周りの人にもたれて生きていても、生きているのならそれでいいのかもしれない。
さてま、お弟子さんの記事を今日はピックアップしますよ。
これに出てくる残り二人は、実は私と私のパートナーなんだけど。
なんかね、こういうふうに書かれることに涙が出てしまった。
不思議と他人の問題とか悩んでいることの解決策っていうのは出てくるのよ。
でも、自分の問題は解決が難しかったり「うまくいく」と想い続けるのが難しくて。
そういった現状に…自分のことを自分で切り開けない「今」に。
いつも焦って、いつも責めてしまっている。
でも、さ。今回はさ。違う考えが浮かんだ。
いいかなって。
自分ができなくても、支えてもらっても。
みんなで支え合えば、それでいいじゃないって。
人によって、物事の難易度というのは変わるもの。
アルペジオが綺麗に弾ける人が、速弾きができなかったり。
逆もまた然りで。
アドリブが得意な人もいれば、楽譜に厳密に弾くことが得意な人もいる。
他人ができることが、自分にできないと「どうして」って思う。
自分ができて他人ができないときには「大丈夫」と伝えられるのに。
支えられることや、支えることにもっと柔軟になっても…
というか、受け入れてもいいのかもしれない。
そう思った記事だった…
なぜなら、「そこにいること」に価値を見出してくれる人がそこにいたから。
そもそも、何かが出来るからそこに存在を許しているのではない…
その「在る」ということが、意味のあることであり、大切なことだから。
Only your existance is precious for me,and makes me more stronger.
こういうとき、英文の方がしっくりくる。
いろんなことに感謝だ。
沢山の優しい存在に恵まれていることを。
沢山の想いに支えられて生きていることを。