせいか、その日はあいにくの曇り空でしたが、展望所からはソウル市内が一望できました。
ソウルの街を見下ろし、自宅の方向を指差しながら、彼女は静かにこう言いました。
「あの辺りに私の家があります。お父さんは体が弱くて働けません。あなたは優しいから、お父さん、お母さんが御礼を言いたいと言ってます。良かったら私の家に来てくれませんか?」と。

なんだかドラマの筋書きみたいな展開です。
いくら家計を娘に頼っているからと言って、自分の娘が日本人観光客の相手をしているなんて、親にとって心配でたまらないのは当然です。でも、彼女が家に帰った時、今度の日本人良い人だ、とでも親に話をしたのでしょう。そうでなきゃわざわざ娘の客に会いたいとか、礼を言いたいなんて、普通では考えられません。


その日の朝、私の社長から、「どうだっ?気に入らなければチェンジする事もできるぞ」と聞かれたのですが、私は女性のチェンジはしませんでした。
最初に女性を指名した社長は、迷わずチェンジしたそうです。その理由は、選んだ女性の言葉使いが荒い事と、何かにつけてチップを要求する事で頭に来て、ベッドに正座させて、長々と説教したらしいのです。その社長曰く、過去に相手をした日本人たちが悪い癖をつけてしまったのではないか?彼女はもうスレ過ぎでいると。

反面、シンはそんな事は一切ありませんでした。言葉使いも優しく、何かをねだるわけでもなく、日本人の相手さえしなければ、ごく普通の大学生です。私はチェンジする事で、また別な日本人を相手する事になる、優しい日本人だと良いけど、変な奴に指名されたら・・・尻の青い若造の一時的な感情なのはわかってますが、そんな思いからチェンジする気にはならなかったのです。


彼女は眼下に広がるソウルの街を指差したまま、しばらく私の顔を見つめていました。
たとえ家族承認だとしても、夜の相手をしている娘の両親に、どの面下げて会う事ができるでしょう。
それはできない、と彼女に伝えると、彼女はがっかりしたような表情を浮かべました。でも、それは一瞬の事で、すぐまた、明るい女子大生の顔に戻りました。


2日目の夜は、私たちだけで食事に行く予定だったので、女性は来ません。

3日目の夜には、女性同伴で、食事とクラプのショーを観に行く予定になっていました。

しかし、夕方から彼女にちょっとした異変が起きたのでした。
笑顔が消え、口数が少なったので、どうかしたのか?何かあったのかと聞くと、歯が痛いと言うのです。
私はフロントで鎮痛剤をもらい、彼女に飲ませました。そして、しばらく寝ておくように言いました。
今回のツアーの相手の女性たちの中には、彼女の友達が一人いました。友達も彼女の事が気になったのか、時々、私の部屋を訪ねてきましたが、心配ないから、あまり私の部屋へ来ないように言いました。それと言うのも、彼女の友達も、自分の相手のおじさん社長より、私の方に興味があったのか、何かにつけ、社長をほったらかして、私の後を付いてきて、社長が少々御機嫌斜めになっていたのです。当然、夜の食事とショーも彼女の友達とお相手の社長も同伴の予定だったので、これ以上社長の機嫌が悪くなるのを私は懸念したのです。

そんな時の時間なんて、瞬く間に過ぎるもので、すぐにホテルを出る時間がやってきました。しかし、シンの歯の痛みはなかなか取れず、ずっとベッドに突っ伏したままでした。
部屋のチャイムが鳴るので出てみると、シンの友達と社長が立ってました。「どう?彼女の様子は?」

「まだ痛いみたいで、ベッドで横になっています。」

「そう、じゃあ、彼女を置いてあんただけ行こうか?部屋に鍵して寝かしておけばいいよ。せっかくここまで来て、ショーを観ないのはもったいないよ。どうせ、商売女じゃないか、ほっとけ、ほっとけって」

シンの友達も自分たちだけで行こう、行こう、と社長と一緒になって私を促します。

ただの歯痛です。ひょっとしてこれから鎮痛剤が効いて痛みが止まるかもしれません。痛みが取れなかったら明日、歯医者に行けば済む事です。
でも、私は、たかか歯痛とは言え、苦しんでいる人間を置いて、自分だけ楽しい時間を過ごす事はできません。それより何より、社長の言った どうせ、商売女じゃないか と言う一言で、行く気が失せてしまったのです。

社長とシンの友達には、後から行くから、と言って二人を見送りました。
ちょっとは残念な気持もあったけど、清々しい気分でした。
そんな私と社長のやりとりを聞いていたのか、シンはベッドから上半身を起こし、私の事はほっておいて、みんなと一緒に行って欲しい、自分の為に楽しい時間を壊してしまい申し訳ありません。と謝るのです。
胸の前で両手を合わせて、何度も頭を下げる彼女の目には涙があふれていました。
そんな彼女を見ている私まで泣きたくなってしまいました。言葉が伝わりにくい分だけ切なくなってしまったのです。
でも、大丈夫、謝らなくていいし、心配しなくていいから。とまた彼女を寝かせました。

気が付いたのは夜中の3時ころでしょうか。ソファに座ってウイスキーを飲みながらいつの間にか眠ってしまったようです。
ベッドを見ると、シンが穏やか表情で眠っていました。どうやら歯の痛みは止まっているようです。
私はする事もないので、彼女を起こさないように、ベッドに付いてるラジォのボリュームを下げ、スイッチを付けました。

流れてきたのは、クリストファークロスのニューヨークシティセレナーデ でした。私は彼のデビューアルバム、南から来た男 を持っており、透明感のある彼の声が好きでした。

ベッドに腰を下ろし、目をつぶってその美しい歌声に聞き入っていました。

すると、音楽で目を覚ましたのか、シンは私の肩に手を掛け、背中に頬をくっつけてきました。私はそのまま曲が終わるまでじっとしていました。シンもまたそれ以上動かずにじっとしていました。

やがて朝が来ると、元気を取り戻したシンは、10時頃にはまた戻ってくると言い残し、自宅へと帰って行きました。私たちは今日の昼前にはホテルを発ちます。
長かったようで短くもあり、短いようで長かったソウルでの3日間でした。
私は窓から見えるソウルの街を見ながら、少しセンチな気分になっていました。いや、センチと言うのもちょっと違いますね。複雑な気持ちです。
彼女は大学に行きながら家計を助け、自分の学費を工面しています。一方では、海を渡ってすぐの日本では、シンと同じ歳の人間が遊びで異国の女性を金で買う。金銭で女性を買う事は許される事ではないはずです。しかし、それが日本では当たり前で、また、そんな日本人がいる事で、彼女たちの生活が成り立っている事を思うと、心がざわつきました。

荷物の整理が済んだ頃、シンが戻って来ました。
当時の韓国女性へのお土産として、タバコやストッキングなどが良い、と聞いていました。私はタバコを2カートン、シンへ渡そうてしましたが、彼女は受け取ろうとしませんでした。逆に彼女の方から、両親から持たされたという、パック入りの高麗人参茶のギフトセットをもらいました。

あなたには優しくしてもらったし、迷惑をかけたので、タバコは受け取れない。と言うのです。最後まで欲の無い女性でした。私はベッドに正座させて説教した社長の話を思い出し、シンを選んだ良かった、とつくづく思うのでした。
最後にはどうしてもと言う、私の願いを聞き入れて彼女は1カートンだけ受け取ってくれました。
彼女の友達も一緒に私の部屋に来ていたのですが、友達は、現地で私が使っていたサングラスをくれ、と言いました。私の後を追っかけていたのは、たぶんサングラスが欲しかったのでしょう。大したサングラスじゃなかったけど、友達は大喜びでした。

シンとの別れは正直、名残惜しかったです。あと、1日でもいいから此処にいたい。そういう思いがありました。
一方で、私がいなくなってもまた別の日本人がやって来て、彼女はその日本人の相手をするのだ、そう思うと、此処には来ない方が良かった。来るべきじゃなかった。私のような若造の来る場所じゃなかったのではないか?そんな気持ちが湧いてきました。

私は大韓航空機の窓から、小さくなっていくソウルの街を見ながら考えていました。シンの事はもちろん、韓国と言う国の事、日本人である私たちのやってる行為、帰ってからの事、など、ぐるぐるぐるぐると色んな事が頭の中をめぐっていました。

そして

もう二度と来る事はないだろう。私はそう心の中で誓ったのです。


あとがき

青臭かった日々の出来事は忘却の彼方。

当然ですが、記憶と言うのはだんだんと薄れていくものです。
実はこの話を書くのは今回で2度目になります。
1度目はまだ20代だったと思います。当時購読していた、滋賀県の 大津酒造の女性社員たちの発行していた 雀ちゃん日記 と言うメルマガがきっかけで、その女性社員たちへ向けて書きました。その時はまだ、記憶もはっきりとしていた頃で、この記事よりずっと詳細に書いたので、この記事の数倍のボリュームがあったと思います。

どうしてまた同じ記事を書いたかと言うと、韓国へ行ったのが6月だった事、それと同行したツアーメンバーの一人が亡くなったからです。
改めて書いてみると、かなりの部分で記憶が薄れたり、消えてしまっている事に気が付きます。
でも、シンの事は今でもよく覚えています。無事に大学を卒業したのでしょうか?生活は楽になつたのでしょうか?もうイイおばちゃんになっている事でしょう。今では良い思い出となっていますが、未だに韓国売春ツアーの話は耳にします。自分でもやっていながら、偉そうな事を言う資格は無い事はわかっていますが、もういい加減そういうのって辞めた方が良いと思います。




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