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箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ)

埼玉県東松山市箭弓町2-5-14

【御祭神】
保食神(うけもちのかみ)
 宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)
 豊受比賣神(とようけひめのかみ)

この三柱の神は、いずれも食を司る神であり、「うけ」「うか」「うが」が御名に含まれています。
保食神は宇迦之御魂神と同一視され、稲荷神社に祀られる例が他にもあるそうです。

【御由緒】
和銅5年(712)に創建と伝えられます。元は「野久稲荷」と申し上げました。
平安時代中期、下総の平忠常が謀反を起こし、勢力を拡大していきます。
朝廷は源頼信を忠常追討の任に当たらせ、当地野久ヶ原に本陣を張りました。
頼信が野久稲荷神社にて戦勝祈願したところ、明け方の空に箭(矢)の形をした雲が現れ、忠常陣の方角に飛んでいきました。
三日三晩に渡る激戦の後、勝利を収めた頼信は、これこそ野久稲荷の御神威、御神徳によるものとして、ご社殿の建て替えを寄進し、箭弓稲荷と改称しました。

最近では「やきゅう」が「野球」にも繋がるとして、野球ファンの方々の参詣も多いようです。
社務所ではバットやグラブの形の御守を見かけました。

【御利益】
五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、安産祈願、縁結び、芸道・技術の向上など、多岐に渡ります。

〈本殿〉
見事な彫刻が施された本殿です。
圧倒的なパワーを感じました。


〈穴宮〉通称・團十郎稲荷
御祭神は宇迦之御魂神。七代目市川團十郎が特に当社への崇敬が篤く、社に籠って芸道精進、大願成就の御祈願の後、江戸の歌舞伎興行が大盛況となったことから、文政4年(1821)、石造りの祠を奉納しました。
現在も芸能・技術の向上を願う方々の信仰篤いお社です。


〈元宮〉
本殿の真後ろに鎮座しておられます。元々ここに神様を祀っていたのでしょうか。
毎月1・15日に神饌を供し、拝礼するそうです。

向かって右側のお狐様は、矢じりのようなものを咥えていらっしゃいます。
矢にしては少し飾りが大きいような…

元宮さんのお隣には、大小さまざまなお狐様がずらりと並んでおられます。

〈手水舎〉
平成27年に、屋根を建立時と同じ柿葺きに葺き替えました。
天井には鮮やかな色彩の絵が描かれています。

⚔️平忠常の乱(長元の乱)
1028年、房総三カ国(上総国、下総国、安房国)で起きた反乱です。
平将門の叔父、平良文は下総国相馬郡を本拠とし、子の忠頼、孫の忠常の三代に亘って関東で勢力を広げていきました。
長元元年(1028)、忠常は安房守だった平維忠を焼き殺す事件を起こします。続いて上総国の国衙(役所)を占領。近辺の国人も忠常に加担し、反乱は広がっていきます。
朝廷は次々に追討使を派遣しますが、3年もの間平定できませんでした。
長元3年(1030)、甲斐守源頼信に忠常討伐を命じます。長期戦で忠常軍は疲弊しており、長元4年春に忠常が降伏。
この乱を平定したことで、坂東平氏の多くが頼信の配下に入り、河内源氏が東国において勢力を広げる契機となりました。
*河内源氏とは、河内国(大阪府の一部)を本拠とした、清和源氏の一流です。

まことにご神気の強い神社さまでした。
見どころも沢山あり、廻っていると楽しくなりました。

また、境内にはぼたん園があり、4月中旬あたりから見頃を迎え、藤やつつじといった花々が美しく咲き競うさまも見られるそうです。
興味のある方は是非。

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