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メディアは〇信する為のツール?学びの動機付けの在り方

あなたにとって、メディアは

受信する為のツール?

発信する為のツール?

noterさんにとっては、「発信ツール」かもしれない。

日本では、小学校へ入学すると「読み書き」を習う。

でも何故「読み書き」を習うのか、大切なのかを教えられたり、考えた事はあるだろうか?


考えさせる教育

去年、私の中で一番ヒットした「デンマークはなぜ4時に帰っても成果を出せるのか?」があまりにも面白かったので、最近「北欧の教育」に関する本を読んでいます。

そんな中見つけたこの本。
1970年代に大学生だった大学教授が、自分の生徒にスウェーデン小学校社会科の教科書を読ませて、どんな意見が出たのか?をまとめた本。

全体を通して「知る」「覚える」が主な日本の教科書と違って
「考えよう!」と問いかけてくる教科書でした。

例えば、こんな問いが。

高い服を少し買いますか?それとも、安い服を多く買いますか?
あなたは安い服を作るのに、10歳の子供が工場で働いているのではないかと疑っています。

水道の水を飲みますか?それとも、ペットボトルのミネラルウォーターを飲みますか?

気づいたと思いますが、環境に責任を持った(持続可能な)決定を下すのは、常に簡単なことではありません。

全体を通して「正解」がない。
「正解」を押し付けるのではなく、自分なりの問や答えを考えさせたり、議論をさせる教育。

以前も北欧に関する本の記事を書いたけど、「絶対的な正解」がない分、同調圧力もなければ、人格と議論を分ける事ができるのかもしれない。

世界人権宣言


世界人権宣言は、「全ての人間は、生まれながらにして自由である」という言葉でスタートする。

スウェーデンの教科書には、この「世界人権宣言」を取り上げ、自国以外も含めた貧困や格差について取り上げられている。
この部分に関する教授の指摘は耳が痛いところがあった。

スウェーデンでは、難民は国際社会における貧困、格差と言う社会の問題であり、ゆえに、自分たちスウェーデン人を含む国際社会が解決すべき問題であるとみなしているのです。

日本の小学校でも、世界には発展途上の貧しい国々がたくさんあること、また難民と言う形で祖国を離れなければならない人々がいることを教えているでしょう。(中略)
しかし、多くの日本人にとって、それは所詮他人事ではないでしょうか。
貧しい国々や難民の問題を、自分たちの問題として主体的に解決しなくてはならないと考えている人々が、現在の日本にそれほど多いとは思えません。

良くも悪くも、日本は人口もほどほどに多くて、国内マーケットだけで発展できる環境にあったからビジネスが内向きだ…とか言われる。

でもビジネスだけではなく、人権とか国際社会の問題は「政治家がやること」と思ってる。

ファストファッションの服の生産地は大体海外で、その海外ではどんな環境で誰が働いているのか?まではあまり考えない。

ルールは変わるもの


この教科書では、最初に「社会とは何か?」という問いかけから始まる。

そして社会のルールについて「ルールは変わるもの」であり「ルールは変えられるもの」であると教えている。

その一つの手段が「メディア」。
メディアの項目では、「私たちは誰でもニュースを流す事ができます」で始まる。
つまりメディアは受信する為ではなく、発信する為のツールとして教えている。

身近な問題に問いを立てて
権力者に影響を与える為に、メディアというツールを使う。

こんな風に位置づけられている。

そして、「正しく書く」事の動機付けとしてこんな風に書いてある。
本の中にある教授の解説は、思わず私も「確かに!」と納得した。

民主制のもとで自らの意見を表明し、「最終的に政治家を味方につけるためには、誤字等の誤りがなく、正しく書くことが重要です。」と言う文章もさらっと書いてはありますが、とても重要なことです。

小学校6年生まで成績表がなく、試験にも受験にも無縁な子供たちに、正しいスペルを覚え、正しい文章を書くモチベーションを与える方法として、「自分の考えを正しく伝えて、他人を説得できるようにするため」と言う導き方をするのは、非常に理にかなっていることかと思います。

そして「ルール」を決める権利は政治家であるとした上で、政治家についてはこんな風に書いていた。

「政治家に投票するのは私たちだから、決定しているのは私たちだといえる」

「自分の意見と合う政党がなければ自分で作る事もできる」

子供の頃に「自分で政党を作る」なんて考えた事もなければ、身近にそんな事を言う人もいなかった。

「政治家の家系と普通の家系」は、「天皇と国民」の差ぐらい、別世界のモノだと思っていた。

よく、工藤勇一校長がプレゼンで話す「18歳意識調査」。
「自分で国や社会を変えられると思う」と回答した若者が日本は圧倒的に少ないのは、こういう事だろう。

学校で理不尽だと思っても「こういうもの」と教えこまれてきた。
食ってかかれば「我がまま」「自己中心的」「協調性がない」と言われてきた。


最近すごく感じる事がある。

私は素直で従順な子供ではなかった。
でも、私が子供の頃に感じた理不尽や違和感はやっぱり間違いじゃなかったのかもしれない。

これからどんどん人口減少が進み、日本の中だけを見ていたら生きていけない時代が目の前にやってくる。

意識的に「日本の当たり前」を世界に当てはめてみる事が必要かもしれない。
そう思う一冊だった。


最後までお読みいただきありがとうございました。
今日も素敵な一日になりますように☆彡

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なんでもやってみる母
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