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自分の価値を守るために、空気読みを止めるとき

と、いうことで。
今日は珍しく、iPhoneとキーボード、マウスを使って文章を作ってみています。

通常はiPhoneのフリックを使っているんだよね。

うーん、操作性としては悪くはないんだけど、何分画面に書かれる文字が小さい…
まぁ、当然っちゃ当然なんですが。

でも、文章書いてる感が強くていい感じ。



さてま。


最近、「自分の価値」について考える、というのが私のテーマになってきている。
自分で考える対象にもなってるし、他人に教える対象にもなっている。



昔から、日常の会話の中で「空気を読む」という言葉が使われてきた。
場面の様子を伺って、適する言葉・行動をセレクトするというもの。

しかし、これが…


最近では、
「理由もなく他人に自分の意見を強制させるために使われてきている」のを感じている。



分かりにくいので、具体例をあげてみよう。



例えばさ、何人かの人が集合しているグループがあるとするでしょ?
それで、意見がそろそろまとまりそうだとする…



例えば、
「これからご飯行こう!」、
「ファミレスなんかいいよね」
みたいな。

そのときに、
「あ、私今日はファミレスじゃなくて居酒屋がいいなぁ」
って意見を言うとしてさ。

「いや笑、ファミレスに固まりかかってきたんだから笑、空気読めよ笑」
みたいな返しをされているところを結構みるわけ。


この場合のさ、「空気を読む」って「周りの雰囲気を察してくれ」とかじゃなくて、要するに「黙れ」って意味で使われてるわけよ。

それを誰にも咎められないようにするために、「空気を読む」って言葉で濁しているに過ぎないわけ。



いや、そこで「居酒屋」に行くことに固執すれば、それは「空気を読め」といわれてもしょうがないかもしれない。
それは、周りの意見を聞かないで自分のことだけを推し進めることになるから。


でもさ、


仮に周囲の意見が固まってきていたとしても、自分の意見を言うことは悪いことではない。
誰にだって自分の意見や考え、要求を口にする権利はある。

それを理由もなく…正当性を欠いた状態で黙らせようとするのはおかしいことだ。
誰にもそんな権利はないし、それと同様にそんなことをされていい人なんてどこにもいない。



そうやって「空気読み」という言葉をつかって、他人の尊厳を踏み躙る人がいる。

人にはそれぞれ、立派な「価値」があって。
その価値ある存在から生まれる意見というのは、平等に扱われるべきだと思う。


なんていうかな。


他人のために「自分が損する選択・判断」を「進んで選択する」必要はないよってこと。
それが例え、他人側が大多数だとしても。

そうじゃないと…「損」というより「犠牲」にただなっていくだけ…自分自身っていうやつがね。



もちろん、意見や思いを伝える時のお作法はあるもんだけど。
自分がそのままの意見をいって、受け止められないコミュニティがあるとするならば、速攻で立ち去った方がいいと思う。

それだけ、人っていうものは平等に権利を持っていて。
それぞれに価値が存在しているのだということだから。



まぁ。



それと同様に、「自分も他人の価値や意見を尊重する必要がある」んだけどね。
問答無用に自分が正しいってことを伝えることはしない方がいい。

私は仕事柄、他人に対して進言をすることが多いんだけど。
その伝え方としても、「可能性の一つ」として自分の意見や改善策を伝えている。

それを受け入れるかどうかは、聞いている人次第。
そこには断る権利も存在する。

まぁあとは、自分の行動に責任を持って欲しいってのもあるから、強制させないのもあるんだけどね。

「考えを選択する」ということは、自主性を高めることだから、責任と自信に満ち溢れた人に結びつくってのがあるから。



まあ。とにかく。



「頭から他人の意見を否定」したり、「人の意見に聞く姿勢をとらない」他人は、大切にすべきではない。

できるだけそこから早く立ち去ることをお勧めする。


大体、そんなときって協議をしても無駄だから。
無理に「理解して貰ってからその場を立ち去ろう」だなたんて、思わなくていい。

「無理です、では。」っていって離れてしまっていんだよ。



他人の意見を、

「またまた〜、まじめになっちゃって〜」

とか、

「え、それ(大体の方向が決まった)今言う?」

などの言葉を言ってくる人は、それで他人を見下していることに気付いていない。

指摘しても、習慣としてそういうことを言ってる時があるから…
何も落ち度を理解しないってことも多い。

要するに、理解されない…説明しても納得されない…そうなるわけだ。



とにかく。



人にはそれぞれ価値があって、大切にされるべきである。
「人を大切にしない人」を、私らはそれほど大切にする必要性はないのだと思う。

まぁ、その「人を大切にしない人」にも価値があるわけだから。
人を大切にしないことを理由に、適当に扱うことはしてはならないんだけどね。


合わなければ、「叩き込む」のではなく。
合わなければ、「離れれば」いい。



まぁ、でももし。

いろんな人から不当な扱いをされるのであれば、
それは自分にその原因があるのかもしれない。

普段から他人のコケおろしているから、自分も同じように扱われているのかもしれない。



そういった、正確な状況を掴む…「今起きていることの原因は何で、どうすることが妥当か」を判断する…能力は大切なものだ。

だからこそ、人っていうのは状況判断能力や、他人のことを想う力を、鍛えなくてはならない。


「自分の価値」を守り、自分を大切にするには。
「努力すること」が必要で、「学ぶこと」も必要ってことだ。



さて、まとめ。



自分がもし、「損しているな」って日々感じながら生きているのであれば、その原因からできる限り離れた方がいい。
なぜなら、人にはそれぞれ幸せになる権利を持っているから。

文章にすると、さも当然のことだけど、実際にはごく自然に他人から傷つけられることもある。
それで知らないうちに心がぼろぼろになることもある。


ちゃんと他人をみて、「この人は自分のことを認めてくれている人なのか?」を判断することは大切だ。

できるだけ多くの人と仲良くなりたいものだけど、全ての人と仲良くできないのも事実だからさ。



自分を守ろう…
なぜなら、君は価値ある人間なのだから。

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