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踵を3回、コンバース。

夜の香りを濃くした都内を歩くことにが、いつしか平凡なことに感じられるようになってしまった。上京した初めの年は、鼻先に訪れる数歩先の季節に心沸き立っていたというのに、今や1番目立たなくて格好の悪い服を引っ張って、目深に帽子を下げて歌舞伎町色した人混みの中を歩いていく。お馴染みの映画館、新宿のTOHOシネマのエスカレーターが私のことを上へと運ぶ。エスカレーターとはなんなんだろう、私がどんな心持ちでも関係なくその機械にひとたび乗せられれば誰と構わず持ち上げてくれるじゃないか。まるで生まれてきてしまって人生に動かされるまま自分がソコへと登って行かねばならないという大変に気味の悪いこのセカイというやつにそっくりだ。
特にあてもない、観たいものがある訳でもない。それでも私はこうしてふらりと映画を見に夜の新宿区へ無防備に放り出されては歩く。出会う偶然にワクワクしていたい、そうでもしないと私の心臓がうごくに必要な成分が補充されない。この世界は面白い、自分にそう証明してやらねばいつだってこの命をその辺の線路に捨ておいてしまう。だから私は、こうして1500円でアクシデントを買う。

厭世的な気持ちでいっぱいの私は、例に漏れずエスカレーターによって劇場ロビーへと運ばれて、上映スケジュールとにらめっこをした。そうしていると歌舞伎町のTOHOシネマズに来ると大抵起きる頭痛がじわじわと私のことを締め上げにきた。多分歩いて来たネオンと人と音の情報過多が原因だ。暗い中で明るく目を指す光は乱視を助長させるし、なんならちょっとしたサングラスをつけて歩きたいとすら思う。しかし生憎晴天用のサングラスしか持っていない私は、お馴染みの銀色シートから2人1組の救世主を押し出して嚥下する他選択肢がない。気休めにもそれが喉を過ぎていけば、いよいよチケットをかう心持ちになってくる。さて、今日は何を観よう。邦画の類は大抵興味が向かないので基本ベクトルは洋画だ。出来ればドルビーアトモスで最高にコスパのいい体験がしたいところだが、この晩のスケジュールだとSingかバットマンの展開。アニメーションを見る気にも、3時間近いアメコミを見る気にもなれず、本日のドルビーアトモスは却下、残された選択肢は2回目の呪術廻戦かナイル殺人事件、もしくはガンパウダーミルクシェイク。その夜、厭世的な気持ちでいっぱいの私に選ばれたのは、ガンパウダーミルクシェイクだった。

そもそも、かっこいい女の子が出てくるのも、二丁拳銃使いも、そして何より60'sの雰囲気漂うダイナーやネオンが大好きな私にとっては、ポスターだけで胸きゅんした。フェチだ。私が谷崎ならダイナー礼賛!と筆を取っているに違いない。

8番スクリーン、たぶんこの映画館で一番小さなシアター。私は視線の高さも中心線も全く文句の付けようのないベストなポジションのチケットを買って、近くのコンビニで飲料を調達して劇場に戻った。映画館に飲み物を持ち込むのは気が引けるが、21時を過ぎたTOHOシネマズでは飲食物の販売がない。さすがに飲み物は飲ませてくれ、と空間の全てにごめんなさいの気持ちを注いでチケットをスタッフへ差し出した。いよいよガンパウダーミルクシェイクが始まる、開始3秒で絶叫したいくらい好きだった。見た目が好きだった。

中身はと言うと所感が繰り広げられるのでまっさらに映画を見たい人はここで読むのをやめてスキだけして帰って欲しい。

この映画、感情という部分ではあまりドラマがなかったが、構造が面白かった。ちょっと美味しめなイギリス料理といったとこか、自分で味はつけろよな、というぶん投げてよこされた余白への戸惑いが、甘美なルックとその構造の妙によって吹き飛ばされるような感覚。ルックなんて雑誌やいけすかないフィルマークスのレビューで見かけてちょっとクサいよなくらいに思っていたのに、そんな枷をぶん殴ってでもこの言葉を使ってしまう、それ以外に説明の仕方がわからない。エモいでも、おしゃれでも、最高、でも言い表せない「ルック」という非常にエゴイスティックな言葉に託すしかない質感。これを説明しようとしたら迸るままにあと5万文字は必要なのだ。

そもそも時代設定が謎で、2000年代初期のようなデバイス感覚もあれば、どこか近未来的な建物の様相もあり、現代的な駐車場も存在していて、どこかポストアポカリプスを匂わせる殺伐とした風景もある。とにかく、フェチのおもちゃ箱のような美味しいものだけをSHAKEした素敵さがあった。そう、理を丸無視したお飯事ほど楽しい遊びはない。急に夜ご飯が食べ終わったかと思えば次の日の昼過ぎになって、母親の口調を真似してと動物園へ行くんだからとご都合設定を盛り合わせるあのプレイグラウンド感。この作品の時代感や服装の感覚はほとんどそれに近い。その分からなさ、がとても良い。少なくとも私にとっては。社会というフレームがなくなって、画面の中にモブがいなくたって、曖昧だって、人間1人に秘めたドラマだけでここまで物語を引っ張れるのかと驚きもあったのだ。

 さて、その謎時空において物語を引っ張る1人、それはサムという女性だ。女性というにはまだ幼く、女の子と言うには大人びた、妙齢とはこういう人間のためにある言葉かもしれないと思った。彼女はある種のマフィアのようなファームと呼ばれる社会に雇われた殺し屋の母を持ち、15年前に生き別れたものの、母を追いかけるように彼女も殺し屋としてファームの手先となり暗躍していた。
そしてある日、彼女は敵対ファームのボスの息子を殺してしまう。加えて、彼女が所属するファームの会計士が金を横領して逃げ、サムはそれを追うも、会計士は誘拐された一人娘の身代金のために良心を裏切って横領していたことが判明。サムは金を回収し殺しかけた会計士を病院()へ連れていき、娘と金をどちらも回収しようと試みる。しかし金は爆発に巻き込まれ木っ端微塵になってしまい、手を出してはい行けない相手をうっかり殺したことと、金がアホなゆ誘拐犯によって紙屑になってしまったことが重なって、サムはファームを追放、庇護から外れてしまったことをきっかけに敵ファームに狙われてしまった彼女の運命やいかに…と言う話。

とにかく、とにかくだ。とっても最高だった。私はこれが大好きだ。東大の数学科にいる友人が何かしらの原理や数式の面白さを興奮気味に語ったとして、私はそれを音としては拾っても言葉としては認識できないくらいには、疎くて理解ができなくてどうでもよくなってしまうかもしれないけど、例えば、彼が、そうだな、ガンパウダーミルクシェイクのダイナーみたいな、そういっただけで彼がどんな興奮をしているかはわかる。何がいいとか、ここがどうだとか、そんなディティールはどうでもよくて、ただその絵面に直接、心を120%惚れ惚れと38度くらいにあっためられてしまうような感じ。

流石にこの説明から逃げるのはnoteで仮にも文章を書いて見ようと思った私立文系が廃るというものである。なぜ、この映画にこれほど魅せられたのか。頑張って語ってみよう。本来ならハンジ・ゾエよろしく人を1人捕まえてお茶を手元に一夜明かして語りたいのだ。

以下、私の妄想であるので、真偽の程はご自身の目で確かめていただきたい。

①イギリス仕草 服がいい
 始まりのカットは、ハットに襟を立てたロング丈のジャケットを着た人間が男の頭を撃ち抜くシーンから始まる。その人間の背後にはドアがあって、向こうからドンドンと、出てこいと言わんばかりの殺気だったノックが聞こえてくる。その人は振り向いて、その目元に日の光というには些か人工的で、何かの照明かと言われるとあまりにも自然な、西日色をした暖色の光が横一線に入る。そこでやっと、女性っぽい目元がはっきりと見てとれて、ちょっと動物的にぎらついて感情の読めない瞳に思わず竦んでしまいそう。そして、ドアが開くと多勢に無勢もいいとこ、ドア向こうには10を超えるような男が火器を提げ雄々しく待ち構え、彼女はその形相を一層硬らせサイレンサー付きの2丁拳銃を構えた・・・・。

まずこの会社30秒くらいのシーン。アツい。あまりにもアツい。そもそも、ハットに襟を立てたロング丈のジャケット、ジャックザリッパーを彷彿とさせるイギリス的な悪のポーズが印象的。そこから顕になる妙齢の女の瞳。ミステリアスで美しい。可憐という言葉もどこか片隅に必要なくらいには少女性も感じられる。そんな女がコートの下で2丁拳銃をもっているなんて。なんだろうか、ギャップでギャップを殴り殺すような。ロマンの詰め合わせだ。なんていったら伝わるだろう。夢色パティシエールの後にプリキュアを見た朝、お母さんの気まぐれで朝食がホットケーキだった時のような。夏休みのプールから帰ってきた日に冷蔵庫から1日一個の掟を破ってチューペットを出して齧り付いた後、家族が買ってきたスイカを切り分けて出してくれたような。クーラーの効いたフローリングで寝そべって、どうでもいい漫画を心底面白がってダラっと読むような。そんな充実感。そういったら伝わるだろうか。

イギリス仕草はここでは終わらない。その後、サムが母親と生き別れた15年前に時は飛び、謎のダイナーでミルクシェイクを前に母親を待っているシーンがあるのだが、そこに合流した母親がなんとなく語気を強めると、イギリス発音(と私は思えた)が出てくるのだ。作中の英語は多くの訛りがあり、イタリアンマフィアなのか中東系なのかイギリス系なのかよくわからないが、それぞれのバックグラウンドをどうしても考えてしまう。ダイナーや車はひどくアメリカンなのに、言葉は少しイギリスで、私の好みだけがあった。

そして、もう一つのイギリス仕草は図書館のシーンだ。そもそも、何がいいかって可愛くてちょっとオタクなつっけんどん女子がI❤️KITTENと書かれた黄色いビニール地のボストンバッグに武器を詰めるだけ詰め込んで、とある図書館に行くのだ。そうすると司書がいてサムは彼女に「『本』の交換を頼みたい」という。ああああこれ、これこれこれ!文化拗らせたオタクが大抵好きなやつ、隠語で武器庫ガラガラガラってなるやつ!!!ともう胸熱は止まらない。バスケを愛する人にいうなら試合終了20秒前に79ー81で負けている局面で攻められているにも関わらず、相手のゴール下でGがリバウンドを拾った後PGまで素早くパスが通りそのまま速攻が通って自陣ゴール下が混戦か?!といったところの残り3秒で外のシューターに絶妙なパスが通って3Pブザービート!!くらい胸熱だ。ウィンターカップを見ている時くらい熱かったし。なんなら劇場の椅子で悶絶したかった。しかし、それは私の良心が許さない。椅子におとなしく座ってられない人は劇場に来てはいけないのだ。たとえ五人くらいしかいなかったとしても、何人たりともこの静かな鑑賞を妨げてはならない。
かくして私の脳内胸熱フィーバーが巻き起こったお祭り騒ぎは、司書の服装もそうだが、隠し扉の奥にで待ち構えていたおばさんになりかけの女性2人によって、もうそれはおわらない白夜の北欧のバーのようなゴキゲン時間へと一段ランクを上げた。まず、私はクラシカルな装いが大好きで、中でも女物スーツが大好きだ。よく暇な時はこんなスーツを着ていてほしい、とスケッチをしているくらいには謎のスーツ量産機になっている。特にスリーピースやベストの類は最高だ。180近い初老のハリウッドセレブがスーツにハイヒールを履いてたときはあまりにも最高すぎて、死ぬときはこの写真と一緒に棺桶に入りたいと思った。きもい。そんな私の目の前に現れたのは、黒人の美しい女性が綺麗なロンドン茶器の絵のような水色のスリーピース姿だ。見てるだけで熱を出しそうだ。きっと思春期初めの男の子が際どい何かを見たらこんなように体温が上がったりするんだろうか、と帰りの自転車を漕ぐ寒風の中で冷めない熱を抱えて思ったりもした。そしてもう1人、アジアの血を感じる女性がその細腰が美しく映える綺麗なシルエットのワイドパンツにピスタチオカラーシャツの上に濃いグレーのベストを着ている。なんていい服装だ!!!!!!私の中の厚切りジェイソンがもう訳のわからない言語で騒いでいた。

なんだかもう、全員カッコよくて、全員仁王立ちが一番似合うような服と顔をしている。この服装がなんとなく、ちょっと昔のイギリスを思わせるのだ。

②ダイナーという場所
 
 ミントと赤、銀と透明。最高の場所が世の中にあるとしたらそれは60‘sを彷彿とさせるダイナーだろう。そこでパイとミルクシェイクと、なんか汚いチップのボックスがあって、ドーナツでも食べたいし、可愛い制服を着た女の子を口説くのもいいかもしれない。店内のボックスから流れる歪んだサウンドを聴きながら手元の甘い甘い白をゆっくりとその腹に流していくのは、きっとアメリカ流侘び寂びに違いない。そうに決まってる。何も侘び寂びは日本の専売特許ではない。枯山水があればダイナーがあり、テムズの泥ひばりが腰掛ける港のパブの軒裏もある。とにかくダイナーというあのロマンが大好きな私にとって、殺伐としたティーンの不機嫌を纏う少女がそこにいるだけで、もう満腹状態であるにもかかわらず別腹のデザートをスクープしているような滅多にない充実感があった。
 その少女は15年前のサム。ミルクシェイクを手前に、じっと座っていると母親がダイナーに入ってきて、向かいに腰を落ち着けた。対面し、ちょっとピリついた会話をする2人。端折るが、2人がミルクシェイクに刺さった二本のストローをそれぞれ銜えて、見つめあって嚥下するシーンがある。母親の手には殺しのあとなのか銃身を掴んで火傷したのか、指先に血が滲んでいて、グラスの側面にはチェリーの代わりの赤が添えられていた。母子の絆、愛おしさが殺伐とした世界とは何処か離れた高次の存在のようにして浮かび上がる。だからこそ、この後の生き別れでの喪失感が大きく感じられる。ああ、なんて美しい。ため息じゃない。深呼吸でもない。なんか特別なときめきがないと出ないような、あったかいあったかい吐息か漏れる。今私の唇は石原さとみよりよっぽど艶やかだろうとも思った。気のせいだが。

作中においてダイナーは始まりと終わりの場所。言わば母胎と棺。緑と赤にすべての理が結び付けられた特別な場所だったのかもしれない。

③男がみんな間抜け

 ここまで読んでる人がいるかどうか、全くもっている気がしないが、もし男の子がいたらごめんね。今から君のことをボロクソにいうと思う。腹が立ったらDMに怒りにきてくれ。
 この作品で、男があんまりにも間抜けなんだが。その間抜けっぷりがあまりにも素晴らしい。ファームのトップや手下の殺し屋は男ばかりで、女はサムとサムの母親、図書館の3人、そしてサムが後に救い行動を共にする8歳と「9ヶ月」のエミリーのみ。
 まず、会計士が金を横領している理由が娘の身代金だと分かったサムが、会計士の代わりに誘拐犯の元へ金を運ぶシーンで、サム側のファームから3名の手下がサムの説得に向かう。しかし、サムにボッコボコにされ、歯医者のようなところに担ぎ込まれるのだが、笑気ガスを3人で回し吸いしてゲヒャゲヒャ笑って、吹き出して、会話がまともにできていない。わかる。サムにボコスカ殴られて痛くて大変だろうなと思うんだが、あんだけキリッとした顔で説得にかかってたくせに流血共に締まらない顔をして酔っ払いのように笑っていると本当に画面が間抜けで間抜けでなんというか落差。落差がアメリカのタワー・オブ・テラーくらいある。その3人がもうサムを殺そうぜ、と手当を受けたそれもまた間抜けな姿で挑んでいくのだが、両手に松葉杖をつきながら、あるいはショットガンを抱えて車椅子に乗りながら、とにかくもう間抜けだ。サムを殺せそうな瞬間があるのだが、男たちは好機に差し当たるとゲヒャっと笑いが込み上げてしまって、決定打を逃しがち。アホなんかな。いや、あほだ。
 しかも、サムが命を狙われたきっかけである、敵対ファームのボスの息子を殺しちゃったという事案に関しては、そのボスとサムが話すシーンがあって、そこでアホみたいな会話が繰り広げられる。
ボス「息子は特別だった。俺はフェミニストだが。・・・女の考えていることはわからん、長女、次女、三女、と女の子が続いて家の隅でコソコソ、食卓ではヒソヒソ。やっと生まれた長男で、やっと会話ができたんだ」
申し訳ないけど、思いっきり吹き出してしまった。嫌われとるやん、くっそ嫌われてるやん。てめえと同レベだったのが息子だったんじゃん。奥さんと娘から引かれてるじゃん。そのしょーもない君のマンゾクのためにサムたちは命を付き合わされてるのか。と思ったのだが、これは割と現代にブッ刺さるしょーもなさである。

まず、フェミニストは大概、活動的でない限り。フェミニストを自称しないんじゃなかろうか。そう思ったのである。そもそも、女性と男性の権利の差を感じていなければフェミニズムは存在していない。つまり、社会における男女差がないか、もしくはそれに気づいていないい人間のところにフェミニズムは存在し得ないのだ。だが、彼は自分をフェミニストだと言った。はて、この社会には男女差があるのか、それとも女性が抑圧されているのを見てきたのだろうか。彼がいうフェミニストは本当に男女同権を謳った正当な意味なのかと言われると、全くもってそんな感じはしない。だって、「女が考えていることはわからない」と女性であるだけで、自分と異質のものとしてカテゴライズして、別の理解が必要だと思っている・・・・・?この作品に出てくる男の人はなんかみんなとっても残念なんだが・・・・・。
大抵、僕はフェミニストなのでを接頭語に話を切り出す人間は大抵碌なことがなさそうというのが私の嗅覚だ。そもそも、これは年代に


その100円で私が何買うかな、って想像するだけで入眠効率良くなると思うのでオススメです。