優しい兄は天国へ
*ここでは兄の死について書きました。ページを開いて頂き感謝します。
このページを読むにあたり注意点をひとつ。
不快感や恐怖心など感じたらすぐに読むことを止めるようお願いします。
私は5人家族の末っ子です。姉とは10歳に兄とは6歳離れています。
兄にはとても可愛がられた記憶があります。いつも遊んでくれていました。
兄は小さい頃に妹が欲しいと母親にお願いをしていたようです。
だから私が生まれた時に兄はとても喜んでくれていたと母親から聞きました。
そんな兄が38歳の若さで突然の事故死をしました。仕事中の事故でした。
私は看護師として仕事中でした。職場で兄の連絡を聞きました。何かの間違いだと思いながら、まずは母親のいる自宅へ戻りました。母親は電話機の前でうなだれていました。
私も母親もまだ涙は出ていませんでした。
とにかく兄のいる警察署まで行かなくてはいけないという一心でした。
何が起こっているのか夢の中にいる感覚で身支度を済ませて家を出ました。
兄の仕事現場はその日その日で変わります。
兄はその日、私の家から電車で2時間ほどかかる現場での仕事でした。
その仕事現場が管轄する警察署まで行きました。
警察署には会社の社長と、その日現場が同じであった仕事仲間が一人いました。私と顔を合わせてすぐ社長は謝罪をしてきました。
私には意味がわかりませんでした・・・。
これは現実なのか悪い夢を見ているのか・・・。兄の顔を冷たい安置所の中で見た時、初めて涙が溢れ出して悔しさが込み上げてきました。
兄の着用していた作業着は救急車で運ばれた先で脱がされてビニール袋に入れられていました。
血まみれの作業着がありました。私は触れようとしましたが警察署の方から血液があるから触れない方がいいと言われました。
なんて残酷なことでしょうか。雨も降り出す寒い寒い日でした。こんな冷たい場所で一人で遺体安置用の寝袋のようなものに包まれている兄の姿はあまりにも寂しかった。
後に遠方から駆けつけてきた父親とその後に姉が警察署に到着しました。
実は私の家族は、私が中学生の時にそれぞれがバラバラになり、個々に連絡はしていたものの、極々たまにのことでした。
基本それぞれがどんな生活をしているかは知らずにいました。
兄は私と母親へ「何かあれば(死んだら)連絡行くようになているから」と以前から言っていたのです。でも、まさか本当にこんな現実が来るなんて思ってもいなかった。
兄と父親は果たしてどのくらい声も聞かず顔も合わせない時間が流れたのでしょう。おそらく19年ほどになるかと思います。
私自身も5年くらいは兄の顔を見ていませんでしたし、最後に電話で話をしたのは2年ほど前だったと思います。
兄は警察署の近くにある葬儀場に運ばれ一晩を家族と過ごしました。
翌日には骨壷に入りました。
その足で兄の住んでいたアパートへ父親と姉と私で行きました。
後で知ったことですが、私が住んでいた家から電車で30〜40分程の場所に兄は住んでいたようです。
こんな近くに住んでいたなんて・・・。
兄はとにかく優しくて勉強も学年トップ、生徒会長を務め誰からも好かれる男でした。身長も高く男前でした。
妹の私は心から兄に憧れました。
兄は小さなアパートで、猫2匹と暮らしていました。ただ兄の死の4ヶ月前に18歳の高齢猫が亡くなったばかりでもありました。ちょうど同じ頃に4カ月ほどの子猫を飼い始めたばかりのところだったようです。
兄は捨て猫と保護猫しか飼いませんでした。
兄の部屋には猫の骨壷がありました。少し前に亡くなった愛猫をしっかり供養してあげていたようです。
兄の部屋には昔から好きだったプラモデルやギターに、よく聞いていたヘビメタのCD、毎日のように口にしていたウイスキーがありました。
洗濯機には仕事用の作業着がありました。
すぐ帰ってくるかのような空気感でした。
部屋に残る懐かしい兄の匂い。いつまでもそこにいたかった・・・。兄を感じる時間が欲しかった・・・。
でも、それすらできませんでした。
父親は勢いよく大きなビニール袋に部屋にあったものを投げ込んで全てを捨てようとしていました。
姉は乱暴に捨てることを待つように声を出しましたが、父親は止めることなく私達を怒鳴りました。「捨ててしまわなければ終わらないだろ、時間なんてかけてられない」
父親に従うしかなく、流れる涙を拭いながら許される短い時間、兄を感じました。
数日後、私の家に会社の仲間が何人も線香をあげにきてくれました。そして兄の話を聞かせてくれました。
兄は後輩思いで、現場では事故を起こさないように守るべきルールをしっかり教える人間だったこと。今回の事故がなぜ起きてしまったのか信じられないといと皆さんが話していました。
死神がついたのでしょうね。どうしてその場でそんな行動を取ったのか、不明点がたくさんあるのは・・・。
そして兄は多くは語らないまでも、優しくて仕事は真面目であったということ。社員は兄を頼りに信頼している人間ばかりであったこと、兄は独立まで考えていたことなど話してくれました。
そうでしょうね。昔から自分の会社を立ち上げたいということは兄から聞かされていました。
お兄ちゃん、私を可愛がってくれてありがとう。お兄ちゃんの前向きな姿勢と優しさは忘れない。
兄が火葬される直前、『大好きだよ』私が兄の頬に手をやり最後に伝えた言葉です。
兄の素晴らしい足跡を私は追いかけて生きています。
もちろん愛猫は今や5匹です。私の愛する家族ですよ。