「否定意見」と「悪口」とインターネット
昨今の時代、ネット上での「誹謗中傷」とか、「公の場での虚偽発言」が厳しく取り締まられるようになった。
そういえば書き始めてから気づいたけど、ジョニー・デップさんが元妻に対して裁判を起こしてその結果が出たんだっけ…
それも誹謗中傷とか…虚偽の申告とかだったなぁ…
ただまぁ、こういった話題の中で気をつけないといけないこと…というか、気をつけないとと「私が」思うことをつらつら、書いていこうかなと思う。
「否定」と「悪口」の違い
上記のジョニー・デップさんの件は明確なものだからいいけど、最近「否定」と「悪口」の違いを理解できない人が多いなぁと。
むしろ、全てを「悪口」だと思う人が、まあまあいるなって。
つまり、「Not」が悪口ってことになるわけ。
それって、ある意味「すべてを自分に従え」って言っているようなもんで…正直そりゃないでしょ、と思う(これも否定にあたる)。
「私はそうは思わない。」
「それはあなたが悪いと思う」
「私はそれがあんまり好きじゃないかな」
これが全部悪口になるらしい…
まぁ…もちろん悪意を持って話をすれば上記の話も悪口になる可能性はある。
それでも、他人の人格を否定しているわけでもなく、かつ、他人の意見を「一つの意見」として受け入れているのであれば、それは悪口ではなく単なる否定でしかないと思う。
別に、意見や考えは違っていいのだ。
そして、複数の意見は同時に存在することができる。
それなのに、「否定」を「悪口」だという人は、「唯一の答え」を求めがちな気がする。
そして、自分の「唯一の答え」を否定されるとそれを「悪口」だという。
…つまり、相当な自信家になっているか。
はたまた、自分が傷つくのが嫌な人なのだと思う。
井の中の蛙とはよく言ったものだ
でもまぁ…
人と意見を交わさないことには自分の世界は広がらない。
全てを「悪口」だと判断して、耳を塞いでいれば新しい考え方や、人と向き合う大切を知ることはできない。
そう、まさに「井の中の蛙」になってしまう。
どういった理由であれ、そういった人は「滑稽」に見られるものだ。
だから、「自分を否定しているのか、自分の意見を否定しているのか」をきちんと見極めて他の人の話は聞くべきだと思う。
んで、実は、ここからが一番書きたい話だったりする。
ブログで「こういうのは良くないと思う」と書くことが多いんだけど、その際、
「それって私のことですか!?」
って聞かれることがあるのね。
んで、それに対する答えなんだけど、
「個人を特定している情報を書いておらず、その人自身を(暗喩的にでも)否定しているわけではないのであれば、気にしなくていいのでは?」
と思う。
そうやって、プレッシャーをかけてきて…何がしたいのだろう?と思う時さえある。
悪いけど、そこで書かれていることに身に覚えがあって、悪いと思うなら「私ですか?」と聞く前に直して欲しいと思う。
もちろん、そういった話は「嘘偽りがないこと」が前提だけどね。
さらに、「他人を傷つけること」を意図してないことも大前提。
あるときさ。
Twitterで「あなたに嫌なことを言う人は、あなたを嫌いな人だから大切にしなくていい」って意見が回ってきたんだよね。
この「あなたに嫌なことを言う」ってのが、「誰にとっての嫌」なのかによって全然意味は変わってくるわけ、これ。
「自分にとってだけ嫌なこと」を指し示しているなら、叱ってくる人は「自分を直そうとしてくれているかもしれない人」。
「誰にとっても嫌なこと」を指し示しているなら、叱ってくる人は、それこそ「自分を傷つけようとしてくる人」。
仕事のミスがあったときに、馬鹿みたいに怒鳴ってくる上司は後者。
仕事のミスがあったときに、事の重大さと将来を見越して話をしてくれる上司は前者。
きちんと、相手の言葉ではなく…相手の意図をみて受け取ろうねってこと。
最近こういうこと、多く考えるなぁ。