男性ブランコのコントライブ「やってみたいことがあるのだけれど」(5/11 昼)

よく晴れた日だった。山下公園は週末に実施されるトライアスロンの準備、薔薇を観に来た人、修学旅行生たちで賑わっていた。以前この近辺に住んでいたこともあり、とても懐かしい気持ちでいっぱいになりながら会場を訪れた。
赤レンガ倉庫にホールがあるのはなんとなく知っていたのだけれど、足を踏み入れたのは初めてだった。

受付からぐるっと囲むようにして会場の入り口があった。そこに至るまでには小さなお客様がたくさんいた。
物販の机にかけられたマルチカバーはとても目を引くものだったのだけれど、開演直後にそれが何であったか気づくことになった。

小さなお客様(やってみたいおばけ)

突然だが、私は素舞台(大道具やセットのない舞台)が好きだ。小道具もなるべくないほうがいいと思っている。もちろん仕掛けがたくさんある商業演劇も、もちろん好きだがより自分の好みに近いものは素舞台、小道具なしだ。
そして、物語のラストが伏線回収をして冒頭に戻ってくる展開をこよなく愛している。何が言いたいかというと、私が好きな演出がどん・ぴしゃりであったということだ。

後ろから2列目の席に座り、会場を見渡す。舞台面の中央には平台2枚分くらいの高さがあって、上手、下手にはそれぞれ黒いパネルが置かれていた。どう見てもここからソファだの机は運べないだろうなあと思っていた。なんとなくコントはそういったセットが多いイメージだ。転換を考えると冗長かもしれないものなーと思ったりした。
中央にサンパチマイクが立っていて、もう一度チケットを確認した。ただの単独ライブではなく、「コントライブ」…。MC用であればピンマイクで十分だし、このサンパチには何か意味があるのだろう。

この時点で何故か完全に「演劇」を見に来たテンションになってしまったので、購入したパンフレットを読む。周りを見ても読んでいる人はいなかった。
パンフレットの装丁も紙の質感、サイズも全てが好みだった。全てのパンフレットはこのくらいのサイズになってくれたらいいのに。大きくて本棚に収まらないパンフレットがうちに何冊もあるのを思い出した。


彼らのことは2021年のKOC決勝で知ったのだけれど、なんだか不思議なコントをする人たちだなあと思っていた。
彼らが学生演劇出身で、コントがすごく演劇的だからだ、と今は思う。
コントの語源であるフランス語のconteは「短い物語・童話・寸劇」を表すようだから、語源に近い形の「コント」をしているとも言えるのではないだろうか。

パンフレットにざっと目を通し終えると、いよいよ開演だ。
登場した2人は、見慣れたチェックのスーツではなく、カラフルなジャケットだった。あ、物販で見たマルチカバーだ。
いかにも漫才が始まりますよ、という感じで、浦井さんが前日に帰りに道を間違えてしまったとか、漫才の冒頭みたいな感じで。またしても今日はコントライブだったよな、と再確認した。

「観光案内の受付の人をやりたいのだけれど」

2人がそれぞれ上手、下手に歩き、パネルを裏返す。そこには様々な衣装がトルソーに掛けられていた。なるほど、ジャケットやマルチカバーはこの衣装のハギレなのか。

トルソーは6体だったと思う。おそらくこの衣装に着替えてコントに入っていくのだと思うけれど、なんだかブティックみたいだ(この予想はラストで回収されることになった)。

まさに劇中劇だった。
漫才をする2人の中で行われる、コント、コント、コント。

それぞれのお話が少しずつながっているような、繋がっていないような。

どうやったらこんな構成を考えられるのだろう。だけど、お二人が演劇をやられていたことは、大きな影響を与えているのではなかろうか、なんて思ったりした。

ラストはブティックで失われた記憶を探す物語。やはり選ばれたのは最初のジャケットで。
平井さんがM-1 2022の決勝で漫才師を芸人と言い直したように。お二人が漫才だけを、とかコントだけを、意識しているのではなく、お笑いを愛しているのだなあと。

なんだか嬉しくなる公演だった。一つだけ残念だったのは、演者の声が機械的(音響の問題か?)で「間違いなく生で見ている」という感覚が半減してしまった点だろうか。せっかくのトニー・フランクの演奏も、生音感が欠如していて勿体無いなと感じた。ホールという性質上、音が広がっていってしまうので、ここは仕方がないかなとも思う。

かなり貴重な、そして新鮮な観劇体験だった。
大好きな横浜の地に来れたのも、本当に嬉しかった。帰りは信じられないくらいの土砂降りだったのだけれど。

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