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Sense

大味なものが増えてきているこの世の中。
いやね、悪くないのよ。
私も大味、好き。

マシマシでカタメなものも食べるし、今もマクドナルドにて記事を書いてるし。
お好み焼きにはマヨネーズが欲しい。
たこ焼きにも、可能な限り。


技術を無断で模倣して販売している中国製品は嫌いだけど、耐久性を度外視した低コスト商品は魅力でもある。
きちんとね、自分の魅力を持ってやってくれたらそれでいいのよ。
今も中華イヤホンって言われる安いイヤホン使ってるし。



ただね、それは「繊細さ」あっての「大味」なのよ。
大味がスタンダードになっては良くないと思う。

それは微小な…細かい変化を忘れることだから。
「大体」で物を片付けてしまう。


それが瞬間の…小さなズレだけで済むのならいいのだけど、長く蓄積することで大きなズレになることがある。

それは良くない。
「簡単なもの」と「粗悪なもの」は違う。




それはモノだけではなく、人の付き合いにも見られるもの。


「ぶっきらぼう」や、「適度な適当」はいいんだけど。
それは「何が理想か」分かっているからできることであることを…最近多くの人が忘れがち。


なんていうかな。細かく説明するとね。
時間を取りすぎたり、厳密になり過ぎることで価値が下がることがあるんだよね、まず。

例えば…集合時間とか。
物の片付けとか。

それを厳密にやれば、誰も困らないだろうし迷惑もかけないだろうけど、毎回そうも言ってられない。

疲れている時もあるだろうし、ちょっとしたミスをすることも人間だからある。
そういった…人の「浮き沈み」に「繊細」になれるからこそ、「適当」がある。


人ってもんは、常に変わり続ける存在だから。
だから、行動でもなんでも、同じクオリティを出し続けることは難しい。

だから、人に余裕を持たせるために「繊細さ」を行動から抜き取るのだ。
逆に言えば、人の持っている…毎日の浮き沈みをきちんと捉えるからこそ、優先順位が決められるというもの。


それをね。


目に見える行動だけを元に…
「なんだか、他人も適当にやってるから私も適当にやろう」みたいになるのは、良くないなと思うんだよね。
そこには、「適当」になるための裏付けがない。

それはもう、「適当」なのではなく。
日常化した「未熟さ」でしかないんだよね、ってさ。



ガツンとしたものが食べたいから、大味でもおっけーなわけ。
それが、全部大味なら、それは「大味」なのではなく「味が濃い」だけなわけ。


何にも、表裏がある。
でも、今の世の中は「表」しか見れない人や、想像できない人で溢れがち。

そして、裏にあるものを見ずに表のみを真似するから、本来の意味を失ってしまう…


なんだろ、遅刻しがちな友達Aがいるとしてさ。友達Bが毎回それを許してるとする。
それを見た友達Cが「私も遅刻してもいいっか」って、毎回遅刻するようになって、Bに怒られたとする。

なんていうか、上記の文章だと不平等に聞こえるかもしれないけど。
Bは、夜勤の続くAを労わっているとかいう情報が増えたら、また見方が変わるでしょ?

まあもちろん、Bは全体に説明する必要はあるけどさ。




以前は、LOHASという言葉が流行って。
その後はスローライフって言葉が流行って。
今はSDGsって言葉が流行ってる。

みんなね、ゆっくりで健康的で。
持続可能な毎日がいいと思っているだよね。

でもさ、それを行うためには、形だけの動きじゃダメなんだよ。


そこには、急がないといけない毎日があったり。
大量消費をしないといけない背景がある。


なんでもそう。


物事ってのは、裏を見たり想像することが大事だ。
ただまあ、大変だからみんな端折っちゃうんだけどさ。


でも、忘れてはいけない。


裏を見れるからこそ、表の真の意味を捉えることができ。
見えている「表」に対して、正確に応えることができる…ということ。


そのためには、その裏を捉えられるようなアンテナが必要なのさ。Senseってやつ。



んでまあ、そのSenseってもんは、磨けば磨くほどに鍛えられるわけ。

普段から、「相手のことを考えよう」とか「この物事はどういう形でできてるのだろう」とか、考える習慣がある人のみが得られる「能力」なわけ。


だからね、結論としては…普段からいろんな人や物事に興味を持ち。
そして、考えることが「いい人間(おおざっぱ)」になるために必要なことなんだよ。


自分のことばかり考えてちゃ、他なんて何も分からなくなっちゃう。


そうならないためにも、いつも感覚を研ぎ澄ましていこうね。

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