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アルゼンチンにはボンボネーラがある


正直、自分と同じ職業だと思えなかった。
今自分がプレーしている延長線上にこの景色が広がっていると信じたい。

初めてボンボネーラで観戦した時のメモの一部

6月29日にボンボネーラで試合をすることになった。
プレーヤーとして経験する前に、自分がボンボネーラで観客として感じた体験を書いてみる。


もうアルゼンチンに来てから4ヶ月経つ。
ボカ地区のことはよく知っているつもりだ。Casa Amarilloと呼ばれる練習場がボンボネーラの裏にあり毎日のように通っている。アルゼンチンで最も多くの時間を過ごしている場所だ。ただ実際にボンボネーラで試合を見たことは一度も無かった。

チームメートと一緒にBoca Juniorsの試合を見に行けることになった。
夕方6時ごろチームメートの車でスタジアムへ向かう。辺りはすっかり真っ暗になっていて、いつも通る見慣れた街並みはどこか奇妙で見たことのない姿をしていた。
警備も厳重になり10メートル間隔に警察が立っている。
バスの窓から身を乗り出しボカの旗を振っているサポーター、チャントを歌うサポーター。彼らの乗るバスから振動と熱気が伝わる。ボカのエンブレムを付けた人々が続々と集まり集団をなしていく。
この時点でキックオフ2時間半前だ。

車から出ると何かの煙が香る。
サポーターの表情は、選手と似たような緊張感を漂わせ、試合を楽しみに来ているというよりかは闘いに来ているという表現の方が正しい気がした。

突然大きな音が聞こえた。警察2人が必死に追いかけている。きっと強盗だ。野次馬が飛び交うが数十秒後には自分も含めてみんな何も無かったかのように全てを忘れた。
この国では特に珍しいことではない。

現在ボンボネーラにはソシオと言われるクラブ会員しかチケットを入手することができないらしい。Femininoの選手としてチケットを入手することができた。

スタジアムに入る。
群衆が一つの生命体のように感じた。そして自分もその生命体に取り込まれたような感覚を抱く。
自分もボカの一員であると誇らし気になる。
一体感とはどういうものなのかを自分の身でもって教えられた。

試合が始まった。みんなで歌う。7歳くらいの男の子もベンチに立ってずっと歌っていた。この子はきっとこれからずっとBocaと共に人生を歩んでいくのだろうなと想像する。伝統が継承されていく瞬間だった。

試合が始まると、サポーターは相手チームや審判に対してかなりの暴言を吐く。
決してリスペクトに欠けているわけではない。サポーター自身も試合に関与して、勝利を左右する一人だと知っている。
彼らもサッカーをプレーしているのだと感じた。

結果は4-0と快勝し、ボンボネーラを後にした。
この圧倒的なスタジアムを体感するためだけでもアルゼンチンに来る価値はあると思う。

日本でBocaの話を聞くとき、プレーヤーよりも世界一熱狂的なサポーターとして語られることが多い。
アウェーでさえもホームのような群衆を作り、全てをBocaに捧げている。
このような情熱を持つサポーターがいるクラブとして注目されてきた。


ボンボネーラではBocaと共に人生を歩んでいる人々を見ることができる。
彼らの人生はBocaが支えていて、Bocaは彼らに支えられている。
ボンボネーラには間違いなく文化が存在していたし、それが唯一無二のスタジアムとして存在する所以なのだろう。
クラブの文化は、プレイヤーではなくサポーターによって作られていくものだ。

熱狂の渦に巻かれながら時に群衆の中に入り込んでみたり、時に群衆から距離をとって観察した。
Bocaと彼ら一人ひとりのサポーターにそれぞれの物語があると想像する。
このエンブレムを通して物語が紡がれていくことが彼らの生きた証となって刻まれていく。
そんな素敵な光景を見ることができた。

これが正に自分の見たかった景色の一つ、没入したい空間の一つだと確信した。
今までどのような環境に身を置くかということは考えてきたが、どのような空間に自分を置きたいのかということも考えるようになった。
空間に対する居心地は瞬間的に自分の身体を通して評価することができる。
心が動く瞬間とか熱狂の渦に巻かれるといった感覚を味わうことのできる空間を大事にしていきたい。
そしてその熱狂に慣れないようにそっと90分でボンボネーラの幕は閉じた。


6月29日
Boca Juniors vs Rosario Central 
🏟 La Bombonera


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