年末のご挨拶
弊社はデザインラボと訪問看護ステーションを経営しています。
今回は、年末のご挨拶にかえて、訪問看護ステーションの方「ナーシングケア いおり」の、とある利用者様について書かせてください。※個人情報保護のため内容改変しています
その利用者様は、三十代の女性でした。Aさん。
Aさんは海外で仕事をされていた方です。海外で仕事中、どうも体調がすぐれないと思って受診したところ、すでに末期がんでした。でも「最期は母国で」と日本に帰国し、入院治療されていた方です。入院先の病院から弊ステーションに「一日でもいいから自宅へ帰りたいと仰っているのでお願いできないか」に直接ご依頼があり、引き受けさせていただきました。
実はAさん、すでに覚悟を決めて、ご自身でホスピスを予約されていました。
あとから聞いたのですが、小さい頃からとても自立心が強くご自身の人生を切り拓いてきた方で、お父さんはもう昔に亡くされていたとのことです。
そんな方が「もう一度だけ自宅に帰りたい」「お母さんと過ごしたい」と。
経営だけを考えるなら、もしかしたら数日で終了してしまうかもしれない、症状がかなり重くオンコールで何度も呼ばれるかもしれない、あえて言いますが「割に合わない」ケースです。
でも。こういうご依頼が基幹病院からくることを誇りに思えない訪問看護ステーションは、いますぐ看板下ろした方がいいとわたしは思います。こういうケースのために「医療職が常駐しているケアステーション=訪問看護ステーション」が存在しているのです。
即、スクランブル発進。
退院調整から全力で担当させていただきました。
が、早くも翌日にはAさんの病状は一気に悪化してしまいました。何度もオンコールにて緊急訪問し、ご本人・ご家族とご相談の上、救急搬送にて再入院、訪問終了となりました。Aさん「お母さん、わたし、これはもう無理だね」と話されていたそうです。
数ヶ月たったある日、とても寒い日でした。
ステーションの電話が鳴りました。
「お世話になったAの母です、今からご挨拶にうかがいたいのですが…」
弊ステーションはややわかりにくい立地なので、外に出てみると、少し離れたところできょろきょろしながら自転車を押している女性が目に入りました。近づいてお声がけすると、やはりそのお母様で、ご挨拶もそこそこにおっしゃった言葉が「よかった…あの子との約束が果たせました」でした。
事務所に入っていただきお話を伺うと、あの後、Aさんはご自分で決めていたとおりホスピスでご逝去されたこと、自宅に帰ってはみたものの痛みが酷くご自身で再入院を決断されたこと、そして「たった一日だったけれど、最期にお母さんと過ごせてよかった。納得できた。だから、わたしに何かあったときには必ずいおりさんに御礼を言いに行ってね」とおっしゃっていたことを知りました。
その後も、娘さんの思い出話をたくさんしてくださいました。
自慢の娘さんだったんだなというのが痛いほど伝わってきました。寂しい、悲しい、心の整理がつかない、嗚咽しながらお話されているのに、口調がどこかとっても誇らしく感じられたんです。
でも、わたしの脳裏には「心許なさそうに自転車を押している女性」の姿が、お話してくださった内容と同じくらい鮮明に焼きついています。
お子さんとの約束を果たそうと、寒空の中、地図をたよりに慣れない場所まで自転車を漕ぎ、一軒一軒、自分の目で弊社を探されている姿は、とても心許なさそうで、とても美しい姿でした。
医療介護福祉業界は、人の感情はコントロールできる、自分は専門知識という武器を持っている、こなしていれば収入は途切れない、などなど、収入面を含めついそういった慢心が首をもたげやすい環境下ですが、絶対に間違いです。そう考えているなら、他人も自分も貧しくしています。世界を貶めています。
尊厳とは何か、人とは何かについて、いつも利用者様から教えていただきます。
わたしたちケアワーカーは、たとえ国家資格があろうとなかろうと「現実の/本物の利用者様」に育てていただき、見守っていただき、心を教えていただき、誇りを与えていただく、そんな繰り返しで、利用者様とともに、ほんの一歩ずつ、歩んでいます。
来年も、弊社は一歩ずつ歩んでまいります。
皆様、どうぞよいお年をお迎えくださいませ。