願いが叶うならやり直したい!家族揃ってご飯を食べたいし笑いたい!#2
*ページを開いていただいて感謝します。
ここでは家族の死について書いています。
不快感や恐怖心を抱く可能性があります。その時はすぐに読むのを止めてください。
父親が選んだ死
父親は子供たちに愛情がなかった訳ではないことは、実の子供ですからわかっています。愛情表現が分からない不器用な父親だっただけ。
そんな父親とは私も何年会っていなかったでしょう。父親が亡くなる1年ほど前に電話がきて、「そろそろ自分も近い(死)かもしれない」なんて話をしてきました。
それからコロナ禍となり、その間に父親から姉の癌が肺に転移したことを知らされました。そして姉が死への準備をしていると話をしてきました。
そんな中、父親は元々悪かった腰の手術が必要となり急遽入院。無事手術が終わったと親戚から連絡があり、ホッとしたのも束の間。
合併症で肺炎を発症。この時父親はなんと、それからの治療を一切拒否し始めたのです。父親が選んだ死の覚悟でした。
困り果てた医師は家族に判断を委ねてきましたが、父親にはここでも誰も逆らえずそのまま治療はしませんでした。父親は治療を勧める医者や看護師を怒鳴りつけていたようです・・・。
肺炎ですよ。抗生物質の点滴をして、治療を受ければ改善したかもしれないのに。
結局、酸素とモルヒネで父親は最期の時を待ち続けました。ここでの死の捉え方は人により違う可能性がありますね。でも、家族親戚ともにみんなが理解してのことです。
父親の心の中には姉のことしかなかったと思います。自分より先に娘は逝かせない。父親は死の数日前、テレビ電話で姉に電話をしています。看護師さんが協力してくれたようです。
父親は言葉にならない声で姉に何かを伝えたのです。姉も、父親が何と言ったかはわからなかったと話ししていました。
何となくですが私は「俺は先に逝く、大丈夫だ大丈夫だ・・・」そんなことを姉に言ったのではないかと思っています。
そして父親は自身が望んだように、娘より先に逝きました。
コロナ禍で私は病院へ向かうこともできず、父親は親戚(父の妹)に看取られて亡くなりました。
父親の苦悩と愛
父親も辛かったと思います。家族をバラバラにして、息子は38歳で事故死、姉は12年の癌との闘病生活でもう限界がきている事実、親としたら生きていられないですよね。
何でこんなにバラバラになってしまったのだろう。愛はあるのに。あまりにも悲しい家族です。
私は父親から姉が逝ったらすぐにここに(自分の墓に)運べと言われていました。旦那側の家族の言うことは聞くなとも言われていました。姉も家族間での問題があったのでしょうね。
私にはまだやるべきことがある。私は姉を看取り、父親の元に連れていかなくてはいけない。私は泣いて沈んではいられなかったのです。
お父さん、もう私を褒めてください
でも私の体から聞こえる悲鳴。線維筋痛症の悪化です。この時に看護師現場との終止符が打たれました。
私も必死に戦っていました。
「親より先に行くという親不孝をせずに安心した」と言っていた姉は、4カ月後に天国の家族の元へ逝きました。
お父さん、これでいい?私はお姉ちゃんをお父さんの眠るところまで連れて行ったよ。私は精一杯やったよ。
お父さん、もう私を褒めてください・・・。結局父親から認められたい、褒められたい、そんな気持ちに私はずっと苦しめられていたのです・・・。
私はお母さんも、遠くない未来に看取る時がくるでしょう。でも、そうしたら、私はどうなるのでしょうか。
生きていけるのかな。怖いな・・・。
私も人のために生きたい!と前向きに言っている反面、「もうここまでの人生で充分だよ。もういいよ・・・」という自分の深い深いところから声が聞こえるのです。
葛藤の日々。だからこそ、この機会に言葉にしたかったのです。独りで抱えきれなかったのです。
みなさんには、家族揃ってご飯が食べられることがどれだけ幸せなことなのか知って欲しいです。そして家族で笑って過ごしましょう。
まとめ
私もあなたも、これからまだ生きなければいけません。生きる以上、笑いましょう!悲しくて泣くときは一緒に涙を流します!暴力暴言は不快なだけ、あなたの隣にいる人を幸せにしましょう!
私は生きるエネルギーをどんどん作り出せる人間になります。そしてそのエネルギーを循環させたい。人を笑顔にしたい。自分の最期には「ここまでよく生き抜いた、自分のエネルギーを使い果たした!よくやった!」と自分自身に言えるようになるために。
ここまで読んでいただいて心より感謝します。
これからもまだまだ私のことをお話ししていきます。
私という人間を知ってください。そして私の至らぬ点を教えてください。こんな私に興味を持っていただけたら応援してください!私の生きる力になります!