特別支援教育は、子供にとって幸せな教育かもしれない。
来年小学校へ入学する次男の就学先について、こんな記事を書いた。
言語聴覚士さんのトレーニングを受ける為に療育へ通っている次男の元に、支援級や養護学校の見学案内が届いた事をキッカケに、通常級以外の選択肢がチラつく今日この頃。
そんな中、以前から気になっていたこちらの本を読んでみた。
このリンク↑のページの下の方にある、本の最初のページが紹介されている画像?を是非見て欲しい。
駐車場を例えに、只の空き地に駐車するよりも白線を引いてあげたら「パッと見」であと何台停められるか?が分かるよね?という話。
「発達が気になる子の…」というタイトルだけど、この本は「全人類」に有効な内容だった。
特別支援教育とは何か?
これって、教育は勿論だけどサービス業やコンサルティングも「1人1人の困りごとを把握する」は意識している部分だと思う。
これを読んで思い出したのは、通常級に通う長男のクラスの様子。
立ち歩く子、サポートしてくれる人が横につかないとノートを開く、教科書を開く…と言う動作がスタートしない子等、妙に目立ってしまう子がいた。
それが良いとか悪いという話ではない。
でも30人程のクラスの中に放りこまれるのと、
少人数学級で先生が「この子の困りごとは何かな?」と考えながら接してくれるのでは、支援級の方が心地よいのではないか?という気がした。
優先順位をつける
本の中で「子供が自立するってどういうこと?」という章があった。
著者が特別支援学校の先生として子供たちに考える「自立」はこういう事らしい。
この「できないこと」の中から「できたほうがいいこと」を探して。
更に「できたほうがいいこと」の中で優先順位をつけるという話だった。
例えば「できたほうがいいこと」は時代によって変わる。
文字を書く→タイピング、フリック入力で代用できるかも。
小銭を数えて買い物をする→電子マネーにチャージしておけばOK。
みたいな。
この視点って、凄く大切だと思う。
確かに、「東大へ行きたい!(行って欲しい)」が人生の目標になってしまうと、字は書けた方が良いし、計算も速く解けた方が良い。
でも、実際に大人になって生活してみると何かを手書きする機会も、計算する機会も大して多くはない。
「親」と「子」として密に接する期間の殆どは子供が「学生」であり、「学業」の評価が目立ってしまう。
けれど、子供の人生という意味では「大人」になってからの方が長いし、大人になった時に「飛びぬけて得意な事」とか武器があった方が良い。
もちろん通常級に通う子全てが「東大進学」を目指しているワケでは全くないけれど。
教育の現場では、身体的な障害(視力・聴力など)がなければ「オール5を目指す事」が良しとされている様な気がする。
長男のノートやテストに書く文字が物凄く汚いので、いつも「もうちょっと丁寧に書いてよ」と言っていたけれど。
夫の文字だって、かなり汚い。
それでもSEとして生活できている(笑)
通常級であれ、支援級であれ「苦痛なこと」「苦手なこと」を強制されるよりも「得意なこと」「できること」を伸ばした方が本人にとっても幸せ。
親としてはついつい、「学校的評価」の上を狙ってほしいと思ってしまいがちだけど。
「できないこと」「できたほうがいいこと」の中で優先順位をつけるという視点は忘れないようにしよう。
今日も有難うございました!