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エドワード・エルリック、自分とは異なる境遇の持ち主

昨日、これからアニメの世界に触れようと思った。

というのは、自分は今まで具体的な物を抽象化する癖ばかりが先行してしまっており、抱いている抽象的な概念を人に説明するのが今の自分は出来ていないと最近感じたからだ。
自分以外の人間から自分とは異なる境遇や対する考え方を学び、自分1人では限界がある価値観や物事の捉え方の幅を広げていきたいと思っている。
アニメから学べるものを学びたいので
日常的にアニメを観る習慣をつけよう。
別に家に居なくとも普段の移動時間でもスマホ一台で数多有る作品を楽しむ事が出来る時代なのだから。


さっそく今日は「鋼の錬金術師」という人気アニメを3話観た。

このアニメのあらすじとしては
母を亡くした辛い過去を持つ主人公のエドワード・エルリックが、不慮の事故によって全身を鋼に変えてしまった弟と共に、物質と物質の「等価交換」を行う為の錬金術を武器としてあらゆる境遇に立ち向かっていくストーリーだ。
弟が思わぬ姿に変わってしまったのはこの錬金術の作用である「等価交換」によって身体が失われた為でもある。

初めから今の自分の立場では想像も出来ないような世界観が1話から炸裂していた為最初は自分とは大きく異なる境遇の主人公に多少の違和感を覚えていた。
しかしその違和感こそが今まで自分がアニメを遠ざけてしまっていた理由だったので
まずは展開を最後まで見届けたいと思っている。

3話まで観てさっそく感銘を受けたシーンがある。3話の最後の方、
辛い過去を持っているエルリック兄弟が
純粋な信者たちの心を弄んでいた権威ある者の秘密を暴き追放する事に成功するシーンだ。
追放出来たは良いが今までその人物を「神使い手」として信仰してきた者にとってはすぐに前を向ける問題ではない。
少女ロゼは教主を追放したエルリック兄弟に、
泣きながら「これから私は何にすがって生きていけばいいの?」と問う。
そんな中、主人公が口を開いた。
「足がある限り立って歩け、前へ進め。
足さえあれば何かにすがる必要もないだろうが。」
主人公は現に、錬金術の「等価交換」によって片足を失っている。

このシーンを観た時僕はしびれた。
自分の馴染み深い境遇や心情ではあらぬ
主人公から大切な教訓を学べた気がする。

普段の自分のままだと絶対に体験出来ない感覚、世界観を味わう事が出来た。
これから様々なアニメを通して
どんな人物からどのような学びを得る事が出来るのか非常に楽しみである。

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