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遠かったはずの、机1つ分の距離

 今年1つ目の記事だが、ちょっと今日あったことを今日のうちにまとめておきたい衝動が止まないので今必死になってキーボードを叩いている。これはたった自分1人のために、今日のうちでなくちゃいけない記事だ。

 以前にコミケのことを語るnoteで、サークル参加の頒布物についてこう語ったことがある。

自分の何かに対しての好きや、或いは嫌いといった熱量がある。それを整え、誰かと共有しようとその場に持っていく。まだ自分が一度も越えたことがない、途方もない熱量の結果がサークル参加であり、頒布物なのだと理解している。

コミケ小話:熱を求める

 この理解は別に今も変わりない。頒布物とは熱量だ。そしてそれは、多少なりとも自分にとっては言い訳でもあった。

 『自分はそこまでの熱量を持って動けないから。だからそっち側は遠い』

自分をだけを騙す詭弁としてはありきたりで、だからこそ十分なものだった。そのはずだった。



 今日、とあるイベントに参加してきた。自分の趣味活動の延長としてのものが、あるサークルから手を加えられて頒布物として売りに出されることになっていた。

 といっても、本当に自分としては自己満足の塊の結果でしかなく、それが誰か需要を満たすことなど考えてもいかなった。その利用はもちろん了承していたが、いざ頒布物となったときに居ても立っても居られないような謎の興奮がずっとあった。

 サークル主と話をしている間に、それを手に取り購入していった人を見た。その瞬間、始めて知る種類の歓喜に似た何かが全身を駆け巡った。泣きたくなるような、それでいて理解できない感覚に、感謝しながら頭を下げることしかできなかった。

 思い返しても恥ずかしいくらいの興奮が収まらなかった。余りに挙動不審だったと自分でも思う。そしてサークル主から、机の内側で店番手伝いをしないかと誘ってもらった。熱がないからと、頒布物を作るまで頑張れないからと、そんな言い訳をして拒んでいたたった机1つ分の距離は、あっという間にゼロになってしまった。 

 そこからは夢のような時間だったと思う。机の内側からの景色というもの。立ち寄った人の様々な反応。買う側としていろんなイベントに長年居たから、その殆どはいつかの自分と大差なかったはずだ。容易に想像できたはずだった。でも内側からの興奮は、熱は、夢にも思わない体験に満ちあふれていた。

 いろんなサークル活動をしている人にとっては、今回の経験なんて大したことはないはずだ。今回のことも自分は頒布物の原本を趣味のままに作っただけで、それを頒布物として成型し成り立たせたのは隣にいたサークル主だ。そんなことは百も承知。それでもこの体験の、クリエイターとしての体験のその一端だけでも味わうことができたことは僥倖という他ない。


 自分にもずっと、綴ってみたい物語みたいなものがあった。有り体に言えば、同人誌として形にしたいという思いが実はここ数年ずっと燻っていた。でもずっと自分しか騙せない稚拙な嘘で、ありふれた言い訳でずっと蓋をしていた。忙しいから。疲れているから。今から練習は大変だから。他の趣味の時間があるから。

 そんな嘘を取っ払ってみたいと思うくらいの衝撃だった。実際にまた同じ風景を見る事があるかは不明だが、またあの机1つ向こう側に行ってみたいと、心からそう思った。

 いつか自分がそっち側に、自分の納得のいく形で立てたときに、今日という日に改めて感謝することになるだろう。そのためにも、今日という日の感情をここにありのまま記しておくことにした。