彼女はどんな「アイドル」であるか?論〜大和亜季編〜
サバゲーと筋肉、日々のトレーニング。
そんなフィジカル面でとても強く逞しく、しかし時にはアンドロメダのような幅の広さも見せ、我々を魅了してくれるアイドル・大和亜季。
今回は彼女を「アイドル」という観点で、私の思うところを思うがままに書き尽くさせて頂きたいと思います。
※このNoteはあくまでも一人のプロデューサーの自己満記事です。
個人的なお気に入りのテキストへの贔屓目やそこありきの話など存分にあります。
また、今後の公式の軸になるということも踏まえてデレステをメインにしつつ、必要な時はモバマスその他の話も引用するというスタンスで記していきます。
親愛度MAXメッセージのような核心テキストの引用もあります。ご了承下さい。
大和亜季と「アイドル」の始まり
そもそも亜季は公園で自首トレーニングをしているところをプロデューサーにスカウトされたというところから始まります。
デレマスには色々なタイプのアイドルがいますが、亜季は正直なところ、アイドルにならなくても楽しい人生を送っていたように思えるタイプなんですよね。
サバゲーという趣味に勤しみ、目指せ最強!と思いながら公園で匍匐前進を一人でしている人生、あまりにも楽しそうすぎる。
だからこそある意味、そこからアイドルという道に進めるのは責任重大とも思えますね。
そしてその後、スカウトを受けた亜季はPに対して「私と戦場を駆け抜ける覚悟があるのか!?」と逆テストをして来ます。
そこでPを認めてアイドルという戦場に赴く決意をした亜季ですが、そんな亜季の性質と「アイドル」について、を語っていきたいと思います。
「大和亜季」対「アイドル」
強いアイデンティティ
亜季は元から、それこそアイドルになる前から「これこそが私」という所謂アイデンティティをしっかりと持っていました。
おそらく、普段自信に満ち溢れているのは鍛えた心身の強さに加えて、こういった側面もあるからだと思われます。
しかし、初期はそのアイデンティティが強すぎる故の課題もありました。
モバマスではぷちデレラにて「この(特徴的な)口調を時に手放す居心地の悪さ」で悩んだり、デレステではメモリアル4にて「得意なこと、好きなことに熱中するあまり、するべきことが疎かになっていた」と反省をする場面があります。
ぷちデレラの方の言葉を見ても、消失を恐れていたくらいには自分のアイデンティティを強く感じていたことが考えさせられます。
「勝つこと」への拘り
前述の、強すぎるアイデンティティによる課題も乗り越えてきた亜季ですが、そもそもなぜそこまでして「アイドル」で「勝とう」とするのか?と思うことはあるかもしれません。
そもそも亜季はスカウトされた組で、「そこに戦地があるなら興味はある」という言葉も、アイドルを自身の趣味に当てはめたふらっとした興味のように見えるかもしれません。
ただ亜季は、物事ところが人生そのものを「戦いの連続」とも言っています。
そして、モバマスでのこのぷちエピソードの言葉は普段の彼女の価値観としてかなり重要な話だと思っています。
ミリタリー趣味の亜季は、誰かが相手かというだけでなく、己の心やレッスンでの課題などという部分含めて戦うことが楽しいのです。
本人は戦い、と称していますが、言ってしまえば、何かに立ち向かう、挑戦すること、そして自分がそれを糧に成長すること自体が好きなのかもしれません。
だからこそ、アイドルという場所でも、アイドルとなった大和亜季として試行錯誤することにも、楽しさや意義を感じている。
そして何かと戦った末に「勝つ」ことによる最高の景色はサバゲーなどで元々知っていたでしょうから。
彼女は壁にぶつかっても、少し悩んだりはしても迷うことはないと思うのです。
それはメモリアル4で、Pに指摘されたことに対して、改善の手伝いをすぐに頼むことからも伺えるかなと思います。
「勝つこと」に向けての貪欲さ、執念はとても強固な彼女なので。
アイドルという居場所への思い入れ
そして、亜季がスカウトされて入ったアイドルという仕事に熱を入れてるのは、勝つことへの拘りに加えてもう一つあると感じます。
それが、フォワードチアー特訓コミュにおける「優しくて、熱くて、居心地がいい」という言及にあると思っています。
本来、サバゲーに勤しんでそれだけでも楽しい人生だったであろう彼女を、アイドルとして連れて来た結果こう言われると思うと感無量にもなりますね。
それはさておき、亜季はアイドルというものに対して、スタッフやファン、Pたちから「優しくて(略)な場所を頂いている」という認識でいます。
成り行きスカウト組とはいえ、アイドルという場所において、かなり思い入れが強いことが解りますでしょうか。
そしてそれも踏まえてぜひ見比べて頂きたいのがこの二つのテキスト。
アイドルとしてハートを撃ち抜く立場にいると思っていた大和亜季だが、自分の方が感激で胸を撃ち抜かれてしまった。
コマンドー・オブ・ステージがある意味、「大和亜季・第1部完!」とも思えるのはこれのエモさにあると感じています。
これらからも解るように、亜季は人と関わって出来た気持ちをとても大切にしているし、還元したいという気持ちが強いんですよね。
また、強くなるのも「大切な誰かを支えるため」と言及しているだけあり、どんなに強くても「一人で大丈夫」という考えでは決してないのです。
どんなアイドルになりたいのか?
上記のハロウィンガンナー特訓コミュもそうですし、モバマスのぷちデレラのコメントには「圧倒的な劣勢にある人を、もう一度奮い立たせる……そんな歌をうたえたら、幸せでしょうな」というものもあります。
元気づける、奮い立たせる歌を歌いたい、というのは、人生は戦いの連続ととらえている亜季ゆえなのかもしれません。
現にファンのことを「心強い戦友」と表し、「自分は孤独ではない」と言っている亜季は、上記のコメントからも、同じくファンにとっての自分も、寄り添う戦友であれたらいいと思っているのではないか……なんて考えてしまうのです。(ここは妄想です)
大和亜季は心身強いけど、誰も置いていかないアイドル
以上のことを踏まえて、私は大和亜季のことを、心身もアイデンティティも強く、しかしその強さで誰かを置いてけぼりにすることは決してない、そんなアイドルだと思っています。
大和亜季は「強くなりたい」「そして勝ちたい」し、鬼軍曹化しかり好きなことなどに熱中しすぎると前が見えなくなってしまうところもあります。
しかし本人の意思として、誰かを置いてけぼりにしようとすることは決してない。
むしろ誰かを助けるために、笑顔にするために、みんなで歩んでいくために強くなりたいし「勝ちたい」のです。
アイドルとファンであろうと、アイドルとスタッフであろうと、アイドルとプロデューサーであろうと、戦友として同志として手を差し伸べ合うのです。
これは私の願望込みのお話ですが、そんな考え方や感性を持つ大和亜季はアイドルになったことで「多くの人が戦友になった」だけでなく、「多くの人の戦友になれた」のではないか。
アイドルという立場で、人々の、それぞれの人生という戦いの中で寄り添い合う戦友になれる。
そこに、あのPが逆テストを乗り越えてでも大和亜季をアイドルにした意義があったのではないか、これからも亜季がアイドルをする意義があるのではないか。
いちプロデューサーとしては、アイドルの大和亜季に対して、そう思うのです。
好きだー!大和亜季ー!!!と叫びと共にこの記事を〆たいと思います。