DJと窓とひとりっきり
こんばんワイン。スカイチーズDJ Hantaiです。
世界の中心はどこなんでしょう?
前回のブログでお一人ハンドメイドのことを書きました。
でも、私は、実はひとりっきりは、とても苦手です。
小さいころから、人みしりで、学校でも友達が全然いないのに、
ひとりっきりなるのが苦手な私は、用事がなくてもあるふりをして最後まで教室に残っていたり、家では自分の部屋にいかずにいつまでも両親のいるコタツで漫画を読んでいました。
ときどき、ひとりっきも苦手だけど、
ふたりっきりも苦手という人に出会います。
ひとりっきりと、ふたりっきりは、似ています。
友人や恋人、大好きな人と、ふたりっきりのとき。ちょっとしたきっかけで、ひとりっきりになります。恋人がすぐに寝る人だったら、あっというまにひとりっきりになります。ふたりっきりのときの、ひとりっきりは、ひとりっきりのときのそれよりさみしくなります。
では、3人のときはどうでしょう。
ひとりっきり、ふたりっきり という言葉はあっても、さんにんきりとはいいません。ところが、私は、3人で一緒にいても、私一人だけ、ふったりっきりを飛び越えて、ひとりっきりになるんではないかといつも不安になってしまいます。
どうして、私は子供のころから、ひとりっきりが苦手なんだろうか。
ぼんやり考えていたことの答えが先日わかりました。
今、ワールドカップを開催しています。
サッカーに詳しいひとが教えてくれました。
カウンター攻撃のときに、2人で攻撃するときと、3人で攻撃ときでは、
1人増えただけで、ゴールする成功率が数倍になるそうです。
人間は、3人以上になったときに認識することが圧倒的に難しくなるそうです。
そのお話をきいて、はっとしました。もしかしたら、私がひとりっきりなることが苦手なのは、たださみしいからではなく、認識して、考えること、そして、そこにある責任から逃げていたのかもしれません。
それは、ゴールを守ることから逃げているのか、ゴールを取ることから逃げているのかはわかりません。でも、3人以上の場所にいることで、責任を回避していたんだとおもいます。
10代のとき、谷川俊太郎の詩をよみました。
「二十億光年の孤独」
内容は、ぼんやりとしか覚えていません。
でもこのタイトルは、いつも私のどこかにいる気がします。
二十億光年先の場所。とおくを想像すると、どんどんひとりっきりになっていきます。
ふと想いだすのは、学生のころ、窓際の席でみた景色です。
受験直前の時期。みんなが黒板をみているなかで、ひとり、窓の外に広がる青空をみていると先生の声も、コソコソと無駄話をするクラスメイトの声もすっと消えていきました。
あのとき感じた、とおい未来と不安。
なにもできない私がほおりだされる場所。
二十億光年どころか、わずか10年先の未来にいる私は、ひとりぼっち、真冬のびんぼっちゃまでした。
私は、今、その10年後、20年後の世界にいます。
インターネットやスマホ
あのころとは、くらべものにならないくらい沢山の情報が、生活にはあふれています。
漫画がなくても、ひとりきりになることも少なくなりました。
いろんなことが、複雑になったとき、こんがらがったとき。
責任から逃げていると感じたとき。
ひとりっきりになってみるのもいいのかもしれません。
どこかに出かけなくても、私たちは、いつでもひとりになります。
難しい哲学書をひらかなくても、自分と世界との関わりの認識を変えることとが私たちはできます。
家族とふたりっきり。
地球とふたりっきり。
宇宙とふたりっきり。
そして、世界の中心はどこなんでしょうか?
とおくを想像すると、どんどんひとりっきりになっていきます。
世界の中心で両手を広げれば、責任はその手に降り注ぎます。
単純化することは、自分を見つめること。
そして、責任から逃げないことなのかもしれません。
作家・思想家 ソローは、こんなことばを残しています。
あなたの人生をシンプルにすると、 宇宙の法則がよりシンプルになります。 孤独は孤独ではなくなり、 貧乏は貧乏ではなくなります。 そして弱さが弱さではなくなるのです。
そして、今、このnoteを読んでいるとき。
あたなたは、私とふたっりきりでした。
ドーン
来週は、レギュラーイベントでDJをします。パンダをテーマに選曲しています。