人生は、出逢い という タカラモノの連続。
ふと見れば、目の前にタカラモノがあったりする。
見るのは部屋の中とか外なら道路とか、そういう場所じゃない。
いま自分が居る人生の地点。
人生という道の中で、選択して選択して歩んできた(歩んでいる)時間の中の道にそっと置いてある、またはそっと咲いている花のような宝物。
それは、人との出逢いだったり、会話だったり、出来事だったり、様々だ。
道も人それぞれ見える景色が違う。
ひとりとして同じ道は無い。
先日の、羽地さんのプレイバック・シアターでは、参加者の方の殆どが初対面だった。
にも関わらず、
お昼休みに其々持参のお弁当を、テーブルを囲んで一緒に食べた時に、皆の中に流れるもの、人生を見つめる視点を真ん中に置いた時間があった。
テーブルは2つあって、
羽地さんの居るテーブル、
私たちのテーブル、
向こう側では2〜3人でカウンターで食べてる方もいらした。ひとりぼっちの方は居なかったと思う。
どこも盛り上がっていた。
ワーイ🙌的な盛り上がりではなく、語り合っていた。
私たちのテーブルでは、
人生のこと、魂のこと、生きていくこと、この世を去るときどんな思いで去っていきたいか、とか、
其々が普段考えてはいるが、日常生活の中では言わないであろうことを語り合った。
しつこく言うが、殆どの人が初対面である。なのに、ずっと共に過ごしていたように対話している。
意図的にそういう風に仕向けても居ない。
自然発生的。
まるで「人生観」というグループセッションのようだった。
午前中のワークを通して、
其々の心の花に水滴が落ちて光っているような、
自分の中でとても大切に感じている事を安心して伝える事が出来る、
そんな「場」が生まれていた。
あのとき、
誰もが「今ここ」に居たのではないだろうか。
終了後、
羽地さんとお茶をしながら、私は聞いた。
「羽地さんはコンダクターをする中で、大きな自己信頼、自分を信じる力がとてもある、と、いつも感じているのですが、それは経験を通してでしょうか。それとも、何か切っ掛けのようなものがあってこれだけのワークが出来るのですか。
私が過去学んだワークや場づくりは、必ず枠を提示する事を学んできていました。
でも、昨年、羽地さんと岩橋由梨さんから受けたファシ講(ファシリテーター養成講座)で、いま私が聞いているような同じ話題が出た時に、羽地さんは、「僕は枠を提示せず、自身を持って枠になる。」と言うような事を仰っていたのを印象深く覚えています。
私にとっては、そんなこと出来るんだ!と、驚いたと同時に、それを自己信頼と思ったのですが、その源はどこから来るのですか?」
と言うような事を尋ねた。
羽地さんは、穏やかに、
「僕は自分を信じているという表現よりも、それよりも、「その場」と、「そこに集う人たち」に、100%の信頼を置いている。それが揺らぐ事は、まず無い。」と答えてくれた。
😮!
そうかー。
そういうことか。
と、その時は大いに納得をしたが、昼休みに皆が心開いて話し合うくらい豊かな場を自身の存在を持って作り、ワークの中で、その場と参加者を信頼していく。
それって、私からみれば神技であり、その場には濁りが無い。
「在り方」というものが、さりげないのに半端ない。と、思った。
↑
そのときのレポート。
最近、リスペクトする人が多くて、わたしは益々「ひと、人間」が、好きになっていく。
もちろん人間だもの、完璧なはずは無いし、いろんな面は誰もが持っているだろう。
けれど、やはり、人間って素晴らしいと、心から思うのです。
🌟
明日(6月17日)は、オーハシヨースケさんが仙台に来てくれます。
アプライド・ドラマのWSです。
ヨースケさんも、凄いのですよ!
羽地さん同様、わたしは、めっちゃリスペクトしております。
ヨースケさんと羽地さんは、誕生日が同じ(歳は違う)という偶然。
蟹座の21度太陽。
なんなんですかー!
蟹座の人ってーー!←(突然叫ぶ。)
蟹の男性は優しいってずっと思ってた以上に、蟹のつよさも同時に魅せて頂いております。
ちなみに余談ですが、
私の水瓶座の太陽も21度なので、綺麗に150度の角度を取ります。
だから自分の中でこんなにヒットしているのでしょうか。?
占星術していると、度数の妙というか、やはり、サイン(星座)よりアスペクト(角度)が大切、ってのが体感で分かるのでありました。
(と、突然、占星術ネタになる職業病😆🌟)
人生は、出会いというタカラモノの連続。
扉の向こうに居る、多くの方の笑顔に感謝の日々なのです。😊ありがとうありがとう。
あ、次回のプレイバック・シアター・仙台は
10月22日、日曜日です。
場所は未だ未定です。
ご予約、お問い合わせは
こちらをご利用ください🩷
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