始まり - 2021 September-

書いてみよう、と思った。
長短に関わらず、頭の中にあるだけでは、たとえそれが完璧であっても、何かを何かに記すなり表現して形にしなければ、人に伝わらない。
それが下手でも、中途半端でも。

ある小説家は、書きたいのに読んでばかりいる人って好きじゃない、というようなことを仰っていた。
ぐさ、と心の中に刺さった。間違いなくそれは私のことだ。インプット、それっていつまで? と書いてあったことにも心にぐさぐさ、と刺さった。
自分は駄文でもいいからとにかく書いている、思い浮かんだら書いている、今までもずっとそうやってきたし今もそうだ。そして書き上げる。途中まで書くことはできても、書き上げた人は少ない。
そんなことも仰っていて、まさしく、と内心頷きながらぐさぐさ刺さった。ちょっと痛いくらいだった。
完璧主義はいけないな、と数年前から徐々に考え方を改めたつもりであったけれど、どこかに下手な自分を許せない自分がいて、できなくなっていたんだな、と思う。
とはいえ、直ぐに開放的になれるほど、小回りが聞いたり切り替えが早かったり機転が利く私ではない。これはもうしかたがない。ゆるす。
時間の制約や、以前よりコントロールしづらくなった心や身体で、一体自分にどこまで走れるのかなあという不安も確かにあるのだ。
私はアスリートでも第一線で活躍する小説家でも、文字や創作に飢えて飢えて仕方がない物書きでもないのだから。
好きなものを、字数制限なく書いてみること、書ける時でいいから気ままに気楽に気長に書いてみること。
時々でいいから、そんなことをしてみようかな、と思っている今日この頃なのである。
決意とも言えず決心でもない、手放しの気持ちなのである。解放してあげたいのである。何かに誰かにゆるされたいのである。
普段、心のポケットにしまっていて、それを出せる場所があることは、きっと多い方がいいと思う。
なんて、思って指をスマホの画面の上に走らせている秋の日。

2021/09/26 Sunday

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