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綺麗な姉までも天国へ

*ここでは姉の死について書きました。ページを開いて頂き感謝します。
このページを読むにあたり注意点をひとつ。
不快感や恐怖心などを感じたらすぐに読むことを止めるようお願いします。

私の姉は10歳も上なので、一緒に遊んだ記憶はほぼありません。
姉が高校生の頃、綺麗でオシャレでいつも髪を可愛くカールしていました。(聖子ちゃんヘアが人気だった頃ですね!)

就職してからは毎日お化粧していて、特にピンクの口紅がとても似合っていました。

私はお化粧で美しく変身する姉に憧れて、小学生の頃こっそり姉の口紅をつけてみたこともあります。
鏡の前の自分にちょっとドキドキでちょっと嬉しくて。

姉は成人して間も無く結婚しました。子供もすぐに産まれました。旦那さんは長男で姑問題には心を痛めていたようです。

姉の子供は2人。今では立派に自分の人生を歩んでいます。

この綺麗な私の姉が55歳という若さで亡くなりました。
卵巣癌でした。体中に転移していました。

癌が発覚したのは兄が亡くなって間も無くのことです。お臍の下にしこりがあると私に話をしてきました。

お臍の下のしこりは5㎝ほどあると言っていました。私はすぐに病院を受診するよういいました。

病院受診時の診断はチョコレート嚢胞と言っていましたが、結果的に癌であることがわかりました。

ここから癌治療が始まりました。とても長い闘病生活の始まりです。

父親は息子の死に続いて、今度は娘を自分よりも先に亡くすかもしれないという恐怖に心を病んだようです。

父親は遠方に住んでいたにも関わらず、姉の手術には毎回立ち会って姉を励まし続けました。高価な抗がん剤治療も放射線治療も入院費も全ての費用は父親が捻出していました。

姉はがん保険には加入していなかったため、金額は莫大なものではなかったでしょうか。限度額適用認定証があっても、最期の入院費と治療費は私が支払いをしましたが大きなものでした。

姉の何度となく繰り返される手術。父は娘を逝かせまいとして、やれることは全てやってきたようです。でも癌転移は止まることなく姉の体を蝕んでいきました。

姉は治療内容を私に詳しく話すことはありませんでした。

でも後になって、看護師であった私に「どうして抗がん剤の副作用も教えてくれなかったのか」と強い口調で言われたことがあります。

そうですよね。姉は不安でしたよね。強い吐き気と抜け落ちる髪の毛。体にできる大きな手術痕、そして壮絶な痛み・・・。

姉は術後リンパ浮腫となり、片足だけが太くなりました。この足が元に戻ることはありませんでした。姉はロングスカートしか履けなくなっっていました。

私は最低ですね。姉がこんな状態になっても看護師として何も言葉をかけることをしなかったのです。

なんのために私は看護師になったのか。「役に立たない看護師」新人の頃に言われた先輩の言葉はその通りだった・・・。

お姉ちゃんごめんね・・・。今はもう遅い・・・。姉は12年の闘病生活の末に亡くなりました。私が病院で看取りました。
コロナ禍でもあり病室への入室制限があったためです。

姉は若い頃から強くて頑固で、なんでも一人でやり遂げるタイプでした。
何も最期の最期まで強くある必要なんてなかったのに。
私はそれがわかっていたのに・・・。

私が姉から託されたのは『お墓はお姉ちゃんが死んだら家には帰らず、すぐにお父さんと同じところへ』ということと、『子供たちと関わりを持っていてあげて欲しい』ということでした。

子供たちはすでに成人はしていましたが結婚せず、これからどんな人生を送るのかという心配は母親として尽きなかったでしょう。

それから姉は死の数日前『死装束どうしよう・・・ネットで見ておくわ』そう言っていました。私は姉に「今は可愛いドレスなんかもあるよ」と詰まる気持ちを抑えながらそう答えました。

でも、姉が死装束を選ぶ時間は残されていませんでした。

お姉ちゃん、自分で全て抱え込まなくていいのに・・・。本当にごめん。

私は姉の亡くなった直後に死装束として真っ白なエンディングドレスをネットで購入しました。無理を言って日時指定で届くよう、すぐに準備して欲しいことを話しました。丁寧に対応してくれた会社の方には心から感謝しています。https://endingdress.com/

そして私が姉の最期の着替えをしました。姉の家族にも手伝ってもらいました。元気だった昔のように綺麗なお化粧とネイルも姉の娘とおこないました。

「お姉ちゃんはやっぱり綺麗だね!」心からそう思いました。
私がお姉ちゃんにしてあげられたことはそんなことだけ。本当にごめんなさい・・・。

お姉ちゃんはずっと辛かったでしょうね。苦しかったでしょうね。

そんな姉の生き抜いた様々な証を、私は後に知ることになります。
私は姉を尊敬しています。姉は限りある時間を知った上で生き抜いたのです。

次回はそんなお話しをしますね。


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