病気と生きる 1
少し過去の事を振り返りたい。
生まれた頃からずっとなので、私自身は慣れているけど初めて出会う人には結構説明が大変💦
アレルギーに近いと簡単に説明する事が多いけど(笑)
それは親も同じだっただろうなぁと感じる。
この病気は遺伝性のものなので、両親のルーツを辿れば同じ病気の人がいるはずではある。
でも、医療が発展していなかった時代には発見されてなかったかもしれないし、もしかしたら産まれる前に生命が消えてしまった可能性もあるなぁと感じる。
そんな中で私が産まれたわけで💦
親も親戚も大変だったらしい。
なかなか父方の祖母は病気を理解できず、色んなものを与えようとしていたらしい。
「頼むからやめてくれ」「可愛いと思うなら一切あげないで」と何度も親が守ってくれたらしい。
保育園や小学校に母は直談判に行き、給食や行事を色々と考えてくれた。
保育園は給食を個別対応してくれ、私だけ特別メニュー。
小学校の給食は学校が母に給食室を借してくれて同じようなメニューを作ってくれた。
給食当番も親の意向で、みんなと同じようにさせられた😓
「私は同じ給食を食べないのに」と思ったけど、今となっては感謝している。
(手伝ったおかげか、たまに欠席者がいて余った果物やジュースを貰ってましたが💦)
私には姉がいるが、家庭の中でも病気なのは私1人。
だからご飯もおやつも姉とは違うもの。
小さい頃の姉のは「ちょっとちょうだい‼️」と私のおやつやおかずをねだっていた。
違うものは美味しく見えるからかなぁ?
でも、それよりよく言っていた口癖は「skyちゃんのある?」でした。
自分が食べるものを妹は食べれない。分けてあげれないから、自分が食べる時にはちゃんと妹の分があるかを必ず確認していた。
小さい頃から、周りの人の協力があって私は生活できていたんだなぁと実感している。