240701_私はなぜ気仙沼に関わっているのか

入社して最初の1か月が終わりました。
システムエンジニアとITコンサルタントの共通点、違いを日々感じながら仕事をしています。会社のコミュニティにも少しずつ参加しています。
今のところ会社は楽しいです。良い縁に恵まれました。

気仙沼バルを今週末、7/5(金)、6(土)、7(日)に控えております。
https://kesennuma-kanko.jp/kesennumabar/

私がなぜ、気仙沼バルに関わっているのか、気仙沼バルになぜ診断士がかかわっているのか、AWS(アカペラ団体)がなぜ、気仙沼バルで歌うことになったのか。
初対面の方にお会いすることも多く、このへんの話をちょこちょこしていることもあり、改めてまとめてみました。

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2011年東日本大震災が発生。その年に大学入学した私は、2年生で研究会に所属し、気仙沼の仮設商店街で活動することになったのが気仙沼の物語のはじまり。気仙沼を初めて訪れたのは2012年6月。当時は未だ震災の傷跡が大きく、至るところに被災した家屋や、津波で流された建物の土台が散見され、何とも言えない悪臭を感じる場面がありました。それから研究会で2,3か月に1度訪問するようになりました。
2012年秋ごろ、仮設商店街で活動していた私は、仮設商店街のインタビューで「ある方」を紹介されました。

一方そのころ、東京の中小企業診断士の異業種交流会では、被災地に何かできないかという議論があり、気仙沼出身のある方(Aさん)とのつながりをきっかけに、2012年秋に診断士34名で気仙沼を視察。その後、仮設商店街に対して3つの提案をしました。その中の1つが後の気仙沼バルでした。

Aさんとの接点のない中でSNSで直接メッセージを送り、それがきっかけで学生数名で気仙沼バルに合流しました。2013年が気仙沼バル初開催。当時は4月に気仙沼大島のツバキマラソンの前日の1日だけ開催されました。

また別の話ですが、AWS(Always With Smile)は震災後にできたアカペラの団体で、気仙沼でアカペラの輪を広げる活動は、2012年秋から毎月行われました。アカペラサークルの先輩に誘われる形でAWSの活動参加。週末を利用して気仙沼でアカペラを通じてつながりを広げる活動をしていました。当時は仮設商店街、仮設住宅を中心にアカペラ演奏、毎月気仙沼の方むけにアカペラ教室を開催していました(今もしています)

そのような形で、大学の研究、気仙沼バル、AWSという3つの理由で気仙沼に行くようになり、卒業をきっかけに研究は卒論というゴールを迎えながらも、他の2つの活動は継続するようになりました。

しばらくすると自分は両方に関わっているからと、2014年の気仙沼バルへのAWSの出演が叶いました。以後2019年まで毎年気仙沼バルでの演奏が実現しました。コロナの影響で気仙沼バルは2度(2年間)の開催中止、AWSも4年の活動自粛期間を経て、気仙沼バルに5年ぶりのアカペラステージが戻ってきます。

気仙沼バルは11回目、AWSの気仙バルでの演奏は恐らく7回目です。
診断士としても新しい取り組みがいくつかあり、さらにパワーアップしたイベントになっています。週末、楽しんできます!

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