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【続】ノンフィクションドラマ。
前回、#応援したいスポーツとゆう記事でプロ野球について書きました。
今回もプロ野球について書いていきたいと思います!
前回の記事が↓こちら!重ねて見てもらえたら嬉しいです!
因みに僕は高校野球は観ないです!
嫌いなのでなく、「職業プロ野球選手」とゆう空気感や駆け引きが好きです。
前回も書きましたが
組織として優勝しないと運営に関わり、給料にも関わる
個人としても個人事業主なので活躍しないといつクビになるか分からない。
とゆう本当に厳しい世界で生きているとゆうのは
一般社会ではそう味わえることではないので
その辺りに凄くワクワク感を覚えます。
あまり野球を知らないとゆう方に今日お伝えしたいのは
そんな真剣勝負を毎日しているからこそ生まれるドラマを紹介したいと思います!
『亡き同級生に捧げる満塁ホームラン』
2010年4月2日。
プロ野球2010年シーズンも開幕してまだ間もない頃。
前年に惜しまれつつも引退し
同年から1軍守備走塁コーチとなった木村 拓也さんが試合前のノック中に突然倒れてしまい
それから5日後、ついに帰らぬ人となってしまいました。
死因はくも膜下出血。まだ37歳とゆう若さでの突然の死でした。
当時在籍していた思い出の地
そして、家族が在住している広島でその命に幕を閉じました。
野球界のみならず、多くの方が哀しみ、そして涙を流していました。
舞台は同月24日。
この日は本拠地東京ドームにて、木村 拓也追悼試合として試合に臨み
その相手チームは当時木村さんが活躍した広島カープでした。
木村さんの長男の始球式から始まり。
観客も、そしてお互いのチームも、「木村さんのために」とゆう想いが今でも鮮明に記憶にあります。
試合は2-3と1点をジャイアンツがリードされて迎えた八回。
1OUT満塁とゆう中で谷 佳知選手に代打として出番が回りました。
谷選手は木村さんと同級生。
アテネオリンピック代表としても一緒にプレーをし
更には谷選手も木村さん同様ジャイアンツにトレード移籍し縁を持っており
チームで一番仲のよかった同学年の親友だったそうです。
そんな谷選手は、人一倍この日は出場したいと思っていた選手の一人でしたが、チームの勝敗を分ける緊迫した場面での登場に
「拓也のために打つ」と自分に言い聞かせていたそうです。
広島カープのピッチャーは木村選手と一緒にプレーをした高橋 健投手。
どちらも譲れない中、高橋投手が投じた4球目、谷選手が普段なら強引にいかないボールを思いっきり振り抜くと
打球は大歓声に乗って高く舞上がり、谷選手はバットを放り投げました。
打球はカープファンが応援するスタンドへ
見事試合を決める逆転満塁弾を放ちました。
普段は技術でボールをコンタクト選手が、渾身の一振り。
まさに気持ちで打ったような一打でした。
試合はジャイアンツが勝利。
谷選手はヒーローインタビューで涙を隠し切れない涙を流していました。
当時の心境について谷選手は「それまでの野球人生で他人のために打とうというのは一度もなかったけど、あの時は拓也のために打った。他人のために打ったのは初めてのこと。特別な一本だよ」
プロ通算1928本の安打を積み重ねた名選手にはもう1つの初めてがありました。
それはプロ14年目で初の満塁本塁打。
まさに記憶に残る一打となりました。
『負けないエースが負けた日』
1人の男が、1つのチームがその闘い終止符を打った。
ソフトバンクホークスのエース 斉藤 和巳投手。
今でこそ、短期決戦に強いソフトバンクホークスですが
プレーオフが導入された当時は短期決戦にしてやられた。
導入初年度の2004年。
シーズン1位通過をしながらもシーズン2位の西武ライオンズに僅差で敗北。
更に導入2年目の2005年。
圧倒的強さで1位通過を果たしたペナントレースだったが
同年躍進を遂げシーズン2位通過の千葉ロッテマリーンズの勢いに飲まれ
またも敗北。シーズン1位通過を2度しながら、優勝を逃してしまう。
そして翌年の2006年。
このシーズンは絶対に負けられない理由がありました。
それは「王監督のために」。
王貞治といえば野球を知らなくても名前を知っている方も多いのではないでしょうか。
「世界のホームラン王」とも呼ばれた名選手はです。
王さんは福岡の野球熱を上げた第一人者と言っても過言ではないでしょう。
当時弱小、不人気球団だったホークスの指揮を長年に渡って執り
弱小球団から常勝球団へと変貌させました。
結果的に、ホークスでは3度の優勝を手にしました。
正に名監督の1人ですが、胃ガン見つかった2006年
シーズン途中に治療に専念とゆう形でチームを離れてしまいました。
シーズンは3位でしたが、プレーオフを勝ち上がり
ついに最終決戦を迎える事に。
相手は1位の日本ハムファイターズ。
北海道移転後初の優勝、日本シリーズの切符をかけ
更に、新庄 剛志選手の引退とゆうこともあり
どちらも負けられない闘いを繰り広げました。
斉藤投手が負けないエースと言われるのは
毎シーズン圧倒的な成績を残し、まさに球界のエースとしても呼び声が高かったからでしょう。
そんな斉藤投手でさえも勝ちきれなかった最終決戦。
試合は両チームとも無得点のまま9回裏を迎え、バッター足の速い森本 稀哲選手。
北海道のファン、球場の雰囲気に飲まれたかのように出塁を許してしまいます。
その後一、二塁にランナーを置き、バッターは稲葉 篤紀選手。
今の日本代表の監督ですね。
稲葉選手に投じた2球目。試合の運命を握る瞬間が起きました。
打った打球は斉藤投手の横を抜け、セカンド仲澤選手が好キャッチし
二塁へ送球するも、タイミングはセーフ。
すると二塁ランナーの森本選手は一気にホームイン。
試合は突然に終わりました。
まさに一瞬の出来事。
1-0でファイターズが勝ち。
ホークスは3年連続で、優勝、日本シリーズを逃してしまいました。
最後に二人の外国人選手(フリオ・ズレータ選手、ホルベルト・カブレラ選手)に肩を持たれ引き上げるシーンは思わず拍手をしてしまう程。
このシーンをズレータ選手は後にこう述べています。
「チームのエースであり、最高の投手であり、よき友人でもある和巳を観衆の前にさらされ続けるマウンド上に放っておくことはできなかった。負けはしたが、チームはベストを尽くしたんだ」
2003年に20勝を挙げてエースになり、2004年に10勝、2005年に16勝。
そして2006年に18勝を積み上げた斉藤投手の肩は限界にきていました。
その後2007年に登板間隔を調整しながら6勝を上げたのを最後に
6年間もの長いリハビリを強いられてしまいました。
2003年からの4年間で64勝16敗を上げた斉藤の勝率は8割。
今も語り継がれる「エースの中のエース」として
2013年に現役生活にピリオドを打ちました。
『神様はいるのかもしれない。涙と奇跡の花道』
もしかしたら、本当に神様っているんじゃないか?
もし実在しているのならば、神様は1人の男に主役の座を与えたかもしれません。
2013年10月8日現役生活13年。
横浜DeNAベイスターズ 小池 正晃選手の引退試合が行われました。
小池選手は横浜スタジアムからほど近い保土ヶ谷区出身。
中学時代は中本牧シニアで活躍し、横浜高校に進学。
高校時代は松坂 大輔投手らとともに甲子園春夏連覇を達成し。
1998年のドラフトで横浜ベイスターズ(のちに横浜DeNAベイスターズ)から6位で指名され入団された、横浜で生まれ、横浜で育った生粋のハマッ子です。
小池選手のプロ人生は、チームが勝つために徹した正に名脇役の人生でした。
レギュラーだった2005、2006年には最多犠打。
2008年、トレードで入団した中日ドラゴンズでは、守備固め、代打、左投手の時のスタメンなど多岐に渡って活躍をしました。
その後、FA権を行使してベイスターズに復帰し、若手主体に変化を遂げているチームの中において、精神的支柱として活躍をされました。
華々しいプロ野球界。一見誰でも目立つようなイメージを持つ方もいるかもしれませんが
小池選手のように、組織の中で自分の活路を見出す選手も中にはいます。
そんな小池選手の引退試合は
良い意味でイメージに合わない華々しい活躍で幕を閉じました。
第二打席。思い切り振り抜いた打球はレフトスタンドへ。
第三打席もヒットを放ち迎えた最終打席。
打席で溢れる涙。
その涙には、ずっと地元を愛してきた選手の想いが溢れていました。
全身で振り抜いた打球は、高く舞い上がりまたもレフトスタンドへ。
チームのために生きてきた男に最後に神様が主役にさせてくれたかのような
そんな特別な引退試合でした。
『創設9年目、東北に勇気と感動を与えた選手たち』
2011年3月11日。東日本大震災が発生。
仙台に本拠地を置く楽天イーグルス。
悲痛な想いを胸に、そして「このまま野球をしていいのか」とも思うほど
衝撃的な光景に選手たちは、「東北の地に必ず優勝を」とゆう想いを胸に秘め闘っていました。
大地震から2年が経った2013年。
ファンの想い、そして県民の想いを胸に快進撃を見せる。
エースの田中 将大投手が無傷の24連勝。
更に、突出した選手はいないながらも効果的な得点を重ねる打線で
見事優勝を決めたイーグルスは、勢いそのままに日本シリーズに進みました。
日本一まであと1勝とゆう試合に登板したのは田中投手。
しかし相手チームのジャイアンツの底力により
その年初黒星を喫してしまい、次戦ではどちらかが優勝とゆう試合に。
試合はお互い譲らず、イーグルリードで迎えた最終回
雨に濡れるマウンドには誰もが想像していなかった選手が登りました。
前日160球も投げた田中投手の名前がコール。
まさか登板なんてないだろうと誰もが思っていた事でしょう。
筋肉疲労や、疲れを考えても明らかに不安が募るの中
そんな不安をよそに快投する田中投手。
その姿に観客もない涙を浮かべながらの「田中!」の大合唱。
ジャイアンツも追い上げを見せるも声援も後押しし
見事に日本一を勝ち取りました。
仙台の地に夢と希望をもたらした選手たち。
まさにヒーローになりました。
その他にもまだまだ沢山ある名場面。
真剣勝負が生んだ名場面。
その中には、人々を元気にする力。
勇気を与える力がある事はどのスポーツにも共通していることでしょう。
そんな中で、数秒に生きる選手たちの熱い闘い。
息残りを掛けた闘いがこうしたドラマを生むと思います。
その姿に僕たちは心を打たれ、頑張ろうと思える。
そんな姿がまた6月19日から見られるようになります。
今まで野球をあんまり見てこなかった方。
細かいルールを覚えなくても楽しめる要素が沢山詰まっている野球を
この機会に観てほしいなと思います!
本当は連日の投稿をと思っていましたが
あまりにも紹介したいシーンが多くて時間が掛ってしまいました。笑