思い込み、なのかもしれない。
転職活動中、父に相談をした。
A社は大きい会社だから、休み取りやすいし仕事がハッキリしててやりやすいけど、契約で1年更新。B社はわりとカジュアルだけど、私に合う仕事内容のような気がする。
父は「Bかなぁ、自分に向いてるっていう思い込みが大事だ」と話した。
ところで
私の英語力は幼稚園レベルなので、彼が長い文章をネイティブスピードで話されると殆どよくわからない。
けれど、別の記事に書いた男友達との幸福度の話をしたら、彼は「How did you say...」と言いながらスマホの辞書をひき、「主観的」と言った。
どのパーツが、彼が何を論理的に話したのか、いまいちわからなかったが、私が「おかしいと思ってる」ことは伝わったようで、同時に「わかりあえた」ような感じがした。
思い込み、なのかもしれない。
わかりあえた、という、思い込み。
一度そういう感じで流れた実生活的トピックで後に衝突して喧嘩をして、「ぼくら思いの外意思疎通ができてなかった」と痛感した出来事があったから、それ以降少し俯瞰している眼があるのは確かだ。
けれど本当のことは、彼の言った何かと私を肯定する姿勢が、私を軽くしたということ。
思い込みなのかもしれない。
けれど思い込みで上手くやっていけてるならいい、とも思う。
彼が私を大事にしてくれていて、彼にとって私は最も重要な人物のひとりであることは、本当だから。