ひとの困難や苦しみや悲しみと向き合う、ということ
アギテイになって半年が経ました。
この半年、Stray Kidsの音楽や存在そのものに本当に沢山の影響を受けました。どの表現が一番適切なのかと考えてみると悩むけれど、個人的には「救われた」という表現が当てはまる気がします。周りにもスキズの話をすると、しみじみと「前より元気になったね」と言われるくらいです。そんな私が初めて参加するカムバックを迎えるこのタイミングで、この半年間アギテイだからこそ感じてきたことの一部を文に残しておきたいと思います。
(これは私個人の想いと考えでしかなく、他の誰をも否定する意図は決してないということははじめにお伝えさせて下さい。また、スキズの楽曲やパフォーマンスから日々感じている事については余りに長くなるので、そちらは別記事や各ツイートで触れさせて頂ければと思います。)
STAYになって感じた衝撃
私は今までヨドルをゆる追いをしたりハロプロを応援してきてスキズで初めてナムドルを推すことになったので、皆さんとっては当たり前の事が多いと思うのですが…そんな他界隈からやって来たオタクが感じた衝撃をまずシェアさせて下さい。
コンテンツ量の多さと質の高さ
まずはこれが一番の衝撃であり、私がスキズを “気になっていた” 段階から “ STAY” に押し上げた一番の要因かもしれません。
前記事の導入で触れたのですが、MAMAMOOの舞台を見るハニの動画からスキズが気になるようになり、ファンメイドの紹介動画を見たり(作って下さる方ありがとうございます)もしていましたが、何よりも登録した公式チャンネルに存在するコンテンツ量と更新頻度に驚きました。
特に、既にアップロードされていた [SKZ CODE] が面白くて時間がある時に見始め、気付いたらメンバーの名前となんとなくの性格やポジションを把握して…。そして [2 kids room] で各メンバーの関係性を知り始めてからは、もう更新通知がくる度に楽しみに開くようになっていました。
3月後半でMANIAC活動期だったので各放送局からのステージ映像やチッケムがあることは承知の上でしたが、それに加えて毎週月曜には2 kids roomが更新され続け、収録曲のMV(収録曲にとんでもないクオリティのMVが存在すること自体がカルチャーショックでした)と更にそのメイキング、そして [SKZ-TALKER] と… 追いつけないほど矢継ぎ早に更新されるコンテンツの量、そしてその質の高さに本当に驚きました。
ファンとの心理的距離の近さ
これも私にとっては大きな衝撃でした。韓国でワールドツアーが始まってから [SKZ VLOG] が再更新され始めたのですが、「え?こんなにプライベートを見ていいの?」「こんなプライベートな場所での休暇でもカメラ回してくれてるの?」「家族や友達との会話さえ聞かせてくれるの?」という衝撃は本当に大きかったです。
事務所や宿舎のリビングからV LIVEしてくれるしてくれるアイドルは見たことがありましたが、こんな…ご実家で過ごすご家族との休暇の様子やお友達とのプライベート旅行までカメラに残し、STAYにシェアしてくれるんだ…という驚きは今でも新鮮に感じる時があります(そして個人的には当たり前に思ってはいけないなと感じる部分でもあります)。
Twitterでも触れたのですが、スキズの北米ツアーでインタビューと複数ライブ取材をしたライターさんによる米teen Vogueの記事で私は 【パラソーシャル関係】という言葉を初めて知りました。
(ここでは軽く触れるので、よろしければこちらのツイートツリーをご覧下さい)
パラソーシャル関係とは、人々が著名人やインフルエンサーを身近な存在と感じ、まるで ”自分の友人のように”そして “向こうも自分を知ってるような感覚” になってしまう事を指すそうです。ユーザー側はSNSを通し著名人やインフルエンサーの外見・行動・声・会話・行動を観察し解釈することで親しい友人のように感じるようになります。
VLOGが1番最初の衝撃ではありましたが、LIVEのMCやbubble・V LIVEを介しても、STAYはスキズに対しまさに【パラソーシャル関係】を築き、実際の友達やあるいはそれ以上に近い存在かのように感じやすい部分があるなと思います。楽曲やパフォーマンスからだけでなく、Stray Kidsという存在そのものからSTAYが元気や癒しや勇気や…様々な影響を受け取ることができるということを、私自身も日々実感しています。
スケジュールの忙しさ
K-POPアイドルがとんでもなく忙しく過酷な環境にあることは、分かっているつもりでした(そして正直問題視もしていましたし、今もその気持ちは強くあります)。
でもそれにしても、スキズを知れば知るほど、強くなる「スキズ、多忙すぎないか!?!?!?」という感情。
これは例をあげたらキリがないですが、最近で言えば北米ツアーの毎公演三時間半を、移動とリハを考えただけでも超タイトなスケジュールで周って、その間に取材や楽曲制作やVLOG撮影やトレーニングもし…。アメリカツアーオーラス翌日にTime OutのMVを1日で撮って、その翌日に帰国しているだろうことも恐らく間違いなさそうです。
最近では9月30日に公開されたMAXIDENTのティーザーフォトを、4月末のMANIACツアー開始前に撮っていたことにも驚きました。
また、BillboardのZineのカバーストーリーでJYP1本部ソン副社長兼GMが以下のように延べていた事も、衝撃的でした。
ビジネスにおいて、会社が事業及び人事育成計画においても5年10年計画を立てることは当然と言えます。
ただ、20代の彼らに対して組まれているだろう数年のスケジュールが肉体的・精神的に余裕があるものではないだろうことは想像でき、また特に3RACHAについてはそのスケジュールに対して常に楽曲制作のプレッシャーがかかることを考えると…胸が痛くなる自分がいます(繰り返しますが、これは個人の感想です)。
彼らの過酷さや苦しみにSTAYとしてどう向き合えばいいのか
実はこれが私が最近ずっと考えていたことでした。
もちろん、夢や目標に向かって努力する時、それを叶えるためには現状を変化させるべく苦しみやストレスが伴うということは私自身も経験と体感があり、よく分かります。そしてそれを乗り越えた経験が自信に繋がったり、仲間との絆を深めることも。これは多くの人が共感する事だと思います。
彼らにはこのような大きな夢があり、そのために膨大な努力や苦しみやストレスがかかることもきっと覚悟しているだろうと思います。
そして練習生の頃からサバイバル、デビュー、数々のカムバックを通してその環境に「適応している」部分があるのだろうとも思います。
チャニバンでの衝撃
ただ、先日10月2日のチャニバンでの切実な想いに、私は胸がぐっと詰まる想いでした。
翌日はK-909の収録で、このチャニバンの20時半時点で6時間後には起きないといけないと発言していたようなので(韓国語が分からず字幕もないためソース未引用で失礼します)、午前2時半には起床予定だったと予測できます。
それでもチャニバンを休まずやってくれたのは、個人的な予想としては彼の性格的にSTAYとの約束を守った方が心理的にむしろ負担がないとか、STAYとの交流が癒しになっている…などと思いたいのですが…。
これまでバンチャンさん自身、練習生時代の苦しかった話を公に何度もしていますし、最近だと鼻の不調と手術の件があったように体調に関してSTAYにシェアすることにも抵抗がないのだと思うのですが…それでも「こんなにも今、大変な状況なんだ」となぜだか急に泣けてしまったんです。
個人的にチャニバンを見た時に私自身が体調不良だった事もあるかもしれませんし、K-909の番組をとても楽しみにしていたのでそれが彼(彼ら)にとってそんなにも負担なスケジュールなんだ、というショックもあったのかもしれません。
私たちが日々楽曲や様々なコンテンツを楽しむことができるその裏で、彼らは膨大な準備や練習をして稼働して…どれだけの仕事量をこなしているのだろう。それを思うと、何だか途方もない気持ちになるのです。
私達が供給を喜ぶからこそ、彼らは過密なスケジュールをこなさなければいけなくなっているのではないだろうか?という考えさえ、頭をよぎりました。
彼ら自身の発言を辿ってみる
そこで彼ら自身がそういった環境の中で、ネガティブな感情に出会った時にはどうしているのか、アギテイなりに発言の一部を探してみました。
チャンビン
ハン
バンチャン
Stray Kidsの楽曲には、辛さや悲しみや時に後悔や、癒しや勇気や… 様々な感情がリアルに込められていて、だからこそそれらが聞き手に伝わってきます。
心から応援しているアーティストだからこそ、それこそ【パラソーシャル関係】に感じていている部分があるからこそ、「心身ともに健康であってほしい。」と思ってしまう。でもそれが彼らの夢のために必要な苦しみであったり、彼らの曲やパフォーマンスに込められて私達にまで届くのだということを思うと簡単に「無理しないで」とは言えないな、と思います。
私個人の経験のこと
これは本当に、Stray Kidsについての記事中に書くべきことなのか迷いましたが…私自身の経験と考えも少しだけ書かせてください。(後で消すかも知れません)(最後のまとめまで飛ばしていただいて大丈夫です)
ある時、私の家族にとても悲しいことがありました。その場にいる誰もが泣いているような状況でした。私はというと、実感が湧かず涙が出てきませんでした。そして横にいた身内が下を向いて号泣しており今にも倒れそうに見えたので、思わず腰に手を回しました。その時本当にびっくりしたのですが、首を振りながらその手を払い除けられたんです。一瞬大きなショックを受けながらも、なぜか冷静に「ずっと一緒に過ごしてきた血の繋がった家族であっても、悲しみに対して実感が湧かない人も、一人で味わいたい人もいるんだ。人はこんなにも違うんだ」と思いました。
リノさんもインタビューでこう発言していましたが、こういう人もまたいるのだなと思い改めて納得しました。
そして家族に悲しいことが起きたその後こそが、ほんとうにほんとうに一番辛く苦しい時期でした。その時に家族で話したことをよく覚えています。
「今は、無理をするしかない。頑張ろう。やるしかない。でもいつかこれを乗り越えたら、パーっとやろう!」
あの期間で家族の絆が深まり、乗り越えたあとにようやく穏やかな時間がやってきて、実際に皆んなで揃って休暇に行ったことは、今になっては良かったと思うことができます。
でもだからと言って「あの辛く苦しい時期があってよかった」とは絶対に思えないのです。経験しなくて良かったならば経験したくなったと、はっきり言えます。
だからこそスキズには…こういう表現が適切かは分かりませんが、彼らの夢や成長のために必要な困難や苦しみだけを味わっていてほしいと、無理なことを願ってしまいまう自分がいます。
そして苦しみや困難とはまた別に、Stray Kidsがもしそれぞれに悲しみを感じることがあるならば、それぞれの形でその悲しみと向き合う時間があってほしい。そしてもし無理をすることが必要ならば、目一杯周りに頼って、そして乗り越えた後に穏やかな時間が訪れてほしいという強い願いから、私の個人的な経験を書かせていただきました。
STAYとして彼らに今私ができること
これこそが、私が自分自身で今整理して、書き留めたかったことでした。
まずは、彼らが大変な思いもしながら制作してきたMAXIDENTという作品を真摯に受け取り、活動を楽しみ、何よりそしてそれぞれの形で応援して活動を支えること。
今はこれが一番だと思っています。
MAXIDENTの活動が終わっても、Stray KidsにはMANIACツアーの再開と年末の授賞式や音楽番組など怒涛のスケジュールが待っています。
願わくば心身共にいつでも健康でいてほしい。でも無理しないで、とは簡単には言えない。それならSTAYとしてそれぞれできる限りで支えたい、力になりたいと思います。
そして合間合間に、あるいはどこかでしっかりと、彼らに心身の休息時間が与えられることを祈るばかりです。
それと同時にこれからもずっと忘れたくないことは、どれだけ彼らがSTAYに誠実で愛を示してくれ、彼らとの心の繋がりを感じても「STAYは自分が見たいものを彼らに投影している面がある」という自覚と、「彼らはStray Kidsとして活動しSTAYを想いながらも、一度しかない彼ら自身の人生を歩んでいる」という認識です。
いつでも彼らが見せたいStray Kidsとしての姿をSTAYに見せられますように、彼らのプライベートや安全が守られますように。これは祈るだけではなく、私にできることをやっていこうと思います。
もうカムバック当日になってしまいましたが、ギリギリに書き上げることができて良かったです。
MAXIDENTカムバ、Stray Kidsと全てのSTAYにとって素晴らしい期間になりますように願いをこめて、この記事を締めくくりたいと思います。
アギテイとしての半年の振り返りから、最近考えていたことについてまで…大変長文な記事になりましたがここまで読んで下さった方、本当にありがとうございした!
【パラソーシャル関係についての参考資料】
・COSMOPOLITAN JP「会ったことはないのに親しみを感じる「パラソーシャル関係」を解説」ジェイク・スミス
(翻訳が分かりやすくておすすめです!)
・ぴあ「ネットやSNSの普及によって変化する“パラソーシャル関係”」佐々木俊尚
・Wikipedia - Parasocial interaction(英語版)