好きなこと、得意なことに縛られず
"私には趣味がない“ という書き出しに惹かれ、ナカハラユウカさんのnote、『私は逃げるために戦場から降りた。』を読みました。
出来ることはあるけれど、それほどそれに思い入れがないこと。
何かを新しく始めて熱中はするけれど、すぐに飽きてしまうこと。
実は娘も同じようなことをコンプレックスにしています。
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娘は子供の頃からとても手先が器用で、図工や美術で作った作品や絵が、何度か美術展に選出されていました。
絵を描くことも好きでしたが、とくに粘土などを使って立体作品を作ることが上手でした。
本人もそういうことが得意だと自覚していたようですが、それはおそらく周りがそれを褒めたからでしょう。自分が上手くできることをやって、皆んなが喜んでくれることが嬉しい。そして褒められると自分も嬉しい。ですので多分、子供時代の好きと得意は一緒です。
その後、娘は中学高校と進むうちに映画やドラマの世界が大好きになっていきました。
大学はメディア専門の学部に進学し、好きと得意を掛け合わせた映画美術を専攻しました。
入学から2年間は、何もかもが新鮮で刺激的で楽しそうに授業を受けていました。
しかし、様相がすこし変わってきたなと思ったのは、3年生になった時です。
いままでただ好きと得意だけで楽しく暮らしていた世界に、就活という現実が入り込んできたことがきっかけでした。
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初めは映画界に入りたいという希望で、ゼミの先生の計らいで映画の撮影のお手伝いなどをしながら、業界を覗きに行ったりしていました。
3年生になると、業界で活躍されている方を呼びセミナーが行われます。
何度かセミナーに参加していくうち、夢だった世界の裏側の、楽しいだけではない厳しい現実を知りました。
大人は当然わかっていますが、自分の思いだけで作品は作れるわけではなく、資本となるのはお金ですので、お金になるように色々な思惑が入り込んでくるわけです。
そういう現実を少しずつ知るたびに、娘の夢は小さな小さな穴が空いた風船のように、少しずつ萎んでいくようでした。
純粋に作品を作ってみたいと思っている人間には、心を削られるような話でしょう。
芸術ではなく、商品としての作品を作るのであれば致し方ないことだとしても。
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さらに加えて、娘は女性で背も小さいため男性に比べて力仕事では不利になることも多く、小さな頃に心臓の手術もしていてあまり体が丈夫な方でもありません。
撮影現場のお手伝いをしているうちに想像以上に体力勝負の仕事であることがわかり、もし運良く業界に就職できたとしても続けらないのではないかという不安も大きくなっていきました。
就活を本格的に始めなければいけない時期に、とうとう彼女の好きはとても小さくなり、映画界にチャレンジすることをやめてしまいました。
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ずっと好きで得意だったものが突然使えなくなり、彼女は心の底から苦しんでいるようでした。
映画界を目指すことはやめたけれど、今度は何処を目指せばいいのかわからない。
何を仕事にしたいのかも全くわからない。
大学3年生でゼロに戻されたような気持ちだったのでしょう。
「会社員にはなりたくないの」その時点で彼女にとって確かだったのはそれだけでした。
だったら就職しなくていいよ。
勇気を持ってそう言えるまで、私にも夫にも時間が必要でしたが、その道を選ぶ彼女を見守ることにしました。
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同級生の就活がはじまると、独り取り残されたような気持ちのやり場に困って体調にも不調がでるようになってしまいました。
そんなある日、彼女から相談がありました。
「卒業したら、しばらくはアルバイトしながら将来をゆっくり考えたいのだけど、、」
いいよ、という私に娘はひとつ質問しました。
「ママとパパはがっかりじゃない?期待を裏切ってるのかなと思って。」
そんな風に不安に押し潰されそうになっている娘に、どんな言葉をかけてあげるのが適切なのか私も悩みましたが、「全然がっかりなんかしていないよ」とだけ伝えました。
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その後4年生になり、卒業制作が始まりました。
娘は行き先の決まらない不安を払拭したかったのか、「卒業制作だけは集大成の物を作ろうと思うの」と意気込んでいました。
そして約1年の間、毎日コツコツと小さな部品を作り、やがて狭い部屋に大きな建物が立ち上がり、出来上がったのは畳1畳分を超える、映画のセットのような廃墟の模型。
好きで始めたことでも、やはり困難に当たることも多く、途中で何度も挫けそうになりながらも、最後までやり遂げました。
卒業制作発表会のために学校に運び込むのも一苦労でしたが、会場へ運ぶ途中すれ違う生徒や職員さんが、作品を見てみな一様に驚いて褒めてくれるので、娘は恥ずかしそうに喜んでいました。
最後までやり遂げたことで、何か吹っ切れたようでした。
その時、中国からの留学生の団体が展覧会に来ていたのですが、娘の作品を見て、驚いて色々質問しながら沢山写真を撮っていたと、ゼミの先生が教えてくれました。
その話を聞いて、模型作りを仕事にしてみたらどうかと言ってみたのですが、娘はこう答えました。
「だって、お金にならないよ。もっと上手な人もいるし。」
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BUMP OF CHICKENの『才能人応援歌』という曲の、
"得意な事があったこと今じゃもう忘れてるのは、それを自分より得意な誰かがいたから"
"大切な夢があったこと今じゃもう忘れたいのは、それを本当に叶えても金にならないから"
という歌詞を思い出しました。
苦しくなるのは、それなのかもしれない、と。
成功者=儲けている人間という資本主義の世の中で、夢を持てとか、好きを貫けとか周りの評価を気にせずに自分らしくやれ、などと簡単に大人がいうのは、あまりにも無責任で若者を無駄に悩ませてしまうのではないかと思うのです。
昨今はSNSを通じて一般の人が突然世に出る事もよく目にするようになり、一般人でもフォロワー数が何万という人もよく聞くようになりました。
そんな世の中で、いつのまにか突き抜けていないと趣味だと言ってはいけない、この程度で好きなんて言えないと思わされているのかもしれません。
好きなことや得意なことは、人と比べなくても良いものであってほしい。
大学卒業後、娘は中学生の頃にはよく口にしていた、「モノ作りが好き」とは言わなくなりました。
結局、アルバイト生活を2年間やり、その時間の中で少しづつ気持ちの変化があったのか、今はやりたくないと言っていた会社員として働き、時々気の向くままに作りたい物を制作しています。
娘曰く、「私は、安定した仕事があって、その上でその時好きなことを自由にやれるくらいが丁度いいの」
おそらく彼女自身が、好きなことで誰かに評価されることを望んでいないからなんでしょう。
そういう思いもいつかまた変わって行くのかもしれませんが、それならそれでいいのではないかと思っています。
自分の50年の人生も、何度も何度も好きなものが現れては変わり、得意なことも変わりました。
そして、未だに何の肩書きも持たず何者にもなれてはいない。それでもそれなりに足元に根を張り、この社会で生きている。
人生は続けていけます。大丈夫。