【私の十界論】仏界…「どんな自分もオーケー」
実は、このシリーズは「おわりに」から書き始めました。着地点がブレないようにということと、最後までちゃんと書ききるぞという思いからです。
仏界とはなにか。私は、今まで書いてきた九界のそれぞれの心が受け入れられて安心した状態、これを仏界というのだと思っています。正しい解釈かはわかりません。
成仏する、仏になるというのは、特別なことではなく、仏界があらわれて自分が心から安心できてる状態を指すのだと思うのです。
仏界はゴールじゃありません。一度仏界になれたからといって、病気になれば苦しいし、嫉妬もするし、地獄のような絶望を味わうこともあります。ただ、自分の心に仏界があると知っているのと知らないのとではかなり違いがあると思います。
仏界があると知ることは、どんなに絶望して希望が見えなくても、自分の中に一人だけ味方がいると知ることです。これがなければ、追い詰められた人は、自分か他人を殺すしかなくなってしまいます。(物理的な意味だけでなく、精神的な意味でも)
でも、もともと全員が仏界を持ってるなら、別に宗教なんてしなくてもいいんじゃね。という疑問があります。
地獄界〜菩薩界までの九界は、放置すればそれぞれを行ったり来たりしています。たとえば、餓鬼界の心だったのが、望みがかなって天界になるなど、環境や縁によるところが多いです。ただ、仏界だけは、自分の心と向き合うことをしないと、なかなか現れません。自分の心に向き合うことが、信仰なんだと思います。
専門家でないのでわからないですが、仏教以外の宗教も、同じなんではないでしょうか。
キリスト教の懺悔なども、罪を許してあげるのは神父様ではなくて、自分の心の中にいる神なのでは?と思いました。(違ったらすみません)
なので、私は自分と向き合えるなら、宗教に入る必要はないんじゃないかなと思います。逆に、見たくない自分から目を背けて、自分と向き合えてないときは、信仰しているとは言えないのかもとも思います。
十界全部を書くのはやっぱり大変でしたので、あまりおすすめはしません。でも書くことで気づけたこともあったのでよかったと思います。
すべては私の我見です。でも、十界論について興味を持ってもらえたら幸いです。ありがとうございました。
他の九界については、こちらに目次を載せてます。