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普通の会社員がジャズアルバムを全国リリースした話

これは一年前の話になります。私は自身が独学で作曲を学び、ほかの会社員ミュージシャンと組んでジャズアルバムをリリースしました。これはその時の話です。

2018年初夏
「アルバムを作りませんか?」とバンドのドラマーは言った。私は快諾し、我々のアルバム制作は始まった。

私は2016年に作曲を独学で学びだした。バークレー大学の書籍を読み、対位法の書籍を読み、短いピアノ曲を作ってネットで公開することから始めた。数か月後、同人作品への楽曲提供が始まり、好評を得た。自身のジャズバンドでもオリジナル曲に拘った。その結果、人脈の豊富なドラマーがアルバム制作の話を持ち出してくれたのだ。

そして苦節一年。1stアルバム「Teal」は完成した。配給会社とも契約し、全国のレコード店と各種ストリーミングサイトでリリースが決まった。

2019年6月某日、僕は仕事を終えた後渋谷のタワレコに急いだ。本アルバムは自主製作であるから、CDは私の自宅から配給会社の倉庫に出荷される。その関係で、僕はどこのお店が何枚CDを仕入れてくれたのか知っていた。我々のCDを仕入れてくれたお店のうちの一つ、タワーレコード渋谷店に予約受け取りを申し込んでいた。


ジャズを扱っている7Fに上がると足取りが重くなった。無名の私の作ったCDが本当に店頭に並んでいるのか。カウンターの奥のダンボール箱の中に未だ入ったままかもしれないと思うと、そんな現実に向き合うのが怖かった。

あいうえお順に国内のジャズが置いてある棚とアルファベット順に置いてある場所を何度も探した。無い。海外のジャズに紛れていないか探して、それでも見つからなかった。何度も探して、もう22時だった。

諦めた。
こんな大手のレコード会社がお客さんの見えるところに僕のCDを置くわけ無いよな。切り替えて次はもっと良いアルバム作ろうと考え、帰ろうとした。

その日初めて『New Release & Recommend』の欄が視界に入った。ここは最も注目されるアルバムのうちのいくつかが置かれる場所で僕の戦うようなフィールドではない、はずだった。

しかし、僕のアルバムはそこにあった。
コミュ障特有の壊れかけのファービー人形のような声が出た。
視聴コーナーの真ん中に、私のアルバムがあった。こんな良い場所に置いてあるとは思わなかった。しかも、数枚売れていることがわかる。誰かが我々のアルバムを視聴して、買った。夢中で写真をとりまくった。
店員さんに、無礼にも写真を撮ってくれとお願いした。私のアルバムなんだ、記念に写真を撮りたいんだと頭を下げながらお願いした。

笑顔で対応頂いたあと、『メッセージボード、書きますか?』と言われた。脳内エコー最大で言葉が残響した。よく駆け出しの音楽家が書いているアレを僕も書けるらしい。頭が真っ白だったので全然良いことを書けなかった。後で書いた内容を後悔した。

メッセージボードを書き、予約したCDを受け取り、僕のCDが購入できることを確認した。放心状態でマクドナルドに入ってチキンマックナゲットをかじった。食感だけが脳内に入ってきて味はよくわからなかった。

不思議な気分だった。
まるで音楽家みたいだ、と思った。
こんなめでたい日にも一人でマクドナルドってことは、僕本当に友達いないんだなと気付いた。

友達はいないけど芸術家仲間はいるしまぁいいや、とも思った。
昨日、もう一度タワレコに行った。やっぱりあった。今度は落ち着いていた。1週間後にもあった。結局私のアルバムはひと月ほど、視聴機に繋がって、New Release &Recommend枠におかれていたのだ。

横おきでCDを置かれ、数に限りのある視聴コーナーに入るのはハードルが高い話だとその後知った。我々は良いアルバムを作れたのかもしれない。多くの人がこのアルバムを売り出すために動いてくれて、結果無名の私のアルバムがこんなに良い場所に置かれている。

帰りの電車の中で少し涙が出た。金曜夜の半蔵門線の中で泣いているおっさんはさぞかし気持ち悪かっただろう。

私と一緒にアルバムを作ってくれたドラムの鈴木さん、ベースの杉谷さん、そして初めてのアルバム制作を支え続けてくれたエンジニアの箸本さん、配給会社のウルトラ・ヴァイブさんに大変感謝しています。
また、私にジャズを教え、遅いスタートだった私を支えてくれた京都四条大宮ふら〜っとホームの皆様にも。バンドをやりましょうと勧め、私に自分のグループで自分の世界を追求すべきと勧めてくれたドラマーの三浦さんにも大変感謝しています。

「Teal」はJazz Life 7月号にも掲載された。私のジャズの先輩=友人の所属するバンドが表紙で、レベルの違いを感じたけど、それでもよかった。海外のファンもできた。アルバムは赤字だった。けど、枚数は言えないがかなり売れた。

私は周囲から『音楽家』『ジャズピアニスト』などと呼ばれるようになった。尊敬する先輩方と同じ肩書を得ることは新たな重圧を生んだ。

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あれから一年。

2ndアルバムはコロナウイルスの影響でリリースできていない。しかし、私はあのアルバムが切っ掛けでひとつのアルバムに参加することになった。ハウスミュージックだ。しかも私の好きなアニメ・ゲーム関連でだ。
https://twitter.com/waseikun/status/1267410734914211840?s=20
ここまで読んでくれた皆さま、良かったら私の最新作を聴いてください。

僕は会社員になってからジャズを始めて、作曲を始めて、アルバムをリリースした。始めるには遅すぎることなんて世の中殆どないと思う。それは生存バイアスかもしれないけど、未来は誰にとっても確かじゃない。だからあなたの可能性を誰も否定できない。もし何か迷っていることがあれば、今始めることを強くお勧めします。