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モノポリーでの惨敗

叔父の家に泊まりに行った時に
叔父と自分より1つ年上の親戚と3人でよくボードゲームの「モノポリー」で遊ぶ。
計8回ほど対戦をしたのだが、
実は自分は今まで1位になった事がない。
モノポリーはサイコロを振って自分の駒を進めていく大人版双六のようであるが故に運の要素が大きい。しかし、他人との不動産の交渉など様々な戦術に関しても大切な要素である為に回数を重ねれば勝つべき者が勝つ、そのような構造になっている。どうやら見かけによらずどうやら奥が深いゲームのようだ。
もし交渉力や戦略の腕が無くともその現状をカバー出来る程の"運"を持ち合わせていれば
大抵は有利に事を進められるみたいだが、それでも僕は、どんなに途中まで幸運の女神様が微笑んでくれていようとも関係なく必ず最後には負けてしまう。
毎回2人からは物凄く不思議そうな顔で見られ
助言も沢山貰うのだが自分としてもこの上ないモヤモヤだけがいつも残っている。 

一体何が原因なのか?
いくらなんでも流石におかしい。  
原因を突き止める為僕は今回のモノポリー含め、勝負事全般に対しての自分の価値観にまず向き合ってみた。
さらには惨敗を喫した日の夜、叔父と物議を醸した後に自分の中でようやく納得する結論を出す事が出来た。  

辿り着いた結論はこうだ。
「0秒思考」トレーニングを始め、このnoteの毎日投稿、さらには普段からの自己分析によって、自分は普段からよく自分の気持ちと真剣に向き合い自分なりの視点や価値観、物事との向き合い方を第一に考えている。
例外なくあらゆる物事に向き合った時にはまずは「人と異なる視点、あらゆる視点から物事を見たり考えたりする」癖がある。
"勝ちたい"という気持ちよりも"人と異なる戦い方で勝負に挑む"という考えがいつの間にか優先されているのだ。
つまり自分は無意識のうちに
"勝ち"たいという気持ちよりも"勝ち方"をこだわる考え方が染み付いてしまっていた。
もちろん自分からすれば「勝ち方をこだわる」、「人と異なる角度から物事を見る」事が
勝利を収める為の戦略だと思っていたわけで
決して"勝つ"事に執着が無い訳ではなかった。

しかし人と違う視点を求め過ぎるがあまり、
戦場に乗り込む上で最も大切な"勝ち"たいという気持ちと真剣に向き合えていなかった事は事実だった。

普段からよく物事を批判的に捉える訓練をしている僕にとってこの事実と向き合う事は正直少し歯痒いと感じた。

この「モノポリーでの惨敗」をきっかけに
これから新たに向き合うべきものが見つかった。
今の自分の課題としては主に「普通である勇気」の欠如と「"勝ち"たい気持ちを大切にする誠実さ」の欠如が挙げられる。
これまでの自分とは一転してこれからは、 
自分のアレンジを加えずに基礎や基本となるあらゆるものと向き合い、まずは生きるか死ぬかの世界で生き残る為に最善を尽くす意識を持つ。
世間から遅れをとった分、その面を一から徹底的に鍛えるとここに誓う。

最近のnoteにも書いている通り
最近やたら色々な物事の基礎や基本などと向き合っているのは、実はそんな背景があったからなのだ。

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