思いやりと優しさは世界共通
今週末で私は一旦ロンドンを離れる。
ここ最近はLeaving partyを開いてもらったり飲み会に行ったりと、日本に帰るわけでもないのに、みんな私のために時間を割いてくれて、何て私は恵まれているんだろうと思う。
ある1人の友人は、私からいつもプレゼントを貰っていたからと、高級なキャンドル&アロマセットをくれた。(ちょうど引っ越したら欲しかった物たちだった。)
プレゼントといっても、誕生日にTESCOで買ったチョコをあげたり、引っ越しの際に不要になった東京のガイド本をあげたくらいだったので、「私は大したことしてないよ。」と言ったら、こう返ってきた。
「あなたはアニメとか漫画とかあまり興味ないし知らないって言ってたでしょう?
でも私が楽しそうに話すのをちゃんと聞いてくれたし、下手な日本語も真剣に聞きとろうとしてくれた。それが何よりうれしくて。だからこれは感謝の気持ちだよ!あなたに会って私は日本にもっと興味を持ったし、視野を広げることができたんだよ。」と。
親しい友人なだけにこんなふうに思われていたなんて思ってもいなかったが、ものすごく嬉しかったし、何だか胸が熱くなった。
このプレゼントは、そんな彼女からのお返しだった。
それ以外にも、私の好きな日本のお菓子を覚えてくれていて、わざわざ高い日系スーパーに行って買ってきてくれた友人、私が旅行好きだからと、最近行った国のキーホルダーや置物をくれた友人など、沢山のかけがえのないものたちを私は受け取った。
ちょうど2年前に渡英したときは、こんなにも素敵な友人に囲まれたイギリス生活なんて誰が想像できただろうか。
英語を話すとき、私はいまだに緊張することがある。
「この言い方で合ってるかな?」
「発音通じてる?」
「この単語はこういうニュアンスで使っていいのかな?」etc
日々のスマホ上でのメッセージのやり取りとは異なり、スピーキングはそんなこと考えている暇などないので、思いついたフレーズやセンテンスをとりあえずベラベラと口に出している。
幸いにして私の友人たちは全員、この日本人アクセント全開な私の拙い英語でも一切バカにすることなく、真剣に聞いてくれる。
しかし当然、この国に住む全ての人がそうではない。
特に仕事では電話を切られたり、面と向かって「あなたは英語もっとやりなさい。」と言われたり、泣きたいほど辛い思いも沢山してきた。
母国語でない言語を話そうとするときのもどかしさ、緊張感、そして相手が高圧的だったときのあの心境は、私には痛いほどよくわかる。
だからこそ私は、相手が友人であれ知らない人であれ、日本語を話そうとしてくれる人に対しては真剣に耳を傾けるし、相手が心を開いてリラックスできるよう「聞く姿勢」を大切にするようにしている。
少なくとも相手はその国、言語、文化に興味を持ってくれているのだから、それをバカにしたり否定したりすることは、相手に対してものすごい失礼にあたる気がしてならない。
私たちからしたら、日本に興味を持ってくれる人がいることはすごく嬉しいことだし、何より感謝しなければいけないことだと思う。
このような異文化理解やコミュニケーション学を学ぶにあたり、まもなく私の大学院生活が始まる。
また一から友達を作り、しばらくは慣れない環境の中1人で頑張っていかなければならない。
言語や考え方は異なっていても、伝わる人にはちゃんと伝わるし、思いやりと優しさは世界共通であることを、この2年間のイギリス生活が教えてくれた。
この思いを心に留めながら、また新しい人たちとの出会いを大切にしていきたい。