『図書館の幽霊 その1』

登場人物たちの名前はウルカを抜かしてまだみんな仮名。瑠珈の名字も元々の紙ベースの方は私の高校時代の詩のペンネームだったのだけど、こちらに書いた名前に一応決定。

(2016.12.25 twitterより)



《1》「葛城さん、ここもういいわよ。」と、閉館時間になると年配の職員の須藤が瑠珈に言った。
「あ、はい。じゃあ、この本たち書庫に片付けてから帰ります。お疲れ様でした。。」
須藤にあいさつをした瑠珈は利用者が読み終えた古い蔵書を6冊ほど抱えると、そのまま貸出室の裏の扉へ向かった。
その背に向かって「4階の竹田くんに鍵開けてもらうように内線するわ。お疲れ様!」と須藤が言った。瑠珈はちょっと振り向き笑って須藤に会釈をすると、貸出室の裏手の扉を開け、一般の利用者が入らないスタッフオンリーの階段を使って最上階にある書庫へ向かった。

《2》3階の階段の踊り場に着いた時だった。ふぅと小さく息を吐き、重たい本を持ち直していると、
「持とう。」と突然ウルカの声がして手に持っていた本がふわりと軽くなった。
驚いて声のするすぐ横を見ると、まるで砂嵐のような光の反射の中から、突然浮かび上がったウルカが、彼女が持っていた本をバサリと全部持ち上げたところだった。
「びっくりした!ありがとうございます!あ、あの、いつからいらしてたんですか?」
ウルカを見た瑠珈の表情がパッと明るくなった。
「四半時ほど前より…」
「四半時…っていうと、えぇと、30分も前から。貸出室にいらしたんですか?」
頷くウルカを見て、瑠珈は急に身体がぽっと熱くなるのを感じた。

《3》「先程そなたがいた場所だが…」とウルカはいつもと変わらずあまり表情を変えずに言った。
「面白き仕組みだ。書物を市中の者達が選び借りゆき、別の日に返しにくる。」
階段を上りながらウルカは手に持っていた本を開き、中を見ながら言った。
「坂本と大之井よりこの時代の文字を習った。すべてではないが、大体は分かる。イヌイからも教わった。これは……」
と、ウルカは本のページを何ページか捲った。瑠珈は背伸びをして、本の中身をうかがった。
「それは、えぇと、経済の本ですね。貨幣の流れと、人々の社会の構造が歴史と共にどう変化したかが書かれている本です。みなさん、あまり利用しないので、普段は書庫にしまってあるんです。貸出はできないけれど、館内だったら閲覧は出来る本です。」
「よき時代だ……。」ウルカはそっと本を閉じた。
「そなた達が生きる世は、知が民にも解放されているのだな。」

《4》(知が解放されている……)そう言われて、瑠珈は手に持っていた本に目を向けた。そんなこと一度も考えたことがなかった。知りたいことがあれば、調べようと思えば、なんでも分かるのが当たり前だと思っていた。
ネットもある。ネットに載ってないことは町の図書館へ行ったり、大学の図書館のレファレンスサービスに尋ねれば、どんなに分からないこともたいてい解決した。書店へ行って本を買うこともできた。
「そうじゃない時代もあったんですね。」
「そうではない時代の方が、はるかに長い。それは時をかけてこの国の民が少しづつ勝ちとったものだ。大切にした方がいい。」
「…ウルカさんのいた時代は、そうだったんですか?」
「そもそも文字を読む者が少ない。読めぬということは、知を得ることができぬということだ。民は文字を奪われていた。」
「文字を…。」

《5》高い吹き抜けのある最上階に着いた。瑠珈は黙ってしまった。自分が今まで目にしてきた絵画や書画も、その時代に生きるほんの一握りの人々が担ってきたものなのだ。それは歴史の表舞台には決して現れない、名もなき大勢の人々に支えられている文化でもあった。
「…そう憂うものでもない…。」と、ウルカはそこで立ち止まった。相変わらず、瑠珈の心の中の想いはウルカには筒抜けだった。
「あの時代、民の中には虐げられていた者もいたが、それはいつの時代も一緒だ。だが、皆が皆、決して不幸ではなかった。書物のように文字や、そなたが学んでいる絵画のように、後世に残された物は少ないが、民には民が持っている美しきものを皆自由に楽しんでいた。」
「ウルカも……?」
そう言って、瑠珈は彼を見上げた。ウルカは彼女を見下ろし、少し表情を和らげた。
「私の生きていた時代も、すべて闘いに明け暮れ、殺し合いを繰り返していたわけではないんだ。」

《6》ウルカは少しの間目を閉じ、思い出すように美しい漆黒の瞳を開いた。
「そうだな、私は詩歌が好きだった。村の者と共によく歌った。祭りもあった。女も子どもも男も皆良く笑い、踊り、皆で芝居をし、とても楽しかった。」
彼は懐かしいものを思い出すように、顔を上げ、「私が“とんぼ”を切ると、皆とても喜んだ…。」と優しく言った。
「トンボ…?」瑠珈が不思議そうな顔をすると、ウルカは天井を見上げ、軽く深呼吸をし、そのあと手に持っていた本を瑠珈に返した。その途端、彼は吹き抜けのある廊下で軽く助走をつけ、オリンピックの体操選手のように軽々と、バク転から捻りを効かせた空中回転を連続2回し、トンと軽やかに着地をした。
「す、すごい……。」瑠珈が目を見張ると、ウルカは息も乱さずこちらに振り返った。
「この時代にやって来てからはほとんど身体を動かしていない。少々鈍っている。」
そう言って彼は少し恥ずかしそうに笑みを浮かべた。

《7》「それで鈍っているんですか?!」
「ああ、剣術の稽古もしていない。稽古を怠ると、技はすぐに鈍る。」
その時だった。
廊下の奥から「あれ?葛城さん?」と4階の公開室の司書の竹田の声が聞こえた。竹田は体の前で山のような蔵書を抱えて、鍵を開けた書庫の扉の前に立っていた。
瑠珈はハッとしてウルカの方を見た。ウルカは瞬時に“光帷”を張り、姿を消した。
それを見た竹田は突然目の前で消えた人影に驚いて、持っていたすべての本をバサバサと落としてしまった。
何冊かが竹田の足の甲に当たり、竹田は「いてててて」と小さく叫んだ。
瑠珈は慌てて竹田の元に駆け寄った。
「だ、大丈夫ですか、竹田さん!」

《8》竹田は足の甲をさすりながらしばらく呆然としていたが、瑠珈の顔を見ると
「い、いたよね、何か……」とちょっと震えるような声で言った。
「葛城さん、今そこに、何か、大きいの、黒い影。」
「え……?」
「あれ、幽霊かな?葛城さん、見なかった?」竹田の声は若干震えていた。
「ゆ、ゆーれいですか?み、見えたんですか?」と、瑠珈はどきりとした。
「えー?見えなかった?!すぐそこにいたよ!葛城さんのすぐ横に、立ってた、でかいのが……」
瑠珈は自分の本を床に置き、ばらまかれた竹田の本を拾い始めた。竹田はしばらく消えた人影の方を見つめていたが、慌てて身をかがめ急いで本をかき集めた。
そんな竹田の姿を見て
「そーかもしれませんよ、竹田さん!」と瑠珈はちょっと怖い顔をして言った。

《9》「古い本には、ほら、何かが憑くって言うじゃありませんか…。」
「そ、そーなの?!あれ、ほ、ほ、本の幽霊なのっ…?!」と竹田はすっとんきょうな声を出した。
「そ、そうですよ!特に書庫に眠ってる本はみんな古くて、それなのに古いからってだけであまりみんなに読まれなくて…。怨まれてるんじゃないですか、竹田さん!!」
「えーー?ち、ちょっと待ってよ…。」
と言いながら、拾った本の一冊にたまたま『世界妖怪怨霊大全』なる本があるのを見て、竹田は震え上がった。そして恐ろしいほどのバカぢからを発揮し、ばらまかれた本と床に置いてあった瑠珈の本まで抱え、書庫の中にすっ飛んで入った。そのあと書庫の中から、ガラガラドシャンとものすごい音が聞こえたが、瑠珈はちょっと胸をなでおろし、静かに書庫の扉の前から離れた。

――続く――

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