親以外の人に叱られる事の大切さを感じた話。
「まだ呼ばれてないんだから、勝手に出てこないで」
とある日。
長男の通う体操教室での練習を見学していた時の事。
その日は鉄棒の練習をしていた。
1列目~3列目まで2人づづ並んで待機、「次の列」と呼ばれたら前へ来て逆上がり…という流れだった。
2列目にいた長男は、早く自分の番が来てほしかったのか1列目が終わった瞬間に呼ばれていないのに前へ出てきた。
2人づつ練習していたので、足並みがそろわないと危険である。
そこで、コーチから注意をされた。
女性の先生だけど、とても低い声。
怒鳴るワケでもなく、静かに真顔で注意をされた。
注意をされた事に驚いた様子の長男。
逆上がりを終えて、自分の場所へ戻るとポロポロと泣き出した。
「えっ(^_^;) そこで泣く?」
ポロポロとこぼれる涙を手でゴシゴシ拭う長男。
見た目はとっても可哀想だけど、私は呆れてしまった。
それと同時に、怒ってくれるコーチに有難うと言いたかった。
他人に怒られる経験
長男が小学校に上がってから、社会性と呼ばれるものについて考えさせられる事が多々ある。
と言うのも、最近の子供は親以外の「他人から怒られる」という経験がかなり減っていると感じるからだ。
過去にも紹介させて頂いたが、こちらの記事のように学区内で目に余る行動をしている子供がいても、大人は直接子供に注意をするワケではなく学校へクレームの電話を入れてくる。
「子供らしさ」と呼べるのはどこまでなのか?
「親の躾」なのか、「子供の個性」なのか?
これまでも何度もそういう事を考えてきた。
小学校受験の世界では、この絵本は「お手本」とされている。
未就学児がここまで「お利口さん」になると、ちょっとやりすぎな気がしていた。
だけど、小学生となり登下校や公園遊びなど「親の目」「先生の目」が届かない「社会」と接する時間が増えた今、最低限の躾は親の役目なんだろうなと考えている。
でも、親にどんなに叱られても子供には中々響かない。
むしろ「叱るのはムダ」という考え方もあり、子供に注意をする、躾をするという事は、「宿題に取り組ませる」よりも数百倍難しい。
それなのに、親以外の他人(コーチ)の言葉だと「低い声で注意をされた」だけで泣き出す程のダメージを受ける。
私はその様子を見ながら、学童の帰りに「〇〇先生に怒られた」と拗ねている時の長男を思い出した。
きっと長男にとっては、「ちょっと怒られた」レベルの事もズッシリとダメージがあるのだ。
社会人になっても難しい
では大人になったらどうか?
これが大人の世界でも難しい。
職場にはたまに、先ほどの絵本の様な「お作法」的な部分が欠如してる人が出現する。
そんな「欠如さん」に対して、多くの人は何も言わない。
それは今のご時世、よっぽど害がない限り余計な発言をして揚げ足を取られる方が厄介だからだろう。
これは職場でも、保育園、小学校等で見かける他の保護者さんに対しても同様である。
でも、ある時「酒の席」で、「欠如さん」に対して大先輩が少し厳しい口調で苦言を呈する場面に遭遇した。
かなり厳しい口調だったので、欠如さんは泣き出してしまい、端から見てもかなりダメージを受けている様子だった。
でも、私を含めて多くの人が大先輩に対して「流石だな」と感じていた。
みんなお互いが怖い
本来ならば、上司や管理職と呼ばれる人の仕事である。
だけど、そのせいで訴えられたり、鬱になったり、その先を考えると「無難な対応」で事を済ましたくなる人も多いだろう。
私は長男がコーチに怒られて泣いている姿を見て「将来の欠如さんかもしれない」と感じた。
親がどんなに叱っても、注意をしても中々響かない。
その割には、他人に注意されると「明らかに自分が悪い」と分かっていても泣き出す。
学校も昔に比べてソフトな対応が増えたので、「コラ!」の一言で驚いてしまう子供も多そうだ。
そうやって叱られた事がない子供が社会へ出て、メンタルが壊れやすい人が増えているのかもしれない。
コーチに怒られた日。
私は帰り際にコーチに話かけると、コーチから謝られた。
「最近どんどん上手になってるから、もっと伸びて欲しいし、お話も聞けるようになって欲しいと思って、つい言っちゃったんですよね。泣かせちゃってすみません」との事だった。
だけど私にとってはとても有難い事だった。
正直、世の中がこんな空気になってしまうと
「近所の人に怒られる」「乗り物の中で知らない人に怒られる」等は中々起こり得そうもない。
そう思うと、例え「よく知ってるコーチ」であっても「他人」に怒られるという経験はとても貴重で有難い。
「これからも目に余る行動があったら、どんどん叱って下さい」とお願いをした。
そして、帰りの車の中で「やっぱり『強い心』を育ててほしい」と大きな声が響き渡る合気道を習わせたい気持ちが余計に増してしまった(笑)
今日も有難うございました。