近況②
パスタを食べた。酒を飲もうとして手が滑ってテーブルを水浸しにした。私はいつもそうだ。誰も私を愛さない。
退職届を出した数日後。上長から連絡があり、やはり腑に落ちないことや謝罪の言葉、それでも3月末までに辞めないと1年間を無駄にしてしまうことへの焦りを伝えた。人事からも連絡があり、面談をし、そうして退職届は受領された。3/31付で、私はこの会社を辞める。
ここでもう一つ問題が発生した。2月頭、契約変更の関係で住んでいた物件を出ていくように言われていたのだが、その契約の終了が2月末なのだという。2月末日までに引っ越しをしなければならないと知ったのは2月も中旬のことだった。管理会社や業者と調整した日程は2/24。バタバタで引っ越しをして、荷造りをして、そして退職手続きを進めることになった。
引っ越しを終え、怒涛の3月へと突入することになる。
3月は私用の予定が多すぎた。私が唯一現場に行くほど推しているアイドルグループ「じゅじゅ」が1月の上旬に全員卒業&現体制終了を発表し、2月下旬の福岡遠征に申し込んだものの最推しはコロナに罹患し欠席。このまま終わりは嫌だと3月のイベントに申し込みはるばる東京へ行ったのが3/12.13。その翌週、別れを惜しんでくれる友人と熊本へ旅行へ行き、そのまた翌週には会社に返還する名刺をなくしたから有給を貰い実家に帰省し、その後福岡に帰った当日に友人と食事、ライブ鑑賞、じゅじゅのラストライブ。上司との食事も3度行ったし、妹の卒業のために福岡に来た母親に、実家に送る荷物を運んでもらったりもした。新居の鍵穴にボンドを詰められて2回ほど鍵の交換をする羽目になったりもしたし、なんならインターホンも詰められた。目の前のことを必死に対処していたらもう退職日も目前だ。
実家に帰った時、再会したばかりの父親に「パソコンの前に座っているだけの仕事を2年もしたなんて本当無駄だったね」と言われた。私はこの2年をまったくの無駄だとは思わないが、無駄じゃなかったとは言えない。いつかそう言えるようになればと思う。
明日は役所に行ったのちに実家に配達する荷物を集荷してもらって、明後日は帰社をしたのちに最終出社日。そして明明後日にはガスの閉栓をし実家に帰る。
苦手な父親と二人暮らしということ、地方公務員になれるのかということ、地元に友人がいないこと、父親に金銭の話をされていないので自由に使えるお金がほとんどないかもしれないこと、などなど。どうしようもない不安ばかりが襲って、もし試験に合格できなかったら死んでしまおうと。それだけ決めて実家に帰ろうとしている。
3/27、じゅじゅの全員が卒業した。彼女たちのプロフィールからアイドルの文字が消えていくのを見ながら、私もあらたな一歩を歩き出す覚悟を決める。惜しんでくれた現場の上司、もうしばらく会わないからとわざわざ会いにきてくれたり退職祝いをくれた友人達、愚痴を聞いてくれた人達。「頑張りすぎないで」という優しい言葉と一緒に、はじめの一歩を踏み出す。
3/30追記
自分の状況を客観視するためにまとめた記事だったが、こうして見てみると「自分で選んだ」と思っていた選択は父親に「選ばされた」ものなのかもしれないと、認めたくなかった事実が浮き彫りになる。公務員になりたかったから都合がいいと思っていたが、どうしてなりたかったのかって父親がそれを薦めたからだ。高校、大学と父親の薦めるところに進学して、急に手を離された就活で失敗。就活をしながら父親を恨んだことを憶えている。これまで私から選択肢を奪ったくせに最後まで面倒見てくれないのかと。
今日は最終出社日。私の選んだ道とのお別れの日。無駄じゃなかったと自分に言い聞かせながら、こんな文章を書いている。
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