愛用の楽器がおっさんだったことに気づいた時の話
わたしには長年愛用している楽器がある。
――テナーサックスだ。
アルトサックスより一回り大きいB♭の楽器。
何年もレッスンに通ってジャズのアドリブをフランクに学んでいる。
わたしが使っているモデルは『キャノンボール』の20周年記念モデルである。購入を決めた理由は「かっこいいから」「先生が使ってるから」の2点。
己の技術の未熟さと向き合いながら、わたしはキャノンボールをずっと可愛いじゃじゃ馬娘として慈しんでいた。
ところがある時、わたしは知りたくない事実を知ってしまったのだ。
それはいつも通りレッスンを終えた時のこと。楽器をケースに仕舞って背負って立ち上がったところで、ガシャンと大きな音がした。
びっくりして振り返ると、楽器がケースから落ちて床に転がっているではないか。何故!? と思ったがなんてことはない。ケースの蓋をきちんと締めないまま背負ったのだ。馬鹿である。
あまりに音が大きかったので周囲の人が駆け付けてきてくれて、さっと楽器の状態を確認してくれた。見た目はそこまで壊れてはいなかったが、キーに歪みと、腹部分(※)に凹みができてしまっていた。
慌てて修理センターに担ぎ込む。診断は全治1カ月の入院、修理代は5万。
愚かな所有者でごめんなと預けた。
手元に戻ってくるまでのレッスンはレンタルを利用することとなった。
レンタルしたのは、ヤマハのテナーサックス。
持った時の最初の印象は――羽のように軽い。
え? 軽くない??
キャノンボールも十分軽いと思っていたけれど、ヤマハはもっと軽い。より丁寧に扱わないと壊れちゃいそうな軽さだ。
吹いてみる。
音も軽やかだ。華やかで、きゃぴきゃぴしている。お嬢さまだ。
ヤマハのテナーサックスは、ほんとうの可愛い子ちゃんだった。
ヤマハに比べたら、キャノンボールはお嬢でも何でもない。
――おっさんだ。
音はきゃぴきゃぴはしていないし、よくよく考えたら、思い切り落としたのに腹が凹むだけで済んでるのがおかしい。硬すぎる。普通ならもっとぐしゃっとなるのではないか?
じゃじゃ馬娘の顔をしたおっさんだったのだ。だから多少の無理がきいたのかもしれない。
ヤマハのテナーサックスは良いところのお嬢さますぎて、お預かりするのは怖い。キャノンボールがおっさんだったとしても、早く戻ってきて欲しい。おっさんがとても恋しくなった。
1カ月後。退院してきたキャノンボールを手にして、その重さに安心した。やはりこれくらい頑丈なのが良い。
わたしはこれからもおっさんの吐息で演奏していこうと思った。
(終)