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私の可愛い毛むくじゃら

 私の家には、犬がいる。

ラブラドールレトリーバーの女の子。名前はモカ。私が欲しいと言って、私が名前をつけた。当時たった6歳だった私は、ペットショップのガラスに収まりきれなくなったこの不思議な色をした犬をかわいそうだと言って、ママの誕生日にこれを買おう、と暴論を捲し立てた。ペットショップで成犬になり、売れなかった犬の結末を知っていたからだ。心配で、彼女のそばを離れらなかった。充血した目で静かにこちらをみていた。柵からはみ出た柔らかくて茶色い毛並みがふわふわだった。いくわよ、と何度も声をかけられたが、離れがたく、悲しくなってしまって、うるうると目に涙を溜めて、力説した。この子がいい。本で読んで憧れていたのは小さなプードルやヨークシャテリア。大きな音が苦手な私は、犬の鳴き声もダメだったけど、小さければ「ワンワン」ではなく「キャンキャン」と鳴くだろうというとても勝手な思い込みで、小型犬に憧れていた。けれど、彼女を見つけてから、ガラスの中の小さな吠える毛玉のことはすっかり忘れていた。目の前には大きく静かな彼女がいた。


39800円。彼女の値段である。もうパピーではなかった。おそらく生後半年近くは経っているラブラドールにつけられる値段は、39800円なのである。おまけに、ケージやペットシーツなど「おまけ」がたくさんついてきた。その愛らしい焦香というのか、伽羅色というのか、そんな毛並みを見つめて、私はサンリオキャラクターのモカを想起し、彼女にも同じ名前をつけた。モカは、賢く、人懐こい。そして、滅多に吠えなかった。そしてもちろん私は、世の中のたいていの子供がそうするように、「ちゃんと面倒見るから」という約束をぶっちぎりの速さで破った。


うちに来たばかりの頃は、掃除機の音や救急車、チャイムなどによく吠えていたが、近所のどの犬よりおとなしく、賢かったように見えた。実際、私が共に暮らせるくらいには全く吠えなかった。飼い始めた当時は、地域に空き巣の被害がなぜか頻発していた時期だったこともあり番犬になれば、と庭で買っていたのだが、人懐っこく、吠えない犬はただただ愛玩として愛され、そして私たちを愛してくれた。しつけにも困らず、行儀がよく、命令は必ず聞いた。そうしてスクスク、お利口さんとして甘やかされて育って行った。


私は中学生になった、大型犬は10年程度しか生きない。自分が中学を卒業する頃には、この子はきっと天国にいるんだろう。と覚悟をし始めた。子宮嚢腫を患ったが、彼女は元気に生きていた。


そして私は、高校生になった、モカはもう寿命と言われる年齢は迎えている。朝起きたら、なんてことがあるかもしれない。覚悟をしていたし、だからこそ風呂から上がって、部屋に上がる前に必ずモカを撫でて、愛していると言った。実写版シンデレラに出てくる歌をうろ覚えで「ラベンダーはララララ青く輝く、私はあなたが大好きよ。ラベンダーはララララ歌うわ、あなたは王様私は女王」と歌って眉間を撫でていると、次第と落ち着いてモカも「寝るか」という表情になった。そんなある日大病をした。腫瘍ができて、手術をした。片耳も切除するかもしれない。年齢的に手術をしても予後はわからない。と言われていた。しかし、彼女は生きていた。丸刈りになって、首にはゾンビのような縫い跡があったのに、そこにはいつの間にかふわふわと毛が生え揃って、ぷにぷにと肉がついた。片耳になることもなく、彼女は生きていた。


大学生になった。私は一人暮らしを始めた。家を出るたびに、これが最後かもしれないと思って、彼女の頭にキスをしていた。もちろん、寝る前にはあの歌を歌った。それから、私が帰省して夕食をとっていると、その背後で私を呼ぶように時折吠えるようになった。初めは「吠えるワンちゃんは嫌いよ」なんて言っていたけど、それにも慣れていって「なあに」と返事をするようになった。夕食どきはそうやって彼女に呼ばれて振り向くことが多かった。覚悟がいつの間にか宙ぶらりんになって、「その日」のことを考えるのをやめてしまっていた。わかっていたけど、実家で再び暮らすようになって、彼女が、覚悟が少しずつ日常になっていって。ああもうすぐだなって。きっと次の夏は彼女には来ないのかもしれないな、と思うようになったとて、毎晩愛してると撫でるのも、歌うのも、日常になってしまっていた。


6月23日 よる帰宅すると、母がモカの体調が良くないと教えてくれた。特段、緊急性のある様子で死に際しているという印象はなかった。が、おかしい気配はしていた。朝一番に病院へ行けるよう、様子を撮影し記録をとっていた。呼吸数は一分間に56回ほど。姿勢を変えると80回ほどに増え、それがまた50/分ペースに戻るというサイクル。絶対に病院の受付1番をとってやろう、とたくさんアラームをセットして寝た。たくさん撫でて、どうした、明日病院に連れてってやるからね、愛してるよ。と言って寝た。


そうだよ、病院に連れってやるはずだったんだよ。先生に診てもらうはずだったんだよ。そしてまた今日の夜も愛してると言って撫でてやるはずだったんだよ。もう歳だね、無理しないでいいよ、いつでも行っていよ、でもいく時は教えてねとあれ程言っておいたじゃない。


人生で1番最悪なモーニングコールがあるとしたら、「さやか、モカ死んじゃった」だ。6月24日の午前6時。それで起きた。わかっていた。もうすぐいなくなるって、わかっていた。朝起きたら死んでいた、眠るように死んでいた、それが理想だね、私たちそれ目指しましょうね、と日々祖母がモカに声をかけていたのだが、まさかその通りになるとは。階段を降りて、リビングに入る。モカに駆け寄ることもできなかった。いつもみたいにケージの中で横たわって薄く目を開いている彼女の事、まじまじと見つめながら吐き気を奥歯で噛み殺す時間をたっぷり使って歩いた、すぐ横に座って、冷たい鼻先を撫でてみた。昨日まで、この鼻先からフンフンと息が飛び出ていた。昨日まで、その瞳はキョロキョロと私のことを見ていた。昨日まで、その爪はカサカサと床をなぞっていた。


悲しかった。寂しかった。でもいなくなるってわかってた。せめて最後にはありがとうって言えるんだと思ってた。若い俳優たちがこぞってペットの訃報を【ご報告】するときは「私の到着を待つように」とか「父の腕の中で」とか、そんなことばかりいうじゃない。なのに、彼女は一人でいなくなってしまった。父は出張で、飛行機の都合があるのでどうしても夕方にしか帰って来れないし、私は明日試験だし、どうも大切なお別れに家族が揃わないまま愛玩(ペット)として割り切った対応をされている彼女を見ると寂しくなる。


母は、今日孫の面倒を見るために家を空けている。モカの死を聞いた姉が駆けつけてくれて、家にはニンゲンが4匹と犬が一匹。保冷剤に包まれ、虫がつかぬよう布の布団ケースに収まった犬が一匹。顔すら見えない。膨張する腹部がケースの天井をジワリと押し上げて、あの大好きな茶色のふわふわが透けて見える。大好きだよ。大好きだったよ。これからも大好きだよ。お前くらいだよ。世界で生きてるもので、私が惜しげもなく、心から、何の衒いもなく、全力で大好きだの愛してるだの、まっすぐに言えるの。お前くらいだよ。これから私は、何に愛していると呟けばいいというんだよ。


リビングには、日常が戻っている。祖母はナンプレを解き、祖父は昼寝をしている。窓の外では綺麗な青空が夏の始まりを祝福して、庭の花は鮮やかに風を待つ。開いたペットボトルに綺麗な水をいれ、テーブルを飾っていた紫陽花のブーケをしれっとお供えに転換し、それらをモカの傍において、さて供養は済んだとばかりに皆の日常が動き出した。私だけ、一人取り残されたように泣いていて、祖母に「体がある内は泣いてはダメよ。今モカは天国目指して走ってる途中なの、引き止めてはダメよ。」と嗜められた。そして、さくらんぼを勧められて、口に含んだ。すごくおいしかった。きみがいなくても、私の日常が当たり前に成立してしまうのだと、まだ少し若いさくらんぼの実の瑞々しい残酷な味わいが舌に広がった。


明日、私は試験に行くだろう。勉強量も足りていないし、こんなメンタルじゃ受からないのはわかっている。けれど、母は火葬に立ち会わず、試験に行けといった。前日にモカが行った意味があるのだと言った。生存者のエゴイズムの純度100%みたいな論調だ。その間に、あの可愛い茶色のふわふわは無くなってしまうんだろう。ふわふわ、ふわふわ、大好きだよ。

一緒にキャンプに行った、川で泳いだ。シャンプーをした、ドッグランに行った、幼稚園バスのお見送りに来てくれたね。私の愛おしいふわふわ、きみを毛皮にして毎年冬に来てやろうかしら。


今、家に愛おしい毛むくじゃらがいる人。その毛むくじゃらは高い確率であなたより先にいなくなります。その毛むくじゃらは、死にませんが?みたいな顔していつかいなくなります。

そのうち、テレビのノイズがその毛むくじゃらの息遣いに聞こえて、動かない毛むくじゃらを0.01秒希望を持って振り返り、0.02秒目に落胆するでしょう。窓の外で聞こえる物音が、動かない毛むくじゃらの爪の音に聞こえるでしょう。室外機の唸りが、イビキに聞こえるかもしれません。それでも、その毛むくじゃらは動かず、見慣れた寝姿のように静かで、二度とあなたを見つめません。今のうちに、少々嫌がられても抱きしめてやってください。


家の中に、きみの音が沢山ありすぎて、日常の音全てにきみが紛れ込んだみたいに、もういない毛むくじゃらを振り返ってしまう。今だって、タイヤの擦れる音の中に、夏の息遣いを聞いた。6歳からずっと一緒だったから。あなたがいない夏や、秋や、冬や、春を知らない。

虹の橋を渡るとかいう表現が嫌いだ。非現実で死をなぞるなら、スーパータノシイミラクルファビュラスワンダーヘブンランドに遊びに行った。とか言っておきたい。任意のドッグフードが食べ放題で、好きなだけサイレンに遠吠えしてよくて、好きな時にゲロを吐いてくれていい。でも、誰に撫でてもらうのだろう。誰にエアコンをつけてもらうのだろう。誰の手からジャーキーをもらうのだろう。誰にお休みの歌を歌ってもらうのだろう。モカが肉体を去り、スーパータノシイミラクルファビュラスワンダーヘブンランドに出かけたとして、そこに私は立ち入れないわけで。

もっと撫でてやればよかった。もっと目を見て愛してるって言ってやればよかった。吠えられるたび駆け寄ってやればよかった。抱きしめてやればよかった。


でも、あなたがいてくれてよかった。どのラブラドールでもダメだった。あなただからよかった。世界一の私の可愛いふわふわ。楽しかった。嬉しかった。ありがとう。私の家にいてくれて。大好きだよ、愛してる。39800円。売れ残りのふわふわ。私が見つけた可愛いふわふわ、愛してる。これからもずーっとずっと大好きだよ。


私の家には、それはそれは可愛いふわふわの犬がいる。




その100円で私が何買うかな、って想像するだけで入眠効率良くなると思うのでオススメです。